ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

朝と昼と夜の時間の進み方。時間帯によってその感覚が随分違うことに気づいた。これは早起きして制作するようになってからわかったこと。朝から正午にかけてはかなり経った気分でも「え、まだ・・時」という具合で感じてるほど時間は経ってない。昼から夕方にかけてはだいたい一致する。そして夜は「え、もう・・何時」といった感じになることが多い。これは体力の消耗と関係あるのかな。06-6-30

 

今日、今年の1月から3月までの『医療費のお知らせ』が届いた。ちょうど歯科にかかってたときになる。総額で103,840円。実際に支払ったのはこの3割だから31,152円ということだ。3万円も大きいけど10万と聞くと驚いてしまう。保険証は何年かに一度くらいしか使わないけど総額を見せられるとそのありがたみを感じる。これからは保険証を使う機会も増えるかもしれない。06-6-29

 

野菜や果物のカットや1個売りが随分定着し当たり前になってきた。これはとても嬉しいこと。ほしいものを必要な分だけ買えるのがいい。以前は、とは言っても何年くらい前かはっきり覚えてないがほとんどすべてがカゴか袋に入った複数売りだった。割安かもしれないけどすぐには食べ切れないから同じものがしばらく続いたものだ。最近、ときどき買うのが100円のパインの小分けパック。06-6-28

 

小さな虫が飛ぶ季節はいや。もちろん大きな虫も嫌いだけど、ときとして小さな虫は目の中の蚊なのか本当に飛んでるものなのか迷うことがある。飛蚊症になって4年近く経つからすっかり慣れてしまって普段はまったく気にならないけどときどき鮮明なのが飛び回る。なぜかはわからない。これと比較はできないけど幻覚というやつは虫がたくさん這いずり回ったりもするらしいから恐怖だろう。06-6-27

 

変化がほしいなら途中に違うのを入れればいいのだが、また戻るときもっとつらくなりそうだからやっぱり続けることになる。進行中の作品はメインなので「これでよし」と完全に区切りをつけて安心したい。とにかく今回の個展の構想を実現するにはどうしても9点必要。個展をするギャラリーの構造からその点数がはじき出された。空間をギャラリー全体をどう活かしきるかも大事なテーマ。06-6-26

 

個展のための作品がようやく9点目に入った。これを完成させれば新たな構想の作品に入れる。これからまだ10日はかかるというのにこの1点でようやく同じ形の作品から解放されると思うと気持も軽くなる。いくら技が高まるとはいえ同じ作業行程を繰り返すのはかなり疲れる。変化がほしい。06-6-25

 

様々な分野のいろいろな人がワールドカップでの日本敗退の理由を語っている。世界におけるレベルを正しく認識してなかったわけで過度の期待をしてたに過ぎないというのは冷静な判断。なかにはあきれたものもあった。元プロ野球監督の言葉だけど『足りなかったのは大和魂』。こんな言葉を取り上げてる間は世界と互角に戦える日はますます遠ざかるだろう。多分、相手にはしないと思うけど。06-6-24

 

サッカーのワールドカップの予選で日本は4位になり決勝リーグには進めなかった。実力がそのまま現れたわけでしかたがない。それぞれのスコアがそれを見事に証明してる。オーストラリアに負けたのは少し残念だけどブラジルに負けたのは順当な結果 。ついに日本戦 を1試合も観ることなく終った。忙しいからだけでなくぜひ観たいという気にはならなかった。それも朝の4時なんて到底無理。06-6-23

 

今日も日中でも薄暗い雨と曇りの天気は続き太陽の恩恵を受けることはできなかった。せっかくの大好きな長い夕方も楽しむことなくどんどん短くなってしまうのが寂しい。今年の道内の低温、日照不足は深刻で農作物に大きな影響を与えているようだ。札幌では平年の7割り弱というけどもっと少ない気分。たとえ晴れても長続きしないから『ぐずついた天気』という言い方がぴったり当てはまる。06-6-22

 

今日が夏至だなんてとても信じられない。陽が長くなったことを味わう晴れの日がほんとうに少なくてどうしても実感がわいてこない。そのうえ昼がもっとも長い貴重な夏至だというのに雨と曇りのどんよりとした肌寒い1日。明日から縮まるのは1分ずつだから大きな差はないけど気分は大違い。06-6-21

 

でも、コンビニにATMがあることを思い出してそこに入った。しかし・・・。夜の何時からかは忘れたが朝の7時まで使えないのだ。知らなかった。駄 目とわかってあきらめがついたので中途半端にタクシーに乗るより家まで歩いてやろうという意地が出てきた。ときどき出会うのは新聞配達の人か犬を連れて散歩をする人。家に着いたのは5時40分。はからずも1時間半の早朝の散歩となった。06-6-20

 

久々の朝帰り、それも歩きで。土曜の夜から日曜の朝にかけてのこと。もう何10年振りのことなのでこの前がいつだったか定かな記憶はない。友人と何軒か回って店の外に出るとすっかり明るくなっていた。携帯の時計を見ると4時10分。友人はすぐタクシーに乗り、僕は少し歩くことにした。それは酔い覚ましのつもりと家までのタクシー代が足りないかなという心配のためでもあった。続く。06-6-19

 

借りてるアトリエの草取り。千枚通しのようなものを草の横の地面に突き刺してから草を抜き取る。根の先まで抜けてくれると嬉しいが根元でちぎれてしまうとくやしい。たんぽぽもちぎれる仲間でかなり深くまで掘り下げないと根が残ってしまう。たんぽぽも何とか生き残ろうと必死なわけだ。ほおっておくとどんどん増えるから根気よく抜くしかない。花はきれいでも草としては大の嫌われもの。06-6-18

 

預けておいたモチーフを持ち帰るため車を目的の建物の前の路上パーキングに停めた。券売機は50mくらい離れたところにある。その往復に1、2分足せば荷物を持ってこれそうだけど落着かないので駐車券を買って窓ガラスに張り付けた。やはり荷物を持って戻って来るのに5分もかからなかった。そうなると1時間300円の駐車券がもったいなくも感じるが万一のことを考えればしかたない。06-6-17

 

2、3日前に以前出品していたことのある公募展の入選者が新聞に出ていた。かなり昔からの現象ではあるけどそれがさらに進んでるような印象を受けた。それは圧倒的に女性が多いということ。すべてを数えるのは大変なので札幌の分だけ調べてみたら80人中男は10名だった。かろうじて1割は超えているという状況。なぜかは知らないけどまもなく「あれ!男もいた」てなことなったりして。06-6-16

 

技を高めたいというのは技を極めるのが目的ではなく早く正確にこなすことでまだまだたくさん控えてる作品のイメージをできるだけ多く具体化したいから。作りたいと思ってる作品のスケッチはごっそりある。順番待ちをしている状態だが新しいイメージも涌いてくるとどうしてもそっちが優先されその前のはどんどん遠ざかってしまう。それらを作るには『より早くより正確に』は重要な条件。06-6-15

 

作品の出発は個人的な発露でも、その過程において普遍性もほしくなってくる。それもより完璧を求める理由のひとつ。完成した時点で個人の臭いだけでなく作品それ自体が独自の主張を持ってほしいと願う。いずれ独立した存在になるためにも内に秘めた強さが必要。だから、完璧を目指すのは外見的な見栄えだけではなく自立を揺るがすようなスキを見せたくないという意志の現れとも言える。06-6-14

 

ショック。ようやく出来上がった作品を『よし、よし、いいね』と喜びとともに眺めているとき、わりと単純なミスを何ケ所か見つけてしまった。技術は高まり作業も早くなったと言ってたのに・・・。かなりいい仕上がりだと思っていたのに簡単な失敗を見逃していたのがくやしい。もう直しようがないのでしかたがない。次の作品でより完璧を目指すことにしよう。こうして際限なく続くわけだ。06-6-13

 

2、3年後には団塊の世代の退職問題が出てくる。どんな仕事も経験は必要だがとくに長年の勘が活かされる技術職はより深刻なようだ。いわゆる後継者がいないらしい。今日の新聞にそれを象徴するような記事があった。団塊の世代の板金工が「仲間内では若いほう」と話してる。後継者がいないということはせっかくの技術もそこで途絶えるわけで『作る人』がどんどん減っていくのは寂しい。06-6-12

 

サッカーのワールドカップが始まったがぜひ見たいという気持ではない。前回は日本・韓国で開催ということで盛り上がりが違ってかなり見た気がする。もともと野球のほうが好きでテレビのサッカー中継を見ることはほとんどない。だからJ1もJ2もどのチームがトップにいるのかも知らない。気になるのはコンサド−レの勝ち負けと順位 だけ。これからも忙しい1ヶ月だからこのほうが助かる。06-6-11

 

昨夜、眠りについて1時間後くらいに『ひとこと』を書き忘れているような気がして目が覚めた。布団のなかで書いた内容を思い出そうとしてもすぐには浮かんでこない。ということは書いてないのだろうかという気持が強くなる。でも、パソコンに向ったのは確かだから大丈夫のはずと頭のなかで行ったり来たりする。結局は布団を出ることなく思い出して眠り直したがあのあせる一瞬は嫌なもの。06-6-10

 

同じ作業を繰り返していると慣れると同時に技術も高まる。つまりより正確にそしてより早くできるようになる。様々な手順があるがそれもすっかり飲み込み迷うことなく進む。もちろん失敗してやり直すときもあるけど最初の頃に比べるとかなり減った。これが時間短縮の大きな理由。それにしても同じ作業の繰り返しに飽きてきたから早く次に予定してる作品に移りたい。でもまだしばらく無理だ。06-6-9

 

ひとつの作品の出来上がりはすぐに次の作品の始まりになる。出来上がった喜びに浸っている暇がないのが残念。まったく同じ形の作品を合計9個作る予定なのであと2回はそれを繰り返す。以前も書いたが出来上がりまでの日数が次第に減ってくるのが嬉しい。1作目は1ヶ月かかったものが20日になり14日になりそして今制作中のものは10日を切れるかもしれない。最後は1週間が目標。06-6-8

 

家の中でずっと立ちっぱなしで制作してると夕方の散歩は気持だけでなく足の休憩にもなる。動くことで休むというのはマッサージみたいなものなんだろう。とにかく歩いてるうちに足の疲れがとれてくる。真ん中に小川の流れる遊歩道を歩いているとじっと小川のほうを見つめている人がいた。何気なく下に目をやると母鴨の後ろを必死に追い掛ける子鴨がいる。かわいい。これも散歩の効用のうち。06-6-7

 

ちょっと嬉しいとき。札幌駅の通路を歩いているとき旅行者から地下鉄の乗り場を聞かれた。慌ただしい雰囲気もなく怖い顔もしてなかったのだろう。まず、そこにほっとする。初めての町で迷ったとき親切に対応してくれる人は有り難いもの。ささやかでも旅先で受けた親切のお返しをした気分。06-6-6

 

父の臭い。かなり小さいときから父の臭いを感じていた。その元が何なのかを知ったのは小学校に入ってからだと思う。それはまぎれもなく煙草の臭いだった。当時のはやりの『しんせい』だがどんな字だったか忘れてしまった。あれ、ひらがなでいいのかな?『新生』かな?父は入院してるときにも煙草を吸いたがり随分母をこまらせていた。父の棺にはもちろん吸いたかった煙草を入れてあげた。06-6-5

 

母の手。3年前、母の病室に子供達が交代で寝泊まりして看病してたときのこと。それはたった一晩だったけど母を知る貴重な時間にもなった。そのとき、僕の手は母の手にそっくりだということを初めて知った。手や指そして爪の形も似ていた。それまでずーっと母の手をじっくり見てなかったわけだ。いくら思い出そうとしてもその記憶は見当たらない。母が亡くなったのはその2日後だった。06-6-4

 

魚釣り。子供の頃、山あり川あり1里先には海もあるという自然のなかで遊んでたから当然魚釣りもした。川ではうぐい沼で鮒そして海ではチカ釣りをした覚えがある。でも熱中することはなかった。とにかくじっとしてるより動きまわるほうが好きだった。父は大の釣り好きで度々誘われたのに一緒に行ったのは5回のうち1回もなかったかもしれない。もう少しついていけばと多少後悔してる。06-6-3

 

魚達の不思議。魚達が我家に来たのは2月10日のことでそれから4ヶ月近く経つた。少しずつではあるけど大きくなってきてる。でもそこに不思議な現象を発見した。始めは大きさの違いがはっきりしていて区別 しやすかったのに中位だった2匹が大きい方に近づき3匹が似た大きさになった。それなのに小さい3匹はそれほで大きくなっていない気がする。いつか同じになるにしてもこれはなぜ?06-6-2

 

早いものでもう5月が終り6月に入ってしまった。早く感じる理由のひとつはのんびりとした春を楽しめなかったからだろう。今日も最高気温は15℃しかなく肌寒い一日。さわやかで気持よい季節のはずなのに外でじっとしてると身が縮むほどだった。ニュースでクールビズを伝えていたけど半袖姿が寒そうに見えてしまう。こんな天気が続くと春だけでなく夏もこないのではと心配になってくる。06-6-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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