ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

大晦日になってもまだ済んでいなかった台所の大掃除をする。2時間ほどで終るつもりが4時間も掛かってしまった。やり始めるとやることは次々出てくるし、やるからには細かいところまでしっかりやりたくなってしまう。この辺りは性格で草取りも雪かきも同じだ。最初に予定した時間の倍近くになるのはいつものこと。おかげですっかりきれいになって、爽やかな気分で新年を迎えられそうだ。14-12-31

 

新聞の小さな見出しの『浦河』に目が止まった。自分の興味や関係のあるものなどは不思議と目に止まるものだ。その記事の中味は寂しく信じ難いものだった。実は2年前から本屋さんが一軒もないという。本離れが進んでいるとはいえ町に本屋さんがないとは・・・。コンビニやネットではすべての人に応えてくれるわけではない。とくに、子供や若者があの雰囲気を体験できないのがかわいそう。14-12-30

 

昨日一昨日と家の前の雪かきと雪捨てを合計5時間頑張ったおかげですっかりきれいになった。この作業は進行状況がはっきり目に見えるので目標を定めやすく達成感も十分得られるのが嬉しい。大きな雪山が完全に消えてしまうから爽快だ。これでお正月にはのんびりできればいいのだが大雪が続いたらわからない。天気予報では元旦あたりが危ない雰囲気。なんとか穏やかな天気を願うばかりだ。14-12-29

 

気質と言うべきか体質と言うべきかそれとも三つ子の魂と言うべきなのか自分にとっての好きなことは年齢を重ねても変わらないようだ。とにかく、じっとしているよりも動くのが好きだった。もちろん絵を描くのも好きだったがそれは兄の影響があった。だから、自らの自然な欲求としては静より動のほうがずっと大きかった。最初の記憶から今に至るまでそれが確実に自分の生き方の根幹にある。14-12-28

 

深い雪道を膝までつかりながら歩いて子供時代を思いだす。歩道が降雪と吹きだまりのせいでまったく足跡のない状態になっていた。車道を歩くことも一瞬考えたがそのまま進む。最初は靴もズボンも雪まみれになるのが嫌だったのに次第に楽しい気分になってきた。子供の頃は新雪をまっすぐ歩き足跡を振返るのが大好きだった。今回は短い距離だったけど、懐かしい昔に戻ったようで嬉しかった。14-12-27

 

ここ3日ほど大雪が降り続き氷の街から急に雪山だらけの街になってしまった。家の前に駐車している自分の車の屋根の上の雪で向いの家が消えてしまいそうだ。明日はとりあえず寄せてある雪山の排雪作業が待っている。いよいよ雪との本格的な戦いの始まりだ。生活するうえで欠かせない仕事ではあるけれど年々厳しくなるのも事実。数年前に比べると雪かきに掛ける時間は明らかに減っている。14-12-26

 

すっかり雪国になってしまった夜道を歩いてポストに年賀状を入れる。これでまたひとつの区切りが着いて一安心。結局、3日掛かりで80枚の宛名書きと添えるひとことを書き終えた。しかし、まだ保留の分が数枚残っているせいで完全に解放感に浸れないでいる。こっちが出すから儀礼的に返してくるのか、それとも素直な気持からなのかの判断に悩む。毎年ある何人かの行き違いはこまるもの。14-12-25

 

ようやく剥がれた足の親指の爪。10月25日に南富良野から新得へ向う途中の狩勝峠を下ったときに傷めて出血していた足の親指の爪がほぼ2ヶ月経ってやっと剥がれてくれた。痛みがあったのは1週間程度で、真っ黒になった爪は1ヶ月もすればきれいに剥がれると思っていたのに中々剥がれなくてほんの少し心配にもなっていたところだった。これで『歩く旅』の置き土産ともおさらばできた。14-12-24

 

想定したよりも時間が掛かってしまうのが年賀状の宛名書き。本当に宛名書きだけなら機械的に進められるが、それぞれの顔を思い浮かべながら短いひとことを添えるようにしているのでそう簡単にはいかない。枚数も多いので大変な作業だけれど、その人をしっかり思い出す年に一度の機会と受け止めれば貴重なときに思えてくる。たとえ年に一度でも心を通 わせられる人を大切にしていきたい。14-12-23

 

歩道はスケートリンクのようにツルツルになり、ここまでくるとまちがいなく根雪になりそうだし、真冬日もめずらしくなくなって冬本番突入の感じだ。これからの長い冬を思うと気も滅入るが、今日が冬至というのはかなりの救いになる。とにかくこれからは少しずつであっても陽が長くなっていくのが嬉しい。そんな日々を重ねていけばやがて春分の日もやってくる。とにかく大事な区切りの日。14-12-22

 

交流卓球大会に参加して改めて思い知らされた本番の試合の弱さ。これは、同じく小学校を借りて卓球をしている隣の地区との交流試合。交流が目的なのでメンバーは入り交じりほとんどが初めての人とダブルスを組む。試合ではいつもとは違う緊張もあって単純なミスを重ねてしまう。これが今の実力かとがっかりするが受け入れるよりない。でも、5試合で2勝できたのはこれからの励みになる。14-12-21

 

年賀状にするための木版画を作り始める。版木としては以前ベニヤで制作していたときの端材を使う。すでに10年近く前のものが役立ってくれるのが嬉しい。彫刻刀を使うのは去年の年賀状以来だから1年振りになる。この彫刻刀も10年以上前に買い揃えたそれなりに高価なものだから使ってあげないとかわいそうだ。やるまでは多少億劫な気持があったのに、やり始めるとやっぱりおもしろい。14-12-20

 

今後の社会に対する不安と憂いは限り無く続きそうなのでここらで一区切りにしよう。つい先日、数年に一度と思われる強烈な暴風雪に襲われる可能性があるとの警報が出された。実際に甚大な被害を被った地域もあったが、札幌は不思議なほど穏やかなままで済んだ。警報に助けられた所と惑わされた所がはっきり別 れた。予定の変更もあったので、できればもう少し地域を限定してほしかった。14-12-19

 

思考はそれぞれの個を支える重要な役目を果たしている。それによって自分の意見や考えを持つようになり、その意見や考えを言葉や行動で誰かに伝えることもできるようになる。しかし、思考を捨てると自立した本来の個を失う恐れが出てくる。そうすると何となくおかしいなという気持を持ちながらも集団の流れに埋没してしまう。それなのに押し付け的な集団教育をさらに強めようとしている。14-12-18

 

自分には『関係ない』と選挙を放棄すると、それは委任になり信任につながる。だから25%の得票なのに75%の議席となった。その意味では本人の考えとは違う形で意思表明をしたことになる。それも選択のひとつではあるが重要な役割を担っているのをわかってほしい。たとえ『関係ない』と思っていたとしても選挙権を持つ大人としてこれからの社会に対して等しく責任を負わねばならない。14-12-17

 

深刻な問題なのでもう少し書きたい。大事な権利を放棄し『関係ない』と語った人にも日本人として生きていく限りまちがいなく政治に影響される。そんな単純明解なことさえわかろうとしない人達がたくさんいる事実は悲しいというより怖いとさえ思える。思考を停止すると行動は短絡的で衝動的になりやすい。日本社会の幼児化はまだ救いようがあっても思考を止める白痴化は極めて危険な兆し。14-12-16

 

53%弱というこの現状をどう受け止めたらいいのだろう。選挙結果は予想されていたものと大差なく不安は募るばかりだが、それよりも投票率の低さに驚いた。何故にこれほどまで多くの人達が決定権を放棄して自分を丸投げして身を預けられるのかがどうにも理解できない。お金を何のためにどのように使うかでその人の生き方が決まるように国も同じ。それなのに『関係ない』とは悲し過ぎる。14-12-15

 

靴跡がそのまま凍ってしまってがたがたになった歩道を慎重に歩き投票所へ向う。もっと気持の高ぶりがあってもいいはずなのに極めて淡々としている。多少なりとも変化を期待できるのならいいのだが、事前の予想ではほとんど望めそうにないから落ち込むのもしかたがない。このまま進めば戻りようのないところに行く。そしてまた、多くの人が『あのときは気が付かなかった』と言うのだろう。14-12-14

 

昨日の天気予報ははずれて寒い一日で雪解けどころかカチカチに固まったままだった。いよいよ本当の根雪になりそうだ。初雪はそのときがまちがいなく初雪になるけれど、根雪はこれからの天気しだいで何とも言えず多分というわけだ。根雪になってこまるのは安心して歩けないこと。滑って転びたくないのでどうしても下向きの歩幅の狭い慎重な歩き方になってしまう。冬こそ地下通 路の出番だ。14-12-13

 

英語の手紙を書き終えてホッとすると同時にちょっとだけ残念なような惜しいような心境にもなった。これは、やり始めるまでの書かねばならないという重い気持から解放された余裕で生まれた『これ以上英語を忘れないためにも、もう少し間を置かずに書きたいな』といった願望だろうか。しかし、悲しいかなこの願いが実現することなく、さらに忘れてまた来年のクリスマスを迎えるに違いない。14-12-12

 

久し振りにまとまった雪が降り、これは根雪になるんだろうかと半分覚悟していたら、今日の雨でかなりが解けた。そのおかげで雪道はぐちゃぐちゃになって靴のなかにも水気が滲みてくる。これはこれで嫌なもの。明日の気温も0度前後の予報なので雪でなく雨になる可能性もありそうだ。道の雪が完全に解けてくれるならいいが中途半端に解けて急に冷えてリンクになるなら雪のほうがまだまし。14-12-11

 

続き。26歳のヨーロッパ旅行のとき、時を同じくして彼は2年余りの長期滞在の最中でパリにいた。そこで、同じホテルに部屋を取り、様々な情報を仕入れながら1週間ほどパリを楽しんだ思い出がある。約半年後のイギリスに渡る前にも立ち寄り、互いの元気を確認し合った。日本を遠く離れた場所で志を同じくする友と会えるのはとても嬉しいことだった。あのときからすでに40年が過ぎた。14-12-10

 

昨晩は大学時代の友と飲む。彼とは不思議な縁があって芸大を受験したとき同じホテルに泊っていて食堂での卓球で出会った。その話題は度々出てくる。そして、芸大の夢は破れて札幌の教育大を受験したとき、何と自分の机の前に座っていたのが彼だった。名字が『と』と『な』で繋がっていたのだ。幸いふたりとも無事合格できて大学生活を楽しむことができた。さらに、パリでも再会している。14-12-9

 

今年の帯広までと一昨年と昨年で達成した浦河までの『歩く旅』の行程をマーカーで塗った北海道地図を見ているうちに次の目標が浮かんできた。それはそれぞれの先端。まず最初にどこを目指すべきか少し迷ったが、答えはすぐに出た。それは、まだ一度も訪れていない宗谷岬。もうひとつの理由は日本の最南端に行っているのだから最北端も行きたいという思い。来年の楽しみが増えてしまった。14-12-8

 

子供の頃から地図を見るのが大好きだった。何が楽しいのかというとその場所に立ったときを自由に想像できるのがいい。そして、どこまでも自由に進んで行けるのも嬉しい。一気に空を飛んでしまうより線として繋がるよう大地を辿るほうがより楽しい。そうすると、山あり谷あり川あり海あり村あり町ありなので想像はさらに膨らむ。とにかく、地図は心躍る気ままな旅の世界へと誘ってくれる。14-12-7

 

予定が重なるときは重なるもの。今晩は10月のグループ展のとき追加分として借りていた作品の返却とそれに合わせての食事会と、今年開催する第3回『ハルカヤマ芸術要塞』の第1回運営委員会と、いつもの小学校での卓球が重なってしまった。卓球はこれからもできるので迷わずパスして、運営委員会はすでに食事会が決まっていた後の日程だったので、どっちも大事なんだけど食事会を選んだ。1412-6

 

「大丈夫ですか?」に嫌な思いにさせられる。ある店のレジでの合計が予測していたよりかなり多めだったので驚いて「え、どうして?」の声が出た。そこで値段の説明を受けて単価を勘違いしていたことに気付いた。そのときの店員のひとことが「大丈夫ですか?」。どんな意味を込めての言葉かはっきりしないが、優しさは微塵も感じられなかった。それを言うなら「よろしいですか?」のはず。14-12-5

 

昨晩は友とふたりだけの忘年会。夕方5時にいつもの店で待ち合わせ、とりあえずビールで元気に年の瀬を迎えられたことに乾杯。食べながら飲みながら互いの今年の大事な思い出を語り合う。僕にとっては札幌から帯広までの『歩く旅』が最大の実り。楽しい時間はまたたく間に過ぎ10時半に二軒目の蕎麦屋でお開き。自宅に戻っても酔いは醒めず、『ひとこと』は翌朝に回して布団に滑り込む。14-12-4

 

最近は毎日のように喪中のはがきが届く。これまでに届いた12枚を見てみると平均寿命の長さがよくわかる。一番の高齢が101歳で90代が3人、80代が6人、70代が2人になっていた。ほとんどが親の喪中を知らせるものでその他は兄や姉のもの。今のところ年賀状のやりとりをしている本人やその配偶者のはがきは届いていないが、悲しいことにいずれは徐々に出てきてしまうのだろう。14-12-3

 

続き。毎年やっていることとはいえ、英語で書く手紙は年々大変になってきている。年に一回なのにどうしてと思われそうだが、それだからこそ難しくなっていく。年に何度も出していた頃には自然に浮かんでいた単語や文体も次第に出てこなくなってきた。伝えたいことがたくさんあってもすぐには書けないもどかしさで疲れてしまう。でも、これは何としてもずっと続けていきたいと思っている。14-12-2

 

12月に入るといろいろな用事に追われる。それは毎年繰り返えされる師走ならでは行事のようなもの。その中には楽しい忘年会もいくつかあるけれど、御歳暮の手配をしたり、ドイツの友人へのクリスマスプレゼント選びと発送だったり、年賀状作りも待っている。もっともやる気を出さねばならないのがドイツの友人ふたりへのプレゼントに添える英語の手紙。これにはかなりのやる気度が必要。14-12-1