ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

今年の半分が過ぎようとしている。夏至の日に月日の経つのが早く感じられるようになったと書いたが、半年を迎えるとやっぱり同じように思ってしまう。夏至は区切りとして思い入れの強い一日であり、半年は6ヶ月という経過を思い起こさせるとき。例年より雪解けが早くて長い春を満喫したはずだし、北へも西にも『歩く旅』をしたし、卓球も友との飲み会も楽しんだのになぜかあっという間。15-6-30

 

いまいちスッキリしない天気の日々。北海道は梅雨にも関係なく爽やかで過ごしやすい季節のはずなのに、涼しいというより寒いと感じるほどの天気が続いている。20℃を切り、18℃前後がその境目。もちろん、本当に寒いわけではないけど一旦暑さに慣らされた体はそんなように反応してしまう。だから、半袖だけで出掛けるのは心配でもう一枚羽織ることになる。今日もそれが大正解だった。15-6-29

 

『ひとこと』を書くのはスケッチやデッサンに似たところがある。どっちもまず出だしのキッカケが肝心。何もなければ何も始まらない。書き出しの一文字、最初の一本の線が次の文字や線を引出す。そして、おおまかであってもいいから流れに乗って最後まで進めて、その全体像を把握する。その上で、部分の吟味に入る。言い回しの変更や字数の調整、線の修正や増減など似ていておもしろい。15-6-28

 

屋根のペンキを塗るときには順序がとても大事になる。やり初めは端の部分で次第に真ん中に向う。そのとき、できるだけ大変な場所を先にする。少しでも気を楽にするためにはそれがいい。てっぺんがある程度塗り終ったら軒先に掛けた長い梯子に上り、これまた長い棒のローラーで縫っていく。そして、最後が近づくと塗り残しをしないために、さらに順序を検討する。まるで、パズルのように。15-6-27

 

ようやくアトリエの屋根のペンキ塗りを完了。述4日も掛かってしまった。1日目と今日は朝から夕方まで作業をできたが、2日目は3時頃にペンキが切れて中断。3日目は昼にようやくペンキが届き、すぐに始めたが3時には雨とついてなかった。とにかく、もう屋根に上らなくていいんだと思うと本当にホッとする。ペンキ塗り自体は楽しいくらいだけど、あの緊張感から解放されたのが嬉しい。15-6-26

 

大学時代の友人と半年振りの飲み会。まずは具合が悪いと聞いていた体調の話から入る。快復はしてきてるが問題は残っていて、治療方法の決断を迫られ迷っているという。そのことで医者に診断を仰いでいるのに「どうしますか?」と判断を返されるらしい。今回の僕の歯の場合もそうだった。「今、治療しますか?それとも次の検診のときにしますか?」と。それを決めるのも仕事の内なのでは。15-6-25

 

6年程前の手術以来、3ヶ月毎に歯のクリーニングと検査をしてきたけれど、奥歯にわずかな腫れと痛みが出てきたので治療してもらった。それは、冠をはずして土台を削り取りその根っこの部分をさらに削り消毒をするというもの。医者は「治療のせいで痛みと腫れがひどくなる場合があるので痛み止めを出しますか」と聞いてきたが「いいです」と断った。手術の後でさえ飲まずに済むのは体質?15-6-24

 

まちがい電話はごくたまにはあるけれど、まちがい留守番電話は初めて。再生してみると年配の女性の声で「服届いたけど、そんなに気使わなくてよかったのに」と出てきて一瞬戸惑った。しかし、内容も声もまったく心当たりはなく、まちがいと判明。それにしても、『はい、中橋です。ただいま留守に・・』と最初に名前を告げているのに留守録に入れるのが不思議。多分、聞いてないんだろう。15-6-23

 

今日は夏至。もうそんなときが来てしまったのかと寂しい気持になる。毎年繰り返す同じ気持だけれど、次第にそれが早まっていくのは歳のせいもあるのだろう。より年配の人達の口から「一年の経つのが早い」との言葉をよく耳にする。そうはならないようにしたいと願っても残された年月という意識がそうさせるのかもしれない。残念ながら曇り空で長い夕方は楽しめなかった。来年はどうかな。15-6-22

 

最近、続くのパターンが増えているけどこれももう一回だけ続く。慣れた頃が危険という戒めもあるので気を抜かないように注意を払いながら作業を進めた。容器のペンキがなくなる度に下りるのだが、それはちょうどいい息抜きの時間にもなった。できるなら高いところでの危険な作業はやりたくないが、今回の体験でかつての感覚をまた少し継続できた気がする。感覚も使わなければ鈍っていく。15-6-21

 

続き。それでも、屋根のてっぺんまで上ってしまうと不思議と気分も落ち着き、怖さも小さくなる。一番高いところは6mくらいあるだろうか。高さは倍になっても怖さは半減している。高さより滑ることの方がずっと怖い。大丈夫とわかれば手にペンキの容器を持って上がるのも平気になる。そして、片方の手はロープで体を支え、もう一方に刷毛を持ってペンキを塗っていく。これも慣れるもの。15-6-20

 

5年振りにアトリエの屋根のペンキ塗り。軒先に掛けた梯子を上り、屋根に足を置くときが一番怖い。どれほど滑るのかわからずすごく不安になる。無事1歩目を置いたら次は2歩目。屋根の反対側に固定したロープをたぐりながら歩を進めるのだが緊張は極地に達する。3m近い所から落ちればただでは済まないのは明らかだから慎重過ぎるくらいでちょうどいい。5年前よりも怖さは増していた。15-6-19

 

かつて所属していたことのある美術の公募展に顔を出すと、入口の一番最初に飾られていたのは、つい2ヶ月ほど前に亡くなった大学時代の同級生の作品だった。作品の横には黒枠に収まった懐かしい笑顔があった。これまで、そのような枠を見ても自分より年上の人と思い込んでいた節があるけれど、もうそうではないんだと知らされた気がした。すでに御大のように見えていた世代に入っている。15-6-18

 

貯筋。かなり前からこの言葉は知っていたが、つい最近もこれについて新聞に詳しく書かれていた。筋力は年齢を重ねてからも鍛えられるそうで、日々の努力の報われるところが有り難く嬉しい。2001年から長距離の『歩く旅』を始めたけれど、その当時の筋力と比べたらまちがいなく今の方が強くなっている。お金の貯金はなかなかできないけれど、貯筋の方はこれからも増やしていけそうだ。15-6-17

 

頭を使うという意味ではこの『ひとこと』は十分役立っている。半分は意欲で半分は意地のような部分もあるが、その両方があったからこそここまで続けてこられた気がする。書きたい欲求と続けたい意欲だけだったとしたら途切れ途切れになってたかもしれない。とにかく、たとえ意地であれ義務であったとしても毎日頭を使ってきたことは確かだ。これからも無理せず上手に使い続けていきたい。15-6-16

 

使わないと衰えるのは頭も同じ。2年前には当り前にやっていたはずのパソコンでの作業が度々中断してしまう。『ここはどうやるんだったっけ?』『あれ?どうして先に進めないんだろう?』とわからないことが次々出てくる。何度も試しているうちに徐々に思い出し解決していくが、時間が掛かってしょうがない。何より精神的に疲れる。今後のために、手順を詳しく書き残す必要がありそうだ。15-6-15

 

スキャナーの不具合で電話サポートを受ける。友人に頼まれた資料をまとめるために原稿をスキャナーでパソコンに取り込もうとしたら『接続されてません』という警告が出てきた。2年振りくらいの使用だったのでうまく機能するか心配だったが悪い方に当ってしまった。そこで、メーカーのサポートの助けを借りて何とか快復にこぎつける。どんなものでもそうだが長い間使わないのはよくない。15-6-14

 

主婦の感覚からすると僕の料理はほとんどが残り物料理になるようだ。つまり、玉 葱でも大根でも他のどんな野菜であれ肉であれ魚であれ半分以上使ったとしても使わなかった分を残り物とは受け止めない。たとえ10分の1でもそう。しかし、その主張はほぼ受け入れられなかった。たしかに主婦は残り物で作るとか言う。これは、食料として捉えるか食材として捉えるかの違いのような気がする。15-6-13

 

夕暮れどきの立ち話。借りているアトリエの周りは田んぼに囲まれていて、今は小さな苗がきれいに並び浅い水のなかで微かに揺らいでいる。その脇で潅木の伐採をしていると、畦に除草剤を撒く農家の人が来たので挨拶をした。初めて会った人だけど自然に会話が始まり、長閑な雰囲気に包まれながらの楽しいひとときとなった。出来上がるものは違っても精魂込めて作り上げるのはどっちも一緒。15-6-12

 

これで神威岬まであと一回で行けるところまで進んだ。当初は一気に岬を目指そうとしていたけれどこれからの観光シーズンを考えて先送りすることに。北は美深で西が美国になったのもちょうどいい。それと、これまで歩いた道を記した北海道地図を眺めていると道南へはまったく伸びていないのが寂しく感じられ始めた。そこで、同じ方向ばかりでなく東西南北の岬に徐々に近づく計画に変える。15-6-11

 

トンネルの話が随分長くなってしまったが、もうひとつ付け加えると、200mおきくらいに双方の出口までの距離を示す標識があったのは有り難かった。自分がどの辺りにいるのかわからなければもっと不安になる。とにかく、無事トンネルを抜けると古平町になっていた。目的地の美国には14:45に到着。6時間40分で約34H歩いたわけだ。15:09のバスで小樽に戻り列車で札幌へ。15-6-10

 

トンネル内で起こった変化は霊なんかには関係なく、いろいろな条件が重なったためだと思っている。2228mは今まで歩いたなかの最長で、騒音と圧迫感も半端じゃなかった。出口に最も遠い中間という場所にいる一抹の不安。ときには自分の足音が反響して耳に入る。後ろを振返らないのは気にしないようにするため。次の2050mのトンネルでも起こった。他にもあるが、これらがその理由。15-6-9

 

車の反響音に常に包まれながらトンネルを歩いているとき、ふと、後ろから誰かが付いて来てるような気配を感じた。それが頭によぎった瞬間、急に頭に寒気が襲った。血の気が引くというやつでザワ−っとする感じ。そこで、後ろを振り向くなと自分に言い聞かせて前へ進んだ。1、2分で頭は正常に戻ったが嫌な感覚は残った。多分、信じる人はこんな現象を霊に結びに付けるのだろう。まだ続く。15-6-8

 

ネットで調べるとあの事故は1996年2月10日に起きたものだった。今でも衝撃的な映像を覚えていて19年前だったとは思えない。その後、トンネルとトンネルが繋がれてこの長さになったわけだ。そのため事故現場へは海からでないと行けなくなっている。霊とか霊魂とかをまったく信じないし怖くもないと断ったうえで話を進めるが、トンネルの真ん中辺りでちょっとだけど嫌な体験をした。15-6-7

 

続き。余市と古平の間には長いトンネルが4つもある。最初は950mでそれなりに長いと感じたが次のは1320mもあって今まで歩いたなかでの最長だと思った。ところが、何と3つ目は2228mもあるのだ。さすがにこれは長い。30分近くも押し込められるのは辛かった。そして、最後のは2050m、これも十分長いのだが前ので慣れていた。3つ目があの崩落事故のあった豊浜トンネル。15-6-6

 

札幌駅6:51発の列車で小樽へ行き、バスに乗り塩谷で降りる。そう、この前の『歩く旅』の続きを決行。8:05に歩き始める。天気は曇りで気温は14、5℃。この予報を見て行くなら今日だと決めた。余市の辺りから霧雨になり100円ショップのレインコートを着る。これは結構重宝している。それと、買ったばかりの帽子も大いに役立ってくれた。このためにも早く手に入れたかったのだ。15-6-5

 

『歩く旅』のときもいつもそれをかぶっていたから旅の友でもあった。それに、何かを失くすことは滅多にないので気になってしようがない。でも、あり得ないところまで徹底的に探しても出てこないのだから諦めた。そして、そのモヤモヤを解消するには新しい帽子を手に入れるしかないと思い、アウトドア用品店で二代目を購入。すると、気分も新たになって燻っていた未練はようやく断ち切れた。15-6-4

 

帽子が見つからない。いくら探しても出てこない。先月の25日にその帽子をかぶりハルカヤマで作業をして、車で自宅に戻ってきたのだが家の中にも車にもないのだ。車の中で脱いだ記憶はあるが車から家に入れた方は定かではない。もし家になければ車にあっていいはずなのにないのが不思議で納得できない。この帽子は12年前の波照間島への旅のときに那覇で買った思い入れの強いもの。続く。15-6-3

 

悪質な自転車の乗り方に対する罰則が強化されたというのに、まだ新聞や広報では『マナー』を連発している。個人の良識頼みでは解決しないからそうしたわけで、それをまだ甘やかそうというのか。そもそもマナーの意味をどう解釈しているのか聞いてみたい。辞典にはマナーとは=礼儀作法にかなっているかどうかという観点から見た態度=とある。守らねばならない『規則』とは意味が違うのだ。15-6-2

 

プチ贅沢。以前にもここに書いた気がするけど、納豆と豆腐は今も道内産にこだわって買っている。ついつい、安いほうに目がいってしまいそうだが、このふたつに関しては迷わず手に取るので価格の比較さえしなくなった。すでに、これが当たり前の値段になっている。ならば他のものも道産にこだわりたいと思ってはみても悲しいかなそこまでの余裕は持ち合わせていない。これがせめてもの贅沢。15-6-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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