ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

遠くに、うつむきながら車道をとぼとぼ歩いてくる人がいる。てっきり年寄りと思ってたら何と20代らしき女性だった。近づいても、具合が悪いか悩みごとを抱えているかのように見えたのは歩きながら携帯メールを打っていたせいだった。下向きの若者をたくさん見かけるけど、肉体的にも精神的にも悪影響が出るような気がしてならない。いずれ平均寿命にも関係してくるのではと気にかかる。07-7-31

 

先日の新聞に『06年の平均寿命』が出ていた。男は4位から2位の79才で女は22年連続世界一の85、51才。男女とも過去最高を更新したというが、いったいいくつまで延びるのだろうか。とにかく、これは平均寿命だから、それ以上長生きしてる人達がたくさんいることになる。ふと、平均寿命の推移を知りたくなって調べてみると、1947年は50才と54才になっているから驚く。07-7-30

 

昼食後、参議院議員選挙の投票へ。ここに引越して来てから3回目の選挙だからすでに通 い慣れた投票所。夜は、ある程度時間が過ぎればすべてわかることだけどどうしても開票速報に釘付けになってしまう。途中経過も知りたいのはスポーツ観戦に似てるかもしれない。ほとんどの当落がわかっていても明日の朝刊でさらに最終確認し直すのも楽しみ。そこには自分の1票がしっかり含まれている。07-7-29

 

本を買ったとき、カバーは断っている。それは、カバーをすると2重にもったいない気がするため。カバーの紙だけでなく、それ以上にもったいないと思うのはもとのカバーのせっかくの装丁が見えなくなってしまうこと。怪しく危ない本を衆人環視のもとで読むわけでもないのに、どうしてカバーをするのだろうか。何を読んでるか知られたくない気持も少しはわかるけど、やっぱりもったいない。07-7-28

 

腕と顔がいっきに真っ赤に。炎天下の朝の9時から昼食をはさんで2時近くまで外仕事をしたら見事に焼けた。今までは陽にあたらないようできるだけ日陰を歩いてたというのに、たった半日で真っ赤ッか。でも、そんなことは気にならない。なぜなら、今日の仕事はとっても大事な借りてるアトリエの柱の補修。解体の危機にもあった重大な問題がとりあえず回避された。このほてりは喜びの証し。07-7-27

 

年とともに早起きになるのは慌てることなく早めに行動したいという欲求にもかなっている。早起きすると時間に余裕ができるし、午前中が本当に長く感じる。当然、その分だけ夜が短くなるのはしかたがない。どっちをとるかの話。ようやく6時起きが定着してきた。できればもっと早起きにしたいけど5時起きということは10時に寝なくちゃいけないわけだ。夕食後の3時間はあっという間。07-7-26

 

『あっ、降りなくっちゃ』と慌てて地下鉄を降りたら、ひとつ前の駅。階段を昇る途中でまちがいに気づいたが急いで下りるのもイヤだし、戻って乗れなかったらもっとイヤなのでそのまま昇った。ほんの少し歩く距離が増えただけと思い直す。こんなときも、時間に多少の余裕を持って来てるから大丈夫。最近はギリギリの時間での行動が 少なくなった。それだけ年をとってきたということか・・。07-7-25

 

昨日の続き。区切りがつくまでの区切りとは個展後のカードとファイルのプリントが完全に終るとき。新しいソフトを入れるとそれだけでトラブルの原因になるときもある。もっとパソコンに詳しければ修復もできるだろうけどその自信がないから慎重にならざるえない。だから、フォント(文字、書体)を買ってから使えるようになるまで2ヶ月以上経ってしまった。未だに腫れ物に触れる気分。07-7-24

 

区切りがつくまでじっと我慢してたことがある。それは、もしかしたら・・・という心配があってできなかった。恐怖とまではいかないけどかなりな不安を抱えていた。ところが、意を決してやってみると、拍子抜けするくらい簡単に無事終了。前フリが長くなったけど、それはパソコンに新しいフォントを入れるだけのこと。CDが原因のトラブルがあってからトラウマだった。それもようやく終了。07-7-23

 

工芸作家のアトリエ訪問。車で1時間余りのところにあるそのアトリエは畑と田んぼに囲まれていて、近くにはきれいな曲線を描く小山のある、のどかな田園風景のなかに立っていた。心が和む。牛小屋を改造した1階が作業場で2階は作品の展示場所になっている。その横には山小屋風の建物があり、そこは作品展示のスペース兼くつろぎの空間といった感じ。天窓の青空と雲にタレルを思い出す。07-7-22

 

知人の個展に行くための公共交通手段は地下鉄と汽車、バスと汽車、汽車と汽車のどれか。歩きながら選んだのはバスと汽車。それがタイミングのよさに驚く。バス停に着いたのは1時間に2本のうちの2分前。乗り換えの列車も3分と待たずに来た。帰りも汽車とバスのつもりが、バスは歩きに。20分待てずに歩き始め、45分後に我家に到着。地下鉄やバスや汽車にも頼らない『足』があった。07-7-21

 

6月に個展をした法邑での公演『語り動く響き-モダンダンスと語りの世界-』を観てきた。個展をしたギャラリーが会場。照明と音響が効果 的に活かされたダンスと語りによる新たな空間を見せてもらえて楽しめた。50名ほどの観客で、驚いたのはその客層。80%は50から60代と思われる女性。年代はまったく違うけど奈良美智の映画のときを思い出してしまった。語りの『木村功』のせい?07-7-20

 

坂に関しては灯台もと暗しというより勝手な思い込みということか。以外と自分の近くは見えづらくなるもの。ましてや、自分のこととなるとさらに見えない。それは悲しいほど見えない。だから、何度も同じ過ちを繰り返し、何度も同じ反省を繰り返す。『反省だけなら猿でもできる』というのがあったが『人間は何度でも反省できる』のほうが合っている。繰り返しを減らさなくてはと『反省』。07-7-19

 

すぐ近くにあって以前から知ってた場所なのに・・・。平らな所だけでなく上り坂も歩きたいと思っていた。しかし、この辺りはずっと平坦な土地ばかりで山まで行かなければ坂はないものとあきらめていた。しかし、坂道ではなくても近くの公園にある丘を上り下りすればいいんだとようやく気づいた。10mあるかないかの丘だけど回数をこなせば高い山と同じこと。近くにも坂はあったんだ。07-7-18

 

参議院選挙まであと10日あまり。今は地方を回っているせいかウグイス嬢の叫び声は聞こえてこない。静かでいいけど投票日間際には戻ってくるんだろうな。新聞の選挙関連記事のなかでなるほどとうなずけたのは、『悪い政治家を国会へ送り出すのは投票に行かない善良な市民たちだ』というのと福沢諭吉の言葉『悪さ加減の選択』。投票に行かないことは『最悪の選択』になってしまうのでは。07-7-17

 

近所のひまわりが見事に咲いた。黄色の大きな塊が夏風に揺れている。最近は寒いから涼しい風だけど・・。たんぽぽが黄色のじゅうたんなら、ひまわりは黄色のカーテン。とにかくひまわりは夏の太陽によく似合う。元気が湧いてくる花。この『ひとこと』を書こうとしたのは4、5日前のこと。今日の夕方、散歩でひまわり畑を回ってみると、何もない更地に戻っていた。桜のようないさぎよさ。07-7-16

 

「いややー」「あちゃー」ちょっと的外れであきれたときのひとこと。おとといの宮島達男の対談の最後に質問タイムが取られた。ただし、時間がないのでひとりに限定ということで。そのとき勇んで手をあげたのが「あちゃー」の32才の男性。すぐに質問すればいいものを誰も聞きたくない自分のことを語り出す。会場にはしらけた空気が漂う。やっと出た質問も「?」。若さを汲んでも迷惑。07-7-15

 

友人も出店しているので、隣町で開催している毎年恒例の『やきもの市』に行ってきた。車で行くことも考えたけど、散歩にもなるので汽車を選んだ。『市』は駅前なのでこの方が便利だし汽車も楽しめた。普段はほとんど人のいない通 りは人込みでごった返していた。店の数もすごくて、焼き物をする人の多さに改めて驚く。これから団塊の世代が退職したらさらに増えるのはまちがいないだろう。07-7-14

 

宮島達夫のトークと対談を聞いた。宮島達夫の大迫力のカウンターの作品を初めて観たのは東京都現代美術館で1995年だった。その後も道立近代美術館、芸術の森美術館や直島でも観ている。この『ひとこと』でもその印象を書いてきた。雑誌などで制作に対する考えや意図を読んだことはあるけど、やっぱり本人の口から直接聞くと説得力はまったく違う。なるほどとうなずけるトークだった。07-7-13

 

『ゼロからの韓国語=会話編=』を買う。4月、カルチャーセンターの絵画教室に韓国の人が入ってきて、韓国語に触れるきっかけが生まれた。教室では日本語と英語を半々に何とかやっているけど、コーヒータイムに韓国語の話題になると、自分がまったく無知の世界にいることを知らされた。何度聞いても右から左に抜けていくのが悲しくなり、少しは覚えておきたくて本を買ったというわけ。07-7-12

 

今の床屋に行く前はだいたい自分でカットしていた。その当時は今より長めの髪にしてたのでカットも楽にできた。そのせいか他の床屋に行った記憶がほとんどない。覚えているのは大学生協の横にあった理髪店くらい。そこも大学2年くらいまでだった気がする。もしかしたらその後はまったく行ってなかったということかな。自分のことなのに思い出せないものだ。ま、どっちでもいいんだけど。07-7-11

 

3ヶ月に一度の割合いで床屋に行っている。このパターンになってからいったい何年になるのだろうか。多分、20年近いのでは。そして、20年間通 い続けているのが今の床屋。先日、いつものように3ヶ月分のカットをお願いしに訪れるとドアの横に貼り紙があり、9月に閉店と書いてあった。ちょうど3ヶ月後だからもう一度だけカットしてもらえるけど、年末には新しい床屋を探さなくては。07-7-10

 

学力テストのさい、東京のある公立小学校では校長が率先して誤解答に『指さし』して生徒に気づかせたという。あきれる話はいくつもあるけど教育に関するだけに深刻な問題。校長自らがカンニングを奨励しているのと同じことで教育理念なんて無いに等しい。場当たり的な判断しかできない管理者としての発想と行動。それも、自分自身の点数かせぎのために子供を利用してるところが許せない。07-7-9

 

ようやく個展のファイルが完成。これで一応区切りができた。ファイルは個展を観てもらえなかった人にその様子を伝えたいときや作品の推移を継続的に知ってもらうにも役立つ。もちろん、過去の作品を再確認したいときもこれがあると助かる。すでに9册目になった。これからも増やし続けたい。07-7-8

 

1週間くらい前の夕食後、30分ほど経ったころ、急に足の甲の辺りがかゆくなり始めた。よく見ると赤くなっている。そのうち手も顔もかゆくなって腫れてきた。夕食に食べたもので疑わしいのはスーパーで買ったホタテ入り野菜天しかない。原因を探りたくてスーパーに同様の問い合わせがないか聞いてみると、ないという。丁寧な対応で心配もしてくれた。翌朝には無事回復。でも、原因は不明。07-7-7

 

『ひまわり』で一番に頭に浮かぶのはマルチェロ・マストロヤン二とソフィア・ローレンの映画の名作。あの広大なひまわり畑は美しくて感動的だった。そして、2度目に観たときもやっぱり泣けてしまったのが駅での最後の別 れの場面。あそこは何度観てもそうなりそう。そのシーンが最近観た『魂萌え』のこれも最後のところで使われていた。過去とは違う自分を生きようとする決意の表れとして。07-7-6

 

近くの宅地にどんどん新しい家が建っている。それまで畑だったところにも家ができた。そこにはちょうど家2軒分くらいの一画が畑のまま残されていた。全部を手放すのは寂しいから畑として残したものと思ってた。4月の末頃には小さな芽が顔を出し、どんどん成長してすきまがないほど密集してきたので何の野菜なのか気になっていた。最近、意外な正体がわかった。それは、なんとひまわり。07-7-5

 

『おい、おい、それはないだろ』という場面に遭遇。中心街で共産党の広報車の屋根の上に上った女性がカントリーロードを英語で唄い始めた。もちろんマイクでいかにも楽しそうに。うるさくて迷惑だから公共の場で大音量 で勝手に唄うのは止めてほしい。それにしても自民党ならまだしも共産党がアメリカの歌はないだろう。演歌なら右翼っぽいけど自分達の気持を表わす日本の歌はないものか。07-7-4

 

先日、バイクとぶつかりそうになったとき、一瞬頭をよぎったものがある。『あっ、これでゴールドも消えてしまった』と。今までもあと3ヶ月、あと1ヶ月というところで途切れていたのでまたしても同じことを繰り返すのかと思った。幸い無事つながったけど3年の内の2年7ヶ月より残された3ヶ月のほうが意識する分だけ長く感じるかもしれない。とにかくゴールドのためにも気をつけよう。07-7-3

 

7月に入ったということは1年の半分が過ぎたということになる。気分としては夏至のときすでに半分が終っていた。あっという間のようでもあるけど、あと半年もあると考えよう。いつものこととはいえこの半年間にも得るもと失うものがあった。得て知ること、失ってわかることなど両方共しっかり受け止めておきたい。去年の個展は8月だったから去年に比べると1ヶ月は長い夏が待っている。07-7-2

 

歩道を歩いていると死んだネズミが目に入った。そこには数十匹の銀蝿がたかっている。見たくないものを見てしまって嫌な気分に。足早にすり抜けたが、そこで、ふと疑問が湧いた。この銀蝿はいつどこから飛んで来たのだろうかと。近くにいたわけ?臭いで嗅ぎ付けるとしてどのくらいの距離までわかるのだろう?それとも蜂のように仲間に信号を送るのだろうか?疑問を追ったらきりがない 。07-7-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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