ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

個人の体質はなかなか変えられない。それは僻(へき)と似て体に染み込んでいて何とか抑えることはできてもなくすのは非常に難しい。それを発揮してた同じ場で制御しようとするとストレスが溜まり違った手段か新たな場で発散しょうとするだろう。何よりも暴力で失われた信頼を取り戻すことは不可能に近い。それなのに『交代させない』とは組織の体質にこそ問題がある。理事も交代すべき。13-1-31

 

高校の指導者による生徒への暴力があり全国的な問題になっているが、今度は全日本柔道連盟で選手から指導している監督が告発されるという形で表れた。指導と称する暴力があることは推測できるので驚かずとも監督本人も暴力を認めているのに連盟の理事は「交代はさせない」と言うのには驚く。つまり、暴力に対して同じ体質だと宣言したようなもの。どうも問題の本質を理解してないようだ。13-1-30

 

ついに3点目が完成。長年の悩みの種だった破損した作品の修復が完了した。搬出の作業中に誤って壊してしまったのが2009年の11月だったから3年と2ヶ月振りの復活だ。そのときの瞬間と言葉を失う状況と落胆は今でも鮮明に覚えている。これでようやくそこからも離れられそう。それにしても延日数が10日あまりで終るとはまったく考えていなかったから今後の制作がかなり楽になる。13-1-29

 

ある人との関係で連絡したらいいのか、しないほうがいいのか散々迷った挙げ句に思いきってやってみたらいい方向に出た。今回はうまく進んだからよかったが、まったく逆の結果 だって考えられた。でも、たとえどっちに出ようが迷いから解放されるのはまちがいないから『迷ったらやってみる』のは大事。迷いのなかには自分の勝手な思い込みが含まれている場合もあるからなおさらそれがいい。13-1-28

 

今年に入ってずっと続いていた最高気温が0℃以下の真冬日が途絶えてから比較的穏やかな天気に恵まれてしばしほっとすることができた。そのおかげで気になっていた屋根の雪も落ちて一安心する。しばらく屋根にとどまっていた雪は氷になっているので落下したとき窓ガラスを壊しかねない。まだ屋根には落ち切れない雪が残っているので窓の部分の氷を取り除く。あと2度くらいは覚悟せねば。13-1-27

 

今年度の芥川賞受賞作品を本屋で立ち読みしてみた。なるほどひらがながほとんどの横書きで句読点も『、』ばかりで『。』がない。ひらがなが多いというのは結構読みづらく、文章の区切りもわかりづらくてはっきり言って読み進めるのに疲れるものだ。何とか5ページほど読んだがその世界に入り込めず『もういいや』という気持で断念。興味を感じていたのに新しいスタイルに馴染めなかった。13-1-26

 

例え話。破損した作品の修復に2ヶ月近くは掛かると覚悟していたのに、3点のうちの1点がわずか3日で仕上げられたことを話して「最高に嬉しかった」と言うと「どうしてそんなに嬉しいの」と返された。「大事にしているものだから」と説明しても納得してない様子だった。自分の子供が怪我をして2ヶ月の重症だと思っていたら10日の軽傷で済んだと例えればわかってもらえるのだろうか。13-1-25

 

マナーとルールはまったく違う。マナーは礼儀作法に関するたしなみでありその定義は非常にあいまいでそれが悪いからといって処罰の対象にはならない。しかし、ルールは守らねばならない決まりごとでありそれを破ればそれなりの処罰を受ける。ましてやそれが法律であれば当然のこと。自転車もそうなのにテレビや新聞などのマスコミがそれらを混同して使うから無法な自転車が増え続ける。13-1-24

 

『137億年の物語』は500分の86ページまで進んだところで6500万年前〜7000万年前の・哺乳類の繁栄・に入った。すでに136億3000万年が過ぎたが人類の誕生はまだ先のこと。想像を絶する長い時間を掛けて徐々に変化しながら哺乳類まで辿り着いているのだ。何億年何千万年のスケールだと2足歩行の類人猿が現れる500万年前がすぐそこまで来てるように感じてしまう。13-1-23

 

久し振りに厚い本を買う。それは500ページもある『137億年の物語・宇宙が始まってから今日までの全歴史』という本。以前から全てが時間軸で繋がっている歴史の本がほしいと思っていたので迷わず購入。その内容は[ビッグバンと宇宙の誕生]から始まり[世界はどこに向うのか]で終る。買う気持を後押ししたのは裏表紙のビッグバンが11月に発表した絵画作品とそっくりだったこと。13-1-22

 

貯筋と脳活。貯筋はお金でなく筋肉を鍛えてためておこうとして、脳活は脳の働きを活かしていこうということ。どちらも次第に衰えていくのはやむを得ないので、せめて少しでも蓄えておき働かせておきたいと願っている。意識的に歩く時間を作るのはそのためで、この『ひとこと』を続けていくのには脳の活性化の意味もある。このふたつの目標はできる限り長く続けられるよう努力したいもの。13-1-21

 

肩甲骨を骨折してからちょうど1ヶ月が経った。骨折そのものの回復状況はわからないが上がらなかった腕は90度を超え120度近くまで上げられるようになった。万歳まではまだ10日ほど掛かりそう。痛みが一晩で済んだせいもあって最初から骨折の実感がほとんどなく、腕の損傷だけだったような気になってしまう。そのため、1ヶ月後にあたる受診(レントゲン)も止めようと思っている。13-1-20

 

3時間の排雪作業で16,000歩。ここは恵まれていて80mほど先には流雪溝があり、そこに雪を捨てることができるので少し頑張れば取りあえず溜めた雪山も完全になくせる。そんなわけで一旦やり始めるときれいにするまでやめられない。最初の1時間は長く感じてもその後はあっという間に過ぎてしまうのはやりがいを感じるからだと思う。終ってからも疲労はほとんどなく達成感が大きい。13-1-19

 

芥川賞と同時に発表される直木賞の受賞者のうちのひとりは23才で戦後ではもっとも若いという。もちろん偶然なんだろうが芥川賞の最高齢と直木賞の最年少が同じ年に出るのもすごい。その世界を目指す人のみならず若い人にも年配の人にもいい刺激になったに違いない。若いうちに才能を認められ自信を持って進むのもいいし、長年のひたむきな努力が結実するのも素晴らしい。その差は52。13-1-18

 

75才の女性が芥川賞を取ったがこれは今までで最高齢の受賞らしい。テレビで見る限りでは何の気負いもなく淡々としていてまだまだ元気なまま長生きできる人のように感じた。もうすでに迷いのない境地に達しているだろうから残された時間は若いとき以上に長いのかもしれない。横書きでほとんどがひらがなで書かれていて固有名詞はなく会話にカギかっこもない独特の小説のようで興味あり。13-1-17

 

孫の手を買い求めたのは右手がまったく上がらなくなったとき痒いところに手が届かない辛さを味わったから。そのときは定規を使っていた。孫の手とはうまく言ったもので思うように体が動かなくなって何かの助けが必要になる頃には孫のいる年代になっているということか。それと先端部分がかわいい小さな手のようになっているからかな。これからは無理に手を伸ばさなくても届くから安心だ。13-1-16

 

100円ショップにて。「孫の手ありますか?」と近くにいた4、50代と思われる店員に聞くと「え、何ですか?」と聞き返された。すると、ほんの少し遠くにいた20前後らしき若い店員が「御案内します」と言った。年配の店員が孫の手を理解してなかったのかどうかはわからないが、ひとつはっきりしたのが耳の聞こえ方の差。年令と共に聞こえづらくなるという事実をそこで見た気がした。13-1-15

 

嬉しい誤算。破損してバラバラになった作品の修復にはかなりの時間を要すると覚悟していた。具体的に言うと1ヶ月から2ヶ月を考えていた。しかし、3個あるうちの1個が3日で出来上がってしまったのだ。時間が掛かると思い込んだのもおかしいがこんなに簡単に済んでしまうのも不思議で怖いような気もする。あまりにもスムーズに進むとこの後に問題が起こるのではと心配になってしまう。13-1-14

 

ある集まりで「実は、去年の暮に階段から滑り落ちて肩甲骨を骨折してしまったんですよ」と言ったら、すぐさま「私も骨折したことがある」と言ってそのときのことを話し始めた人がいた。これからいろいろ話そうとしているのにいきなり話題を奪われてしまいそうになる。『ちょっと待ってよ』という気分だったが負けずに話し続けることにした。できればもう少し聞いてからにしてほしいのに。13-1-13

 

一昨日の抽選でもっとすごい偶然が重なるところだった。それは偶然というより奇跡に近いものだけれど『もしかしたら・・・』の思いが湧いてきた。実は自分のすぐ前の人が1番を引き当てたのだ。それより前に出ていれば可能性はなくなるしそんな風には思わなかっただろう。その人は札を取るとき掻き混ぜてはいなかったから上にあった札を素直に取ったはず。でも、『もし』にはビリもある。13-1-12

 

ようやく本当のヤル気が湧いてくる。外での仕事が始まり出してからだからきっとこれが影響しているのだろう。何でもそうだが始動するときのエネルギーが最も大きい。動き始めて見ると意外とスムーズに進んだりもする。億劫な気持の強かった破損した作品の修復から手を付けたが憂慮していたほどめんどうでも難しくもなかった。随分長い間先送りしていた作業に着手したおかげで燃えてきた。13-1-11

 

39で39。すっかり恒例になった半年分の会議室の申込みで39が重なった。最初の39は受付順に渡されるもので抽選箱から番号札を引くときの順番になる。その番号札が申込み順になるわけでこちらが肝心。前回は驚きの1番だったので今回は真ん中辺りで満足しようという気持で引いたら何と39番。全体で68番だったのでほぼ真ん中とも言える。今回は偶然にも39が続いたことに驚く。13-1-10

 

回転しない回転寿司。食べたのはすべて紙による注文だったので回転するレールから取った皿は1枚もなかった。回っているのは稲荷鮨の皿だけで寿司ネタはないから取りようもない。この方法だと回転しているうちに鮮度が落ちる心配もないし何よりも無駄 を出さずに済むから効率的でもある。でも、そうなると回転寿司とは呼べなくなりそうだ。機械握りの注文寿司だと長過ぎるし手渡し寿司も変。13-1-9

 

何年か振りに回転寿司に入ってそれまでとの違いを発見した。まず、目の前のレールは回転しているが寿司ネタの皿がほとんど回っていない。食べたいネタは紙に書いて注文してほしいという。紙をレールの中にいる人に渡すと何種類もの寿司があっという間に手元に届いた。それにしても早いなと思ったらシャリの握りは機械でやっている。これなら職人はいらない。安さを保つ秘けつはこれなのか。13-1-8

 

今年初めての卓球は土曜の夜に小学校の体育館で済ませているけど北区体育館は今日が初日。北区の方が思いっ切りできてたっぷり汗もかけて充実感も大きいからこっちの方が楽しい。卓球仲間も増えて相手にこまることもなくなった。腕はまだ中途半端だがそれなりにはできる。実はこの体育館のすぐ隣に受診している整形外科病院がある。こちらには腕が上がるようになってから行ってみるつもり。13-1-7

 

肩甲骨を骨折したおかげで上がらなくなっていた腕は60度近くまで上がるようになり日常生活が随分楽になってきた。ドアノブを回すとき、灯のスイッチを押すとき、歯を磨くとき、冷蔵庫を開けるとき、新聞を開くとき、トースターでパンを焼くときなどにも右手を使えるようになった。そして、なによりも服を着たり脱いだりがスムーズにできるが嬉しい。回復まではあと1ヶ月ほどの辛抱かな。13-1-6

 

今年もすでに5日になりお正月気分も抜けてきたところで元旦の話題をひとつ。ここでも書いているように最近のBGMはほとんどがジャズ。でも、元旦の朝に選んだのはジャズではなく、クラシックのワルツ。新年の朝の室内にシュトラウスの皇帝円舞曲や美しく青きドナウなどの優雅な調べが流れて心も落ち着いた。日本のお正月だから邦楽といきたいところだが手持ちがない。琴などもいいのだが。13-1-5

 

新しい年を一番実感させてくれるのはカレンダー。パソコンの上の壁には1年のカレンダーが、そして反対側のテレビの上には月毎のが貼ってあってどちらもまだきれいに輝いている。これを目にすると新しい年の始まりを強く意識する。不思議なもので1年の方があっという間に過ぎ去っていきそうな気になり月毎の方が長く思えてしまう。それならば日めくりがもっとも長く感じるのかもしれない。13-1-4

 

この『ひとこと』は年を越し新年を迎えてすでに12年目に入っている。つまり、11年目を無事繋げることができたわけだ。昨年はとりあえずの目標だった10年目達成の年だったので何度か触れていたというのに11年目は静かに過ぎ去った。もちろん継続は嬉しいけれど昨年のような感動はない。すっかり日常化しているせいもあるし10年という節目を超えてかなり気楽になっているのも確か。13-1-3

 

昨日は氷割りで疲れたけれどおかげで窓ガラスが割れる心配はなくなった。残りのお正月を安心して過ごすためにも大正解。右腕もかなり回復したとはいえ左腕中心の作業だから時間は掛かったが万一窓ガラスが割れたりしたら骨折同様大問題になってしまう。幸い今日も雪は降らず雪かきもなく外出は近くの郵便局とスーパーでの買物のみで済む。寒いが穏やかな一日。雪が降らないと本当に助かる。13-1-2

 

元旦の新聞はあっさり読み終わり、付いていたクロスワードも埋め尽くした頃、年賀状が届く。書き添えられたひとことが嬉しい。昼にはお雑煮を食べお正月を満喫。食後に行き違いの年賀状を出すため郵便局へ。ここまではしっかりお正月だったけれど、帰宅後は家横の雪かきというより氷割りをする。例年なら2月にやる作業なのに屋根から落ちた氷の塊が窓の高さを超えてしまっていた。疲れた。13-1-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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