ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

昔、といっても20年ほど前だろうか、数人の友達と飲んだ後に『カラオケ』に行くことになったとき「絵を描きながら飲める店があったらいいのにな」と言ったのを覚えている。すると最近、新聞に『ドリンク&ドロー』という飲みながら裸婦デッサンをする店がニューヨークにできたとの記事が載っていた。それをやる人がいたのが嬉しい。でも、これは都会でなければ成り立たない商売だろう。15-11-30

 

映画は時計を見ない限りいつ終りが来るのかはっきりしないが、本は残りのページ数で予測ができる。もちろん、映画だって上映時間はわかっているからおおよその見当はついても、あと何分なんてわからない。そのため終りが突然訪れる場合も結構多い。そんなときは気持が入っていればいるほど急にほうり出されたようで戸惑うが、大きな余韻を残すので自然にその先のストーリーが思い浮かぶ。15-11-29

 

テレビの天気予報のときに出る道内の地名と地図を見るのも楽しみのうちになっている。そこには主だった場所しか出てこないが、それがわかりやすくていい。すでに歩いて到達した市や町と、まだ足を踏み入れてない所がはっきりわかる。すでに行った所は街並や風景が懐かしく甦りまだの所は『もう少し待って』と意欲を掻き立てられる。でも、これから始まる長い冬を思うとまだまだ先のよう。15-11-28

 

架空の世界に耽っているときには、その時間が長く続いてくれることを願う。その中の状況や人との関係をできるだけ保っていたいからそうなる。だから、終りが近づいてくると自然に寂しさも湧いてくる。『FOUJITA』にはそれがなかった。入っていなかったのだから当然か。しかし、小説の『冬の標』はページ数が少なくなるにつれ切なさが増していった。こっちには確かに生きている人がいた。15-11-27

 

続き。皮肉にも心が動いたのは、本編は終り最後に流れる制作者などの名前の後ろに映し出された藤田の顔だった。それは、終戦後再びフランスに渡り制作された教会の壁画に描き加えられていたもの。そこには様々な心情が見事に表れていた。映画がここから始まっていれば違った導き方になり展開もおもしろくなった気がする。とにかく、これほど間延びして長く感じてしまう映画はめずらしい。15-11-26

 

最後まで気持の入り込めない映画を観たのはいつ以来なのだろう。そんなのは忘れてしまうから記憶は甦らない。期待していただけに落胆も大きかった。その映画は藤田嗣治の半生を描いた『FOUJITA』。まず、画面 が暗過ぎる。時代背景を表わすつもりかもしれないが、手法があまりにも安易だ。疲れを覚えたし、抑揚のない語りが頭を淀ませ、不自然な間と無意味な細切れカットが流れを遮った。15-11-25

 

朝のカーテンを開けると外はすっかり雪景色。まるで昨日の『ひとこと』に応えるかのようになっていて驚く。今季初めて目にする本格的な積雪で、一気に冬モードに突入した感じだ。まさかこれが根雪になるとは思えないが、この変わり様を目の当たりにしたらそれだってわからない。旭川の積雪を見て同じ北海道とは思えないなんて言ってしまったら、まちがいなく同じなんだと思い知らされた。15-11-24

 

覚悟をしていたのに雪が降らない。降ってほしいわけではないから嬉しいのだが、ここまでくると心の準備も砕けてしまい、ついついこのまま雪が降らないのではとのあり得ない甘い予想に陥りそうになる。こんな風に書いたりすると途端に大雪になったりもするから気持は引き締めておかねばならない。旭川では20B近くも積もったようだが、同じ北海道とは思えない気がしてしまうのも不思議。15-11-23

 

「よし、これにしよう」と決めるもうひとつのきっかけは本の帯に書かれた言葉。表には『情熱はかけがえのない命のように愛おしい』、そして裏には『生きてゆくにも情熱がいる。萌えるように輝いていたときは過ぎてしまったが、終りはまだ遠いと思う』とある。これにも惹かれた。その本とは『冬の標ーしるべー』乙川優三郎。初めて手にして読む作家だが、こんな突然の出会いもいいものだ。15-11-22

 

昔の古本屋とは違ってきれいに整理された棚には比較的新しい本も並び、古書というよりリサイクル本といった感じがする。とにかくここは安く手に入るのがいい。上製本の小説コーナーで作家は特定せず、まずはタイトルだけをさらーっと目で追い、目が止まった本を手に取り、2、3ページを読んでみる。南画の世界を目指す女性の話だ。文章も馴染めた。1册目で決める。200円なり。続く。15-11-21

 

タイヤのパンクがわかったあと、とりあえずその1本だけを冬タイヤに交換。そして、急ぐ必要はないがパンクしたタイヤを修理に出すつもりでいた。でも、修理代を考えたら新しいタイヤを買った方が得策かと思い始める。かなり前から古くなっていると言われていたし、そうしようと決めた。それなら、今買うこともないわけでそれは来年の春まで持ち越しに。焦って修理に出さなくてよかった。15-11-20

 

ときに寒い日もあるが例年を上回る暖かさが続いている。「今日も穏やかないい日だね」と話しかけたら「去年の今頃、雪が積もってたって知ってた?」と返された。一年前のことはとんとわからない。よほどのことでないがぎり忘れてしまうものだ。そこで「今年の春の雪解けがすごく早かったのを覚えてる?」と聞いてみると「覚えてない」という。そのことが強く自分に絡んでないとそうなる。15-11-19

 

一応、やたらに長い数字の並びを見たあとマイナンバーの通知書は引出しの奥へ。議論されていた段階から、国による管理のための施策だとわかっていたので反対だった。一生に何度かしかない役所での各種申請が楽になるというが、せいぜい数十分の違いだろう。だから、使う側の利便性などないに等しい。あるのは情報漏れによる悪用の恐れで不安の方が大きい。カードを申請する気は毛頭なし。15-11-18

 

実は、『歩く旅』の感想を書いている間にもうひとつの思わぬ出来事があった。それはタイヤのパンク。家から車で動き出した途端に異変に気付き、確認すると左の前輪がパンクしている。一瞬、ニュースに出てくるイタズラなら嫌だなと思ったが、ひとつ思い当たったのが前々日のハルカヤマの砂利道。そっちであってほしい。もしそうだとすれば、無事自宅まで辿り着けたのを喜ばねばならない。15-11-17

 

ストーブは高価な買物なので種類と価格の違いを知りたくて合計7軒の店を見て回る。最初は2軒を考えていたのに、同じ商品の価格差があまりにも大きかったので他の店も調べてみたくなったのだ。そうすると、驚いたことに最大幅が2万円にもなっていた。せいぜい5千円程度と考えていたのにこれほど大きいとは。おかげで、買う店をしっかり絞ることができた。違いを調べられて選べる幸せ。15-11-16

 

炎が赤ばかりで強い燃焼にもならず燃焼筒は煤で黒ずむ。これは明らかに駄 目になる兆候。これまでのいくつものストーブの終りがこうだった。もう諦めるよりしょうがない。それにしても納得できないのは購入してから5年しか経っていないこと。テレビは直ったからいいようなものだが、ストーブはそうはいかない。こっちは予定外の出費。いろいろな製品の耐用年数が短くなっている気がする。15-11-15

 

『歩く旅』の前に修理を頼んでいたテレビはわずか一週間後には戻ってきた。そのためテレビのない生活を試す間もなく済んでしまった。ちょっと複雑な気持。でも、修理代が無料というのは想定外で驚いた。理由はわかないが何であれありがたい。ひとつ問題が解決したと安堵していたら、今度はストーブがおかしい。テレビはなくても生活できるがストーブはそうはいかない。これは更に深刻だ。15-11-14

 

3日間の『歩く旅』で110Hほど歩いたが体のどこにも異常がなかったのが嬉しい。一番心配だった足のマメも問題なしで済んだ。北に向った春もそうだったので靴のおかげに違いない。2年前、3年前のあの痛みと苦しみが嘘のよう。もしかしたら靴の差だけでなく足の裏の強さも増したのだろうか。そうだといいのだが。とにかく、今年の『歩く旅』でふたつの岬に到達できたのが大きな喜び。15-11-13

 

「歩いているときは何を考えているんですか」とときどき聞かれる。これまでは「何も考えず黙々と歩いてます」と応えていた。でも、考えるというのとは少し違うが自分の歩いている場所を北海道地図の上に置くのはやっていた。札幌市内を歩いている頃にはなくて苫小牧まで歩いたときから生まれた意識。そして、今回はそれを何度もやってた気がする。きっとふたつの岬を制覇したせいだろう。15-11-12

 

東室蘭駅前から札幌行の高速バスに乗ったのはたったの4人。そして、始発の室蘭から来たそのバスには誰も乗っていなかった。もし混んでいたらどうしようという心配はまったく無用だった。次のターミナルで10名ほど乗車したがまだまだ余裕の状態。この乗車状況からしても室蘭と東室蘭の街の活気の違いが見てとれる。もっとわかりやすいのは駅舎の大きさで、東室蘭駅は室蘭駅の5倍以上。15-11-11

 

昨日、伊達の道の駅のことを書いたら、今日の道新にその道の駅が特集記事として載っていた。あまりのタイミングのよさにびっくり。大勢の人で賑わっているのと野菜の種類の多さとその安さに驚き、もしも車ならいろいろ買いたいと思わせるほどだったが、休日には札幌ナンバーも駆け付けると書いてあって納得。これで疑問だった伊達の街の健康の源がようやくわかった。特集の続きが楽しみ。15-11-10

 

これまでの『歩く旅』で随分たくさんの市町村を通り過ぎて来たが、そのなかでは伊達市が一番健康的かもしれない。とにかくあらゆる世代の人を目にするし街並からも活気が伝わってくる。街としてしっかり機能しているのだ。気候風土の良さもあるだろうが、市の努力もあったに違いない。伊達道の駅の混雑ぶりはそれを物語っている。かつて、両親が退職後の候補地に挙げていたのを思い出す。15-11-9

 

有珠山と昭和新山を眺めながら伊達へ向っているとき、道沿いの『リンゴ』ののぼりに誘われて小さな小屋に入ると無人で5個入りの袋詰めしかない。食べたい気持がさらに強まったので、すぐ近くの住宅まで足を延ばす。そこで、1個だけ売ってほしいと頼んでみた。車なら袋で欲しいけど歩いているのでと話しながら小屋へ戻ると1個プレゼントしてくれた。当然、最高においしいリンゴだった。15-11-8

 

室蘭駅前のホテルを出発して1時間弱歩いて白鳥大橋に着く。歩道はなかったが国道でもよくあることなので右端を歩き始めた。しかし、10分後くらいに車の運転手に歩行禁止だと告げられ引き返した。ここで教えてもらわねばもっと大事になっていた気がする。実は、駅へ戻る途中に赤色灯を付けたミニパトとすれ違ったのだ。多分、誰かが通 報したに違いない。残念だったが胸をなでおろした。15-11-7

 

地球岬に繋がる観光道路は想像を超える長さだった。後で地図を確認すると、直線だと1Hほどの距離をV字型に4H近くも歩いたのだから当然だ。そのせいもあって室蘭が坂の街だとよくわかった。まるで小樽のよう。とにかく、谷の奥の奥まで家が建っている。何度も何度も曲がりくねってようやく岬に着いたのが16:34。すでに夕日は落ち灯台の灯が点っていた。岬にはちょっとがっかり。15-11-6

 

白老の旅館で部屋に案内されるとき、苫小牧から歩いてきたことを話すと「格好が歩いてる人でないみたい」と言われた。確かに、よれよれのジーンズにジャンバーそしてリュックサック姿ではそうは見えないかもしれない。今どきの歩く人といえば軽快なウォーキングウェアに身を包んでいる人を指すのだろう。「形から入らないんです」と応えたが、何となく歩く意味も違うような気がしている。15-11-5

 

白老のポロトコタンのチセ(家)でのコタンの解説と古式舞踊とムックリとトンコリの演奏はどれもが興味深く素晴らしくて30分の開演時間が短く感じられた。少なくともこの倍は欲しい気がした。とくにトンコリはもっと聴きたかった。アイヌ民俗博物館も見応えがあり1時間近く鑑賞。こうしてゆっくりできたのも一日の距離としては短い24Hに設定したおかげ。いずれはこんな旅にしたい。15-11-4

 

今回の『歩く旅』でもいろいろな出来事や感想、感動、落胆などがあったのでそれらを書き留めておきたい。念入りに調べたはずの時刻を見誤っていたのはショックだった。駅員にそんなはずはないと食い下がったのが恥ずかしい。代わりの手段があったから助かったが、そうでなかったら予定はかなり狂っていた。早とちりを深く反省。地球岬への道や白鳥大橋の歩行など失敗の重なった旅だった。15-11-3

 

8:00にホテルを出発。白鳥大橋を渡り始めたのだが車の運転手から歩行はできないと注意され引き返す。ここでも大失敗。これは詳しく書くつもり。室蘭駅まで戻り列車で東室蘭へ。そこから洞爺湖町に向けて再出発。渡れなかった白鳥大橋を過ぎ小さな峠を超えてからは有珠山と昭和新山を眺めながら歩く。伊達道の駅で昼食。16:42洞爺湖町駅着。列車で東室蘭に行き高速バスで札幌へ。15-11-2

 

7:35室蘭に向けて出発。日差しはさほど強くない。11:30登別駅でおにぎりとパンの昼食。山を超えたあとは海岸線を歩く。イタンキ浜を過ぎてから国道を離れ、地元の人に教えてもらった地球岬に繋がる観光道路に入る。これがまちがいだった。山沿いの道なりに惹かれたのだが、谷を遠回りする分距離は増える。もう着くはずが何度も裏切られた。16:34ようやく岬着。室蘭の宿へ。15-11-1

 

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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