ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

ついに2月の終りの日を迎えてしまった。やっぱり早いなという気持になる。3日分の違いは大きい。1年カレンダーをじっくり見てみるとこれまで気に留めていなかったあることに気付いた。2月(閏年以外)には5週目がないのだ。だから、数字のおさまりが非常によくなっている。これはわかりやすく見やすい。どうでもいいしそれ以上の意味はないけれど、ずっと気付かずにいたのも不思議。17-2-28

 

確定申告書の続き。計算のあとにも結構苦労するのがその数字の書き込み。やること自体は何にも難しくないのに、提出する書類だと思うとまちがえたくないという気持から緊張感が高まってしまう。機械的にできれば10分で済むものも何度も確認するので2倍にも3倍にもなる。何とか書き終え、提出する区の税務署へ歩いて行く。片道30分程なので解放感に浸りながらの手頃な散歩になった。17-2-27

 

毎年恒例の確定申告書の作成に入る。やる手順はいつもと同じで、1年分のレシートや領収書の分類から始まり、ここでほぼ1年振りに電卓の登場となりそれぞれの金額の集計へと移る。電卓には慣れてないのでゆっくり数字を確認してから人差し指で押していく。計算終了までは2時間余りの作業だけど何だか疲れてしまった。会計や経理の仕事はこれをずっとやるわけだから自分には無理と思う。17-2-26

 

スーパーで買物をするとき、おおよその合計金額を想定してレジに向う。そして、レジ待ちのときそれに見合った札と小銭を確認しておく。もちろん多少のずれはあっても大幅に違うことはない。しかし、それをしない人はレジで値段をまちがえられても気付かないだろう。夕方の5時を考えると自分がそのキャベツを最初に買った者とは思えない。780円のキャベツを買った人がいる可能性あり。17-2-25

 

4分の1にカットされたキャベツが780円とは。スーパーのレジで値段を口にしながら商品の計算をする店員から「780円」が出てきて驚いた。それはどれかと問うとキャベツだという。明らかにまちがっているのに何の違和感も持たずに平然と返答したところで少しイラっとする。仕事柄、商品価格はある程度覚えていて当然だし、常識的に考えてもありえない。正しくは78円なのに。続く。17-2-24

 

つい最近、床屋の語源を調べたばかりで今日は2ヵ月に一度の散髪。髪を短くカットした後はすっきりして気分も爽やかになる。とくに耳の近くと襟足の風通 しのよさが気持いい。カットだけなので髭剃りと洗髪はないけれどもみあげと襟足の剃りはしてもらえる。そして、襟足の剃りのあとのパフパフは子供の頃を懐かしく思い出す。昔と変わらぬ 優しい香りなのだ。これは2ヵ月毎の儀式のよう。17-2-23

 

昨日と今日の町内会の排雪作業で雪山が消えて近所の様子が一変。まず、道路の幅がこんなに広かったのかと驚き、その低さにもびっくりする。一階の窓から眺めていた隣の家はもっと近くに見えていたし車はもっと高い所を走っていた。これが済むと一気に春が近づいてきた感じがする。まだ2月だし3月に入ってからの雪もあるにしても、これからは日差しが雪を解かして除雪を楽にしてくれる。17-2-22

 

『ひま』とか『退屈』の感覚がうまくつかめない。やる気が起きなくてボーッとしたりだらだらすることはあっても、元気なのにどうしていいかわからず時間を持て余すなんてことはこれまでの長い人生で一度もなかった。いつも何かかにかやりたいことがあるのでとてもそんな余裕は持てなかった。これはもう体質的なもので、心底ゆっくりのんびりを味わえないようにできているとも言えそうだ。17-2-21

 

ときどき年配者(自分も十分そうだが)が口にする「70を越えたら急に疲れが増す」とか「80を越えたら体力の衰えが激しい」などはもっともなようでそうではない。体力に年齢の区切りなんかはなく徐々に衰えるのあって、年ではなく月でもなく日々の変化の方が当たっている気がする。ましてや誕生日は関係なく体力より意識の変化で、その言葉は衰えを自分の年齢で納得させるためのもの。17-2-20

 

続く。ついでに床屋のシンボルマークでもあるあのぐるぐる回る看板も調べてみた。時代は驚くほど遡り、ローマから中世8世紀に至るまで、理髪師は外科医であり歯医者でもあったという。にわかには信じ難いほどの幅の広さだが、あの棒状の看板にその証拠が残されているらしい。赤は動脈、青は静脈、白は包帯を表わしているとのこと。とにかく、ネットの検索はあらゆる疑問に答えてくれる。17-2-19

 

なぜ『床屋』と言うんだろうとふと気になった。国語辞典では『床屋』も『床』もそのままの意味しか出ていない。こんなときに助けになるのがネット検索。すぐに語源にたどり着けた。江戸時代、髪結いは移動可能だったり、住居ではない簡易な床を設けた店でやっていた。それは『床店』と呼ばれ、それが『髪結いの床』となり、商売を表わす屋が付いて『床屋』なったという。これでスッキリ。17-2-18

 

中国資本の傘下にあって様々な日本製品を扱う『ラオックス』が赤字に転落したため、全国にある店鋪のかなりの数を閉店にするという。たしか3年ほど前からある札幌駅前通 りの店はいつも閑散としていて、これで成り立つのかと思っていたからニュースを知ってやっぱりと感じた。ここでも中国人観光客の爆買いはすでに過去のものになった証し。お土産よりも自分が楽しむ旅に変わったようだ。17-2-17

 

「今日は風が冷たいよね」「そうよね」聞こえてきた会話がおかしい。今は2月の中旬で今日の気温は3月中旬並の5℃近くもあるというのにこんな会話が成り立っている。決して「もっとあったかいと思ってたのに以外と風が冷たいよね」というニュアンスではない。気候の変動にすっかり順応しているようで、この異常な暖かさも自然に受け入れて5℃の風を冷たいと言う。季節感も失われそう。17-2-16

 

映画の話を続けると、大学時代は狸小路の4丁目にあった有楽地下で随分たくさんの映画を観た。残念ながら料金は思い出せないが、経済的に余裕のない学生でも行けたのだから安かったはずだ。『卒業』『ひまわり』『風と共に去りぬ 』『イージーライダー』『俺達に明日はない』『2001年宇宙の旅』などなど今でも懐かしく脳裏に甦る。読んだ小説は思い出せないが映像は深く刻まれている。17-2-15

 

久し振りに映画を観ようといつもの映画館に行ったが、タイトルからイメージした内容と程遠かったので断念。そのタイトルは『たかが世界の終り』で社会派的なものと思い込んでいたら恋愛映画だったのだ。ここで放映予定の数多くのチラシで手にしたのは『エゴン・シーレ』『レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮』『Tomorrow パーマネントライフを探して』の3枚。どれかは観るつもり。17-2-14

 

続き。実は打ち合いやラリー自体が楽しくてやっていたので練習そのものが目的にもなっていた。卓球をやりたい第一の理由は体を思いっきり動かし汗を流してスッキリしたいという気持なので試合をしなくても十分満足できる。しかし、試合でうまくできずに悔しい思いをするのも事実。だから最近はどちらも大切に思い始めて、試合の反省点を意識的に練習するようになった。試合に勝つために。17-2-13

 

『練習は真剣に試合は気楽に』。これは卓球のときに意識している教訓。卓球に限らずすべてのスポーツ、いやどんな挑戦にもあてはまるような気がする。そう思ったところで、試合になると緊張のせいで練習のときのようにはできないもの。試合慣れしてないのが大きな原因だが、メンタルの弱さも影響しているのは確か。でも、こうも思っている『練習でできなければ試合では絶対できない』と。17-2-12

 

早くも雪割りをする。いつもなら3月に入ってからやる作業だけど、プラス1℃から2℃の日が続き氷が弛んだのでこのときを逃すまいとやり始めた。氷に剣先スコップを勢いよく振り落とすと高い音と共にぱかっと割れる。これが薪割りにも似た爽快感があって結構楽しい。最初はほんの少しのつもりが止められなくなり30分以上に。アスファルトが顔を出すと春が近いような気になってしまう。17-2-11

 

まるでトランプ王朝のよう。司法にかみつき、娘の商品を買うよう促したりと言いたい放題やりたい放題が止まらない。そんなトランプ大統領とより緊密になりたいと請い願う阿倍首相はどんな手土産を持って行って何を持ち帰るつもりか。こまったことに議論嫌いや戦闘的なところですごく気が合いそうだからすっかり意気投合して感化されるのだろう。絆の強さを誇らしげに語る姿が目に浮かぶ。17-2-10

 

右足の親指の爪が離れた。決して剥がれたのではない。剥がれたというとかなりの痛みを伴う感じだが、そうではなく何の痛みもなくスッと離れたのだ。これは昨年の『歩く旅』で浦幌から白糠への上り下りを歩いたときに傷めた爪。10月から4ヵ月目に離れたのは昨年とほぼ同じで、これにはこの程度の日数が掛かるみたい。これでようやく黒い爪とおさらばできた。今年はそうならないのを祈る。17-2-9

 

昨日からさっぽろ雪まつりが始まった。会場は大勢の観光客で賑わっていることだろう。昨年、久し振りに巡り歩いたせいもあり、すぐに地下に下りるため会場の様子はわからない。地下は天候の影響を受けないので買物にも食事にも歩行にもすごく便利だが、自然の季節感を感じられないのは寂しい気もする。でも、夏は涼しく冬は暖かい地下に潜り地上の大気に関係のない空間に入り浸ってしまう。17-2-8

 

続き。どちらも楽しみながらできて、ほとんどお金が掛からないのも嬉しい。漢字は買った漢字の本から抜き書きしたものもあるけれど、新聞などからも増やせるし一度書きためたノートはいつまでも使える。卓球は北区体育館は高齢者割引きもあり1回100円弱で4時間もできるし、小学校や地区センターは無料で3時間できるのだ。ふたつとも何ら無理なくずっと続けられるのも大事なポイント。17-2-7

 

今日の午後は北区体育館での卓球の日。やるのは1時から5時までなのだが、卓球台を安心して確保するために10時半には行って順番待ちの列に荷物を置いている。ほとんどは5番以内なのでもっと遅くても構わない(台は16台ある)のだが、その待ち時間は漢字の書き取りの時間になっている。これはこれで集中できる大事なひととき。つまり、月曜日は頭と体をしっかり使ってあげるための日。17-2-6

 

「しばらく様子を見る」「注意深く見守る」「とくに述べることはない」などはアメリカのトランプ新政権の発言や政策に対しての大臣や総理大臣の返答。何とも主体性のないことか。今に始まったわけではないので驚きはしないが情けなく呆れてしまう。どうしてそこまで気を遣い追従するのか理解できない。アメリカのオリバーストーン監督の「日本は属国から抜け出すべき」の言葉が身に沁みる。17-2-5

 

若い頃に聞いた言葉に『人に頼むときは忙しい人に頼め』というのがあったが、当たっている気がした。まったく余裕のない超多忙な人は無理だとしても、仕事のこなせる人はその合間をうまく利用して応えてくれる。つまり集中力を高めて時間を上手に使う努力をできるのだ。それに対してたっぷり時間のある人はゆっくり構えているのでやる気を待たねばならない。もちろん、人によって違うけど。17-2-4

 

1月には突然の嬉しい誘いもあって、予定していたより多い回数の卓球ができた。できると思っていたことができなくなると残念で寂しいが、できないと諦めていたことができるようになると嬉しさも倍になる。そして、そのおかげで有り難い変化ももたらしてくれた。それは、卓球が入った時間帯にしようとしていた仕事をこなすための集中力が急に増したのだ。ときには忙しい方がいい場合もある。17-2-3

 

すでに2月に入り、厳しい寒さと雪の心配もあと1ヵ月余りの辛抱といったところだろうか。3月になればたとえ雪が降っても気温も高いので解ける量 も多くなる。2月は1月のような大きな行事もないうえ3日も少ないのだから瞬く間に過ぎてしまいそう。春が近づくのは嬉しくても、月日が早く過ぎ去るのもこまる。何がこまるかといって、6月の個展がいきなり迫っては余裕がなくなってしまう。17-2-2

 

育った自然環境によって異なる人間形成がなされるため、自分の育った場所の影響力は大きい。もちろん、同じ自然環境に育ったからといって同じ感覚や意識を持った人間になるわけではないが、山育ちには山の、海育ちには海の、町育ちには町の、都会育ちには都会の、景色や空気でしか得られないものを持っているのはまちがいない。だから、違う環境で育っていれば違った人間になっていたはず。17-2-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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