ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

ビートルズから個展その他のビデオをDVDにダビングしているうちに大晦日の1日は過ぎていった。考えていたより時間がかかり今年中に何とか整理を終らせたかったのに無理な状況になった。これで残りの分はまたしばらく先になってしまいそうだ。それでも、17本のテープの処分ができ、半分近くになってすっきりした気分に。ほんのわずかでも身軽になって新年を迎えられるのは嬉しいこと。10-12-31

 

いつかはやろうとしていて長年できなかったビデオの編集にようやく辿り着いた。そのテープをもらったのはもう20年近く前になる。『ビートルズ スペシャル』というものでテープは5巻で時間にすると20時間近くある。とてもじゃないが気楽に見られる長さじゃないので特に興味のあるところだけにまとめたいと思っていた。VHSをDVDにダビングするのは1倍速なので根気のいる作業だ。10-12-30

 

ときどき、自分を同じ歳のときの父に置き換えて昔の自分を見つめたりする。つまり、今の自分を62才のときの父だと仮定すると将来が心配な夢を追う32才の息子がいるわけだ。『本人はやり抜く自信はあるというが生活のほうは本当に大丈夫なんだろうか』と考えていただろうことは容易に想像できる。『もっと売れるような絵を描けばいいのに』との言葉も親心からきているのがよくわかる。10-12-29

 

両親の写真の整理に手をつける。最初は自分の作品の写真の方を考えていたが、ふと思い立ちそっちをやり始めた。母が亡くなって来年で8年目に、父はその6年前だから14年にもなる。もうそんなに経ったのかというのが正直な気持。久し振りにアルバムを開くと両親の一生がしっかり詰まっていた。そこには5人の子供達も。アルバムから一枚一枚を剥がし、迷いながら残すものを分けていく。10-12-28

 

=はざい=が出てないし、出てもこない。漢字の再確認をしようと辞典を開いてみたが=はざい=が見つからない。それなりの辞典なのに載っていないのが納得できなかった。しかし、掲載されている言葉が少ないからなのかと思いネットで調べてみてもやっぱり出てこない。どうして?。随分昔から当たり前のように使ってきた端材という言葉は日本語として認められていないのだろうか。???。10-12-27

 

追われることのない自由な時間ができたので片付けと整理をやり始めた。いつかやろうと考えながら先延ばしになっている作業がいくつかあって、写 真やビデオテープの整理もあるが、とりあえず仕事部屋の片付けから入った。次の制作にスムーズに入るためにもすっきりさせておく必要がある。そのうち中々捨てられない端材の整理に入る。小さな端材にも執着心が強くて自分でもあきれてしまう。10-12-26

 

バレエ繋がりで『ダンス パリオペラ座』をレンタルDVDで観る。バレエやダンスに触れたのは極々わずかではあるけれど、こうして続けて観ると振付家の違いも何となくわかってくるものだ。それぞれ独自の特徴的な動きや間合いがあり、少しだけど自分の好みも見えてきた。名前はわからないが『オペラ座』の中に惹かれるダンスがひとつあった。たとえわずかでも違いを感じ取れたのが嬉しい。10-12-25

 

親不知の手術をしてちょうど1年が経った。去年のこの日は病院の手術台とベッドで過ごしていた。そういえば、術後の夕方のやわらかめ食にはケーキとサンタの姿になったイチゴも付いていたっけ。家では無縁のクリスマスらしい夕食だった。そして、手術をきっかけに始めた3ヶ月ごとの検診とクリーニングの日がちょうど今日だった。これからも続けていくつもり。もちろんケーキのない夕食。10-12-24

 

=目覚めてから布団を出るまでの時間=の続き。今使っている目覚まし時計は20年以上前からのもので一旦止めても4分おきにまた鳴ってくれる。起きるのはだいたいが3回目か4回目のときが多い。そこで平均は10分位 になるというわけ。たとえもう少しと寝入ったとしても4分後には起こしてくれるので この目覚ましには随分助けられた。スイッチを切らなければ10回繰り返してくれる。10-12-23

 

今日は冬至。13日の金曜日が無関係のように大安も仏滅もまったく無関心だが、冬至や夏至にはすごくこだわる。これから厳しい冬に入ると思えば気が重くなるが、今日を境に日一日太陽が 戻ってくると考えると気は軽くなる。太陽と共に生きる人類にとって誕生のときからずっと宗教に関係なく大事な区切りの日だったはず。大安仏滅は書いてあるのに冬至夏至の書いてないカレンダーは寂しい。10-12-22

 

おもしろいデータが新聞に載っていた。それは=冬の朝、目覚めてから布団を出るまでの時間=の都道府県別 の順位というもの。最短が徳島の11分で最長が鳥取の16分で北海道は全国平均と同じ13分になっている。最短はわかるにしても最長も南の方なのは意外。曜日によっても違うけど平均すると10分位 だろうか。長引くともっとつらくなるから『気合』を絞り出し『勢い』に任せる。10-12-21

 

大雪ならぬ大雨が降る。積もっていた雪が中途半端に解けて道路はぐしゃぐしゃに。昨日までは圧雪状態でいよいよ根雪になるのかと思っていたらまたひと戻り。このまま寒い朝を迎えたら氷だらけの大変な道になると心配していたら明日も暖かい予報。ここに来てもまだ行きつ戻りつを繰返す。年賀状を手に長靴で水たまりを歩く。せっかくの雪が解けスキー場にとっては恨みの雨になっただろう。10-12-20

 

子供手当からの滞納給食費の天引きは当然。食は生きる上での最も根源的な営みであって、あえて極端な持論を言うなら『生きるために食べるというより食べるために生きている』(動物を見るとそれがわかる)のだからお金はまず第一にそこに費やされるべき。親が必死になって働き稼ぐのも子供に食べさせるためのはず。子供のためにも親への教育的指導の意味でも最初からそうすべきなのに。10-12-19

 

続き。モーリス・ベジャールとはバレエの振付家であのボレロもベジャ−ルのもの。DVDはベジャールを受け継いだジル・ロマンを中心に進むが『私のバレエは私自身 バレエの中に物事は隠されている 意識的か無意識的か 物事はすぐには見えてこないが やがてバレエのなかに見えてくる くっきりと』など心に残るベジャールの言葉も多々あり大感激。偶然とはいえすごいタイミングだった。10-12-18

 

不思議な繋がり。忘年会で隣に座った人とバレエの話題になり、僕がシルヴィ・ギエムのボレロを観た感動を伝えるとその人は2回も観ているという。そこで、シルヴィ・ギエムの素晴らしさを語り合い、話はジョルジュ・ドンから映画「愛と哀しみのボレロ」へと進んでいった。その日の帰りにDVDレンタル店で目的の「宇宙へ」を手に取ると、何とその近くにモ−リス・ベジャールのDVDを発見。10-12-17

 

昨日書いた暮の仕事とは年賀状作りのこと。そして昨日、まだ先とのんびりしていたのにそうではないと思い知らされる事態が。郵便局で年賀用の切手を買い求めたときに返ってきた言葉が「すでに完売です」「この後入ってる予定もありません」だった。想定外の言葉に唖然。ここでも世の中の動きに乗り遅れていた。年賀状は私製はがきなのでせめて切手はお正月らしくと思ってたのに・・・。10-12-16

 

朝、カーテンを開けるとすっかり白い世界に変わっていた。それも20B近くはありそうだ。今年は雪が降るときも寒くなるときも暖かくなるときも、とにかく一気にくる。だから、どこに合わせればいいのか迷ってしまう。ついに本格的な冬に突入かと半分覚悟はしてみても、また戻るのではとの疑いも残る。そんなどっち付かずの気持に関係なく暮は確実に近づいてるからその仕事もしなくては。10-12-15

 

いわゆる高価なおいしいものを食べたいとの欲求はほとんどなく、どんなものであれおいしく食べられればそれでいい。その旨さを知らないからだと言われればそれまでだけどステーキもトロもどうしても食べたいとは思わない。豚肉としめ鯖で充分満足だし、他にもおいしいものは手許にいくらでもある。食べ物はほとんど同等にどれも好きだから蟹も海老もイカ、タコと同じ高さに並んでいる。10-12-14

 

『あれ、どうして?』。夕方の散歩に出掛け携帯電話の歩数計を確認すると、歩き始めなのにすでに2000歩以上になっている。今日初めての外出なのにどうしてこんな数字になっているのか不思議に思った。でも、すぐに納得。今日の深夜、つまり0時から1時頃に掛けての歩数なのだ。搬出作業は1時過ぎまで掛かり、車で家に帰って来たのは1時40分だった。こんな深夜の歩数も初めて。10-12-13

 

11月1日から大通りの地下通路に展示されていた作品の搬出日がやってきた。長い期間の展示でも終るときには短く感じるものであっという間の気がする。その場所から作品が消えてしまう寂しがそうさせるのだろう。これはいつもと同じ気分で、いつもと違うのは通 路のため搬出の時間が深夜になるということで集合時間は23時50分になっている。次の日にまたがる搬出作業は初めての体験。10-12-12

 

ギャラリーを出て歩いていると、後ろから呼び掛けられている気がして振返ると若い女性が手を振りながらこちらに駆け寄って来ている。誰なのか検討がつかなかったがそちらに歩み寄ってみると、何と姪っ子だった。偶然、ギャラリーに併設されているカフェにいて、出るところを見かけたので追い掛けてきたという。再びカフェに戻りゆっくり語らう。走って追い掛けて来てくれた気持が嬉しい。10-12-11

 

過去の印象的な出来事や大きな事件事故を思い出すとき、『もうそんなに経ったのか』と感じることが多い。これはどうしてなんだろう。ひどく悲しかったり辛かったりすると『そこで、時間が止まる』というから、その部分は止まっているのに周りの現実社会はそれとは関係なく時が刻まれ、知らず知らずに年月が重なりその差が開くのだろう。ジョン・レノンの死のとき自分が32才だったとは。10-12-10

 

昨日、12月8日はジョン・レノンが亡くなった日ですでに30年も経ったという。随分長い年月が過ぎ去ったが30年前のこの日は今もはっきり覚えている。車の運転中で、ちょうど札幌市資料館の近くを走っていたときのことだった。ラジオから流れてきた速報に最初は耳を疑ったが繰返される同じ内容に愕然として車を路肩に寄せて停めた。しばらく呆然自失の状態から抜け出せないでいた。10-12-9

 

歩いて3日目になるのに足に何の痛みもないのが嬉しい。歳をとると筋肉の痛みの出るのが遅くなるので次の日かその次の日に出るかと心配していたのにまったく出なかった。もう大丈夫だと思う。30Hも受け入れてくれるようだ。定山渓に到着後すぐに観光案内所で紹介してもらった日帰り温泉に入り、体をゆっくり休ませたのもよかったに違いない。本当にのんびりゆったりできた時間だった。10-12-8

 

もう少し歩く旅の話を続ける。歩いていて気づいたことや疑問など。「穴の川」という変な名前の小さな川はどんな理由でそう名付けたのだろう?山を削っている鉱山では何を採っているのだろう?立派でかなり大きな道路情報館には地図のひとつもなく情報は皆無で巨大なトイレと化していた。無駄 な箱物の象徴のよう。車で走ってはわからない道路横の崖の大掛かりで危険な工事現場を仰ぎ見る。10-12-7

 

昨日の続き。昨日は歩き出すところから書いてしまったが、目指したのは札幌の奥座敷の定山渓温泉。何となく大雑把に予測していた時間より30分ほど早めに進み余裕の歩きになった。11時半頃にはほぼ18H地点に着きおにぎりとパンを食べる。12時から再び歩き始め、少しすると急に人家がまばらになりそのうち途切れトンネルをふたつくぐって2時に無事到着。約45,000歩で28H。10-12-6

 

天気にも恵まれ朝7時半に家を出る。予想より暖かく歩き始めてから30分でマフラーを取り、1時間後にはセーターを脱ぐ。今回はほとんどが幹線道路だったので今までとはまた違った風景が見えてきた。散歩する人の次には急ぎ足で出勤する人、開店前の店鋪の内外を掃除する人、パチンコ屋の前に並ぶ人などを横目に見ながら黙々と歩く。店鋪では車関係が一番多い。歩くと見えるものがある。10-12-5

 

さくらと大翔。これが今年の赤ちゃんに付けられた女の子と男の子の名前のそれぞれの1位 。「さくら」はストレートでかわいくてわかりやすいのに、大翔は「ひろと」「はると」「やまと」と読ませるらしくてすぐにはわからない。大翔は4年連続1位 でさくらは6年振りの首位に。名前は時代を表わすけれど、「子」の付く女の子が27年振りに上位 3位入りを果たしている。その名は「莉子」。10-12-4

 

一気に雪を解かす激しい雨が降り強い風が吹く。もしもこれが雪だとぞっとするが、実は延び延びになってまだ実現していない今年の歩く旅を3日か4日か5日のどの日かに決行しようと計画していたので恵みの雨になりそうだ。天気予報では明日も雨のようなので明後日に歩こうと思っている。何とか明日の雨で残った雪を解かし切ってほしいのだが。そして、明後日は雨も雪も降りませんように。10-12-3

 

地震で目を覚ます。だいたいいつも起きる時間だったので目覚ましの代わりになった。小さな揺れだったからそんなのんきなことを言ってられるけど、もしも大きな地震なら悲惨な目にあう。暖かい蒲団にくるまりながら、冬の間に家が倒壊し電気が止まるような大地震が来たらいったいどうなってしまうのだろうと考えてしまった。でも、それも一瞬考えるだけで備えをしないからこまったものだ。10-12-2

 

ちょっとショック。展覧会の最終日に、展示している絵画作品の撮影をするためカメラを持参した。会場で写 そうとしたらフィルムが入ってない。せっかく持ってきたカメラが役立たずに。フィルムが入ってないのをわかっていたはずなのに入れ忘れたのが悲しい。ところが、撮るのはあきらめて自宅に帰りリュックからカメラを取り出すと、何とその下にはフィルムがあるではないか。そうだった。10-12-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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