ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

ついうっかりが危ない。ちょっとの間だからそこで待っていればいいのに、その間に何かしようと離れるからいけない。お湯を沸かすためにコンロに掛けた鍋を忘れてしまって焦がす寸前だった。以前にも何度かやっていて深く反省して、その危険性を学習しているはずなのにまたやってしまうとは...。鍋を焦がすだけで済めばいいがそれ以上になったらついうっかりでは済まされない。猛反省。16-1-31

 

日銀のマイナス金利がどうにも理解できない。そこには追い詰められた末の危ない賭けの臭いがする。一か八かの賭けをするのは窮地を認めているわけで、さらに泥沼にはまる危険性は大いにある。脱デフレ対策に出した奇策は愚策になりかねない。単純な印象だが、マイナスの言葉からはプラスのイメージが湧いてこないからますます守りに傾きそうな気がする。もっと根本的な誤りを正すべきだ。16-1-30

 

風邪を治すまでに一週間も掛かってしまった。引いてから3日後には快復した気になっていたのに、ズルズル中途半端に引きずっていた。これでは、もう大丈夫と思っても自信を持てなくなってしまう。実は同い年の友人達にも体力の減退と体の変調が現れ始めている。年末に手術のため入院した友、そして体調不良で忘年会を諦め新年会にしようとしていたのに未だにできていない友の病状が心配。16-1-29

 

バスの事故が続いている。それらは運転操作によるものだけでなく、突然燃焼するという車体の問題から起こるものも多い。運転に関する方では運転手の高齢化が深刻だ。多数の若者の命を失ったときのは65歳でその後は70歳というのもあった。いくら個人差があるとはいえ高齢者に多数の命を預けるのは怖い気がする。そして、耐用年数を越えそうなバスがたくさん走っている現実も恐ろしい。16-1-28

 

昨日の新聞で知った『人間が生活するために消費するエネルギーの割合』。かなり勘違いしていて、その表に驚く。それによると基礎代謝に60〜70%、活動代謝に20〜30%、食事誘発性体熱産生10%になっている。基礎代謝の多さと活動代謝の少なさが意外だったし、食事云々はまったく知らなかった。考えてみたら心臓なんかは一時も休まないんだからすごいエネルギーを要するわけだ。16-1-27

 

今回の一連の体験、つまりズボンが窮屈だったことと風邪を引いてしまったことで改めて歩きと卓球の大事さを見直す。葬儀のとき友人にズボンのことを話したら「卓球をやっているのにかい」と言われたのもこたえた。そして、風邪の初期段階から養生したにもかかわらずそれを押しとどめられずに進行させてしまったのがくやしい。ふたつの運動がまだ足りないようだからもっと楽しまなくては。16-1-26

 

また風邪を引いてしまった。先月中旬にかなり重い風邪を引いたので、それが免疫になって今シーズンはもう引かないで済むと勝手に希望的観測をしていたのに・・・。葬儀から帰った金曜日の夜には鼻水が止まらなかったので、早寝をして土曜の昼も寝ていたというのに治らず、楽しみにしていた夕方の卓球も断念するほどだった。ようやく治りかけているが、引きやすくなっているのは明らかだ。16-1-25

 

通夜のあと一緒に食事をしてお酒を飲み語らい、そのまま葬儀場に泊って翌日の告別 式にも出席。葬儀は無宗教で行われ坊さんのお経もなければ戒名もないという純粋で簡潔なものでとても好感を持てた。式のなかでは生前の趣味だった短歌が読み上げられ、生い立ちをまとめた映像も流されて故人を偲ぶに相応しい場と時間になっていた。これでこそ、送られる人送る人が中心になる葬儀だと思う。16-1-24 

 

続き。次には靴だ。これもしばらく振りに出してみると見た目はきれいでほっとする。甲の部分に走っている筋が少し気になったが、履いてみても問題はなさそうだ。お腹と比べて足のサイズは変わりにくいのだろう。そして、それが冬靴だったので安心して出掛けた。ところが、夜には靴の筋がどんどん広がり皮がぼろぼろになっていったのには驚いた。日頃のチェックと備えの大事さを痛感する。16-1-23

 

ズボンがすんなりはけなくて焦る。通夜に出ることになり、母の葬儀以来10年振りに喪服を着ようとしたらウェストがきちきちでジッパーを上げるのに一苦労してしまった。卓球と歩きを一所懸命やっているから大丈夫と甘くみていた。それでも何とかはいたら、今度はネクタイの結び方が思い出せない。以前も参考にした切り抜きの紙を探し出しこちらもようやくクリア。しかし、他にも問題が。16-1-22

 

エンドレスの漢字ノート。書けなかったり読めなかった漢字を上半分に読みを下半分にその字をまとめた小さなノートを見ていつも書き取りをしている。そんなノートが外用と家用の2册あって、外用はいつもリュックに入れてある。どっちも何度も何度も書いてしっかり覚えたはずなのに、また繰り返すと必ず書けなくなってる漢字が出てくる。そんなわけで終りなく続く。そこに3冊目が加わる。16-1-21

 

先日思わぬところで趣味の漢字の書き取りが役立ち感謝されて嬉しい思いをした。自分より年配の人が脳トレ用として渡された漢字の読みの答がわからなくてスッキリできずにいて、辞典で調べようとしてもうまくできなかったという。軽く「いいですよ」と言ってみたものの少し不安も抱えながらその問題用紙を見てみると『心太、土竜』など20個ほどの漢字がすべて読める字で胸をなで下ろす。16-1-20

 

お年玉付き年賀はがきの当選は残念ながら97枚中のたったの1枚。こうなると0でなくてよかったと受け止めるべきか。その1枚はもちろん3等の切手シート。今年の確認作業はこれまでよりさらにシンプルになった。どうして今までそうしなかったのが不思議なほど当り前のやり方。それは1等から3等までの下一桁の0と5と8と9を区分して確認する方法。今までは0から9までを並べていた。16-1-19

 

卓球の時間は病院の時間。この意味は、思う存分体を動かして筋肉を鍛え、たっぷり汗をかいて新陳代謝を促している時間は、将来病院で過ごさねばならない時間をここで消費しているんだという考え。つまり、卓球の時間だけ将来の病院の時間を減らせるというわけ。もちろん、すべての病気や怪我が卓球で解決するわけではないが基礎的な体力維持と精神的な安定と満足に貢献しているのは確か。16-1-18

 

この前、冬の市電に乗ってわかったことがある。信号待ちがあるのでスピードが遅いのはしかたないとしても車内の寒さはつらかった。短い距離ならまだしも30分以上乗っていると足許に寒さが伝わってくる。ドアが開く度に冷気が入り込むから暖まるひまがない。バスなら座席の背もたれが冷気の壁になってくれるけど電車のお見合いにはそれもない。これでは年寄りに優しいとも言えなくなる。16-1-17

 

夕刊の小説が思わぬ広がりをみせてしまいそうだ。それでなくてもいろいろな場所で様々な人物が決して平穏でない世界に飛び込んでいるというのに、ここにまた新たな難題が加わった。下巻を飛ばし読みした『約束の冬』もそうだったが、どうして次から次へと話を広げていくのだろうか。おかげで気掛かりはどんどん増えてしまい、把握しきれなくなってしまう。幅を持たせるより深めてほしい。16-1-16

 

『風が吹けば桶屋が儲かる』みたいなもので『マイナンバーが広まれば泥棒が増える』になりかねない。その理由はこうだ。預貯金をすべて把握されるのを嫌がる人が必ず出てくるはずで、そうなるとタンス預金になる。すると、それを狙う悪いやつも現れる。それが強盗となれば問題はさらに深刻だ。タンス預金に走るのは悪意のある人ばかりではなく、いわゆる善良な人達にも十分あり得ること。16-1-15

 

浦河震度5弱の地震。震源地は浦河沖で津波の心配はなし。カルチャーセンターの講座のモチーフをセットしているときにその揺れが届いた。ビルの4階なのでそれなりに揺れたが、震度2か3といった程度で驚くほどではなかった。実は、浦河育ちのせいで地震に対しては不感症的なところがある。とにかく地震が多い場所なのでいちいち驚いていられなかったのだ。幸い被害は小さくほっとする。16-1-14

 

ループ化された市電に初めて乗ってみた。まずは繋がった部分を乗りたくて、薄野で乗車して4丁目方向へ。この車窓は初めてなので新鮮だったが、たったひと区間なのに随分時間が掛かるのは想定外だった。これはカーブと信号のせいだからしかたがないのだろう。4丁目で降りずに乗り続けていて思い出したのは、ゆっくり走る乗り物なんだということ。すっかり地下鉄の感覚に慣らされていた。16-1-13

 

今年の1回目の運試しは78分の13で上々の引き。もうすっかり恒例になった1月と7月の年2回行われる市民ホールの部屋を借りるための抽選。1から順番に借りたい月日の部屋を確保していくので、番号が若ければ若いほど希望を叶えやすい。だから、すべては箱の中からつかみ出す番号札の数字に掛かっている。それが13だったので大満足。おかげで半年分の仕事をやり終えたような気分。16-1-12

 

驚くほどに雪が少ない。たとえ降ってもさらっと雪化粧をするだけで積もったとは言えないくらいの量 。ゆっくりできるので有り難いけれど、明らかに異常な感じがする。今は楽をしているから深刻な気持にはならないけれど、冬が冬でなくなると春にも夏にも秋にも影響が出てきそうで心配になる。雪まつりのための雪運びも例年より遠い所になり運送費もかさんで雪の確保に苦労しているらしい。16-1-11

 

子供の頃、大人になったらなりたいものの一番最初は蒸気機関車の機関士だった。それは多分小学校2、3年辺りだと思う。田舎住いだったので、町の駅に停まっている機関車を眺められる機会はそう多くはなかったはずなのに、いろいろな場所から蒸気を噴き出し煙突から煙の出ている機関車の姿は忘れられない。とにかく飽きずに眺めていたのを覚えている。機関車を絵に描くのも大好きだった。16-1-10

 

「大人になったらなりたいもの」アンケートの順位が新聞に載っていた。男の子の1位 から3位はサッカー選手、野球選手、警察官で、女の子は食べ物屋さん、保育園・幼稚園の先生、看護師さん。意外だったのは食べ物屋さんは19年連続トップだという。他の仕事はわかりやすいけれど、食べ物屋さんはケーキ屋さんやパン屋さんが多いのだろうか?それとも、カフェとかレストランとかなのかな?16-1-9

 

読むのが止まっていた小説の下巻を飛ばし読み。そのままにしておくのもすっきりしないので、360ページを1時間余りで読み終えた。それは、ページの頭と真ん中辺りだけを読み進めたというわけ。もちろん話は途切れ途切れになっても大きな流れは伝わってくる。そして、じっくり読まなくてよかったという結論に達した。下巻でも現実味のない偶然が重なっていたのだ。やっと解放された気分。16-1-8

 

遅れて届く年賀状が不可解。すでにお正月気分も抜けた5日と6日にも年賀状が届いた。そのうちこちらからは出していないものが2枚あった。つまり、年賀状を受け取ったのでそのお返しというわけではない。いったい何日に投函しているのだろうと疑問になる。調べてみると昨年も同じ日に届いているからやむを得ずそうなったのではなさそうだ。これではせっかくの年賀状も意味を失ってしまう。16-1-7

 

読み進めている三つの小説のうちの本のものが上巻で止まっている。とくに後半になってからだが、あり得ないほどに偶然が重なり続けるのだ。話ができ過ぎているといったらいいのだろうか。そうなると、この先どうなるんだろうかというワクワクもドキドキも減退してしまう。先のわからない世界だからおもしろいのに、リアル感が乏しくて興味も薄れてしまった。幸い新聞小説は朝夕とも耽読中。16-1-6

 

北海道の冬の生活。昨年末に雪捨てをしていたとき、たまたま近所の人がちょっとの用事で玄関先に出て来たのを目にすると、何と半袖姿。それがもう一軒でも。昔の石炭の時代から室内は暑いほど暖かくする(なってしまう)習慣はあったが、今でもそれが残っているようだ。20歳の頃、初めて本州の冬の家を訪ねたとき部屋が寒くてびっくりしたのを覚えている。我家は厚着で暖房はほどほどに。16-1-5

 

卓球で思う存分汗をかく。いつものように1時から4時までノンストップで動き回る。相手をしてもらったのは合計6人。普段一緒にやっている仲間が風邪のため来られなかったので、いろんな人とやることに。それぞれ打ち方も実力も違うから最初は戸惑っても、たくさんの球筋に触れられるからこれはこれでおもしろい。長年(4年目)来ていると、こうして誰かに相手をしてもらえるのも嬉しい。16-1-4

 

穏やかで暖かな天気のうちにお正月を終えようとしている。まったくと言っていいほど雪も降らず、これほどのんびりできた年末年始は珍しいのではないだろうか。雪かきは一回もしていない。運動不足にはなるが気楽に休めるのでありがたい。お正月の間の歩きも郵便局とスーパーへの二度の往復だけだった。でも、明日は待ちに待った卓球のできる日だ。今までの運動不足の分も一気に解消したい。16-1-3

 

いつもは曜日で生きているのに、さすがに年末年始ばかりは日付けになる。30日、大晦日、元旦、2日となり、3日辺りからまた曜日を意識し始める。外での仕事も卓球も曜日でやっているのでどうしてもそうなる。もうひとつ、頭から曜日が消えるのは旅のとき。そのときは出発の日つまり一日目、2日目、3日目、と続き帰る日最終日となっていく。どちらも非日常で心から安らげるときになる。16-1-2

 

雪はほんの少し降っただけの穏やかなお正月でのんびりといったところなんだけど、そうもしてられなかったのが年賀状の行き違い。今年はいつにも増して多く、出してないのが18枚も届いた。その反対に出したのに来なかったのが21枚。嬉しいようなそうでないような複雑な気持にさせられる。それでもめげずに木版刷りをして宛名とひとことを書いて郵便局まで散歩。とにかく新年の始まりだ。16-1-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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