ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

アメリカは自爆は卑怯だと言うが何百Hも離れた戦艦から打ち込むミサイルや空高くから落とす爆弾は卑怯じゃないわけ。自らの体を犠牲にする人も何の痛みも感じることなくただ発射ボタンを押すだけの人も目的は同じく殺人。悲しいかな自爆する人もボタンを押す人も大きな渦に飲み込まれているに過ぎない。卑怯 だというならそうせざるを得ないようにしむけて追い込んだ人間が一番卑怯だ。03-3-31

 

政府がした世論調査だからどこまで信用していいか疑問だけど『戦争に巻き込まれる危険性について43%が「ある」と答えた』という。しかし『巻き込まれる』は絶対おかしい。戦争に参加してない人や国が言える言葉であって、戦争を積極的に支持し支援してる国に使える言葉ではない。自分は何も悪くないのになんて思うのは無責任で身勝手。世界の目から見ると日本はすでに参戦してるはず。03-3-30

 

今年はとくに雪解けが遅く雪はまだいたる所にしぶとく残っている。それも数日の命と思ってたのにまた白い世界に逆戻りしてしまった。もうすぐ4月になるというのになかなか実感が湧いてこない。カレンダーのうえでは まちがいなくあと2日で3月が終るというのに。気分は冬でも春でもない。03-3-29

 

今日も列車のなかで嫌なものを見てしまった。始発駅で特急自由席に乗車。徐々に席が埋まっていくなか、相変わらずわざと荷物を横に置く人がいる。そして女性2人連れが通 路側の座席の前後に1人ずつ座った。その時点でなんとなく読めた。さらに混んでついに窓側に座ろうとする人が来たときその2人は席を立ち指定車両へ移った。2人で4人分を占領して座席を回す企みを断念したのだ。03-3-28

 

アメリカのイラク侵略に賛成する人の中で『イラクの国民を独裁者から救うために必要だ』と言う人がいる。人権と国際政治に強い関心のある人がそんなにいるとは知らなかった。過去も現在もイラクのみならず悲惨な国は世界のいたる所にあるから当然そこにも心を痛めていることだろう。そして『独裁者を追放するために』という戦争を仕掛ける次の次の次の国も真剣に考えているのだろうな。03-3-27

 

自分にとって都合の悪いことをあえて伝えたくないのは普通の生活でも同じ。ましてや敵対する状態で相手を喜ばせる報告があるはずはない。必ず隠された部分があるから両方とも差し引いて聞かないと誤った認識を持ってしまう。それを伝える段階でさらに脚色されるからますますやっかいだ。03-3-26

 

民放の4局がはっきりふたつに別れた。Aは会場の外の様子、会場内の雰囲気、壇上での彼の発言そしてその後の彼のインタビューも放映。Bはインタビューなしで他はほぼ同じ。CとDは『千と千尋』の受賞のみで彼には一切触れなかった。それぞれの放送局にはそれぞれの立場と方針があり内容が異なる方が正常だ。それによってそれぞれがどの方向から見てるかがよくわかる。新聞もまた同じ。03-3-25

 

今日こそ日常を書こうとしてたのにそれを押し退けるニュースがアメリカから届いた。アメリカは不思議な国。傲慢で暴力的な部分は大嫌いだけど、すごいことをやってくれる人がいる。アカデミー賞のドキュメント部門で受賞した監督が授賞式の壇上で声高々に大統領を批判をした。それも正装のタキシード姿で。日本では考えられない痛快さだ。それに対するテレビ各局の反応については明日。03-3-24

 

ちょっと前の新聞の見出しにこんなのがあった。『イラク攻撃後周辺国へ最大13億ドル 政府が支援策 政情の安定狙う』。ここで変だなと思ったのは『13億ドル』。なぜ『円』でなく『ドル』なんだろうか。最初アメリカ政府かと勘違いした。こんなところにも日本の立場が明確に現れてる。03-3-23

 

立派できれいな白い建物の中でゆったり脚を組んで戦果を自慢したあとブッシュは週末の休暇のため別 荘に向かった。何千発のミサイルが投下されようが戦車が砂漠を突き進み侵略の真っ最中であろうがアメリカにとっては当然のシナリオだから緊急事態でもなんでもなく日常と大差ない。ただ陣取りゲームを始めたようなもの。ゲームの内容は単純明快。一番大事な目標は地上でなく地下にある。03-3-22

 

この『ひとこと』は日常のたわいもない出来事や感じたことを気ままに気楽に書いてたはずなのにすっかり深刻で真剣な世界に入り込んでしまった。言いたいことが押さえきれずいるし、今言わないでいつ言うんだという思いも強い。のんびりとした気分で個人的な話題に戻れるのはいつだろうか。03-3-21

 

思考は『なぜ』『どうして』から始まる。それを説明するために言葉がある。それなのにこの国はその大事な言葉を捨てた。討論が不得手なはっきり言って下手な国だからこそもっと言葉を大切にしなくてはいけないはずなのに。言葉を捨てると思考も停止する。情けないけど今のこの国の現状。03-3-20

 

『復興支援』なるものの欺瞞と矛盾。『罪ほろぼし』なら多少わかるが、いいことをするみたいな言い方も気にくわない。勝手に大量 の爆弾を落とし、ミサイルや大量破壊兵器を実験場のように使って散々殺人と破壊をした後に金を出すという。さらに莫大な金が戦費として使われるが、その請求書も必ず回ってくる。『復興支援』など破壊を積極的に支持した張本人の使える言葉ではないはずだ。03-3-19

 

こんな事態になったら続けて書かないわけにいかない。今は緊急事態でも非常事態でもないまさに異常事態。人間は急速に退化できる動物のようだ。帝国時代さながらに自分の意に反する国は許さないという考えで爆撃が許されるなら世界中が無法地帯になってしまう。思考能力も倫理観もあったものじゃない。積み上げてきたはずの理性も消えてしまう。これが人間なのだと受け止めるのは悲しい。03-3-18

 

わからない。わからない。わからない。どうして。どうして。どうして。法律を守らない人がいるから法律を無視して殺しに行く。国連決議を守らないから国連決議を無視して戦争すると喚いてる。どうしてこんな人達がたくさんいるの。どうしてこんな人達が偉そうにしてられるわけ。そしてどうしてこんな人達を応援するんだろう。この国もそう。こんなことをしてこの後どうするつもりなの。03-3-17

 

子供の頃、胃薬は常備薬でしょっちゅうお世話になってた気がする。最近は随分長いこと飲んでない。この前飲んだのがいつだか思い出せないくらい。子供のときは冷蔵庫なんてなかったし貧しかったから危ないギリギリのものも食べたんだろうな。お腹が痛くなったり、吐いたりして食べ物の境界線を体で学んでたわけだ。今でも賞味期限より鼻と舌を信じてるけど、境界線はかなり後退した。03-3-16

 

昨日の『戦い』とは決して暴力や武力の意味ではない。僕は暴力や戦争に反対というより否定する考えを持つ立場にいる。それではどうするかについて真剣に全力で立ち向かわねば具体策も方向性も見出せないから思考の『戦い』であり、違う考えを押し付けようとする力が必ず現れるからそれとの精神の『戦い』でもあるということ。そのための努力が必要。思考を停止させては自立なんて程遠い。03-3-15

 

『北朝鮮の恐怖』を解消する答えは簡単。自立を望むか否かだ。自立とは自分の立場を明確にして信念を持ちそれを守る努力をすること。もちろん簡単ではないから戦いとも言える。守るのも戦いだ。その覚悟があれば何も恐れる必要はない。態度も意志もあいまいだから不安で怖くなり他力本願にならざる得ない。残念ながら今の日本には自立したいという欲求が見えてこない。だから恐怖は続く。03-3-14

 

北朝鮮について書くことがアメリカよりずっと少ない理由。世界に対する影響力が違う。本質的に何ひとつ変化してない。今始まったわけでなく最近のしつこい報道には嫌気がしてる。なぜなら『将軍様のおかげで・・・』この言葉だけでもこの国の異常さと国民の悲惨な状況は語り尽くされてる。ただ「ひどいよね」「怖いよね」とあおるだけでは何の解決にもならないし自分の国も見えなくなる。03-3-13

 

『小さなイヤがらせ大きなお世話』。何とおせっかいな人達なんだろう。頼まれた方も「そのくらいのことは自分の国でできないんですか」「私達は戦争のことで頭がいっぱいなんです」なんて言えないのだろうか。それにしてもわざわざアメリカの特殊部隊(?)に頼む日本人がもっと恥ずかしい。それこそ余計なお世話だけど部隊の旅費と滞在費がアザラシのことより気になる。もっと他に・・。03-3-12

 

アメリカのある作家が戦争反対の意思表示をしたらその人の作品が不買運動の標的にされたらしい。あり得る出来事。自由な言論や表現を快く思ってない人達はいるものだ。嫌なら見なければいいし買わなければ済むのにそうするのは何かに恐れてるからだろう。僕はそれとは逆の方法で行動したいと思ってる。その行動とは、自分の考えを少しでも代弁してくれてる人の本をできるだけ買うこと。03-3-11

 

『ボレロ』にはまってしまった。聴いてるうちに気分は高揚し興奮しながらも心の底にある深淵な部分も呼び覚ます。心は外と内の両端に引っ張られ、肉体は宙に浮く。嬉しいのか悲しいのかわからない。そして最後は両方の支えを一瞬に失い放心状態に陥る。それが心地よくて何度も繰り返えす。03-3-10

 

ときどき無性にレバーを食べたくなることがある。たぶん体が不足してる養分を求めてるに違いない。そんなときはスーパーに並んでる串に差した焼きレバーを一本買う。久し振りに食べるせいもあってすべてが栄養になってる感じがする。もちろんうまい。今度のときはレバニラ炒めを食べたいな。03-3-9

 

ナンバーは間違いない、車の色は紺、運転者の雰囲気、年令もイメージ通り。九分九厘解決すると思った。そのつもりで警官と共に車の右前部をじっくり確認したが傷跡がない。ないはずはないと思って目を凝らしてもやはりない。いくら状況が一致しても物証がなければ話しにならない。同じ時刻に同じナンバーの紺色の車がもう一台走ってたことになる。奇跡的な偶然の一致なのか、それとも・・。03-3-8

 

その日その時間帯にそこを走ってたというからまずまちがいないだろう。しかし、運転者は交番からの車の確認要請には忙しさを理由に応えてくれないという。ますます怪しい。その後、処理は中央警察署に引き継がれた。そうなった途端に応じる姿勢をみせた。何と日曜の朝9時に行くという。僕に伝える担当警官も困惑してたが早くはっきりさせたいので承諾。そして、やっとその車と人に会った。03-3-7

 

状況説明後〔ナンバー33-○○○○・紺色の車・多分60代眼鏡の男が運転〕と伝えるとナンバーの地区とひらがなを聞かれた。そこで重大な見落としに気づいた。それがないと車を完全に特定することはできないという。セダンは確かだが車の名称はわからない。わかる範囲で照会すると11台の車が該当。特定できるのも時間の問題と思った。1週間後「それらしき車がある」との電話が入る。03-3-6

 

それでも侵入してくる。急ブレーキ急ハンドルも危険。ハンドルを少し右に切ったが通 過するとき左のドアを擦る音が車内に響いた。「あ〜」。後を走ってるその車にアンダーパスを抜けたら左に寄って止まるよう手振りで何度か合図を送ったのにそのまま走り去った。でもナンバーは確認してあるからすぐにわかるだろう。仕事を終えた2時間後、あて逃げの被害届を提出するため近くの交番へ。03-3-5

 

どうしても信じられないけどどうしようもない出来事の体験談。何が信じられないって偶然の一致が奇跡に近いこと。とても4行では無理なので何回かになると思う。話しは2月18日朝にさかのぼる。9時50分頃、アンダーパスに入る車線を直進していた。その直前になって急に左の車線から強引に侵入しようとする車がいる。しかも低速で。危険なのでクラクションを鳴らして注意を促した。03-3-4

 

間違いなく記憶に残るだろういい映画を観て大満足。『愛と哀しみのボレロ』1981年作。友人に勧められなければ観てなかっただろうから感謝しなくては。最初に出てくる言葉もうなずける。“人生には2つか3つの物語しかない”“しかしそれは何度も繰り返される”。最後の音楽と踊り はいつまでも続けてほしかった。しかし、わけもなくこみあげてくるものがあったのであれが限度かな。03-3-3

 

ようやく目指す方角が定まり違った道筋でも行けるようになった。あの街は札幌と同じく道路が碁盤の目になっているから遠回りすることなくいろんな歩きかたができる。それなりに変化を楽しんでいた。一番最初はずいぶん長く感じた距離も短く思えるようになった。どこまで短くなるのやら。03-3-2

 

終着駅札幌はもうすぐ。いろいろなネオンや看板が目に入る。『音泉館』。これはおもしろいネーミングのカラオケ屋と思ったらそこに温泉の文字もある。両方なのかな?。TOMBOW。トンボ鉛筆がこんな風に書くとは知らなかった。TONBOでいいと思うけどね。子供の頃、セルロイドの筆箱に入ってる鉛筆はトンボか三菱だった。今、僕の筆記具入れにあのトンボのマークは見つからない。03-3-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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