ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

突然の雨に100円ショップで傘を手にしてレジに立つと、前の客がアルミシートを3袋も買っていた。多分、緊急用なのだろう。実は東北大震災のときに万一の備えとして作ったアルミシートの寝袋を地震後に探したのに見つからず、また作らねばと考えていたことをそこで思い出させてくれた。後日、大きな100円ショップに行くと入口のすぐ近くに売れ筋商品として置いてあった。やっぱり。18-9-30

 

食堂などの店の前で大声を出して客を呼び込もうとしている店には入らない。入ろうかと思っていた場合でもやめてしまう。本来の仕事がないからそうしているわけで、空いているのを強調すればするほどはやってない店だと宣伝していることになる。本当においしい店であれば客が客を呼び、店先で叫ぶ必要はない。ただ、その声に誘われて入る人がどれ程の割合でいるのか知ってみたい気もする。18-9-29

 

続き。ずっと昔の若い頃の話しになるけれど、ジグゾ−パズルを初めてやったときかなり楽しんでやったのを覚えている。そして、危ない遊びだなとも思った。なぜかというと途中で止められなくなるから。長時間やり続けて疲れていても、うまくはまらないのが気になってなかなか中断できないのだ。そんなわけもあって自分で買うことはなかった。それが今こんな形でジグゾ−もどきをやるとは。19-9-28

 

少し落ち着いた状態になったので地震のときに粉々になってしまったガラスや陶器類のモチーフの復元作業を始める。まずはそれぞれの固体に分類してからジグゾ−パズルのように部分部分を合わせて接着していく。あっさり合ったときはスッキリするけどなかなか合わないときは疲れも増してしまう。それでも、何とか元に戻したいという強い気持と細かい作業も結構好きなせいで止まらなくなる。18-9-27

 

行方不明になった幼い子供を発見し救助して一躍有名になった尾畑さんを追った『情熱大陸』をビデオに予約したのに録画されてなくてがっかり。予約の段階では問題なかったはずなのに何が原因なのかわからない。新たに何度か予約を試すがうまくいかない。そこで、取扱説明書を読んでようやく単純な原因に辿り着けた。その答えは録画できる容量 が満杯だったというわけ。頭が固くなっている。18-9-26

 

いよいよ老人の仲間入り。70歳になるにはまだあと1ヶ月あるけれど、札幌市から渡された敬老優待乗車カードにチャージして使えるようになってみると、『敬老』つまり『老人』の立場いるのを認識してしまう。65歳のときには高齢者という枠でくくられても何となく漠然としていたのに『老人』となるとその印象もぐっと違ってくる。とにかく、元気で楽しく動き回れる老人でいたいものだ。18-9-25

 

教室展の搬入飾り付けが二日連続だったということは搬出もそうなるわけで、今日はふたつ目の搬出を無事終えた。重なったため忙しかったとはいえ集中的にこなせたのはよかったとも言える。ひとつの方はこれまでみっつの教室を2回に分けてやっていたのを合同展にしたおかげで集中度はさらに増した。それなのに長年の恒例から、まだもうひとつの教室展が残っているような気がしてならない。18-9-24

 

昨晩は17日振りの卓球で汗を流す。やっぱり、思いっきり動き回り、たっぷり汗をかくと爽快感が違う。ようやく日常の生活に戻った気分だ。しばらくやってなかったからどんな感じかと多少の心配もあったけどまったく問題なくできたし充分楽しめた。微妙な違いを感じ取れるようなレベルでやってるわけではないので当り前と言えば当り前で、かえって気負わずにできたのがよかった気もする。18-9-23

 

区役所から地下鉄、バス、市電が利用できる敬老優待乗車証ICカードと利用者負担金納付書が届いた。使う人の必要に応じて支払えて千円で1万円、1万円だと5万円もの利用ができるので随分助かる。最高は年間に1万7千の支払いで7万円分が可能になる。この金額は自分が使っている1年分とほぼ一緒なので、年間の交通 費が2ヶ月分強で済むことになるのだ。納付できる火曜日が待ち遠しい。18-9-22

 

今週は指導している絵画教室の展覧会がたまたま重なってしまい、搬入飾り付けも日月と二日続きになった。教室展の飾り付けの最大の仕事は作品の位 置決めになる。片方は事前に決めておくのだが、机上と現場ではずれがあって作品をいろいろ移し変えながら決めていく。もうひとつの方はまったくぶっつけ本番でその場で作品を見ながら決める。これも移動を何度も繰り返す。これは大事な作業。18-9-21

 

秋深まる。陽を浴びると暑さを感じるけれど吹く風はすっかり涼しくなった。朝晩はもっと涼しくなり、半袖の上に羽織るものがほしくなるほどに。それでもこの時季は暑すぎず寒すぎずとちょうど過ごしやすい気温なので、これが長続きしてくれるのを願うばかり。そして、スーパーでも秋を見つけた。大好きな柿が並んでいたのだ。今年初めての柿を目にすると秋への移り変わりを強く実感する。18-9-20

 

地震前日の5日以降卓球ができていない。それは体育館が地震の避難所になったり、節電の対象になったりしたためだった。そろそろできるのではと思った地区センターでもできなかった。やむを得ない事情とはいえ、2週間もできなかったのは個展の準備に忙しかった4月以来の気がする。この間にも毎日のように1万歩以上歩いてはいても、たくさんの汗を流せる卓球とはスッキリ度が全然違う。18-9-19

 

最近発表された人口推計によると70歳以上が総人口の2割を超えたという。つまり、5人に1人は70歳以上になるわけだ。これは統計上ずっと前からわかっていたけれど実際にそうなってみるとやっぱり驚いてしまう。そして、高齢化はさらに進んでほぼ20年後には65歳以上の高齢者が35%まで上昇するらしい。3人に1人以上が高齢者の社会になってしまう。自分はそのど真ん中にいる。18-9-18

 

わかってしまえば簡単なのに、どうして今まで気付かなかったんだろうと思うことがある。つい最近わかったのは小さい字やものを見るとき、いちいち眼鏡をはずさずに眼鏡を指で少し押し上げて眼鏡の下からだとはっきり見えるということ。長い時間は疲れるけどちょっとのときにはこの方がずっと簡単にできる。眼鏡をはずす機会が増々多くなってきているから、これからは少し楽になりそうだ。18-9-17

 

地震と停電のことを書いているうちに9月ももう半分を過ぎてしまった。それだけ大変な出来事だったというわけだ。『歩く旅』の10月も近づいてきたので、宿の予約をした。無事に様似とエリモ町の宿を確保できて一安心。これで、北海道の岬を目指す『歩く旅』の最終章がいよいよ具体的になった。最後に歩く浦河からエリモ岬への距離は短いとはいえ、徐々に足を鍛えて余裕の完結にしたい。18-9-16

 

改善するのは棚を固定するのと置く物の高さと位置を考えること。地震が来る前はガラスや壊れやすい陶器などが高い所にあったおかげで悲惨な目に遭った。棚の手前にストッパーを付けるのもいいかもしれない。用意するのは寝る部屋にスリッパと懐中電灯、トランジスタラジオを、食料としては少なくてもいいから水と米と魚の缶 詰と野菜がいつもある状態に、その他は乾電池やロウソクなどを。18-9-15

 

今回の地震と停電に遭ったおかげでいろいろ気付かされたし学習もした。まず、災害は自分の身にも起こるという当然のことを知らされた。これまでの大災害では遠い所で起こっているような傍観者的な目で見ていた気がする。実際に自分に降り掛かってきて、ようやくそのときのための備えを現実的に考えられるようになった。徐々にではあっても改善したり用意したりしていきたいと思っている。18-9-14

 

さて、この停電の夜をどうしよう、8時前に布団に入っても眠れそうもないしと考えたとき『そうだ、灯りのない暗闇の街中を散歩してみよう』と思い立った。懐中電灯を手にさっそく出掛ける。黒い建物が並んでいる風景は異様だった。でも、嬉しい出会いも待っていた。夜空の星がくっきりと輝いているのだ。そして、そこには北斗七星もあった。地上の光を失ったおかげで天上の光に出会えた。18-9-13

 

冷蔵庫の冷凍室には食品よりも保冷剤の方がたくさん入っていたため、しばらく冷えたままでいてくれて大いに助けられた。とくに冷凍された御飯は大事な食料に。水もガスも無事だったので簡単にお粥風に戻せた。それに冷蔵庫にあった卵と小松菜を入れると、普段そんな食べ方をしてないせいか十分においしかった。ないものねだりをせず、あるもので何とかしようと工夫して店に並ばず済んだ。18-9-12

 

一階に降りてすぐに確認したのが水道。流れる水を目にして安堵した。万一を考えペットボトルとバケツに水を蓄えた。しかし、幸いにも断水せずに済んだ。停電は2日近く続いたが、困ったのは冷蔵庫くらいで夜はロウソクで過ごし8時には寝ていたのでさほど辛くはなかった。そこでわかったのは停電はじっとしていても何とかなるが、水はそうはいかない。停電より断水の方がより厳しくなる。19-9-11

 

気がめいるのがいやで簡単な片付けを先にして壊れたモチーフは後回しに。今日の講座は休みだとは思ったが電話連絡も取れないので歩いて中心街へ向かった。当然地下鉄とバスは運休している。信号もまったく着いてなく交差点では車と車そして人が互いを確認しながらゆっくり行き交っていた。交差点に警官がいるのはほんの一部で、これはスローライフだ。おかげで停電の街を初めて体験した。18-9-10

 

しばらくは地震の被害についての話が続く。地震のあと朝を待ってから、押入れにあった冬用の靴下を履き、本で壊れた破片を丁寧にかき分けながら階段まで行き、階段では崩れた本やキャンバスの木枠をどけながら一階に降りた。そこは本などが多少散乱していたがパソコンやモニター、プリンタなどの無事を確認してほっとする。他の部屋も物が落ちたり倒れただけで破損はモチーフだけで済んだ。18-9-9

 

昨晩の9時頃に電気が回復。その時間にはすでに寝入っていて、その瞬間はわからなかったが、地震のとき止まったデジタル式電気時計の逆算でその時刻がわかった。何はともあれ電気が復旧したおかげでシャワーを浴びられるのが嬉しい。今回は避難所生活こそしなかったものの被害者として様々な体験をしたおかげで、これまでは他の地域の災害を他人事のように捉えていたことを反省させられた。18-9-8

 

今日も停電は続いた。一番最初は自分の家だけかと心配になるが近所も消えていて納得する。それが何と北区だけでも札幌だけでもなく北海道全域だと知って驚いた。電力の需要と供給の関係でそうなってしまうらしいが信じ難い災害に発展しているのはまちがいない。スマホはないけれどトランジスタラジオを持っていたおかげでいろいろな情報を聴けたのは大いに助けられた。情報の大事さを実感。18-9-7

 

午前3時8分、大きな揺れで目を覚ます。布団のなかで収まるのを待ったが激しくなるばかりで停電にもなった。突然、隣の部屋でたくさんのガラスのモチーフが一気に割れる大きな音が響いた。一階に降りるにはその部屋を通 らねばならない。靴どころかスリッパもないのでここで収まるのを待つしかないと覚悟した。それは正解で、足の踏み場のない危険な状態になっていた。これが災害の始まり。18-9-6

 

『運動不足は高所得国ほど高い』との研究結果が世界保健機関(WHO)から発表された。日本もその高所得国に入っていて、日常の生活を観察していると当然そうなるだろうと推測できる。原因として長時間労働と交通 機関の発達とスマフォの普及を上げているが、さらにエスカレーターの利用も入れてほしい。せっかくの階段を避けて自ら運動の機会を遠ざけているのだから望んでいる帰結なのかも。18-9-5

 

大雨や台風の生中継のとき、実際の天候と懸け離れたコメントをすることが多々ある。つまり、まさにそのときの状況を伝えるのでなく用意されたコメントを言うからそうなる。木は大して揺れてないのに「大きく揺れて」と言い、高くない波を「非常に高い波が」と言う。つまり、せっかくの生中継だから激しい状況を伝えたいという欲求が勝ってしまうのだろう。それでは正しい情報とは言えない。18-9-4

 

並木の赤だけでなく、風の冷たさも秋を告げている。心地よかったはずの窓からの風を浴び続けているうちに肌寒さを感じて思わず上着を羽織った。これは、体育館での午後の卓球のための並び順を確保して窓際の椅子に座って待っている正午頃の話。先週の同じ場所では背中に当たる陽が暑すぎて席を移動したというのに、一週間でもこれだけ違う。この風が秋の台風につながらないのを願うばかり。18-9-3

 

昨日はDVDレコーダーやパソコンの不具合などの疲れもあって、何となく気だるく夜の卓球に行くのを少し戸惑うほどだったのに、行って帰ってきたら体も気分も爽やかになっていた。やはり好きなことをして思いっきり動き回り、たっぷり汗をかき、ゲームも楽しめば気持も体もリフレッシュできるというわけだ。とにかく子供の頃からスポーツが大好きだったおかげで随分助けられてきた気がする。18-9-2

 

時間を掛けるのは能動的だからいい。時間が掛かるのもちょっと口惜しいがしかたがない。でも、時間を取られるのは無駄 なことに費やした気がしてとても嫌なもの。簡単に済むはずのことに時間を奪われたらなおさら嫌だしどっと疲れてしまう。パソコンのファイルをDVDに入れようとしたのだが、なぜか入ってくれない。理由がわからないのでいろいろ試すが、そのうちフリーズする始末。疲れた。18-9-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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