ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

新しい年のさらに『ひとこと』の新たな10年が始まり、こうして1ヶ月が過ぎようとしている。日々の積み重ねが1ヶ月になり1年になり10年になっていく。先を見ているわけでなく、その日を振返っているだけなのでこの先の長さは一切感じない。それは過ぎ去ってからからわかるもの。今はただその日の自分を正直に書き留めるだけ。できるなら今度の10年も長くて中味のあることを願う。12-1-31

 

久し振りの暖かい太陽の下で雪かきをしてたときに「こんにちは1」とかわいい声で挨拶された。顔を上げると近所の小学2年生くらいの女の子だった。すかさず大きな声で返事をする。顔が合ったわけでもなかったのに先に挨拶してくれたのが嬉しい。その子は4、5年ほど前から見かけていた。当然、まだ幼かったわけで、よちよち歩きをしていたはずなのにと思ってしまう。これが子供の5年。12-1-30

 

列車に乗り、隣町でコンテンポラリーダンスを観る。招待状をいただいたのでダンスに触れるいい機会と思い出掛けた。この種のダンスは数えるほどしか観てないので多少の期待もあった。3つの演目のうち気に入ったのはひとつ。それは予測のつかない動きと流れがあり、静と動の間合いもよかった。残りのふたつはワンパターンの繰り返しで入り込めないまま終る。期待の半分は叶えられたかな。12-1-29

 

今回の『エンディングノート』と昨年11月に観た『ちづる』は両方とも秀作だ。娘が父を、そして兄が妹を撮ったというところにも心に沁みた理由があった気がする。家族を含めて撮られる側に緊張感や誇張はなく自然体で動き受け応えしているから、映画を観る側に真実味がより深く伝わってくる。演出されたものにはない細かな心の襞も垣間見えていた。筋書きのない生のドラマのおもしろさ。12-1-28

 

映画『エンディングノート』を観た。手術不能との癌宣告をされた69歳の父が自分の『死に方』を真剣に考え実行した姿を娘が記録し続けたドキュメンタリー。自分にかせられた運命をしっかり受けとめそれまでの時間を家族と共に前向きに生きようとする父の姿は感動的。それらを努めて冷静でありながらも優しい眼差しで撮り続ける娘も素晴らしい。夫婦の機微と愛を上手に捉えていて涙する。12-1-27

 

確率の不思議。お年玉付き年賀はがきの当選番号を確認する。総数は107枚で下1桁で1〜0に分けると1=6枚、2=10、3=11、4=15、5=10、6=10、7=9、8=13、9=10、0=13となった。1と4は離れてるが他はほぼ平均値。そして、切手シートの当選番号は27と44。27は0枚だったが44が何と15枚のうち4枚もあった。高い確率に驚きつつも大満足。12-1-26

 

宝くじの1等賞金を7億5千万円に引き上げるという。そうするより1千万円を増やした方がいいと思うし、もっと当選確率を上げるために5百万円でもいい。それでも生活は一変する。劇的に変えることはできないがプラスαと考えれば充分な額。こんな提案は宝くじを一度も買ったことのない、一獲千金の夢を見られない人間の発想か。昔やってたパチンコもコツコツためる台の方が好きだった。12-1-25

 

借りているアトリエに薪ストーブを付けた。石油ストーブがまったく点火しなくなってしばらく暖房なしだったがこれでようやく温もりを得られる。以前チェーンソーで木の作品を作っていた頃の木っ端がたくさんあるのでそれを燃やせば片付けにもなり一石二鳥のようなもの。よく言われることだが炎を見ていると気分が落ち着く。そして、家族で囲んだ子供時代の茶の間の薪ストーブを懐かしむ。12-1-24

 

初めて人の死に直面したのは高校3年の春のこと。5月5日の夜、親しい友人が岸壁から身を投げて自殺したという知らせが入った。突然の報告は耳を疑いにわかには信じられなかった。その2日前にはもう一人の友と3人でアポイ登山をしていたのだ。登山は楽しく深刻な様子は微塵も感じなかった。なぜどうしての思いが出てくると同時にそれを察することのできなかった自責の念にも駆られた。12-1-23

 

本棚の整理をしていたら『知識人99人の死に方』という本が出てきた。何となく気になり読み始める。多くは作家だけど最初は享年60歳の手塚治虫だった。そこにはそれぞれの履歴と死ぬ 間際のことが書いてある。その中味のみならず享年との関連に強い興味を持った。選び方にもよるが長命か短命かに2分されていて60代は以外と少ない。自分も60代になり、より若い享年に思いを馳せる。12-1-22

 

朝7時の室温は2℃。2階の寝室から居間(というより仕事場)に降りてくるとまず石油ストーブを点火する。タイマーはあるが使っていない。かなり寒く感じるので寒暖計を見ると2℃になっていた。指が冷たい。急いでたくさん着込みマフラーもして台所へ。パンと珈琲の朝食の準備をして戻るとストーブは真っ赤になって頑張っている。今日は大寒だけどまだ1月。もっと寒い朝もやってくる。12-1-21

 

禁煙を決意させた理由はいくつかあった。止める頃は1日に2箱のこともあり、完全にチェーンスモーカーになっていて本当に吸いたいから吸うというよりおしゃぶり状態に陥り、煙草に支配されている自分に嫌気をさしていた。胸のつかえなど体の異常もあったし経済的な問題もあった。禁煙のおかげで気分的にすごく楽になったのは火事の心配。とにかくいろいろ解放された大事な節目になった。 12-1-20

 

もう少し煙草の話を続ける。禁煙をしてから禁断症状で一番辛かったのは3週間目頃だった。たぶん、それまでは体に残っていたニコチンを吸収していたけどそれさえも尽きたのだと思う。そんなときに取った行動は危険な療法になりそうなある場所に行くことだった。それはパチンコ屋。遠ざかろう避けようとするのでなくあえて煙の充満するところで気分を落ち着かせ、決意を強める手段に出た。12-1-19

 

翌朝まで吸わずにいられたので、それならばと本格的に禁煙を決意した。それが1週間となり1ヶ月が過ぎ22年が経った。吸い始めたのは24才辺りからだから18年近くも吸ってたわけだ。とにかく、90年4月12日は忘れられない 煙草からの解放記念日になった。そういえば、こんな流行文句もあった。『禁煙ほど簡単なものはない。なぜなら何回でも挑戦できる』と。挑戦は3回目で終了。12-1-18

 

目覚めの一服は食後の一服同様たまらなくうまい。その頃、今では考えられない=今日も元気だ煙草がうまい=というキャッチコピーがあった。その日は煙草がカラでいつもなら買い置きしてある予備もなかった。家を出て買いに行くのが面 倒だったのでしばらく我慢することにした。そうしているうちに夕方になり『ここまで我慢できるなら明日まで待ってみよう』と考えたのが禁煙の始まり。続く。12-1-17

 

『あれ?いつからまた吸い始めたのだろう?』煙草を吸いながらそんな疑問を持った。味はまったく何にもしない。それもそのはず、これは夢。何の脈絡もないのが夢だけどどうしてこんな夢を見たのだろう。煙草を止めたのは1990年の4月だから、もうすでに22年にもなる。吸ってた記憶すら薄らいでしまうような年数だ。でも、止めた日の様子は昨日のことのように覚えているから不思議。12-1-16

 

こんなはずないと思うと辛いけど、こんなものだと思うと耐えられる。家から出るとき、外の様子を窺い「きっとこんなものだろう」との予測が甘かった場合は厳しく感じるけど正しかったときはすんなり受け入れられるもの。同じ状況でも覚悟の具合で随分違う印象になるからおもしろい。だから、外出するときはより厳しい方を想定しておいたほうがいい。それを超えてたら早く認めるのがコツ。12-1-15

 

今日の最低気温は−11,3℃で今冬一番だという。昼でもかなり寒くて−5℃以下だった気がする。寒さを超えて刺すような痛さも感じた。そうは言っても陸別 町では−30℃近いわけでその痛さは半端でないに違いない。テレビで町の人が「−20℃くらいならまだいいけどそれを超えると辛い」と話していたが−20℃でさえ想像を超えている。つくづく人間は環境に適応する動物なんだと思う。12-1-14

 

中味は変わるがこの話はもう少し続く。迷い。その人を再び目にしたのは階段を降りて地下通 路に繋がるガラスのドアを押しているときだった。ドアまでは10m位の所にいた。そこで、一瞬迷った。ここで待ってドアを開けてあげようか、いやそれは余計なお世話だろうかと。その人がここに着くまでには時間が掛かるから負担にさせてもいけないと思ってそこを離れたがどっちがよかったのだろう。12-1-13

 

その人はとても穏やかで優しい表情に満ちていた。誰のためというわけでもない感じで自然に身に付けたもののように映った。もちろん、その過程は知る由もないが。それに対して自分はどうなんだろう。その人と比較しては失礼なほど違ってるような気がした。歩いてるときは「そこのけ、そこのけ」と言わんばかりのわがままな怖い顔をしてるのではと不安になる。あの優しい表情を心に刻もう。12-1-12

 

「健康な人はときとして傲慢になる」という言葉がふと頭をよぎった。地下通 路を歩いているとき、杖を頼りに慎重に歩を進める中年らしき女性を追い越した。その先にある階段から地上に出て用事を済ませ、再びその通 路に戻って来たときにまたその女性に会ったのだ。その間5分位だろうか。その人はさっきの場所から50m程進んだ所にいた。そのことよりも心に残ったのは女性の表情。続く。12-1-11

 

今年最初の運試し。それは絵画教室に使用する会議室の予約順を決める抽選。抽選箱に手を入れ、昨年と同じように最初に指に触れた札を迷わず引き抜いた。それを運にしようと決めていた。それが何と68番中の58。思わずがっくり。昨年も58番だったから不思議な一致に驚く。ついてないと嘆きながらも60番台ましてや68番でなかっただけましと慰める。悪運を先に使ったと思えばいい。12-1-10

 

新しい年になってすでに9日になる。それなのに『ひとこと』の最後の日付けを何日も2011のままでいた。大晦日とお正月という大きな節目があったのに年が変わった実感は薄かったようだ。日々の移り変わりは太陽のおかげで新しい朝を迎えるからはっきりしてるけど、年の変わりは特になく意識しないと頭に焼き付かないもの。これで12年がインプットされてこれからは大丈夫と思うのだが。12-1-9

 

周りの人に「電車でなく列車」と訂正されても「電車」を連発するテレビ司会者。彼は新橋から横浜への日本最初の鉄道のときから電車が走っていたと思っているのだろうか。ちょっと考えればわかることなのに誤った認識がこびりついてるせいだと思う。以前にも触れているが、東京発の発想を全国に当てはめようとするからおかしなことになる。地方で、ディーゼルに乗っていても「電車」と言う。12-1-8

 

「そんなこと」。品性や誠意のかけらもなく情けない政治家はいやというほど見せつけられてきたが、今日も見てしまった。それはテレビの報道番組でのこと。カネミ油症事件の被害者が国会議員に救済法案の制定を陳情し数年前に同意を得たというのに「今はTPOなどがあってそんなことをやってるひまはない」と平然と言い放った。無責任にもほどがある。苦しむ被害者の口惜しさはいかばかりか。12-1-7

 

健康寿命=自立した生活ができる期間。今日の新聞に出ていた記事に目の覚める思いがした。普段、なにげなく平均寿命という言い方で生存年数の目安のように捉えてきたが、そこには回復みこみのない寝たきりの人も含まれているわけで平均すると最後の6〜7年は寝たきりの生活になるという。健康寿命で考えると男は72才で女性は78才になるらしい。こっちのほうが大事な目標になりそうだ。12-1-6

 

雪は降ったが大雪になることもなく比較的穏やかなお正月を過ごせてホッとしている。おかげで随分ゆっくりできて休養充分といった感じ。ここまでくると届く年賀状の数もめっきり減って、お正月気分も薄れてきた。そろそろ制作モードに入ろうと先送りになっていた『ハルカヤマ』のファイル作りに入る。今回は会期終了後の作品の姿も加わるところが 今までと違う。時と場の変化も大事な要素。12-1-5

 

2012年の一年カレンダーを壁に貼って、一番最初に目がいったのは10月末。そう、今年の旅のとき。すでにそれが心に強く刻まれている証し。今年の目指す地は北関東。行きたい美術館やその行程も調べていて地図を見るだけでもワクワクしてしまう。まだまだ先のことであっても楽しみが待っていると力も湧いてくる。昨年も一昨年も同じように書いてた気もするけど、とにかく待ち遠しい。12-1-4

 

続き。カンジキ効果は抜群で雪をしっかり受け留めてくれ沈み込む心配はない。最後の坂道を上り、1ヶ月振りの再会となる。赤い作品はまぶしく輝く白い雪のなかにしっかり立っていた。晴れているせいでこの前よりさらに華やかに見える。黒い玉 はすでに隠れているけれど思ってたより積雪は少なく30B位だろうか。この様子だと全部が隠れる心配はなさそうだ。今度は吹雪のときを見てみたい。12-1-3

 

2日前の大晦日にハルカヤマの作品に会ってきた。10時頃、窓からの晴天を見て急に思い立ち車で山へと向う。どれほどの積雪なのかわからないので手前のスーパーに車を置いてそこから歩く。その歩きも懐かしい。入口には車が1台駐車していて山道には足跡も。ときどきズボッと雪にはまるので持参したカンジキを履く。何だか楽しい。途中、二人連れの女性に挨拶をして新雪の中をさらに進む。12-1-2

 

郵便受けにパンパンに挟まってた新聞なのに普段とたいして変わりない時間に読み終わり、クロスワードを始めたころに待っていた年賀状が届く。それぞれの顔を思い浮かべながら一枚一枚をゆっくりめくる。毎年必ずある行き違いの年賀状を書いてさっそく近くの郵便局へ。少しでも早く届いてほしいのでポストでなくいつも郵便局に投函する。お昼にはお雑煮を食べお正月を味わう。また始まりだ。12-1-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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