ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

苦労したしお金(電話代)も掛かったHPのサーバの完全移行まで残すところあと一日となった。明日からは新しいサーバのみになる。ちょっと残念なのは訪問数のカウンターもなくなってしまいそうなこと。年数を考えれば=39792=はそんなに大きい数ではないが、それだけに1からこつこつ積み重ねてきた愛着のようなものがある。そこには訪問してくれた人達への感謝の気持も入っている。15-2-28

 

まだ2月だというのに部屋のストーブの点火と消火に忙しい。温度設定は最低にしてあっても暑くなってしばしば止めている。晴れた日中などは着けている時間の方が少ないくらいだ。灯油代の節約にもなって有り難いがあまりにも極端だと不安にもなる。明日もう1日あるとはいえ2月の積雪と気温は記録的だったのでないだろうか。こんなに雪が降らず暖かい日ばかりの札幌の2月は記憶にない。15-2-27

 

毎年恒例の確定申告書の作成に入る。これについて触れるのも恒例になっているような気もするが、それだけ大きな行事になっているからだろう。慣れない大変な作業ではあるけれど昨年を振返るいい機会にもなる。いろいろな項目にそれぞれの金額を記入していくとどんな生き方をしていたのかさえ見えてくる。それによって満足不満足の度合いも違う。何にどうどのくらい使うかが難しくも大事。15-2-26

 

どんどん戦争のできる国に向っている。それをわかっていながら多くの人達がその道を選んだのだからしかたがないとも言えるが、知らされずにわからずにする選択と知っていてわかっていてする選択では意味と重みが違う。後者の場合は相応の責任と覚悟が求められる。軍事費は桁はずれで次第に膨らんでいく宿命を抱えているから当然ながら生活の様々な部分でその分削られるのは避けられない。15-2-25

 

スーパーのレジの手前にも棚があって生活用品や食品などが置いてある。レジの順番待ちをしてるときにたまたま目にして買物カゴに足したりするときがある。最近これが続いた。『あっ、そういえば』と残り少なくなっているのを思い出してゴミ袋、『あったまりそ〜』と思わず手にしたのがしょうが湯のパック、そして『スッキリ』を求めてキシリトールガム。最後の棚はプチ衝動買いコーナー。15-2-24

 

続き。最近これが多くなったのは短くまとめるのが下手になったのかな。何か新しいことを始めようとしたら最初はうまくできないのは当り前で、そこで止めてしまえば開拓も挑戦もできない。たとえ悪気がなかったにしても出鼻を挫く恐れもある。しかし、受け止め方も人それぞれで僕の場合は俄然やる気に火が着いた。そこまで言うなら『打ち返せないサーブ』まで到達してやろうじゃないかと。15-2-23

 

昨日の夜はいつもの小学校での卓球。この前の大会ではまだまだ試合慣れしてないことを実感した。とくにサーブとレシーブが課題だ。そこで、まずはサーブの種類を増やし技を磨こうと決意して、試合形式のダブルスをしているときに練習してみた。すると、それなら打ち返されるから止めたほうがいいみたいに言う人がいたので「だから練習したいと思っているんですよ」と言い返してしまった。15-2-22

 

HPのサーバー移行はようやくほぼ完了。若干問題を残しているのでほぼということころだが、両方共ウェブサイトで開けたのと新たな書き込みも確認できて一段落した。一時は泥沼に入ってかなり落ち込んでいたが何とか這い上がれてホッとしている。残された問題とは新しいHPアドレスを検索に掛けても一発で出てこないこと。何故かちょっと回り道すると出てくる。これはのんびり解決させたい。15-2-21

 

家の屋根の雪がまったくない状態が2月に入ってからずっと続いている。たとえ雪が降ってもわずかで昼の暖かさですぐに消える。屋根からの落雪で窓ガラスが割れたら大変なのでその軒下を除雪したのが1月31日のこと。それから20日も積もってないとは嬉しいけれど異常だ。最近の陽気は明らかに3月のもので1ヶ月先にいるような錯覚に陥る。雪割りに精を出す人も見かけるほどの暖かさ。15-2-20

 

いわゆる健常者がスーパーなどにある障害者専用の駐車スペースに車を停める行為をしばしば見かける。満車でないにも関わらずである。多分、使ってないんだからいいだろうとか少しでも歩く距離を少なくしたいからなんだろう。誰のために何のために設置しているかわかっていてもその人達を思いやる気持が乏しいようだ。そう考えると、心身ともに健常者ではなさそうだからしかたないのかな。15-2-19

 

2月はやっぱり足早に過ぎてしまう。今日はすでに18日になっているから今月も残すところあと10日しかないわけだ。1月のお正月のような大きな節目がないおかげで知らず知らずに日々が重なっていく。雪の季節から開放されるのは嬉しいが、あまりにも早く時が経ってしまうと何かが抜け落ちているようで複雑な心境になる。そうは言っても安心して上を向いて歩ける春の歩道が待ち遠しい。15-2-18

 

HPのサーバー変更はまだ終了していない。そこでネックになっているのが、電話サポート。電話をする度に「ただいま大変混合っております。そのままお待ちになるかしばらくしてからお掛けください」になるのだ。無料のフリーダイヤルでないので待つだけでもお金が掛かってしまう。1分ほど待っても繋がらないので切り、数分後に掛けるが同じことの繰り返し。まったくサポートになってない。15-2-17

 

続き。実はこの中央体育館は48年振りの再訪になる。大学1年の卓球部在籍時に卓球大会で来ているのだ。負けた記憶しかないのは残念だが・・。意外だったのは体育館の狭さ。もっと広いと思っていたのにイメージしていた半分以下だった。そして、よくぞ残っていたと感心するほど年季の入った建物になっていた。案の定、現在建築中だという。ここでも青春時代の思い出の場所は消えていく。15-2-16

 

卓球大会デビュー。正式には卓球交流大会で学校開放を利用している札幌市内全域のサークルが参加。チームとして女子、男子、混成のダブルスでの闘い。この編成で3チームと闘い1勝2敗だったが、その戦績が3連敗の3連勝の3連敗とはっきりしていてすごかった。つまり、個人としても全員が1勝2敗だったというわけ。全勝に越したことはないがチームとしては最高の形で終れた気もする。15-2-15

 

午後2時過ぎからはHPのサーバー変更作業。今までのところが2月で終了するためやむを得ずの変更。『無料の電話サポート』があると思って選んだはずなのに電話は有料でサポートが無料だという。「?」。詐欺まがいの紛らわしい表示に苦情を伝えたがどうしようもない。複雑で厄介な作業は電話に頼るしかない。1時間近い東京との電話の来月の請求者が怖い。それなのにまだ未完了とは・・。15-2-14

 

「何だかな〜」といった感じの長い一日。実りがあったようななかったような複雑な心境。たくさんの時間とお金を使ったわりには収穫が少なくてがっかり。まず、午前中に耳鼻咽喉科へ行く。ここは何度もお世話になっている病院。痰が出て喉の具合が悪いので診察してもらったのに「鼻と喉には異常なし」。2時間近く待たさせてのこの診断に嬉しさよりも「?」が大。午後にも「?」が。続く。15-2-13

 

今度の日曜日に札幌中央体育館で開催される市民卓球大会に参加する。今までの近くの小学校での大会と違って少し本格的な感じなのでワクワクしている。当日は新光小チームとしてダブルス戦を闘う。上手い順にABCにクラス分けされていて、僕はCなのでそれなりの力を発揮できればいいと気楽に構えていられるのがいい。とは言っても出るからには勝ちたいので家でもサーブ練習に励んでいる。15-2-12

 

続き。地下歩行空間から避難させられた人達は迷惑だったろうが、大規模な防災訓練ができたと考えるとそれなりの意味もあった気がする。あくまでも人的被害が最小限だったから言えることだが。ときどきニュースなどで見る様々な防災訓練はセットされた現場でシナリオに従ってやっているもので参加人員も極端に少なかったりして臨場感に乏しい場合が多い。しかし、今回はまさに本番だった。15-2-11

 

いつも歩いている地下歩行空間に向おうとしたら火災が発生したため閉鎖されているとのアナウンスが聞こえてきた。急ぎの用はないのでカフェで寛いで待つ。1時間後には開放されたので歩くと微かに煙の臭いがした。近隣のビル地下の飲食店の火事の煙が歩行空間に流れ込んだという。幸い大事に至らなかったからよかったが、あの人込みの全員を迅速に地上に避難させるのは大変だったと思う。15-2-10

 

もし頭を垂れることが肩凝りの原因だとしたら、これからその割合がさらに膨らむのはまちがいない。そう確信するのは、若者達の携帯やスマホを見る時間の多さから。地下鉄などでは見てない人を探すのが大変なくらいの状態だ。地下鉄ならまだしも歩いているときでさえうつむいているのだから負担が掛からないはずはない。これが何世代か続いたら上を見られない動物になるのではと心配になる。15-2-9

 

多くの日本人が苦しむ肩凝りは外国人(特に西洋人)には少ないという。それには頷きの影響が大きいとの説がある。そうすることで首と肩に負担をかけてしまうらしい。半信半疑だが半分は頷ける。会話している人達をちょっと観察してみると確かに頷きあう回数は随分多い。それならば、挨拶のときのおじぎにも原因があるような気がしてきた。どちらも日本の文化だから肩凝りは減らないだろう。15-2-8

 

不安はあるけど不満はない。当り前に体や将来に対する不安は多少あるけれど、現状や生き方に対する不満はまったくない。つい最近「何だか愚痴っぽくなってるんじゃない」と言われて、応えたのがこれ。ストレスを抱えていれば愚痴も出るだろうし不満もたまるだろうが、幸い心配事や気になることがあったとしてもストレスはない。外での仕事も今までの自分を生かせる喜びのほうが勝っている。15-2-7

 

雪まつりの会場になっている大通り公園の地下を歩いているとき、久し振りに雪像を見てみようと思い立ち地上に出てみた。しかし、上ってきた階段をそのまま下りようかと思うほどの人込みに圧倒される。そこで怯んではいけないと大行列に加わり流れに身を任せた。食べ物コーナーを過ぎ大雪像に到着する頃にはたった100mほどなのに疲れを感じたので鑑賞終了。この人込みも雪まつりのうち。15-2-6

 

夜中に寒くて目を覚ます。前日はまったく問題なく朝まで熟睡できたのに、腰と足の辺りが冷えて目を覚ましてしまった。寝たまま毛布を掛け直すがスーっと忍び込む冷気が止まらない。我慢できずに起きて毛布を一枚足し靴下をはいて布団に入り直す。これでようやく朝まで大丈夫だった。本格的な真冬の寒さがやってきたようだ。真夜中に起こされるのは辛いので今晩は厚手の毛布に替えて寝よう。15-2-5

 

価値観が違えば同じ出来事に対してもその捉え方は当然違う。ある政党の副総裁は「国の警告を無視した後藤さんの行動は真の勇気でなく蛮行と言わざるをえない」と発言した。ここには国と個人の関係をどう捉えるかの違いが明確に表れている。ならば、真に勇気のある人とは個人の意思で行動する人ではなく国の意に沿って行動する人を指すということなのか。どんな人がそれに当るのか知りたい。15-2-4

 

人の命の尊さは男女、年齢、国籍を問わず等しいが社会に与える影響力は人によって異なる。それは生きているときのみならず、死んでからその大きさを知る場合もある。実は、今回の惨事があるまで後藤健二さんを知らないでいた。できるなら活動中に知りたかったし、これからも希望を抱かせてくれる存在としていてほしかった。後藤健二さんの生きざまは世界の人々にも大きな共感を呼んでいる。15-2-3

 

とても悲しくて残念で口惜しい惨事。過酷な環境のなかで生きている子供達に寄り添いその状況を映像や文章や講演で多くの人々に伝え続けていたフリージャーナリストの後藤健二さんが自らを『イスラム国』と名乗る無法集団によって殺害されてしまった。信念と勇気と愛とも呼べる優しさを兼ね備えた貴重な人だったと思う。その後藤さんを安全な外野から責めた人が情けない。暴力の連鎖を憂う。15-2-2

 

新しい月になり月毎のカレンダーをめくると真新しい一ヶ月が現れる。このときは新鮮な気持になる。すでに書き込まれている予定は3つあるがさらにいくつか書き加えた。カレンダーは予定表になっていて日付けの枠は次第に埋められていく。街中で友人などに突然予定を聞かれても「カレンダーを見ないと何とも言えない」と応えてしまうときがある。携帯に入れればいいのだがつい忘れてしまう。15-2-1

 

 

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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