ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

鹿の激突によってとどめを刺された車の廃車の手続きのため陸運局へ行って驚いた。何に驚いたってこれほどまで忙しく慌ただしく動き回り働いてる役所を見たのは初めてだ。良く言えば落ち着いた悪く言えばゆったりとした仕事ぶりのイメージを持っていたがここはまったく違う。あふれるほどの人達が提出した書類の処理を必死にこなそうとしてた。だから1時間ほどの待ち時間も短く感じた。03-4-30

 

ときどき「あの人は今」とかいってかつての芸能人を訪ねる番組があるけど、あれと同じように「あの町は今」「あの国は今」という番組があるといいんだけどな。芸能人の場合は売れてた良き時代からのその後だけど「あの町」「あの国」は悲惨な時代からのその後だから余計気になってしまう。03-4-29

 

コソボはアフガニスタンはどうなってる。イラクの今が気になる。さぞかしイラクの民主化うんぬ んと言って戦争に賛成した人達も心配で注目してることだろう。それなのに現地の報道は激減した。それに変って日本のマスコミは北朝鮮の問題ばかりを取り上げるのは何故だ。アメリカの思うつぼというより時代を問わず征服者、権力者のとる常套手段にそのまま乗ってしまうマスコミが情けない。03-4-28

 

日曜の昼、列車で隣の街まで片道15分の短かな旅。車で行くときと気分が違って楽しかった。優しい春の日射しがのどかでさわやかな街並を演出してる。家の前で車を洗っている人がいる。通 りをさっそうと歩く若い女性。向いのプラットホームにはのんびり待ってる人達がいる。柵の向うで列車を見送る祖父と孫の姿もほほえましい。ついこの前、同じ車窓から見た風景とはまったく違ってた。03-4-27

 

札幌の生活に戻って4日が過ぎた。充分睡眠をとってるはずなのにまだ眠れるのは疲れが残ってるせいだろう。今年は不思議なくらいいろいろなことが続けて起こる年だ。それも嬉しくないものが多い。つらい気持にはなるがそれも考えようで「新しい自分を切り開く変化のとき」と思えばいいか。03-4-26

 

札幌へは列車で帰る。大破した車は解体業者に渡したので完全に存在しなくなった。10年以上乗ってたからその間の思い出もたくさんあって寂しさは多少ある。今年はいよいよ廃車にするつもりでいたけどまさかこんな結末になるとは。随分頑張ってくれたもんだと感謝の気持も湧いてくる。それにしても鹿との激突はまさに不幸中の幸いだった。ど真ん中でなく少しでも左右にずれてたら・・・。03-4-25

 

お別れの会の最後にお礼のひとことを言う冒頭で胸に込み上げるものがあって言葉につまってしまった。自分の口から言葉にすることでようやく母の死をしっかり受けとめたような気がする。明らかにそこが悲しみのピークだった。その後、最後の別 れをして火葬され骨になってしまってもそれ以上の高ぶりはなく落ち着いていた。ほんのわずかなときだが自分の感情を吐き出せてよかったと思う。03-4-24

 

親しくしてた隣人から聞かされた話しは妙に納得できた。「きっと、お母さんは赤い車に乗って空に行きたかったんだわ」「いつも赤い車が来るのを楽しみに待ってたからお母さんがここまで運んでくれたんだと思う」と言う。ここに到着後エンジンはかからないし、よくこれだけ壊れてたどり着いたものだと驚かれてたから不思議だ。そして「もうこの車には乗るんでないと言ってるんだよ」とも。03-4-23

 

母の希望だった宗教に関係のないお別れ会の形で葬儀をすることにした。葬儀屋も手伝っていただく町内会の人達も最初は戸惑ってたが協力してくれたおかげで順調に準備を進められた。僕もお経の代わりに母が好きだった曲を流し焼香の代わりに献花する案に大賛成。退屈な坊さんのお経と話しを聞かないで済むだけでも嬉しい。戒名なんかもまったくいらなくて慣れ親しんだ本名のままが一番。03-4-22

 

3時過ぎようやく実家に到着。自宅に戻ってると思ってた母はまだ病院だという。朝方、病院に向かった。職員用のエレベーターに乗って地下まで降り、靴音が響く長い廊下を歩き霊安室で冷たくなった母と対面 。3日前の別れるとき4日後にまた来ることを伝えると喜んでいたというのにもう一日待ってもらえなかった。でも、ベッドにいたときよりずっと優しい顔をしてたのでちょっと救われた。03-4-21

 

ヘッドライトに照らされる道路に目をこらしながら下って行くとそれは中央に横たわっていた。このまま放置しておいてもいけないかという思いもあり近づくと毛に覆われているうえに尻尾も発見したので急に気持が落ち着いた。とりあえず尻尾をつかんで引きずりながら路外に落とした。一応、警察に連絡したが携帯を手に入れたのは2日前のこと。その場を去ってからはただ車の無事を祈った。03-4-20

 

車の前部が大破してるのはまちがいない。あの衝撃を考えれば確認しなくてもわかる。でも車は走り続けてる。どうすべきか明らかに動揺した。今のところエンジン音は大丈夫だが一度止まればもう動けなくなるような気がする。まだ行程は半分位 でこれから峠越えもある。走りながら考え悩んだ。鹿は確かだがそれさえ万万が一の不安がよぎったのでUターン。犯罪者が現場に戻る心境だろうか。03-4-19

 

母の死を知らされ、車で実家に向かう深夜の国道でまったく予期せぬ出来事に遭遇してしまった。とにかく驚いた。それはあまりにも突然で瞬間的で物理的に対応する時間的余裕は皆無に等しい。ただし、視覚的にはその瞬間が鮮明に刻まれた。それはいきなり眼前に現れ、70キロ近いスピードで走ってる僕の車に強い衝撃を与えた。その正体は鹿。信じたくない状況がふたつも続くとは・・・。03-4-18

 

入院してる母の容態が急変したとの連絡を受けたのは夜の8時半頃だった。そして9時15分、出かける荷物を急いでまとめてる最中についに命が尽きたとの電話が入った。「もう、慌てなくてもいいから気を付けて来て」の言葉が悲しい。荷物の準備に黒服も加わってしまった。11時頃、暗い道を実家に向けて出発。深夜実家に向かうのはこれが2回目だ。いつもとは違う景色が遠ざかっていく。03-4-17

 

不買宣言。あくまでもできる範囲内でのことだけど極力アメリカからの輸入品を買わない努力をする。わからなかったりそれしかなくてしかたなく買うときはあるだろう。そのときは爆撃されたそしてこれからされる人達に申し訳ない気持を胸に刻みたい。以前、不買運動に対して批判的なことを書いたが撤回する。人殺しのための爆弾やミサイルに自分の金をできる限り回したくないのがその理由。03-4-16

 

静けさに包まれているかといえば決してそうではなかった病院の夜。もちろん病棟によってその雰囲気は違うのだろうけど、僕の体験した病棟は看護士(ようやくこの言い方に慣れた)がときどき懐中電灯を手に患者の様子をうかがいに来るのは当然としても近くから遠くから咳が聞こえてくるし、冷たい水にするための氷をすくう音もする。そして、大事な医療機器の音が途切れることはなかった。03-4-15

 

選挙に関心がないとかましてや関係ないと言える人はすべてを受け入れる強さを持ってることになる。僕はそんな寛容も懐の大きさも持ち合わせてないからとても真似はできない。嫌なものは嫌だしそのうえ自分の考えや意見を消すなんて生きてる限り到底無理。順応性の低い小物だからそれを社会に反映させる大事な機会を放棄した記憶はない。そうしたら社会に対して気軽に文句も言えないよね。03-4-14

 

病院の簡易ベッドの上で久々に夜の長さを実感した。朝まではまだまだたっぷり時間があるから休めるときには休んでおきたいと思う。そうはいっても深い眠りは禁物。必要とされたときすぐ反応しなければならないから意識を残して寝るその微妙なバランスがむずかしい。ちゃんと起きてるわけでなく、かといって寝てるわけでもない。暗がりのなかで目をこらす1時から4時がとくに長く感じた。03-4-13

 

去年の秋以来の峠越え。でも今回はちょっと違った気分が加わった。今年の冬、愛車がいつ突然止まってもおかしくないと修理工場から宣告されてしまった。体もそうだけど何か問題があっても自分に都合よく解釈してしまうものでもちろん無事をイメージして出発。幸い無事に帰宅することができたけど危険な賭けみたいなもの。とりあえずJAFには入ったけど携帯電話はまだ持ってないから・・。03-4-12

 

不在者投票をするときの疑問。投票用紙に記入後封筒に入れ封をしてさらにほんのちょっと大きな封筒に入れてそれも封をする。今回はそれが4種類もあった。それはいいんだけどその後が問題。その外側の封筒に記名することを義務付けてる。納得できないので選管の人に尋ねたら「投票日までの間に選挙権を失った場合それを無効にするため」という答え。何かすっきりしないけど記名して投入。03-4-11

 

不在者投票をしたときの不思議な気持。『無所属、無所属、無所属、・・』。投票用紙に候補者を記入するためその名簿を見てちょっとあっけにとられた。『無所属』のオンパレードだ。事前に絞ってきてたから問題なかったけど、決めてなかった人にとっては迷うだろうな。主義主張の区別 がつかないから男か女かはたまた字面で判断するしかない。立場を隠してる候補者が多くてこまったものだ。03-4-10

 

今日は異常に寒い1日。ストーブを付けてもなかなか暖まらず冬なみの調節にしてちょうどいいくらいだった。桜の開花が早かった去年とは大違いでまだ庭の裏に黒くなった雪が残ってるのを見かけたりする。三寒四温は三月のものと思ってたのにそうでもないようだ。安心できる春はまだ先のよう。03-4-9

 

個展会場に行くため5日間続けて地下鉄に乗った。ほぼ同じ時間に家を出て同じ時間の地下鉄に乗る。天気は違っても時間が同じだといつも似た風景に見えるのが不思議だ。その時間の見せる顔って必ずあるからおもしろい。それぞれの時間帯に動く人達には雰囲気や表情に何かの共通 点がある。03-4-8

 

風邪が完全に治ってくれない。もうほとんど治りかけてるはずなのにふとしたきっかけで戻されてしまう。もう大丈夫と何度か思ったけどその気のゆるみがいけないのだろうか。おとといは入浴剤を入れシュワシュワの泡のなかでたっぷり温まり早めに寝てたというのに。よし、今日は濃縮温泉だ。03-4-7

 

3年の間に4回も作品を展示させてもらってた素敵な空間のCAFEがやむおえない事情で閉店することになりオーナーも南の地に旅立つことになった。作品の発表だけでなくいろんな世界の人との出会いの場だっただけに残念でならない。オーナーの人柄にも惹かれていたから寂しさはつのるばかり。03-4-6

 

フランス、ドイツなどの態度が変化してきてるのが残念だし情けない。無謀なものに対して信念を貫く国がいかに少ないかがわかった。行為の善悪は結果 に関係なくあるはず。そうでなければすべてが結果オーライになってしまう。こうなってしまうなら個人の連係によって流れを作るより他ない。03-4-5

 

地下鉄の車内放送で気になることがあった。日本語の放送の後に英語版が入るけど全車両でそれを必要としてる人は何人いるのだろう。たとえいたとしてもきわめて少数だし異国にいるわけだから乗り降りには気を配ってるはず。あえて騒音を流すのはおかしい。それと駅名を言うときなぜおかしなアクセントにするのかも理解できない。普通 に覚えてもらった方がその後の会話にも役立つと思う。03-4-4

 

別の所にテレビを持っていったのでたった1週間だけどテレビ無しの生活に入った。その1日目に新聞1紙だけの情報に物足りなさを感じた。テレビだとチャンネルを変えると違う局を見れるが新聞1紙ではそれができない。たった1日なのに選択する余地のない寂しさとそれ以上の怖さを痛感した。03-4-3

 

世の中の変化が知らず知らずのうちにとかいつの間にかというのは有り得ない。必ず徴候があり前段階がある。確かに知る努力をおこたれば気づかないかもしれないが「何か変だぞ」「なんかおかしいな」ぐらいは感じるはず。経済が破綻してるのにこのままアメリカに追随して軍拡の方向に進んだら壊滅的になるのは明白。一度つっこんでしまった足はなかなか抜けなくてあとは深みにはまるばかり。03-4-2

 

『勘違い』。ある店の出入り口を完全にふさいで駐車しようとする車の運転手に「そこに駐車したら出入りの邪魔になりますよ」と言ったら「車を離れないから問題ない」との返事。「?」。何か違うと思ったらそれは警官に駐車違反を注意されたときの答え方だ。きっと何度も言われて条件反射のように出てしまったのだろう。数メートル先には何台分もの駐車場があるのに動こうとしなかった。03-4-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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