ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

今このとき世界陸上女子マラソンは20キロ地点を走ってる。15、6人の先頭集団のなかに日本人選手が4人いる。表情と走りから見ると大南に余裕がありそう。このままいきそうな感じ。さて1時間後にどうなってるか。その直後大南が転倒して脱落。それでもすごいのは2、3、4位 は日本人選手。これに不参加の高橋尚子がいるんだから驚異的。それにしてもこの層の暑さは嬉しい限りだ。03-8-31

 

個展会場にいるといろいろな人が訪ねて来てくれるのが嬉しい。毎回来てくれる人、初めての人、久し振りに観てもらえた人、遠くからの人などなど様々。その人達に自分の作品が日常では体験できない心の振動を喚起させることができたら幸せだ。自分自身を凝縮して表現した作品から受け止め持ち帰るものはそれぞれ微妙に違うだろうが継続して心に残るものであってほしいしそうしたいと思う。03-8-30

 

どうにかして思い出さないかと必死になってるけどその糸口さえ見えてこない。ついさっき「よし、今日はこれをひとことに書こう」と思い浮かんだはずなのにすっかり忘れてしまった。ふっと浮かぶかとわざと間を作ってみても真剣にそこに戻ろうとしても回路がつながらない。どうして出て来ないのかくやしくて情けなくてイライラしちゃう。もういいやと思っても気になる。う〜ん、え〜と。03-8-29

 

地下鉄車内で女子高生の会話になるほどと思ったこと。「それならペースメーカーの人って携帯使えないんだね」。今まで考えたこともなかったけど確かにそうだ。これだけ普及してるのに取り残された気分を味わってるんだろうか。それともその人達のための特別 仕様の携帯電話 はあるのかな。03-8-28

 

僕の中でアメリカの黒人に対するイメージを大きく変えたのはパウエル、それをさらに強めたのがライス。かつてのカール-ルイス、レイ-チャールズ、モハメド-アリ、マーチン-ルーサー-キングの時代は明らかに違う側に立っていた。長い年月国内で支配され差別 される立場にいたが 今は他国をも支配する権力者の重要なポストに立つまでになった。昨日の「ひとこと」も変化のひとつの現れか。03-8-27

 

今度は世界陸上。生では見なかったけど男子100m予選でフライイングのため失格した選手がだだっ子のようにコースに寝そべって抗議をしていた。抗議すること自体は正当だと思う。しかしそのやり方が問題。競技の進行をしつこく妨害したのに他の選手に対する思いやりはまったく感じられない。まさに自己中心的なアメリカ的行動。涙を飲みくやしい思いをしてるのはあんただけではない。03-8-26

 

世界体操選手権で鹿島があん馬と鉄棒の2種目で金メダル。かつては体操日本とまで言われてたのにそれを知らない人達が多くなったのもしかたがない。なにしろ金メダルは29年振り。そんなに昔だったかとびっくりする。大きな事故や出来事もそうだがほとんどが考えてるより長い時間が経過してるものだ。今すぐ思い浮かばないけどその反対はどんなことなんだろうか。昔のようで最近とは。03-8-25

 

いよいよ個展が近づいてきた。4日後に搬入飾り付け。この時期は作品の総仕上げは当然だが展示に必要な物を準備したりといろいろ忙しい。それでも自分の作品を発表する緊張と期待で気分も高揚してくるのが嬉しい。ぎりぎりまで制作せねばならないときはそんな余裕もないが今回は大丈夫。03-8-24

 

わざとらしいし時間とお金の無駄だから是非とも止めてほしいこと。それは政治家やお偉方役人の防災服。現地に行ったとしても泥まみれになって必死に作業するわけでもないのにアイロンの入ったピカピカの防災服を着るのは絶対おかしい。ましてや会議室でそれを着る理由がわからない。それぞれの立場がありそれぞれの役割があるんだからそれをまっとうすればいい。見てると恥ずかしくなる。03-8-23

 

役所や道路管理者の水害への対処のいい加減さにはあきれるばかり。被害者の家族が訴える気持は充分納得できる。「なぜ避難届けを出さなかったのか」との記者の質問に役人が「危険かどうかは本人に判断してもらうよりない」と答えた。そして土現の担当者は電話の対応に忙しくて水位 計を見落としたという。「何を言い何をやってんだ、あんたの仕事は何なんだ」と聞きたくなる。情けない。03-8-22

 

お盆が過ぎてからけっこう暑い日が続いてる。もう夏はないまま終ったと覚悟したら急に暑くなった。ここで遅れてきた夏かと少しでもその気になるときっとまた突然寒くなるんだろうな。これだけ裏切られると不信感ばかりが強くなる。それにしてもいじわるをされてるとしか思えないほどに土日は曇るか雨が降る。曜日をわかってるはずはないからちょっとずれてたら土日は毎週晴れだったのに。03-8-21

 

骨董市とフリマの違い。公園でフリマっぽい出店があるので寄ってみると骨董市もどきだった。大したことないものでも0がひとつ多い。そのうえ売り手は無愛想で高飛車。なぜか偉そうにふんぞり返ってる。フリマはこんなに安くていいのって感じで骨董市はなんでそんなに高いのって感じ。この人達は集める努力をしてるんだろうかと疑問になるくらい品数が少ない。仕事のはずなのに不思議。03-8-20

 

残念なこともあればいいこともある。今度は嬉しい話し。かねがねオーケストラの練習風景をのぞいてみたいという欲求というか願望があった。その夢がかないそうだ。だいたい誰しも結果 のみならずそこに至る過程にも興味を抱くと思う。制作する人間はなおさら強い関心を示すもの。どうやってそれが生まれたのかと。何にこだわり何を求めて何を許せなかったのか。そこに触れるのが楽しみ。03-8-19

 

住む人のいなくなった実家を去るとき、室内の様子や戸締まりを何度も確認する。途中で不安になって落ち着かなくなることを考えればしつこいくらいでちょうどいい。とくに玄関の鍵などは再三確かめて微塵の心配もしないためにその行為を頭に焼きつける。自分だけの家でないからさらに慎重になる。「よしこれで大丈夫」と自分に言い聞かせて出発。それは母の死を再認識するときでもある。03-8-18

 

草取りをしてるとき無心になれるはずだったけど取っても取ってもまた出てくる草に振り回されてる自分の姿を眺めると無心のままではいられなくなる。こっちはひとりなのに戦う相手が多過ぎる。それも次から次へと生まれてくるからこまったもの。根こそぎ取っても草は痛くも痒くもない。こっちは必死だというのに何も感じてくれないのがくやしい。こうなったら土俵を縮めるより他に手はない。03-817

 

「・・・」言葉がない、ただ息を飲む。かなりの被害は予想していた。しかし、それをはるかに超えるものでかつての面 影がまったく見当たらず愕然とした。今年の春から写真を取り始めた沙流川上流のお気に入りスポットの無惨な姿にただただ驚くばかり。それでもなんとか気を取り直し堆積した土砂の山を乗り越えて川の流れに再会する。これも沙流川の表情。写 し続ける意欲が湧いてきた。03-8-16

 

夏休み。夏休みと言えば何と言っても小学時代。中学、高校そして大学でも夏休みはあったのに鮮明に蘇らないのはなぜだろう。それは置いといて。一日中外で遊べる毎日が嬉しかった。ちょうど手ごろな山あり川ありの田舎だから退屈するとか飽きるとかはまったく無縁の天国のような世界。ただ、早起きしなければならないラジオ体操は嫌いだった。せっかくの休みが休みでなくなってしまう。03-8-15

 

最初の目的の場所に行くには地下鉄を降りてから少し戻らねばならない。そして次に向かうとき同じ道をまた歩くことになる。それならとひとつ前の駅で降りた。そうすれば戻らずに済むし距離はちょっと長くなるけど気分的にスッキリする。行きたい所がたくさんあるときはどこから始めてどこで終りにするかを考えてから出かける。用事の中身によっても違ってくるからそれなりに検討が必要。03-8-14

 

『一生命』の看板がビルの横にかかってる。「いっしょういのち?」これはいったい何だ。「そりゃそうだ」と言うしかない。それにしてもダイレクトだから充分インパクトはある。『死ぬ まで長生き』と同じ流れだな。怪しい宗教団体かななんて思ってたらその上に『第』がある。「そっか」。03-8-13

 

その後引っ越した家のすぐ裏には川が流れてた。その川のおかげで楽しい思い出がいっぱいある。いろんな川遊び、魚釣り、寒くて震えながらも泳ぎもしたし冬にはスケートもした。普段はせいぜい5m位 の幅しかないその川が台風の大雨で 氾濫したときの別な顔も焼き付いてる。濁流が橋の上を勢いよく流れ我が家も床下浸水。もう少し雨量 が多ければ家が流される悲惨な体験をしてたかも・・。 03-8-12

 

春からその上流で写真を撮り始めた「沙流川」が台風の影響をまともに受けて大洪水になった。年間降雨量 の3分の1が一日で降ったというからひどい。沙流川の下流に住んでた子供の頃、多分5才のときにも大洪水があって父に連れられて見に行くと一面 が茶色の流れの中にあり川幅がものすごく広くなってて驚いた記憶がある。見なれた光景が一変する不思議さばかりで怖さはなかったと思う。03-8-11

 

最近初めて無洗米を購入。米を研ぐ手間がはぶけて研ぎ汁を流さないから環境にもいいという話しを聞いて買う気になった。最初の何回かは思わず釜に手を入れようとした。長年の習慣は簡単にはなくならない。確かに楽だけど本当に研がなくていいのかなと心配だったが味の違いはわからなかった。今度は大きい袋を買ってもいいみたいだ。常識や当たり前も時代で変化していくというひとつの例。03-8-10

 

やり直しがいつもいい結果をもたらすわけではない。前を超えるどころかそこにも達せず悔しい思いをするときもある。悲惨でかわいそうなのは北海道代表で戦ってた高校球児。3回までに8対0で勝ってたのに雨でノーゲームとなり再試合では2対5で負けてしまった。くやしさは倍増してるに違いない。しかし相手チームにとっては好転したわけだ。再試合を中断時点から始めるのは無理なのか。03-8-9

 

やり直しが結果的に大正解。人間万事塞翁が馬というほど大袈裟ではない。災い転じて福と成すこれもちょっと違うな。怪我の巧妙、これが近いけどやり直したわけだからいまいちピンと来ない。なんかピッタリなのがあるはずなのに思い浮かばない。もっと単純に失敗は成功の素といったところか。それはさておき、作り直しの段階でさらにいいイメージが湧いて原案を変更したら完成度は増した。03-8-8

 

ちょっと気になる場所があるけど大丈夫だろうと進めたらそことは違う所にもっと大きな問題発見。それも完成間際に気が付くとは・・・。気になった部分を除けば完全と思ってたのにショックは大きかった。そこまでの苦労を考えて強引にやってみたが無理。「ヶチが付く」というわけでもないが最初にやり直しておけばこれほど深い傷をおわずに済んだのに。でもやり直しを覚悟したら楽になった。03-8-7

 

3日続いて夏日。今日は29℃まで上がった。予報では暑さもここまでと言ってるがはずれてくれることを祈る。ところで夏の夜の定番だったあのうるさい暴走族はいったいどこに行ったのだろう。今年はまだ我が家の近辺には現れてない。もちろん戻って来なくていいけど静かな夜が不思議なくらい。ここだけなのかそれとも全体的なのか。まさか皆が『徒歩暴走族』になったわけでもないだろうに。03-8-6

 

昨日ほどでないけど今日も暑かったのでこれも今年は今だけかもしれないチャンスを活かそうと冷やし中華を食べることにした。トマト1個、きゅうり1本、卵2個(卵焼き)そしてハム。これらを適当に細切りにして冷たくしたラーメンの上に乗せる。麺は完全に隠れて色鮮やかな秋の山のよう。山肌の一部を食べ麺にたどり着いたらからしを混ぜる。これがまた絶妙な組み合わせ。夏を味わう幸せ。03-8-5

 

昨日、暑さが恋しいと書いたら今日この夏一番の暑さ。昨日の20℃から一気に28℃へ上昇。部屋の中でもようやく夏の汗をかくことができた。これを逃したらもう来ないかもしれないので暑い中待望のスイカを買いにスーパーへ。4分の1だけどずっしりと重みがあって心地よく汗ばみながら帰ってきた。さっそく三角形に切ったスイカを口にする。うまい。じっと待ってただけにうまさも格別 。03-8-4

 

8月に入って初めての日曜日だというのに雨。せっかくの夏休みも台無し。子供達だけでなく親もがっかりしてるだろう。今年は完全な冷夏で7月の平均気温は17℃台で49年振りの低さだという。これからも暑い夏は望めそうにない。制作する分には助かるがスイカを食べたくなる暑さも恋しい。03-8-3

 

『徒歩暴走族5人逮捕』。?。新聞におかしな見出しを見つけた。見逃しても不思議でないほんとに小さな見出しなのに目に止まったのは何か変だと感じ取ったせいか。徒歩と暴走が一緒になってる不思議さだ。徒歩はそのままだけど念のため暴走を調べてみたら「考えなしに走ること、やたらに走ること」とある。暴走族が練り歩くといったところだろうが『徒歩』のイメージが何とも優し過ぎる。03-8-2

 

『勝った〜!』。決勝でゴールしたとき隣の走者とは胸の差だったが勝利を確信した。スタートからその間際までは思い出せないのにゴールの瞬間は今でもはっきり覚えてる。観てるほうはあっという間でも同タイムで走ってれば止まってるようなもの。ほんの僅かの差もはっきりわかる。一瞬の出来事なのにそこだけはスローモーションになっていた。その差は0.1秒。自慢というより貴重な体験。03-8-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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