ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

8時45分に宿を出る。今日も35キロほどなので遅めの出発。幸い天気予報ははずれて曇りで風もなく海はべた凪になっている。しばらくは湾内で函館山を左に見ながら歩く。知内からは海を離れ山へと進む。知内の道の駅で昼食。まったく想定外だったがそこには新幹線が眺められる展望室もあった。幸い通 過するところを目撃。峠のトンネルを超えると福島町はすぐそこ。16時30分宿に着く。18-6-30

 

札幌駅発6時53分の列車で五稜郭に向かう。車窓からの空は曇りで雨は降ってない。10時33分五稜郭着。幸い曇りのままだ。すぐに歩き始める。12時頃から雨が降り始め、さらに強くなってからは上下の合羽を着る。でも、激しい雨はいっときで降ったり止んだりを繰り返した。小雨は気温を下げてくれるし膚にも心地良くいい部分もある。18時木古内の宿に着く。温泉につかり足を癒す。18-6-29

 

ついに明日は『歩く旅』の出発の日。持参する下着や衣類、タオル、帽子、飴とチョコと一口チーズ、、100円ショップのレインコートと折畳み傘、携帯電話の充電コード、足の応急処置用のガーゼやテープ、傷薬、針などは昨日のうちにリュックに詰めてある。今日もそれらを再確認した。準備は万全になったのだが気になるのが天気。函館地方が大雨になる予報なのだ。これもはずれてほしい。18-6-28

 

『歩く旅』をする金、土、日曜日の函館の天気予報は曇りと雨になっている。歩くときに一番ありがたいのは曇りで雨は靴が濡れて水が染み込むのがイヤだし、晴れは日差しがきつい。そして、気温は少し寒いくらいの15、6℃あたりが望ましい。リュックを背負って歩いていると体はすぐに熱くなってくるのだ。それなのに気温の予報は25、26、24℃になっている・・・。下がってほしい。18-6-27

 

テレビのビールのコマーシャルを見てふと不思議に思ったことがある。もちろん、誇張して言ったり大袈裟な演技をしているのはわかるけど新発売の度に『全然違う!』『今までにない味』とまで言うのはどうなんだろう。3年に一度とか5年に一度ならまだしも半年や1年毎にそうなるんだからその前の味は何だったのって聞きたくもなる。酒呑みでないからこんな醒めた疑問を持ってしまうのか。18-6-26

 

部屋の片付けと整理はまだ続いていてる。これほどまで集中的に長時間やるのはここに引越して来て以来初めてかもしれない。結局、一部屋を除いてすべての部屋に手を付けることになった。これまでほとんど使われずにいたものや古くなった素材を思いきって処分するいい機会にできた。その反対にせっかく持っていたのに活かされてなかった素材を再確認してまだまだやらねばと思えたのも収穫。18-6-25

 

新しい散歩コースというよりトレーニングコースと言ったほうがいいかもしれない場所を開拓。これまでも何度も歩いてはいたけれど8回も往復したのは初めて。そこはいつも利用している地下鉄麻生駅の地下通 路。ここの端から端まで歩くと往復でほぼ1キロメートルになる。これは歩いた距離のわかりやすい目安になってくれるのも有り難い。本番はもうすぐなのであと2回はここを歩くつもり。18-6-24

 

昨日から部屋の片付けと整理に精を出している。収納場所を大幅に変えたりするので三つの部屋に渡ってやることになった。使用頻度と使い易さを考え階段の昇り降りをしながらいろいろ運んだ。今までの棚にはもう一段増やすために大工仕事も入った。捨てるものも出てきたので以前よりかなりスッキリと。とにかく、デッドスペースと忘れられた隠れたままの状態をなくしたい。整理はまだ続く。18-6-23

 

「不快な思いを与えたとすれば心からの反省とともに深くおわび申し上げる」とのコメントの欺瞞。「不快な思いを与えたとすれば」ということは与えたという自覚を持ってないわけだ。あくまでも自分の側からの発言であり相手の立場にはまったく立っていない。それで心からの反省なんてできるはずはない。これは癌患者に対して暴言を吐いた国会議員の言い逃れで何の痛みも感じていないはず。18-6-22

 

できれば日の入りの7時18分まで部屋のカーテンは待ちたかったのに7時に断念。西の空は厚い雲に覆われていて、その薄暗さに負けてしまったのだ。そう、今日は夏至。せっかくの太陽の恩恵を最後まで受け止められなかったのがとても残念。これからは日の入りがどんどん早まっていくと思うとやっぱり寂しくなる。最近の天候不順と記録的な低温のせいで夏至を迎えた実感が乏しいのも事実。18-6-21

 

いよいよ近づいてきた月末の『歩く旅』の予定表をまとめる。朝の列車で五稜郭まで行き、11時から歩き始めて木古内に向かい19時宿に到着。2日目は朝9時に出発して16時福島着。そして、3日目は8時に宿を出て目的の白神岬に10時到達。その後バスと列車で函館に戻り、16:18の高速バスに乗り21:50札幌帰還という予定。この予定表を見ているだけでもわくわくしてしまう。18-6-20

 

サッカーのワールドカップが始まり盛り上がっているようだが、もともとの野球派としてはいまいち乗り切れない。もちろん、スポーツ好きだから見ていればおもしろい。でも、どうしても見たいというほどの欲求は湧いてこないのだ。今ちょうど日本対コロンビアの試合の真っ最中で1対1でハーフタイムに入っている。緊迫したゲームなので後半が気になるが笛がなってもこれを書き続けている。18-6-19

 

もうひとつの安堵。3月末に奥歯のブリッジを入れてから食事中にときどき上下の前歯がぶつかるようになっていた。慣れてくればなくなると思っていたがそれは続き、6月に入ってからは前歯が欠けたのか舌先に痛みを感じるようになった。痛みは治まってきたとはいえ、これはほおっておけないと歯科に行った。歯科医に「これは痛いですよね」と同情され、すぐに削ってもらう。これも一安心。18-6-18

 

新しい方のパソコンの起動ボタンを押しても何の反応もせず一瞬焦る。この前の終了するときから、操作にやけに時間が掛かるなどおかしな状態だったので少し心配はあった。しかし、焦りはしたけれどこのトラブルは初めてではなかったので大丈夫と自分に言い聞かせながら以前と同じ対処を試みた。そして、一旦コンセントを抜き30秒以上待ってから再び差し込むという方法で無事回復。安堵。18-6-17

 

続き。もうひとつ気になるのが何かの意見や考えを言うときに『個人的には』とあえて付け加える言い方。それなりの要職に付いている人がその立場にあるときに使うのならわからないでもない。しかし、まったくそんな立場でも状況でもないのに『個人的には』と言う人がいる。もともと最初からその人個人の意見を求めているわけだから、いちいち言う必要はない。これも『私は』の希薄な現れ。18-6-16

 

『・・・と思うのは私だけだろうか』が嫌い。ときどき見かける文章だが、書いた本人は決して自分だけとは思っていないはず。多くの人がこの気持や考えに同意するはずだから、私がそれを代弁してあげるといった思いが透けて見える。もしも、それに対して『もしかしたらあなただけかもしれない』と言われたらいったい何と応えるのだろう。だから、こんなときは『私は・・・と思う』でいい。18-6-15

 

新聞におもしろいデータが載っていた。歩数の地域差があって地方は都会よりも少ないという。これはもっともだとうなずける。地方になればなるほど公共交通 が整っていないから車に頼る機会が多くなり、都会になれば整っている分歩数が多くなるというわけ。確かに東京に行くと、地下鉄の乗り換えだけでもかなりの歩数になる。札幌は都会だけど北海道全体では全国平均以下なのは当然だろう。18-6-14

 

気温の寒暖の差が非常に大きくなっている。6月の中旬に入っているのに、昨日今日と最高気温は13℃で明日も同じく13℃になっている。峠では積雪もあったというから驚く。少し前には30℃超えをした道内の町が全国一の暑さになったのが嘘のよう。これだけ激しいと外出時の服選びにも寝るときの布団選びにも迷ってしまう。ひとつまちがえると風邪を引きかねないので充分気をつけねば。18-6-13

 

市役所の地下食堂で黙々とパンを食べ続ける夫婦と思われる高齢のふたり。席はひとつ離れて座っている。真ん中の椅子には何かを置いているようだ。それでも構わないのは会話が一切ないからだろうか。この夫婦は何度も見かけているがいつもパンだけを食べている。いつも一緒に来るのだからそれなりに仲はいいのだろうが、大勢の人前での会話のない食事風景は不思議な雰囲気に包まれている。18-6-12

 

また悲惨な殺人事件が起きてしまった。対象は誰でもいいというもので、これでは人の集まるところではいつどこでそんな目に遭うかわからないし避けようもない。だからといって家に閉じこもるわけにもいかない。それを防ぐのは非常に難しい問題だ。それにしても自殺願望の人が自ら死なずにまったく関係のない人を殺してしまうのはどうしてなんだろうか。どういう心理なのか。これも難しい。18-6-11

 

久し振りに骨のある人を見て嬉しくなった。カンヌ映画祭で最高賞を受賞した是枝監督が国からの賞を辞退したというのだ。表現者としてのスタンスを守り続けたいという当然の理由だった。少しでも話題になった人に飛びつき賞を与えることで、まるで自分達の手柄であるかのように思わせる振るまいに嫌気をさしていたので胸のすく思いがした。何せ秋田犬にまであやかろうとしているのだから。18-6-10

 

個展が終って1週間が過ぎようとしているのにまだ完全に回復した感じがしない。夜は10時頃布団に入って朝の7時近くまで寝ているにもかかわらず元に戻らないのは回復力が落ちているからだろうか。そんなわけで、いつもなら張り切って行くはずの夜の学校解放の卓球も休んでしまったのだ。迷っていたとはいえ億劫な気持が湧いてきたのも確か。早くまた毎日でもやりたい気分になりたいもの。18-6-9

 

中心街での自転車の強制撤去に大賛成。限られた区域ではあるけれど、6月に入ってからはたとえ一時的であっても放置してある自転車を車に回収する決まりになった。つい最近その回収現場に遭遇した。これまでも禁止だったにもかかわらず無視され続けていたし、今度は近くに大きな駐輪場ができたというのに迷惑駐輪を重ねるのだからひどすぎる。自転車の我がままを直すにはこうするしかない。18-6-8

 

安春川に桜が流れ木の緑が増してきたと思っていたはずなのに、川沿いの草刈りがもうされていた。でも、桜の季節からすでに1ヶ月が経っているわけで草が伸びていてもおかしくはない。散歩もしていたのにそこまで伸びているとは気付かずにいた。個展の準備や開催に追われていたけれど、季節はまちがいなく進んでいたようだ。草はきれいに刈られてまるで坊主頭になったようにスッキリ見える。18-6-7

 

続き。そんなとき、説明を嫌う作家はそれはそれで構わないと言う。しかし、その鑑賞者が独自の感受性と作品と対話できる感覚を持っているとは限らない。その分野にいない人達にとっては作品に近づくきっかけやヒントを与えられることで、美術により興味や関心を深める場合がある。説明をしたあとに喜んでくれる人が結構多いのも事実。そうだから、これからも同じようにしていきたいと思う。18-6-6

 

個展のとき、必要に応じて作品の説明をしている。何を表現しようとして作品を描いたのか、どんな技法を使っているのか、タイトルに込めた思いは、などなど関心や興味や疑問に応えようと努力する。このような説明を嫌う作家もいて、作品がすべてを語っていてそこから自由に受け止めてくれればいいと主張する。それもわからないではない。しかし、それでは作者の意図が伝わらない場合もある。18-6-5

 

1週間の疲れが残るなか少し迷ったが卓球に出掛けた。昨晩は9時に布団に入り今朝の7時に起きたというのにまだ布団に入っていたいと思うほどだったのだ。多分、肉体的にだけでなく精神的にも疲れていたのだろう。考えてみれば無理もなく緊張と忙しさは制作中から続いていたわけで、かなり長い期間からの解放だったことになる。でも、たくさんの汗をかいたおかげで心も体もすっきりできた。18-6-4

 

いつもより1時間早い5時にギャラリーを閉めて搬出作業を始める。飾り付けと違って額を下ろして箱に入れ何点かをまとめて袋に入れるだけなので作業はどんどん進む。作品を掛けていたピンを抜き、タイトルを剥がし、案内板の用紙をはずし、忘れ物はないかの点検をして搬出を終える。その間約30分。真っ白な壁のギャラリーを見て、個展の終了を再認識して自分にお疲れさんの言葉を掛ける。18-6-3

 

夕方6時にギャラリーを閉めたあと友人と飲む。個展も6日目となり体の疲れもかなりたまってきていたところだけど、気兼ねなく話せる友人のおかげで疲れを忘れさせる楽しい時間を過ごせた。個展のギャラリーには知り合いからそうでない人まで様々な人達が来てくれるが、それなりに気をつかって話をするので精神的にも疲れるのだ。それもかなり解消され明日の最終日も気持よく迎えられそう。18-6-2

 

いよいよ6月に入る。早いものであと1ヶ月で半年が過ぎる。早さを強く感じるのはこの間ずっと個展の準備に追われてきたせいだろうか。昨年も同時期に個展をしているので同じように感じていたのかもしれない。とにかく、何かに追われて過ごすと早く感じるものだ。でも、逆に大したこともせず記憶に残るような出来事もなければこちらもあっという間に過ぎ去る。それなら中味の濃い方がいい。18-6-1

 

 

 

 



ウィンドウズで御覧の方は文字の表示を最小にしていただくと私のレイアウトに近づきます。

 

NAKAHASHI OSAMU

作品の著作権を侵害することのないようお願いします