ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

知らないために得したつもりが損をすることもある。ジャズのCDを中古品や100円ショップで買っていたが、つい最近、久し振りにCD屋(これも今、何屋さんなのかわからない)に入ってみて900円でも売ってることを知って驚いた。もっと高いものと思っていたのにこれなら中古の値段と一緒だ。さらに、レンタルはコピーできないようになってると思い込んでいたらこれもそうではなかった。10-1-31

 

当選した5枚の年賀はがきをさっそく郵便局に持って行きお年玉切手を受取った。派手で元気のいい虎の図柄を見るとお正月がもう一度やってきたような気分になる。番号を確認して当選とわかったときには思わず送ってくれたその人への感謝の気持が湧いてくる。郵便局からお年玉 をもらうというより出してくれたその人からいただく感じ。再び虎の元気をもらったわけで張り切っていかなくては。10-1-30

 

111分の5。去年は110分の1だったから年によって当る確率は随分違う。今年はお年玉 年賀はがきの嬉しい当たり年になった。確率の計算はできないけれど、下二桁でふたつの当選番号があるから当る確率は100分の2ということか。もしそうだとしたらかなり多いほうになる。もちろんというのも変だけどそれより上の当選番号はかすりもしない。中途半端にかすられたらもっと嫌かも。10-1-29

 

昨日の続き。もしかしたら、最初に見せてもらった本屋にまだ在庫があるかもしれないと思って店員に聞いてみると、店内の棚から探し出してくれた。求めていた本に再び出会えたことで自分のものにしようという決意は固くなった。それにしても、この前のときかなり時間をかけてくまなく探したのに見つけられなかったのは何故なんだろう。それはさておき、手に入れた喜びを重さで受け止める。10-1-28

 

1週間ほど前に大きな本屋で『クリストとジャンヌ=クロード』の本を探してもらい見せてもらった。気に入った内容だったが想定外の価格(12,600円)に一旦は諦めた。そして昨日、もう一度見てみようと行ってみたが棚には見当たらずがっかりした。あきらめきれず他の店を回ったがどこにもない。ないとなるとすごく貴重に思え、手に入れたい気持が急に強まり郊外でも探そうと決心する。10-1-27

 

道内大学卒業予定者の就職内定率(昨年12月1日時点)は69,5%だという。全国では73%。高校の30%に比べるとかなり違うが深刻さは同じ。以前にも書いたが社会に出る出発から挫折感を体験させられるのはあまりにも辛い。テレビのある番組で熟年出演者が「今の若者には夢がなさ過ぎる」と嘆いていたけど、本当は夢いっぱいでいいはずの若者から夢を奪ったのは誰なんだと聞きたい。10-1-26

 

10月7日以来となる近所の歯科へ。この間、親不知を抜く手術を無事乗り越えての3ヶ月半振りの凱旋といった感じがした。歯医者さんから「病院のほうから逐一報告が入ってましたよ」と聞かされ、病院の医師の配慮に改めて感謝する。そして、意外でびっくりしたのはこの『ひとこと』を読んでいたので経過もわかってましたと言われたこと。どうしてここまで辿り着けたのかが不思議だった。10-1-25

 

美術館もいろいろでなかにはがっかりするときもある。その際たるものは国立新美術館。いいところを探すのが難しいくらいひどい。兵庫県立美術館は空間が活かされてなく期待はずれ。名古屋市美術館は記憶が薄らいでいる。好印象のほうは美術の教科書を思い出し懐かしさが湧いてくる大原美術館、2回とも好みの作品に感動した国立国際美術館、環境と融合していた埼玉 県立美術館などなど。10-1-24

 

松本美術館は建築的空間の好みからいっても5本の指に入る。今までに全国各地の美術館を30ほど巡ったうえでの選択。空間が気に入った美術館はほぼ例外なく展示作品も気に入る。これには相関関係がありそうだ。きめ細かな心配りと磨かれたセンスがそうさせるのだろう。他には地中美術館(直島)、何必館(京都)、豊田市美術館、横浜美術館などが思い浮かぶ。これからの出会いも楽しみ。10-1-23

 

草間弥生を特集している雑誌が目に入り迷わず購入。値段(630円)のわりに充実した内容に大満足。そんな中に『傑作に出会える、日本のアートスポット』をいうページで松本美術館を大きく紹介していた。昨年、偶然にも草間弥生の特集展示に出会い感激した美術館だ。それまで草間弥生が松本出身だとは知らなかった。もし、これを見逃していたらすごく口惜しい思いをしていたに違いない。10-1-22

 

目まぐるしく変わる天気。かなり冷えこんだ日が2、3日続いたあといきなり大雪が降り、その次の日には雨が降り、そして今日は雪と急激な冷え込み。プラス5℃からいきなりマイナス5℃だから冷たさが身に凍みた。雪が降ったからまだよかったけど、もしそうでなかったら道路も歩道もすべてがスケートリンクになっているところだった。この時季の雨はやっかいなもので雪のほうがまだまし。10-1-21

 

作品のためのマケット作り。最初は簡単なアイデアスケッチから始まる。その中から制作してみたいと強く思うものを選んでより具体的なスケッチにしていき寸法も決めていく。ここで作品化が決まったわけではない。次に同寸か縮尺したサイズで模型となるマケットを作って作品のイメージの確認をする。紙で作る場合もあるし同じ素材にする場合もある。今回のマケットでまだ途中と告げられた。10-1-20

 

とくに演奏者にこだわるわけでもなく、ゆったりしたジャズ演奏を聴きたいという欲求があった。とにかくテンポが遅くて眠くなるようなのを求めていた。正直言ってこだわるほどの知識もないから頼るのは勘だけ。そんなわけで安い中古品の店や100円ショップになったということ。980円のCD2枚はいまいち。ところが200円の3枚のうちの1枚が大当たり。それがスタン・ゲッツだとは。10-1-19

 

懐かしい映画をDVDで手に入れる。100円ショップでジャズのCDを探しているとき、ふとDVDの棚に目が移り今度はそちらを追っていると懐かしいタイトルが飛び込んできた。それはイングリッド・バーグマンの『ガス燈』。随分昔にテレビで見てバーグマンの美しさと演技に引き込まれたのを思い出す。手に取ってみると何ともう1枚『旅愁』も付いて315円。価格に引かれて迷わず購入。10-1-18

 

シバレの次には大雪がやってきた。朝、カーテンを開けると車の半分は雪で埋まっていた。やっぱり来るべきものが来たという感じ。その時点で雪かきの覚悟はできている。午前中に雪を掻き集めて山にしておき、午後2時半からその雪山を崩して流雪溝に運び始める。1時間のつもりが結局2時間に。だいたいいつもこうなる。おかげで万歩計は13,000歩を越えていた。心地よい汗と運動気分。10-1-17

 

『しばれる』という言葉を思い起こさせる寒さ。多分、−5℃位だと思うけど風が強かったので頬に感じる体感温度は−10℃位 にはなっていた。踏み固められた雪が歩く度にキュッキュッと音を出す。でも、横断歩道はツルツル路面 でこわごわ渡る。それなのに少し足を滑らせてしまった。まさに冬本番といった光景。もちろん、長い時間は無理だけどこんな中にいると身が引き締まる快感もある。10-1-16

 

いつもの年に比べると随分雪が少ない。おかげで雪かきの時間が少なくて助かっている。例年なら何度となく往復しているはずの流雪溝までの雪捨てを今シーズン初めてやった。それも、どうしてもやらねばというよりは次の降雪に備えてという程度のもの。北海道の大雪の分布も変わってきていて、札幌より帯広や北見のほうが多かったりもする。かつてはほとんど雪のない地方だったはずなのに。10-1-15

 

事件や事故と同じように疑問があったり曖昧なときはやっぱり現場に立つのが一番。写 真では形はわかっても空気や光や坂の角度までは伝わってこない。手や頬にあたる風の冷たさや雲の動きで刻々と変わる明るさや坂を上るしんどさもそこを知る大事な要素になる。なによりも、建物も道も空もすべての風景がひとつに繋がっているからスケッチをするとき好きな場所を自由に切り取れるのがいい。10-1-14

 

成人の日とは何の関係もないけど、この日水彩スケッチをするために列車で小樽に向った。下り坂の街並をどう描けばいいのかとアドバイスを求められたとき曖昧な部分があったので現場でスケッチをするのが一番と考えて坂の街小樽に行くことに。駅のすぐ横に船見坂という絶好の坂があり、探し回る必要もなくスケッチを始められた。自分の目で確かめたおかげで疑問も解消できてホッとする。10-1-13

 

昨日の成人の日に感じたこと。今年のすべての成人は平成生まれだという。平成もすでに21年目に入り、年号としてもすっかり定着し成熟したことになる。自分が生まれたのは昭和23年だから、その年数とほぼ同じになった。子供心に大正というのはずっと昔の時代のように感じていたから、今、生まれてくる赤ちゃん達にとっての昭和は歴史のなかの時代として映るわけだ。昭和は遠くなる。10-1-12

 

退院後の年末には風邪をひいてしまい、ゆっくり静養のはずが今度は自宅で寝込むはめになってしまったことは2日に書いた。そのときは徐々にやる気が出てきてたはずなのに中途半端なままお正月はずるずる過ぎ去った。そこまではいいとしても、その後もしゃきっとしない日々がずっと続いていた。今もエンジンは空回り。残念ながら抵抗力だけでなく回復力も落ちているのを認めざるを得ない。10-1-11

 

看護師さん達は皆優しく、てきぱきしていてとてもいい印象を持った。いろいろな検査や点滴などのためだけでなくしょっちゅう様子を見に顔を出してくれた。痛みも問題もなかったけど、見守られているとわかると安心感が違った。でも、勤務シフトの関係で毎日のように担当の看護師が入れ代わり立ち代わりでやって来たので顔を覚えることはできなかった。ここらで入院体験談は終りにしよう。10-1-10

 

続く。つまり、僕が話していないときはいつも静かなときが流れていた。それはそれでのんびりできる落着いた時間だった。悠然とした人と看護士との会話のなかで「雲を眺めているといろんな動きがあるのがわかって楽しいよ」というのが耳に入っていたので、自分もベッドに横たわったまましばらく窓から見える雲を追ってみた。6年前に直島で見たタレルの作品と同じ世界で心を和ませてくれた。10-1-9

 

同部屋の3人はそれぞれ特徴のある人達だった。かくしゃくという言葉が浮かんだ(実はそれプラス姿勢も話し方もきりっとしていた)70代後半と思われる人、悠然という雰囲気の70代前半らしき人、適当な言葉は出てこないがほとんどいつも横になって本を読むかテレビを見ていた50代?の3人。話し掛けると3人共優しく応えてくれたけど、その3人での会話を聞くことは一度もなかった。10-1-8

 

入院中に持ってくればよかったな、あれば助かるなと思ったものは耳栓と首から下げられる小物入れ。いつもではないけれど隣のベッドの人の大きないびきで寝つけない夜もあったので病院の売店で耳栓を購入。4人部屋なんだからそのことに事前に気づくべきだった。そして、ポケットのないパジャマで病院内を歩き回るときに小銭入れと携帯電話が入るくらいの小物入れがあると便利だなと思った。10-1-7

 

100%がきれいに並ぶ。入院中はいろいろな記録を付けさせられる。朝の体温、体重、1日の尿の回数、水分摂取量 などから食事ごとの食べ具合もあった。手術までは普通食で術後はお粥などのやわらか食になったが5泊6日に出された食事はすべておいしく食べ切った。記入欄には見事に100%が並び、まるでプリント模様のようにきれいになった。改めておいしく食べられる幸せを噛み締める。10-1-6

 

入院生活の体験はたくさんあるけど、手術そのものの記憶は麻酔のおかげでまったくない。だから、病院を見たときも手術のことは頭に浮かばなかった。全身麻酔を体験するための入院だったような気さえしてくる。麻酔の間は眠っていてもその前後は覚えている。でも、手術はその前後さえ何もない。術後の腫れは入院中になくなり、そしてわずかに残った証しの糸も消えて手術はさらに夢の彼方に。10-1-5

 

朝9時、北大病院歯科外来へ。手術から11日目になる。最初は手術から1週間後の抜糸の予定が暮とお正月が入ったので随分遅くなった。その間ずっと細い糸が口のなかで泳いでいたけど、気になるほどの違和感ではなかった。抜糸を済ませてようやく手術が完了した気持に。2週間後の診察が本当の最後になるという。今朝、病院を目にしたとき、5泊6日の入院を思い出して懐かしさを感じた。10-1-4

 

3日続けて雑煮を食べ、お正月を満喫。こればかりはお正月のほかに食べる機会はない。もちろん、これだけおいしいんだからお正月にこだわらずに食べればいいと思うけど、それをしないのは食べたくなる時季というのがあるからだろう。最近では餅も1年中売っているのにお正月でないときに食べたことはなかった。子供のときからの習慣がしっかりと脳にインプットされているからに違いない。10-1-3

 

まだまだ入院と手術のネタはあるけど、ここらで年末とお正月のことを書いておかないとどんどん先になってしまいそう。退院後は無理して頑張らずにのんびりしようと考えていたのに風邪をひき鼻水や痰や咳に苦しめられてしまった。緊張感が解けたせいだろうか。入院のときと同じようにかなりの時間を布団の上で過ごすはめに・・・。年が明けてようやく正常に戻り始め徐々にやる気が出てくる。10-1-2

 

年を越したというのにさらに続く。2時間前の何となく覚えている意識とは明らかに違った確かな覚醒。それも突然やってきた。手もとのナースコールを押すと同時に看護士が現れびっくりすると、時間になったので来たという。その正確さに驚く。手術のときの麻酔も事前に聞かされていた時間と完全に一致。ほんの少しだけ覚ましてまた眠らせる技もすごい。今の麻酔の技に触れた手術でもあった。10-1-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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