ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

靴を履き『さぁ、出かけよう』と玄関を出る前に必ずもう一度持ち物の確認をする。確かめるのは鍵と財布と携帯電話のみっつ。去年の冬の鍵持ち忘れ閉め出し事件以来、鍵はしつこいほど確認するようになった。財布よりもっと大事なのがこの鍵。財布は忘れても戻ればいいし、時計代わりに持ってるような携帯はなくてもなんとかなる。でも、鍵がなければ家にも入れない。あの悪夢はもうイヤ。07-4-30

 

3日前、悲しいことにずっと餌を食べてくれなかったモン次郎がついに力尽きて死んでしまった。最後のほうは体はやせ細りひれの透明感はなくなり白みを帯びて先端はボロボロになっていた。食べないから新陳代謝ができないわけで、何とかしなければと『お魚が塩で元気!天然ミネラル』や『命の水』などを水槽内に加えたりもしたけれど・・・。はっきりした原因と対処法を知りたいのだが。07-4-29

 

1ヶ月に1度の聴力検査のため病院へ。残念ながらいい変化は出なかった。ずっと同じ検査結果 が続いているし、治療や投薬を始めてからすでに半年が経ったわけでとりあえずこれで終りにすることになった。これからは何とか現状を維持していく努力をするしかない。努力といっても耳のためには頑張りようがないから願うというのが正しい。とにかくここまで回復してくれたことを喜ばなくては。07-4-28

 

裁判に関する映画で忘れられないのが『ニュールンベルグの裁判』。思い出の映画の5本の指にも入るこの映画を観たのは中学3年生のとき。第2次世界大戦でのナチスの戦犯を裁く裁判。主人公は弁護士で殺害は上官の命令に従っただけで本人の意志ではなく、拒めば死もあり得る状況で自分を貫くのは極めて困難として無罪を論理的に主張する。しかし、判決は死刑。もしも僕ならと悩み迷った。07-4-27

 

映画『それでもボクはやってない』をようやく観た。遅くはなったけどおかげで入場料は半分以下。中頃からの裁判風景は傍聴したときの様子そのもので非常に臨場感があった。裁判官や検事、刑事などは僕のイメージと同じように描かれていた。それはよくわかっていることで、この映画で心に残ったのはいわゆる『一般 人』。証言の重要性とちょっとしたことで証言が変わってしまう怖さを見た。07-4-26

 

春になると外に出てくるのは子供達だけではない。虫達も土の中から出てくる。土や草や木の上にとどまっていればいいのに家の中まで侵入してくるのがいるからこまったもの。害はないというけれどわらじ虫を見つけたときはちょっとびくっとする。動きも遅いし襲ってくるわけでもないから驚くほどではないのになんか嫌な気分になる。外で見るぶんには気にならないのに家の中のは許せない。07-4-25

 

早起きするようになってからは当然早寝をするようになった。多少のずれはあるけどだいたい夜11時前後に寝て6時頃起きる。最近は目覚ましの前に起きることが多く、体がいや脳がすっかり習慣になっているようだ。昨晩はめずらしく就寝が1時近かったので、朝起きるときつらいかなと思って寝たのにやっぱり6時前に目が覚めてそのまま起床。寝る時刻が変わっても同時刻に起きるのはなぜ?07-4-24

 

急に心地よい春のあたたかさがやってきた。それにしても気温の変化が激しい。少しずつとか、徐々にとか、知らず知らずのうちにということではなくいきなりという感じ。春を実感するひとつが家の前の道路で遊ぶ近所の子供達の歓声。冬の間はめったに聞こえてこない明るくはしゃぐ声が響く。閉ざされたところから放たれ、喜びを体いっぱいで表現してかのようにはじけてる。とても楽しそう。07-4-23

 

秋には楽しみも待っている。それは4年前から恒例になった年に一度の旅。沖縄〜波照間島、倉敷〜直島、金沢〜大阪、名古屋〜神戸と旅して今年は東京とその近辺に行くつもり。東京にはしばらく行ってなくて、調べてみたら12年も前だった。それでも、この年オープンしたばかりの東京都現代美術館で観た作品は今でもよく覚えてる。今回も美術館回りが目的。まだ先だけど楽しみはふくらむ。07-4-22

 

これから半年間頑張って目指したいものがある。頑張るというより気をつけて手に入れたいもの。今まで何度となく挑戦したのに手に入らなかった。その挑戦は10回近くになる。一番くやしくて残念だったのが前々回、それをふいにしたのは1ヶ月前のことだった。待ちに待った3年がようやく過ぎようとしてた矢先だったのに・・・。その目標とは今だ手にしてない運転免許証のゴールドカード。07-4-21

 

清涼飲料水といえば炭酸入りの飲み物をイメージするが、その炭酸入りは最近すっかり飲まなくなった。すでに5、6年経つような気がする。それだけ若さが遠ざかったということだろう。若いときはあの刺激がたまらなかったのに今では飽きてしまう。小学生のころはサイダーとラムネが嬉しかった。コーラは薬くさかったのでガラナのほうが好きだった。とにかく炭酸飲料は若者たちに似合う。07-4-20

 

自転車で坂道を必死に上る3人の女子中学生。そこには40年近く前にはやった『若者たち』のテーマソングが流れている。『君の〜ゆく〜道は〜はてし〜なく遠い〜 だのに〜な〜ぜ〜・・・』そんな歌のテンポはおかまいなく元気よく坂を上り切る。そして、清涼飲料水を飲み干して底抜けの明るさで叫ぶひとこと「遠くてけっこう!」。時代の違いをみごとに表わしているようでおもしろいCM。07-4-19

 

アメリカでは大学構内で32人が銃で殺害され、日本では長崎市長がやはり銃で殺害された。アメリカが銃社会であることは自らも認めていて『犯罪者から自らを武装することが必要。これは西部開拓時代からの伝統だ』という考えを持っている。開拓時代から何も進歩してないわけだ。アメリカに追随する日本も徐々にその考えを取り入れようとしていて暴力での対決を否定してないところが怖い。07-4-18

 

悲しい出来事。口の近くのはれものが悪化して食べることもできなくなったモン助がとうとう死んでしまった。相手が魚だけに無理に食べさせることもできず、病気が治ってくれるのを願うしかなかった。でも、食べられなければ治す力も湧いてこないわけで日に日に弱っていくばかり・・・。最後のほうは水面 近くでじっとするようになり、そして力なくゆらゆらと底に降りていく。つらい光景。07-4-17

 

車検のため予約を入れてた工場に車を持って行った。事務の人も工場の人も感じがよくほっとする。代車を必要としない場合は1,000円引きになるというのでそうしてもらい、任意保険の割引き等級が上限のためさらに1,000円引きになって 嬉しい誤算。結局、以前頼んでたところより安く仕上がることになった。何が幸いするかわからない。今度の工場は潰れずにいてくれるといいのだが。07-4-16

 

雪が散らつきはしても積もることはないだろうとタイヤ交換をした。去年までは連休前の峠越えがあったのでタイヤ交換はそのあとだった。だから例年に比べると早い時期になる。やる前はちょっと億劫でもやり始めると以外と簡単に終ってしまう。車の衣替えは済ませたけれどなかなか本格的な春になってくれない。窓からの風を受けて走りたいけど、そんなことをしたら風邪をひいてしましそう。07-4-15

 

実家に関するご苦労さんの意味で姉からお米券が送られてきた。これでしばらくの間、多分半年以上の米を与えられたと思うとすごく安心した気持になれる。現金や商品券と違って用途がはっきりしていて、絶対必要なものだからお米券はとてもありがたい。しかし、他の商品の支払いにも使えることを知ったときはとてもがっかりした。それだと米が他のものに化けたようで申し訳ない気分になる。07-4-14

 

春がこない。4月も半分が過ぎようとしてるのに寒い日が続いてる。朝方には雪も降る始末。夕方の散歩のときには手袋が必要。上着は春用に替えたけどフード付の冬用でもいいくらいの寒さ。おかげで家のストーブは着けたり消したりと忙しい。冬は暖かくて春が寒いなんて本当にこまったもの。07-4-13

 

「責任ってどういうこと」プロ野球の横浜球団社長は悪びれずにニヤけながらそう言った。罰則がないとはいえ選手に対する契約金で違反をしていながらこの態度。ルールを破っても良心の呵責は一切ないようだし、悪いことをしたという自覚もまったくないようだ。「約束事を守らなかっただけでどうしてそんなに問題にするんだ」と大企業の社長が開き直ってるわけで、あきれて返す言葉がない。07-4-12

 

「死に場所がなくなる」夕張で奮闘する村上医師のこの言葉が心に残った。つまり、もし入院ベッドがなくなれば地元で死ねないわけで、どうにか守りたいと語っていた。何10年も暮してきたところで死ねないというのは自分の家でなく他人の家で死ぬ ようで寂しい。死に場所だけでなく産まれる場所さえも多くの町から消えていこうとしている。生と死がないがしろにされる社会は絶対おかしい。07-4-11

 

『涙』で忘れられない人がいる。昨年秋、大阪の国立国際美術館でのたった数分の出来事。美術作品の監視をしている女性に作家に関する簡単な質問をしたところ、その人はうまく応えられなかった。すると、両目から大粒の涙が急に溢れ出てきた。滝のように流れる涙が頬を濡らしても拭おうともしない。潤んだ目は真剣だった。きっと、緊張しているなか何とか応えようと必死だったんだと思う。07-4-10

 

「渡るよ!」昼食後と思われる3人連れのOLのうちのひとりがふたりに声をかけて走り始めた。青になったばかりの信号までは30メートルくらいある。声をかけた人はしっかり走ってるのに、ふたりは多少急いでるようだけどちんたらしてる。その内のひとりは上着のポケットに手をいれたまま。当然、どんどん離されていく。結局ふたりは渡れなかった。僕はまちがいなくピッ、ピッのほうが好き。07-4-9

 

今日の散歩の方角は投票所のある中学校へ。引越してきて2度目の選挙。4つの選挙の4枚の投票用紙にそれぞれの候補を記入して投函。あっさり終了して物足りないくらい。投票所までは10分足らずでこちらも物足りないので最近オープンした大型書店に向う。途中コンビニで教えてもらってようやく辿り着いたのは30分後。考えていたより遠かった。結局、往復で1時間10分の長い 散歩に。07-4-8

 

『○○○です』『最後のお願いです』『あと一歩です』『よろしくお願いします』『ありがとうございます』『○○○○を勝たせてください』などなど、夕方の散歩に出ると絶叫するそれらの大音響がこだましていた。これも今日限りで明日からはまた静かな街に戻る。「関心ない、興味ない、関係ない」と投票を棄権する人達がいるが趣味の世界と同じ感覚でしか政治を認識できないところが悲しい。07-4-7

 

爪を切るたびに思い出す場所がある。そこは石垣島の港の近くの薬局の横。強い日差しの午後、波照間島に渡る船を待っていたとき、ふと爪が気になり薬局で爪切りを買って切ったのが薬局の横の小さな空き地。すっかり忘れることもあればなぜか鮮明に覚えてることもある。もう4年前の秋のこと。07-4-6

 

知事、市長、道議、市議の投票日まであと3日となり街頭はさらに賑やかになってきた。名前の連呼は相変わらず同じだけど以前とは違う言葉の連呼に気づいた。『よろしくお願いします』より『ありがとうございます』のほうが多くなってるのだ。これには何だか違和感を覚える。具体的な対象者がいないときの『ありがとう』は勝手に決めつけてるようで嫌。『よろしく』のほうがまだ謙虚な姿勢。07-4-5

 

我家の水槽に加わった3匹のモンク・ホーシャも10日が過ぎ、もう慣れてくれていい頃なのにちょっと気になることがある。ゆったりしてたモン助の口元にあった白い点が少しずつ大きくなってきてるし、餌を食べてくれないのが心配。モン次郎も食欲はいまいち。レモンはモン太と争うように食べてくれるから安心だけど、モン助とモン次郎にも元気よく食べてほしい。食べて動くがすべての基本。07-4-4

 

あられ、霰。朝、地下鉄駅に向って歩いていると突然あられが降ってきた。白い玉 になってるところが不思議。手のひらに乗せてみるとかなりきれいな丸。ゆっくり見ようとしてもどんどん小さくなって消えていく。少し調べてみた。雨とは雲から降る水滴、氷の結晶が降れば雪、積乱雲から落下する氷の粒のうち、直径5@未満があられ、5@以上はひょう。帰りは雨と雪が同時に降る見事なみぞれ。07-4-3

 

自分にとって都合の悪いことにふたをして勝手に水に流しておいて思いやりもなにもあったものでない。慰安婦の問題も沖縄の自決の問題も被害者の側の立場をまったく考えていない。子供達に『思いやり』を「道徳教育」で教えるより大人が態度で示すのが一番の教育だというのに、まったく逆のことを堂々と平気でやってるからあきれる。そんな『思いやり』教育は表と裏のある人間を作るだけ。07-4-2

 

ついに4月に入った。でも、3月中旬からずっと寒い日が続いていて今日も雪が散らついた。おかげで4月になった実感が湧いてこない。家の陰にはとっくに消えてていいはずの雪がまだ残ってる。暖冬だったのに結局長い冬になってしまった。何年か前にあったけど入学式の日に吹雪になるなんてことがないよう願うばかり。直接関係あるわけではないけど出発のときははさわやかな日差しがほしい。07-4-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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