ある日のひとこと

 

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

昨日とは打って変わって寒い一日に。おかげで歩道はツルツルになってしまった。そんな道を気を付けながらの散歩に出かけてすぐに、ふとズボンのポケットに手をやると財布が入ってない。もしやと家の鍵を探るがそれも忘れている。『え〜〜っ』と一瞬体が熱くなる。でも、2年前の冬に鍵を忘れて大変な目に合った教訓から秘密の鍵置き場を作っておいたおかげで救われた。危うくまた寒空に。09-1-31

 

雪ならぬ雨が降る。それでなくても少なかった積雪がさらに縮まった。この時期にしては積雪が随分少ないので降雪量 も少ないと思っていたら去年よりは多いという。それなのに今年は極端に少ないのは気温が高くてどんどん解けるかららしい。おかげで道路は鋪装が出ているし歩道はいたるところで水浸しになっている。これが3月だというなら有難いけどこれから2月なわけで素直には喜べない。09-1-30

 

『嵐、岡、鹿、藤、奈』。常用漢字に追加される漢字と削除される漢字が発表された。追加は191字で削除は5字。漢字ブームも影響してか増えるほうが圧倒的に多い。追加のなかで『え、これは常用漢字でなかったの』と驚くものがいくつかあった。最初にあげた字がそれらで小学校の段階で教えられたのではと思ってしまうほど日常的な字ばかり。追加の字でまったく読めなかったのが『聘』。09-1-29

 

湯気の量でその日も寒さがよくわかる。今朝は湯気がもうもうで深い霧のなかにいるようだった。暖房の入ってない風呂場なので気温が低いほどシャワーの湯気が充満する。その湯気が体を包んでくれるせいかそんなに厳しくは感じない。とは言ってものんびりはしてられないので、まずは顔と体を洗い頭をシャンプーして髭を剃ってと動きを止めることなく進める。ちなみに今朝の気温は−6℃。09-1-28

 

往復葉書。去年の6月頃、できれば先生を招いて中学のクラス会を開きたいとの意向を知ってる仲間に連絡したところ賛同者も現れ、3月開催の方向で動き始めた。1月中旬に最終的な決定をしてさっそく出欠の確認をするための往復葉書を送った。毎日、返信を楽しみに待っていたのに意外と少ないことにがっかり。2月3日までにとは書いたけど早めに出してくれると安心できるし嬉しいのに。09-1-27

 

隈研吾(建築家)の『自然な建築』を読む。去年の7月の個展のとき、初めて作品を観てくれた建築家の人が「きっと、隈研吾の建築を気に入ると思うよ」と言ってくれてその名前を知った。会場が本屋だったのでさっそく作品集を見てみるとその意味がわかる気がした。開放的な『間』がいい。本を読み心に残った言葉はいくつかあるが『すべては流動的で、すべては粒子である』もそのひとつ。09-1-26

 

昨日の続き。その姿を見て僕も気を付けなくてと感じた。反面教師とまでいかないにしても他人の振り見て我が振り直せの教訓が頭に浮かんだ。人の少ない場所かスポーツジムならどんなに頑張ってもいいけど日常生活の流れとリズムのなかにそれを持ち込むと浮いた存在にも、へたすると迷惑な存在にもなりうる。急いで歩くときにはゆっくりのとき以上にしっかり前を見て周りにも気を配らねば。09-1-25

 

同じ場所へ同じ時間帯に行くと知り合いでなくても同じ顔に出会うことがある。木曜の正午過ぎにある地下通 路を歩いているとき度々出会う人がいる。その男性は昼休みを利用して運動してるらしくワイシャツ姿でかなりの急ぎ足で前屈みになりながら脇目もふらず黙々と歩いている。多分60代。地下だから天候にも左右されない絶好の散歩コースなのはわかるが、あまりにも真剣過ぎて怖いほど。09-1-24

 

天気予報は当って一日中雨が降る。季節はずれのましてや雪まつりを控えての雨はこまりもの。関係者は空を見上げてやきもきしているに違いない。歩いていても道路も歩道も水浸しになっているから防水になってるはずの靴にもそのうち冷たい水がじわじわとしみ込んできたりする。耐えられないほどでないにしても足許が濡れるのはいやなもの。 この時期は適当に寒くて晴れているのが一番いい。09-1-23

 

気温の低いとき、しまった雪を踏み締めて歩くと「キュ、キュ」っと音が鳴る。寒さはつらくても厳しいなかに身をおく緊張感が心地よかったりもする。でも今年はなかなかそんな日に巡り合えない。それどころか気温が高くて解けた雪で道がぐちゃぐちゃになって「ズズー、ズズー」「ズル、ズル」と鈍い音をたてながら歩く日が結構多い。明日は雨の予報になっているので雪まつりの雪像が心配。09-1-22

 

歯科の待合室にて。待合室に入ってきた50代とおぼしき女性がコートを脱いですぐに洗面 台に向って歯を磨き始めた。ここまでは自然な流れでよくわかる。しかし、そのあと椅子に座るなりコンパクトな鏡を覗きながら化粧をしだした。それもちょっと直すというより真剣に念入りにやっている。地下鉄での化粧は見慣れた光景になったとはいえ違和感を感じているが、これもかなり場違いな行動。09-1-21

 

すでに1ヶ月前になったが年賀状の宛名書きをしていて気づいたこと。それは、名字の浜を濱に、沢を澤に、斉を斎か齋に、渋を澁にと画数の多い字に書き替えている人がたくさんいたこと。他にもあった気もするが思い出せるのはこんなもの。これはどんな理由でそうしているのわからないだけに興味が湧いた。画数を増やすことで名字に風格と威厳を感じさせるため?単なる好みかな?それとも?09-1-20

 

イスラエルの言い分。「ハマスの幹部を殺害する目的を達成したから攻撃を止める」という。1,000人以上の死者のほとんどは子供を含む普通 の人々らしい。何の反省もなさそうだからそれも目的のうちかと聞きたくなる。いきなり爆撃を始め、勝手に停戦を決め、慌てて撤退するのは気の合うブッシュのいるうちにやっておかねばと思ったのだろう。自己中心的で暴力的なイスラエルは嫌いだ。09-1-19

 

1=三菱商事、2=三井物産、3=三菱東京UFJ銀行、4=住友商事、5=三井住友銀行。これは文系の男子学生が選んだ就職先人気企業の1位 から5位までの順位を表わしたもの。まず驚いたのは中学の社会科の時間を思い出してしまうほど見事に旧財閥の名前が連なっている。これに安田が加わったら完璧だ。まるで今の格差社会を象徴してるかのような現象。これではその差は増々広がりそう。09-1-18

 

10月末の耳鼻科に始まって20年間受けてなかった特定検診を総合病院で受け、整形外科で骨を調べて、泌尿器科で頻尿の検査をして薬をもらい、そして今は歯科に行っている。短期間にこれほど病院通 いをしたのは初めてのこと。病院に顔を出すには怖さもあってその気になるまでが大変だしタイミングと勢いというのがある。今回はその流れに乗って不安な部分を一気に解消することができた。09-1-17

 

収入ではなく戻っただけなのに嬉しい気持のその足で歯科に向う。電化製品などはひとつ壊れると次々連鎖するというのは買った時期が近いからだろうが、体にもそんなことがあるのかもしれない。なんせ全部が生まれてからの付き合いなわけで、肉体の耐用年数ではこまるけどどこそこ疲れが出てもおかしくはない。リニューアルは無理としてもここらで今一度現状を把握して労ってあげなくては。09-1-16

 

ほんの少し前に歩いた自分の足跡を踏み締めながら戻るという過去に遡るような不思議な体験をした昨日、治療とは関係なく耳鼻科病院に向ったわけは3日前にかかってきた電話にある。その内容は、治療費を多くもらい過ぎていたので返したいという。その金額も半端じゃなく4,000円とのこと。丁重に謝っていたけど、まったく予期せぬ お金だったので責めるより喜ぶ気持のほうが強かった。09-1-15

 

『もう、着いてもいいはずなのに・・、その先を見ても建物の姿さえ見えないのは何故?』そこでようやく間違いに気づいた。右に曲るべきところを左に曲ってしまったのだ。それは、何度も通 った耳鼻科へ今日初めて歩いて向ったときのこと。車では一度も間違ってない道なのにそうなってしまったのは行きの道を帰りの道と勘違いしたため。自分の足跡を反対向きに辿りながらに歩く奇妙な体験。09-1-14

 

スーパーなどでのレジ袋の有料化が始まって数カ月が経ったのでかなり当り前の雰囲気になってきた。それでも、近所のスーパーに行くときなどには袋を忘れたりする。そんなときには買うことになるが、そこではレジの前に2種類の袋が置いてあるので必要な人は 商品として買物カゴに入れる。カウンターでいちいち聞かれるよりこの方法がいいと思う。そうすればレジ打ちもよりスムーズになる。09-1-13

 

作品の素材を探しにより大きなホームセンターへ行く。アイデアが固まりマケットもできてくるとそれをどんな素材で仕上げるかを考える。素材によっては容易にできることもあればかなり難しくなるものもある。なかには技術的にも工具のうえでも実現不可能な場合もあるから素材の選択は大事な工程。そして、仕上げの候補の素材で作業具合をいろいろ試してみる。そこからの試行錯誤も大切。09-1-12

 

中途半端に残したフィルムはどうしても撮りたいものが出てこないといつの間にか結構時間がたったりする。今回がそれ。やっと手にしたプリントには屋久島のものも入っていた。完全に忘れていたわけではない。でも、そのあとに撮った北区のアーティスト展の作品を早くHPに載せなくてはという気持のほうが強かった。なにはともあれ、緑の木々と苔に包まれた懐かしい屋久島にまた巡り会えた。09-1-11

 

今年というより、この冬初めて流雪溝まで雪を運ぶ。今日も雪が散らつく程度で積もるほどではなかった。今日したのは家の横に今まで溜めてた分を綺麗にしてこの次の大雪に備えるのための雪捨て。気分的に余裕の雪捨てだったからちょうどいい運動をした気分で疲れもない。毎年同じことを書いてる気がするけどすぐ近くに流雪溝があるので本当に助かる。運んだ雪が瞬く間に消えるのが嬉しい。09-1-10

 

灯油を満タンにする。去年の暮に、まだ余裕のあるうちに入れようかと思ったがもう少し下がるのではとちょっと待つことに。やはり少し下がっていた。ちょうど去年の今頃にも購入してたので価格を調べてみると、1P98円になっている。そして今回は62円。一番高いときにはいくらだったか忘れたしまったが乱高下に随分振り回されてきた。これでしばらくは灯油の価格を気にしないで済む。09-1-9

 

ときどき屋久島のHPをみるように波照間島のも見たりしている。こっちはもっと懐かしく、年に一度の旅を始めたとき最初に選んだ地。どうせなら最初に国内の最南端に行ってしまいたいという気持で選んだ。あれは2003年の10月だから、もうすでに6年前のこと。それなのに強烈な印象だったからそんなに経った気がしない。青とエメラルドが瞬時に蘇る。旅の有難さはこんなところにもある。09-1-8

 

お正月はほとんど雪が降らなかったし、その後も降ってない。すっかり楽をしているけどいつまで続くのだろうか。こんなことを書いた途端に大雪になったりして。大雪ではないにしても雪に覆われている光景にびっくりしたのは、つい最近見た屋久島のHP。そこには雪の積もっている『もののけ姫の森』が 載っていた。屋久島の低いところは亜熱帯で高いところは亜寒帯だというのがよくわかった。09-1-7

 

今日は外での仕事始め。家では仕事と休みは自分次第で時間的にもはっきりした区切りはない。その日その日でずーっとやるときもあればずーっとやらない日もある。でも、外での仕事は絶対的なもので、ある意味楽だったりもする。その時間そこに身を置けばまちがいなく仕事ができるわけで必要以上の努力もましてや頑張る必要もない。ただ真剣であればそれでいい。久し振りのいい緊張感の1日。09-1-6

 

太宰治と松本清張が同い年だったとは・・・。無知と言われればそれまでだけど太宰治はもっと昔の人のイメージがあり松本清張は同時代を生きたという認識を持っていた。しかし、その生い立ちを見て納得。自分が生まれた48年に太宰治は39才で亡くなっているし、松本清張は50年に作家デビューしているわけだからそう勘違いしても不思議ではない。明治生まれの生き方の対比がおもしろい。09-1-5

 

お正月は昔買った本を取り出して読んでいた。一番興味深く読んだのは池田満寿夫の『複眼の思考』という本で1980年発行の美術に関する散文をまとめたもの。その当時、池田満寿夫の版画作品のみならず散文にも惹かれて随分買ってあった。いま読んでも文章のおもしろさと説得力はさすがだと思う。奥深い観察眼と洞察力には本当に驚くばかり。今年の旅は池田満寿夫美術館もある長野の予定。09-1-4

 

暖かくて雪の降らないお正月で大助かり。おかげで雪掻きの心配もなく家でのんびりできる。元旦の午後には新鮮な気持と体になりたくて久し振りに(2年振りくらいだろうか)近くの大型銭湯に出かける。銭湯は大勢の人で溢れていた。大きな湯舟に思いっきり足を伸ばして入れるのはやっぱり気持いい。サウナで汗を流し、水風呂に入って身を引き締め、露天風呂でのんびりとくつろぎのひととき。09-1-3

 

○○○○寿明主演映画「20世紀少年」 今年のNHK大河ドラマ「天地人」主演俳優。新聞に載っていたクロスワードパズルでまったく思い浮かばなかったのがこのふたつ。芸能界がすっかり苦手な分野になってるのを再認識。○○○○の4文字は完全にお手上げでほかから攻める。他のところだとひとつかふたつ埋まるとわかるのにNHKのほうは7文字のうち5文字が埋まってようやく繋がる始末。09-1-2

 

また新しい年の始まり。いつもと変わらぬ7時に起きてくる。郵便受けには分厚い新聞が挟まり、もう一部が下に落ちている。今日はパンでなく雑煮を食べてから、たくさんの新聞を読んだけど普段と大して変わらない時間で終ってしまった。年賀状がくるまでの間どうしようかと思っていると8時半に届いてびっくり。いつもは11時頃だったはず。朝からお正月をかみしめる。これがあっての元旦。09-1-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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