ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

1月もいよいよ最後の日になった。お正月から始まり、6月の個展に向けての水彩 画制作と外での仕事始めをして、地域交流卓球大会では微力ながらチームの優勝に貢献し、雪かき雪捨てにも精を出しているうちに1ヶ月が過ぎようとしている。これまでは個展までにまだ間があるような気がしていたけれど、2月に入ると急に近づいた感じになりそうだ。卓球も雪かきも頑張りながら制作に励みたい。19-1-31

 

スーパーの最上階(4階)にあるゲームコーナーの昼の光景がほほえましい。そこでゲームに熱中しているのは高齢者か親を伴った小さな子供達が多く若者の姿はあまり見かけない。料金はわからないが、きっと小額でそれなりの時間を楽しめるのだと思う。熱くなっても換金できるパチンコとは違うから高齢者もゲームを楽しんでいるように見えた。若者達はネットのゲームにはまっているだろう。19-1-30

 

26=3800000000。これだとすぐにはわかりづらいけど、26人が38億人に等しいという。これでもあまりにも桁違いでピンとこないが、世界の富豪26人分の総資産が貧困層38億人分に相当するらしい。この極端に偏った流れは進行中で今後もさらに強まると予想されている。世界の大富豪とは比較にならないにしても、日本も一極集中が進み格差が広がっているのはまちがいない。19-1-29

 

朝夕が随分明るくなったのがうれしい。朝は7時頃に起きるのだけれど晴れていれば灯りを着けなくて済むし、3時半頃に届く夕刊も灯りなしで読めるようになった。これだけでも一日がかなり長くなったような気持にさせてくれる。最近は目覚ましなしでも7時には目が覚めるようになったのはこの明るさも影響しているに違いない。寒さと大雪はまだ1ヶ月は続くけれど、明るくなるのが救いだ。19-1-28

 

地下鉄に乗ってきた盲導犬を初めて目にした。一緒にいる人が視覚障害者なのか訓練する人なのかはわからないが、その横でドアの方に顔を向けて微動だにせずに立っている。特に眼差しが印象的で黒い瞳からは優しさが充分にじみ出ていた。たとえ訓練されているとはいえ多くの人達に囲まれる緊張のなか状況判断する集中力を保つのは大変だろう。その健気さとあの瞳は今も目に焼き付いている。19-1-27

 

大坂なおみがすごい。テニス四大大会を連勝して、ついに世界ランク1位に上り詰めた。昨年の全壕オープンのときには72位 だったというからまさに破竹の勢いそのものだ。今回の戦いの2セット連取でなかったところも本物の力強さを感じさせる。勝利の寸前まで行って落したセットの後に持ち直した精神力に驚く。21歳という若さを考えればまだまだ成長過程でしばらくは楽しみが続きそう。19-1-26

 

過去に政治家は二流だけど役所は一流だから日本は大丈夫と言われた時代があったのだが、今は政治家は三流で役所は二流に成り下がったようだ。残りの頼りは企業なんだけど、これも不祥事だらけで期待できそうにない。とにかくどこにも嘘がはびこっている。正直と勤勉もすでに過去のものなんだろうか。それなのに本屋には今も日本は素晴らしいとほめちぎる本がたくさん並んでいる不思議さ。19-1-25

 

ある人が『人間は泣くところはだいたい同じだが、笑うところは人により違う』と言っていた。たしかにそうだと思う。泣くところでも個人差はあっても笑うところほどその差は大きくない。テレビなどでも二人や大人数で笑っていても何がおもしろいのかまったくわからないときが多々ある。人それぞれには笑いのツボがあってそこを刺激されないと笑えない。同じツボの人との会話は楽しく弾む。19-1-24

 

幼いほど英語より国語が大事。もし、英語なんかを学ばせる時間があるなら国語の力を身に付けさせたほうがずっといい。とにかくどの教科においても国語が基本になる。読解力や表現力が伴っていなければ英語を正しく理解するのさえむずかしい。かりに思考まで英語でやるというのならまだしも、ただ単に慣れさせるためにやるのは時間の無駄 。思考の基本があれば後からでも簡単に追い越せる。19-1-23

 

この前の卓球交流大会で口惜しい思いをしたせいとレベルが余りにも違い過ぎるけれど全日本卓球選手権の女子決勝の伊藤の戦いを見て大事な点を学んだ気がする。その第一は自信を持つこと、不安になると普段できることも失敗してしまう。第二は不調に陥っても次のセットに持ち越さない気持の切り替えの強さを身に付けること。ステップアップにはこのふたつを強く意識する必要がありそうだ。19-1-22

 

もうひとつの運試し。今年のお年玉付き年賀はがきの当選は切手シートが一枚のみだった。82分の1だから運だめしとしては微妙なところだ。もう1枚くらい当たってもいいような気もするけれど、とにかく1枚当たってくれてよかったとも思える。1か0の違いはすごく大きい。もし0だったとしたらせっかくの確認も無意味に感じてしまうわけだから、とりあえずよかったと受け止めなくては。19-1-21

 

真夜中のブルの音に不安がよぎる。その除雪のためのブルトーザ−はだいたい0時頃に大きな音を立てスピードを上げながらやって来る。もしも、『ガリガリガリ』や『ガガー』の音がより大きければ不安はさらに増す。寝入ろうとしている布団のなかで、駐車している車の横に山になった雪の塊を想像すると滅入っていまう。道路の確保のためしかたないとはいえ朝に見る雪の塊の山には落ち込む。19-1-20

 

街に出掛けるときに必ず確認する6点セットがある。それは紙幣と免許証やキャッシュカードなどの入った財布、小銭入れ、家の鍵、敬老優待乗車証、遠近両用眼鏡、そして携帯電話。この中で注意をしているはずなのに忘れた経験のあるのが携帯電話。出掛ける直前にバッテリーの少なさに気付き急きょ充電を始めたときにその危険性は高くなる。一度手にしたことで持ったと勘違いするのだろう。19-1-19

 

それぞれの時間。新聞におもしろい見出しと記事を見つけた。『土星の輪 誕生意外と最近』という見出しで、記事には輪ができたのは1億年ほど前で『あと1億年足らずで消滅』と書いてあった。土星誕生から46億年に比べると1億年もそうなるわけだ。それぞれに与えられた年数によって、その長さの捉え方はまったく違ってくる。自分では10年前は最近でなく、10年後は足らずに思える。 19-1-18

 

台風のときもそうだが実況中継のとき実際よりも大袈裟に言う傾向がある。全国ニュースで視界が50メートル近くもある単なる吹雪を「ホワイトアウトになっている」と叫んでいた。これでは知らない人はホワイトアウトをまちがって認識してしまう。車で1メートル先も見えないような恐怖の体験をした者からすると、あんなものと誤解されたら最悪の結末を招きかねないからその責任は大きい。19-1-17

 

乾燥膚がかゆくて辛い。膝から足首にかけてのかゆみなんだけど、とくに膝の裏側がかゆくなる。かいちゃいけないとわかっていてもついついかいてしまう。それで増々膚が痛んでかゆさも増していくという悪循環を繰り返す。乾燥膚は年寄り特有の症状だから何とかうまく付き合っていくしかない。せめてもの潤いにとスキンクリームを塗って和らげる努力はしている。とにかくかかないのが大事。19-1-16

 

近年、『年賀状止めます』宣言が流行りのようになっている。自分のところにも2通 届いた。多少寂しい気持もあるけれどスッキリしたのも事実。年賀状を完全に止めようとは思ってないが、現在の80枚から50〜60枚にしたいと考えている。なんの記述もなくあくまでも儀礼的と感じられるものから削ってきて今の枚数になっているのでこれからは新たな基準を作らねばならない。年末の課題。19-1-15

 

続き。自分では身に付けたと思っていたものが、試合になると発揮できないというのは本当に身に付けたとは言えないのだろう。観戦する人達のいる前でやる緊張感とチームの一員としてのプレッシャーは自由に楽しくやれる練習とでは大きく違う。『練習は真剣に試合は気楽に』との言葉は何年も前から知っているけれど、それを実行するのは難しい。それでも、この口惜しさをバネに頑張りたい。19-1-14

 

学校解放で卓球をしている同士の地域交流大会に参加。すべてがダブルスで3勝2敗と勝ち越しチームも6チームのなかで優勝したのだが、いまいち喜べない気持が燻っている。それは、負けた試合で余りにも単純で情けないミスを連発してしまった口惜しさのせいなのだ。最初の失敗が尾を引き、途中で回復もせずに最後まで行ってしまった。試合慣れしてないとはいえ、精神的な部分も鍛えねば。19-1-13

 

流雪溝への雪捨てをしていると、近所の情報がいくつか入ってきた。顔見知りの人も同時に雪捨てをしていたので挨拶のあと何気ない話をしていると、つい最近亡くなったという人と引越した家があると聞かされた。ここに住んですでに10年以上経っているわけで、その間にも数人の人の死亡や転居を見聞きしてきた。そして、新たに建てた家に若い家族が住み始め、世代交代が確実の進んでいる。19-1-12

 

懐かしく嬉しい友からの電話。大学時代に同じ美術課程で学んだ同級生からの電話にびっくり。彼は卒業後に横浜で教員になっていたので、25歳の頃東京に行った折に横浜で会って以来の45年振りの会話だった。これも年賀状のやりとりがあってのこと。簡単ではあっても互いに近況を知っていたから電話をしようと思ったのだろう。今のことから学生時代の思い出まで話は1時間以上に及んだ。19-1-11

 

102人中の43番。今年最初の運試しは吉と出た。すっかり1月の恒例となった市民ホールの部屋を借りるための受け付け順を決める抽選番号札が43番だった。これは願っていた番号にかなり近くてホッとした。もちろん、若い番号であればそれに越したことはないが、高望みをしてがっかりするよりは真ん中辺りがちょうどいい。おかげで半年分の希望の部屋が取れたから年初めの運に大満足。19-1-10

 

去年の4月からほぼ毎朝血圧を計って記録している。それも1回でなく4回計る。それは、変動幅が結構大きいので平均値を出すためにそうする。ときには20近くも違うときがあるのだ。それとほとんどの場合最初のが高い。他にも月によっての変化もわかった。5、6月は平穏で、7、8、9は上下動が少し大きくなり、10、11、12月は高めになっている。全体の平均は145辺りだろうか。19-1-9

 

ようやく卓球。年末年始と運動不足だっただけに久し振りにかく汗が心地よい。3時間ほどだがほとんど休みなく動き回った。体の心配なく活発に動けるのは本当に幸せだと思う。これも50歳のときから意識的に長距離を歩き始めたのと6年前に始めた卓球のおかげであるのはまちがいない。この幸せを維持して持続させるためにも歩きと卓球は必要不可欠な時間としてしっかり心に留めておきたい。19-1-8

 

気になっている話し言葉は他にもある。誘いを断るときに「大丈夫です」と言うのがどうにも理解できない。これまで使ってきた『問題や心配のない様子』の意味からするとかなり無理がある。これだけ広まっているのはきっとどこかの有名人が何度も口にしたに違いない。ここでの『大丈夫です』は明らかに『結構です』の拒否の意味で使っている。『全然』と同様にこれも定着していくのだろうか。19-1-7

 

お餅、お肉、お魚、お野菜、お箸、お塩、お醤油、お味噌、お刺身などなど上げたらまだまだ切りがなさそうだけど、最近は男もそれもいい歳のおやじもこの言い方を平気でするようになったようだ。かつては女言葉だったはずのものが男に広まったのはなぜなんだろう。それがどうにも気になる。その内、おリンゴ、おミカン、さらにおブドウ、お梨、お柿にまでいったりして。勝手だけど何かイヤ。19-1-6

 

そして昨日、再びプリンタのメーカーに電話をして修復のアドバイスに従いながら進めるのだが、パスワードのところで拒否され止まってしまう。どうにも原因が判明しないので、今度はパソコンのマックに電話をした。そうすると、異なるパスワードを入力していたことに気付かされる。パスワードがいくつもあり勘違いしていたのだ。これで何とか回復したとはいえ、全てで3時間も掛かり疲れた。19-1-5

 

外は穏やかなのに家の中は穏やかじゃなかった。昨日、追加の年賀状を印刷しようとしたら、今度はプリンタが反応しないのだ。何度か操作をやり直してもコードの確認をしてもやっぱりダメ。ふと思い出したのだが、パソコンのOSを再インストールしてから初めてのプリントだったのでここに原因があるのではと推測した。そこでメーカーに電話すると『3日まで休みです・・・』との音声が。続く。19-1-4

 

穏やかな天気に恵まれのんびり過ごす。まったくといっていいほど雪も降らず風も吹かずのお正月三ヶ日だった。おかげで雪かきはまったくしないで済んだ。年末まで小雪だったので、いつか帳尻合わせに大雪がくるのではと心配していたけれど、少なくともお正月ははずれてくれた。いつもとは違うときなのでなおさら嬉しい。これもいつまで続くのか。とにかく、穏やかな一年であってほしいもの。19-1-3

 

お正月を迎えたばかりなのに、もう帰省ラッシュが始まっているようだ。近距離の場合ならまだしも遠距離の車の運転をする人は疲れて大変に違いない。それも往復なわけだから年末年始はのんびりできる時間よりも運転している時間のほうが多くなってしまうのかも。本州の渋滞の映像を見ていて、そんなふうに思ってしまった。きっと、帰省は親に喜んでもらうためと考えて頑張っているのだろう。19-1-2

 

新しい年の始まりを知らせてくれる年賀状が朝8時半に到着。いつもより分厚いけれど読みごたえの乏しい新聞を読み終えた直後に届いた。思っていたよりも早く、ちょうどいいタイミングに驚く。でも、正月気分を早めに感じさせてくれのは有り難い。さっそく確認すると、行き違いのものが10枚以上ある。これは毎年の悩みでもあるけれど、すぐに何枚か書いて投函した。これも元旦恒例のこと。19-1-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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