ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

秋は日毎に深まるが大好きな柿が食べられるのは嬉しい。おいしい秋刀魚も食べなくては。この漢字は本当にイメージそのもの。秋刀魚といえば子供の頃の思い出がある。山育ちだけど港までも歩いて1時間くらいで行けた。船倉から網ですくわれた秋刀魚が岸壁の箱にどどーっと勢いよく落とされる。箱が山盛りになってあふれ落ちた分は取ってもしかられなかった。それほど大漁だった頃の話し。04-9-30

 

すっかり肌寒くなり半袖姿はちらほらで暑かった日々は遠い昔のことのよう。冷たい飲み物よりあったかいものが欲しくなる季節に入り始めた。スーパーのレジ横にはすでにホットレモンやホットかりん、生姜湯が並んでる。このコーナーは飴、ガム、雑誌などのほか、季節ものが置かれる場所。それを求める人が増えてきたわけだ。冬に飲んでたから懐かしい気分。でもまだ秋を満喫しなくては。04-9-29

 

夕方にゆっくり眺めた月を夜中にもう一度確かめるとその明るさを失うことなくちゃんと高い空で輝いていた。見事な真ん丸が誇らしげでイキイキして見える。雲ひとつない最高の舞台だ。久々の夜中の散歩を楽しむ。そこでもうひとつ確かに感じたのは肌寒さ。澄んだ空気は深くしみ込んできた。04-9-28

 

郊外に借りてるアトリエの屋根の修理を終わって車に乗り方向を変えると雲の合間に大きな丸い月を見つけた。急いで帰る必要もないから丸い月が雲から出るのを待つことにした。せっかくだから真ん丸を見てみたい。細い雲は速い流れで横切っていく。それはそれで美しい。それに見とれてると5分も待たずに丸い月が顔を出してくれた。なんだかほっとした気分にさせてくれる。明日は十五夜。04-9-27

 

昨日の続き。救いを見たのは日本の態度にではなく世界の眼にたいして。経済的に苦しい国も国土の小さな国も軍事的に弱い国も正直に反応してることに安心した。アメリカは独断専行で突っ走り日本は必死でついて行く、そんな構図が国連の場でもほっきり現れた。日本も国内では独断専行が日常化してしまい危ない道を突き進んでる。そんな中でプロ野球ストへのファンの反応には望みを感じた。04-9-26

 

国連での演説をテレビのニュースで見た。それぞれの国の立場がはっきりしておもしろかった。アメリカのブッシュのときは議場が水を打ったようになり、それに対してスペインのサパテロのときは拍手がわき起こり、日本の小泉には何の反応もなかった。状況が変わってるのに何の変化もなく相変わらずアメリカ追随の演説では反応のしようがないだろう。わずかばかりの救いを見た思いがする。04-9-25

 

 

屋外に作品を展示したが予期せぬことがいろいろあった。思ってたより地面 が平らでなく安定する場所を探して何度も移動。そして風で倒れないようテグスで支えることも考えねばならない。どこでもいいわけでないから時間をかける。その場でわかった新たな制約も出てきた。事前に描いてたイメージは変更して様々な条件をクリアした上でのよりよい居場所を探してさまよう。これもいい体験。04-9-24

 

今日は区切りのひとつとしてこだわってる秋分の日。四つの節目のなかでは一番嬉しくない日。これから日毎に夕方が短くなっていくわけだ。一日の長さは同じだけどやっぱり日長のほうがいい。秋の夜長を楽しむという手もあるけれどなぜか長くなった実感が湧かない。時間が削られていく感じ。04-9-23

 

スーパーの果物売り場でひと袋180円の山を見つけた。ちょっと青みが多くてところどころに傷はあるけど充分な大きさのりんごが5個入ってる。この前の台風のとき収穫目前で落ちてしまったもの。生産者の落胆は計り知れないがりんごも無念だったにちがいない。同情する気も少しあってその袋を手に取った。さっそく食べてみると多少未熟とはいえおいしい。しばらくりんごが続きそう。04-9-22

 

夕刊小説がいよいよ深みにはまってきた。話の進め方というか転回もかわってる。主要な登場人物は娘、母、祖母の3人でそのひとりひとりの近辺を順に追ってきた。娘から始まり祖母、母へと進み次にすでに亡くなった祖父、父へと移った。父がこの小説の大きな鍵を握ってるのはまちがいないと思う。だから本筋に入った予感がする。今まで気にしてなかったタイトルを再確認した。『水霊』か。04-9-21

 

今日は『敬老の日』だったけどすぐに何の日か忘れてしまう祝日のひとつ。新しいせいもありどうもぴんとこない。そんなことを言ってられるのも今の内かも。これからどんどん年寄りの人口が増え子供よりずっと多くなってしまう。『子供の日』より『敬老の日』のほうが盛大になってしまうのは悲しいものがある。その比率をこれからどんどん高めていくのは他人事でなく自分がいる団塊の世代。04-9-20

 

陽が沈みかけた夕方。スーパーから出てきた親子の会話が耳に入った。『お父さん、夜になったらあれがだんだん丸くなるんだよね』と空を指差しながら父親を見上げてる。行き違えたのではっきり聞こえたのはそこまで。ふと振り向くと空には白い大きな三日月が出ている。何だか嬉しい気分になる。骨がなく無責任で頼りにならない今どきの年寄りに落胆したが子供の素直な感性に心が洗われた。04-9-19

 

プロ野球が続く。ほとんど何の役目も果たさずにきた肩書きだけのコミッショナーが辞めるらしい。それも土壇場になって初めて出した自分の提案が受け入れられないことを理由にしてる。立場上この混乱を招いた張本人である自覚がまるでない。「理屈が通 らない」と言ってたが彼こそ理屈はどこにもなく感情丸出し。どうしてこうまでも情けない年寄りばかりの日本になってしまったのだろう。04-9-18

 

プロ野球が初めてのストライキをすることになった。観戦を楽しみにしてた人はがっかりしてるだろうけど経営者側が自分達の責任を自覚しない限りやむを得ない。選手会はファンに対して申し訳ないとコメントしたが経営者側はストをする選手が悪いと言うばかりで何故そうなったかの原因をまったく理解してない。責任放棄もいいとこ。長い目でみればプロ野球ファンのためにも当然やるべき。04-9-17

 

ちょっとしつこく3回目。昔、といっても子供の頃『嘘つきは泥棒の始まり』というのをよく聞いた気がする。それがまさか警察に当てはまる言葉とは知らなかったし思いもしなかった。でも今はちゃんと認識を改めたから大丈夫。『不知(しら)を切る』これも立派に体得してるようだから加えたほうがいいようだ。楽にしてあげるためにももっと早くにカツ丼を食べさせてあげればよかったのに。04-9-16

 

どうしてそんなに嘘をつける人がたくさんいるのだろう。不思議でならない。ここまでくると個人的資質というより組織的犯罪そのもの。まったく同情の余地はない。犯罪を取り締まる権力を与えられてる人間がそれを犯すならより重い責任を問われるのは当然。それなのにまるでどこ吹く風。04-9-15

 

何だか馬鹿馬鹿しくて新聞を真剣に読んでないが道警の幹部が組織的な裏金作りをようやく認めた。またも往生際が悪く認めたのはその一部に過ぎない。まともに使ったと主張する公金の領収証はないという。相変わらずめちゃくちゃだ。それにしても道警は退職者も含めて嘘つきだらけということになる。金を返せば罪にならないのなら万引きも泥棒もばれてから返せばいい。それを認めるわけだ。04-9-14

 

国鉄モサンケイモヤクルト、大洋モ横浜、西鉄モ大平洋モクラウンライターモ西武、南海モダイエー、東映モ日拓モ日ハム、毎日モ東京モロッテ、阪急モオリックス。今まで何回もの譲渡を繰り返してきたプロ野球の球団なのに今回はなぜ許されないのだろうか。そのあたりがどうも理解できない。受け入れの立候補がいるというのにそれを拒絶してる。複数の企業で球団を支える方法だってある。04-9-13

 

昨日は搬入そして今日は搬出。3週間の会期だった個展が終わった。というより終わってしまったという気持ちが強い。あっという間だった。いくら会期が長くても終わるときには同じ気分になるもの。逆に長ければ長いほどそこにあって当たり前になるからそれも増すことになる。脚光を浴びるとまでいかずとも主役を演じてたひのき舞台を去る寂しさ。残像は焼き付いてるが山は目の前にある。04-9-12

 

今日、講師をしている教室の作品展の飾り付けをした。いつものことながら大忙しの作業になり額装された作品をゆっくり眺めてる暇はなかった。それだけに初日に落ち着いた気分で観賞するのが待ち遠しい。教室で何度も観ている作品でも額装するとまた違ったいい顔を発見できるから楽しみ。04-9-11

 

子供のときの記憶でより遠いもののひとつが洞爺丸転覆。ちょうど50年前だからその当時5才だったことになる。近所の人がそれで亡くなり異様な雰囲気が漂ってたのを覚えてる。多分、新聞で生々しい写 真も目にしたことだろう。それらをひっくるめてすごく大変なことだと記憶したに違いない。今回のはそれ以来の強大な風台風だという。風速50mというのは想像するのもむずかしい速さ。04-9-10

 

いつの間にか9月の中旬に入ろうとしている。もちろん眠ってたわけでないが個展の経過と季節の変化とカレンダーの進み方に微妙なずれを感じてしまう。何だか別 々に進んでる感じと言えばいいだろうか。とにかく微妙だから説明も難しい。今日、初めて僕の作品を観た旧友がどう反応していいのか戸惑っていたから、制作するときの気持ちを詳しく話すと少しわかってくれた。こっちは嬉しい。04-9-9

 

台風がすごい被害を残して過ぎ去った。自宅でも強い風が吹いてたことはわかってたが中心街では信じがたい光景がひろがっていた。大通 り公園では何本もの大木がなぎ倒されて折り重なり、街路樹も至る所で道をふさいでる。歩道に倒れた自動販売機や壁がはがれた建物もある。瞬間最大風速は50mにも達したらしい。その風の威力の現場をまざまざと見せつけられた。農業被害も深刻だろう。04-9-8

 

責任転嫁。プロ野球球団経営者の態度はまさにそれ。『ストをすればファンが減るだけだから選手はファンのことを考えるべき』と語るオーナーの頭から発端が何であるかがすっかり抜けている。これならまるで最初にストありきだ。そんな馬鹿なことを平気で言えるオーナー達は『たかが選手』の考えが浸透してる証拠。『たかが選手』は『たかがファン』と言ってると同じ。とにかく情けない人達。04-9-7

 

久し振りにパステルを使って絵を描いてる。香月泰男展やピカソ展を観てその欲求がかなり刺激されていた。ふと浮かんだイメージや想いをより直接的に素早く表現できる楽しさがある。立体はイメージを具体化するまでの過程の時間をかなり必要とするが、絵画の場合たとえそれがあるにしても立体に比べると無いに等しい。これはもちろん僕の場合の話し。それに色が加わるからさらにおもしろい。04-9-6

 

個展が始まって2週間が過ぎ、残りはあと1週間になってしまった。普段の個展なら1週間単位 が多いからこれから始まるようなものだけどすでに3分の2が終わったと思うと寂しい気持ちになる。いつものことながら搬出の日が近づくと湧いてくる感情。作品がしっかりその場に溶け込んでいるのにそれを撤去せねばならないからだろう。せっかくの晴れ姿を少しでも長く見てもらいたいのと同じ。04-9-5

 

アメリカだけでなくロシアも暴力の泥沼にはまり込んでる。強硬策一辺倒ではますます深みにはまるに違いない。明らかにというより圧倒的に武力の強い側が攻撃されるときはそれの数倍いや数十倍の攻撃がそれまでにされてたと考えるべき。奇襲は確かに恐怖だ。しかし、それと同じかそれ以上のことが毎日、毎時間日常的に行われてるとしたら恐怖から絶望に変わるだろう。チェチェンが見えない。04-9-4

 

借りてるアトリエの屋根が突風に揺れていたとの報告を受け、トタンを固定するため屋根に昇った。ペンキ塗りのときに書いたように滑り具合がわからない最初の一歩が一番怖い。一旦、一番高い所に昇ってしまうと足の踏ん張り程度と保つべき緊張の度合いが飲み込めるから恐怖心はかなり薄らぐ。命綱を体に巻き付けて釘を打つ。陽は夏の名残りでも屋根から見渡す回りは黄金色に包まれていた。04-9-3

 

バースデー早割というのを利用して2ヶ月後の航空券を購入。ちょっと心配してたが岡山への往復をあっさり手に入れた。往復の航空券を確保したので次に宿の手配をする。インターネットで探してこれも希望した所にすんなり予約。これで念願だった瀬戸内海にある直島に行ける。ほっと一安心。04-9-2

 

定時制高校ができると治安が悪化するとの理由で札幌のその地域住民が開校に反対してるという耳を疑う話しがテレビで流された。とにかく定時制高校に対する認識とイメージの違いに驚く。どうしてそんな考えが浮かんでくるのかまったく理解できない。僕は逆に一生懸命頑張ってる人達といういいイメージを持っている。まるで組事務所のような目で見てる心の狭い反対住民の方にこそ問題あり。04-9-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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