ある日のひとこと

 

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

昨日は札幌市内を北から南へと車を走らせた。今日は実家まで250Hくらい走る予定。今どきクーラーが付いてないなんて、とか、ハンドルが重くて大変でしょなどと言われながらもとにかく頑張ってくれてる。もちろんマニアル車。僕に不満はない。先日、11年前にこの車を譲ってくれた妹に会ったら、まだ乗ってることに感激してくれた。購入は昭和でまちがいなく15年は経ってるらしい。 02-8-31

 

世の中に自分に似てる人が何人かいるというけど、そのうちの一人を教えてもらった。新聞記事の写 真に僕が写ってると、わざわざ切り抜いて見せてくれた人がいる。そこには、頭から膝までの横向きの僕が確かに写 っている。とにかく、びっくりした。髪型、横顔、体のつくり、立ち方が似てるだけでなく服装も普段のものに近い。その場所は行きたいと思ってたのに行けなかった写 真展。 02-8-30

 

先日の辺見庸の文章に中にポーランドの詩人の言葉が引用されていた。『どの世代にも二種類の人々がいる。個人としての魂を持つ人と、集団的な魂を持って生まれてくる人がいる』。すごく説得力のある言葉で、その通 りだと思う。その視点からだけでもいろんなことを説明できそうだ。 02-8-29

 

「あれ、3だったかな、4だったかな」、ひとつ違いだけど、ふと、自分の年がわからなくなるときがある。そんなときは、1948に足し算をして2002にする。引き算はわかりづらいし、戻るかんじで嫌だ。ここまで来たんだという意味でも足し算がいい。これからも足し算でいかなくては。02-8-28

 

NHKアナウンサーのおかしな質問。真剣に包丁を研いでる職人に向けて「研いでいるときはどんなことを考えてるんですか」と真顔で聞いた。それに対して返ってきた言葉は「包丁が切れるようになればいいと考えてます」。一瞬の沈黙。いったい、どんな返事を期待して質問したのだろうか。 02-8-27

 

物事、出来事に対して同じように感じて、受け止める人がいるのを知るのは嬉しい。それが影響力の強い人ならなおさらだ。感じ方、受け止め方だけでなく思考回路そしてどうすべきかの提言も、あまりにも似ている。ときどき、新聞紙上に現れるその人の主張を読むと励まされてる気分になる。そして、あらためて自分のスタンスと求めてるものを認識することになる。その人とは辺見庸。 02-8-26

 

春には、もしかしたら今年はやってくれるかもしれないと、大きな期待を抱かせてくれたのに、残念というかやっぱりというか、とうとう、まったく希望のない借金生活に入ってしまってる。それでも、最初に楽しませてくれた分だけでも良しとするか。まだ4分の1も残っているのに、もう、来年の話しに移ってるところが寂しい。何のことかわからない人にとってはどうでもいいトラのこと。 02-8-25 

 

思わぬところでお礼を言われてびっくりした。夢のなかでお化けに襲われ怖いめにあってたとき、僕がそのお化けを撃退したらしい。夢のことで感謝されたのは初めて。何とも応えようがないけど、夢のなかの僕がいいことをしてくれて良かったというかほっとした。それにしても不思議な感じ。02-8-24

 

長所と短所。誰でも両方持ってるけど、どちらを重く考えるかでその人のそのときの生き方が違ってくる気がする。他人に対しても同じ。悪いところを指摘して直させようとする人、いいところをほめてさらに伸ばそうとする人。同じエネルギーを使うならいいところを伸ばすためにより多く使ったほうがいいと思う。そのほうが楽しいし、まずい部分が知らず知らず直ってるときもある。 02-8-23

 

秋を感じさせるものはいろいろあるけれど、スーパーでそのうちのひとつを見つけてしまった。それは柿。僕の大好物だけど、まだ買う気にはならない。値段が高いせいもあるけど、もっと、旬になってから食べたい。それを食べて秋を満喫するわけだから、それまで楽しみをとっておかなくては。02-8-22

 

突然、雨が降り始めた。予告があってから降るわけでないから、いつも突然かもしれないが、とにかくポツリポツリから激しい雨に変わるまでの時間が短い。傘がないからビルの軒下で雨が通 り過ぎるのを待つことにした。だいたい、こんな雨は通り雨だから無理しないほうがいい。久し振りに街中で雨宿りをした。せいぜい5分くらいだろうけど、僕のなかではもっと長い時間が流れていた。 02-8-21

 

子供を病院に置いたまま姿を隠した事件の報道で、母親20〜40才、父親35〜40才となっていた。母親はずいぶん幅広いのに、父親はかなり限定されてるのがおもしろいと思った。何人かの目撃情報から割り出した年令だろうが、受け止める側にもいろいろな受け止め方があるし、年令のわかりづらい人っているもんだ。人の年令を瞬間で判断するのはむずかしいけど、母親の倍はすごい。02-8-20

 

「男らしい男に会ったことがない」。こんなことを口にした女の人がいたという。その人は男を代表する理想の男がどこかにいると考えているんだろう。そこらにいるすべての男が、良くも悪くも男らしい男そのものなのに。「男らしくない男」も男のうち。いろんな男がいて、いろんな女がいる。02-8-19

 

7月24日から始まった作品展示も今日で前半が終わった。本格的な夏らしい暑さがこないうちに道路沿いのななかまどはもうたくさんの赤い実をつけていた。すでに秋の準備は始まっている。後半が終わる9月16日頃にはすっかり秋に入ってるだろう。そして、本当に忙しい秋を迎える。 02-8-18

 

この時期だけでもないが夏になるとよく出てくるのが怪談と霊の話し。お化けや霊を怖いと思ったことは一度もない。会ったことがないからその怖さが実感できない。信じない人のところや昼は出てこないというのも不思議。よほど怖がりなのかも。もし、出会ったら何だろうと思ってしつこく追いかけそうだから、避けてるのかな。そのかわり、生きてる人間を怖いと思ったことは何度もある。 02-8-17

 

お盆といえばあのかわいい子供盆踊りの歌が懐かしい。小学校の校庭にやぐらを組んでその上で叩く太鼓の音も気分を盛り上げた。踊るのは照れくさくて嫌だったけど、その後にもらえる飴とお菓子のためにじっと我慢して輪のなかに加わった。普段あまり体験できない暗闇に興奮したものだ。02-8-16

 

作品のアイデアがあって材料を買いに行く場合と、素材を見ているうちに作品のアイデアが湧いてくる場合がある。だから、決まった材料を買いに行っても宝の山に入った気分ですぐには帰って来れない。ただ眺めてるだけでも楽しい。その点、料理に似てるかもしれない。献立が決まってて材料を仕入れるときと、材料を見てるうちに献立が決まるときもあるから。あるものをどう生かすかも一緒。02-8-15

 

触って確かめる。赤ちゃんからスーパーでのおばさんまで、おじさんも違うところで触りたがるな。視覚以上に触覚が微妙な違いを認識できることを知ったのは、大学1年の模刻(石膏の顔を同じに作る)の授業だった。見てもわからない凹凸 やカーブも触ると感じる。それも、目をつぶったほうがもっとよくわかった。それがおもしろかった。生まれてから死ぬ まで一番確かな感覚かもしれない。02-8-14

 

東アジアで携帯電話を使ったインターネットが急速に普及した理由は欧米はキーボード文化なのに対して日本、韓国、中国は親指文化のためだという。キーボードはわかるが親指文化がいまひとつピンとこない。もっと詳しく親指文化の内容を知りたい。親指をあんなに器用に使うことが日本人の過去の生活であっただろうか。なかなか思い浮かばない。せいぜい指相撲のときくらいじゃないかな。02-8-13

 

新聞で「わたしの八月」という特集が続いてる。「ぼくの八月」で最初に浮かんだのが小学時代の川遊び。家のすぐ裏が川だったからいろんな遊びをした。泳ぎを覚えたのもこの川。真夏でも、泳ぎとたき火は完全にセットだった。水の中のほうがあったかいくらいの気温で、鳥肌になり、唇が紫色になるときはたき火で両面 を温めてまた川に飛び込んだ。きっと、ちゃんと夏をしたかったんだろう。02-8-12

 

おとといのゴッホの続きをもう少し。僕があの美術館で体験した混み具合の最高ランクに入るのはまちがいない。ゴッホに興味と関心を持っている人がたくさんいることにびっくりしたし、あらためて人気の高さに驚かされた。これなら、ゴッホの本がいろいろ出版されるのもうなずける。 02-8-11

 

世界の警察が世界の軍隊に変貌。言いたい放題、やりたい放題もエスカレートするばかり。自分が気に入らなければ、その国を自由に攻撃できるし軍隊も送り込めるようだ。追いかけるようにただついて行くだけの国も情けないと思っていたら、長崎からのまともな発言は大きな救いになった。02-8-10

 

「もう見に行った?」。これが、美術フアンの間ではひとつの合い言葉のようになってる。もうひとつの決まり文句は「混んでた?」。夕方なら空いてるのでないかという不確実な予測と淡い期待のもとに見に行ったら、見事にはずれた。やっぱり、あふれんばかりの人、人、人。入場制限まではしてなかったから最悪ではなさそうだ。行列には加わらず順不同で懐かしい「ゴッホ」を堪能した。 02-8-9

 

書こうとしてたネタが間違いなくあったのに、それを思い出せなくてくやしい思いをしてる。何かとっかかりになるものがあればまだいいが、まったく真っ白けだ。いわゆるど忘れとは違う。糸口が無い分さらにやっかいだ。頭をめぐらそうにもシナープスがつながってくれない。脳みそが空洞になった感じがする。ちょっと怖い。ふと思い付いたことは、ふと忘れるからメモしておかねば。 02-8-8

 

最近、ようやく新聞で中国や韓国、朝鮮人の名前の正しい読み方のフリガナを書くようになってきた。いつからなのか詳しいことはわからないけど、本当はもっともっと前からするべきだったと思う。キムデジュンあたりからだろうか。すでに歴史の人物になった毛沢東はどう読めばいいのだろう。02-8-7

 

去年の今頃、隣町で個展をしていた。会場となった別荘のような建物の横にはきれいなクローバがびっしりはえてる庭があった。行ったことのない避暑地の感じがした。何と、その庭が柵で囲われ、山羊を飼い始めたという。さっそく行ってみた。住み着いて2日目だというのに、すでに半分以上のクローバが食われている。きれいなクローバもあと1日で全部が山羊の胃袋に収まりそうだ。 02-8-6

 

青い空にまぶしく力強い入道雲、むせ返る緑の森から聞こえるセミの声、吹き出る汗。昨日の昼、そのみっつをしっかり味わった。まさに、夏そのもの。帰りにもうひとつの夏、スイカを買った。浴衣と花火はないけれど、夏には欠かせぬ 風物だった蚊取り線香がいらないのはうれしいこと。 02-8-5

 

秋のコラボレーションの照明の参考になればという思いで「ジャズダンス・ナウ」を5階の最後列から見た。かなり高い位 置だから、全体が楽に眺められる。 広い舞台を飛び回り、走り回るエネルギッシュなダンサーたち。照明がその世界の雰囲気をさらに盛り上げる。使い方しだいでプラスにもマイナスになることもよくわかって見たかいがあった。それを別 にしても充分楽しかった。 02-8-4

 

いくつかあるこだわりのうちのひとつ。本当は当たり前なんだけど、車を運転するときセンターラインを踏まないようにすること。カーブでも極力ラインとラインの真ん中を走るようにする。緊張を持続させ、集中力を保ち、状況の変化に機敏に対応しなければならない点で運転はスポーツの感覚に近いと思う。スポーツが大好きだったから、そんな気持ちで運転すると楽しくて疲れも少なくて済む。02-8-3

 

ベンチャーズ来日40周年記念公演。それを新聞に見つけて最初に思ったのは「彼等はいったいいくつなんだ」ということ。40年前といえば僕は13才の中学生。そのときベンチャーズが20から25才とすれば今は60から65か。もしかしたら50周年もあるかもしれない。 02-8-2

 

食堂を出ると狭い階段の上り下りが続く。人とぶつかり、こぜりあいになった。やっと外に出るといきなり大きな鉄板が足下に飛んできた。思いっきりジャンプしてそれをかわしたのに鉄板に怒鳴られた。いつのまにかスキーをはいてる。壁にぶつかりUターンすると今度は川だ。人が透明のシューターで渡ってる。そんなとき電話のベルがシュールな夢から解放してくれた。なんなんだこれは。02-8-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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