ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

大晦日。いよいよ今年最後の日になる。それなのに何故かその実感が湧いてこない。お正月を迎えるにあたって昼には雪捨てに精を出し、スーパーで餅も黒豆も蜜柑も買い、夕食には蕎麦と戴いた毛ガニをおいしく食べたというのに・・・。ま、それは横に置いといて、今年は大きな怪我や病気もせずに無事終えられたことを有難く受け止めたい。これからはそんな思いを重ねていくような気がする。13-12-31

 

二番目に出てくる節目となった出来事は自分の生まれた地と育ち成長した地を歩いて辿り、ふたつの点を線で繋いだ旅。足の豆と腰の痛みに耐えて歩き抜いた道のりは自分の生い立ちと重なり鮮明な記憶として脳裏に焼き付けることができた。65歳になった次の日に生まれた地に立ちそこからまた新たな旅立ちが始まったような気がする。最後の旅立ちまでもうしばらく元気に歩き続けたいものだ。13-12-30

 

今年も残すところあと3日となり、この一年を振返えるとひとつの節目になった年のような気がする。その一番に上げられるのが札幌彫刻美術館での個展。作家活動のすべてではないが最近7年の内から選んだ作品を落ち着いた雰囲気のなかでまとめて展示できて充実した気分に浸れた。始まりは絵画でも自然の流れで立体に移行したわけでその意味ではこれまでの集大成とも言える区切りになった。13-12-29

 

『おもてなし』より『おもいやり』。相手を思いやる気持の少ない人は自分の満足のために行動する傾向が強くなる。こんな人が国のリーダーだと思うと恐怖を覚える。その相手は我々国民なんだから。東京オリンピックの誘致に使っていた『おもてなし』には胡散臭さを感じていたが、『おもいやり』のない『おもてなし』では心の欠けた表向きの繕いになる。大事なのは『お・も・い・や・り』。13-12-28

 

「傷つけるつもりは毛頭ない」。これは靖国神社を参拝した阿倍首相の弁明。自分ではいくらそう思っても相手がそう思わない場合がある。置かれる立場が違えばなおさらだ。多分、それもわかったうえで我を貫いた行動だろう。仲良くなろうというより、あえて嫌われようとしているとしか思えない。問題なのは個人としてでなく国の姿勢として国際的に判断されるわけで孤立化が進む懸念がある。13-12-27

 

今日で今年の外での仕事が終了。例年だと3週目で終ることが多かったので、いつもより1週遅くなった。その分、家での仕事の時間が少なくなったが集中力でカバーしたい。年賀状はすでに投函済みだし隙間や窓の防寒対策も済んでいて大掃除をする予定は入ってないので素描の制作に専念できそうだ。ただし、大雪になったりしたらそれもできなくなる。雪かきという仕事を増やさないでほしい。13-12-26

 

来年1月末に開催予定の素描展に向けての作品を鉛筆で描いている。個展やグループ展の終了後はしばらくのんびりしたいなんて考えていたが素描展への出品を依頼された時点ですでに創作意欲に火が着いていた。実際描き始めてみると楽しくてたまらない。この機会を与えてもらわねばやっていなかったわけで非常に有難い声掛けになった。あとは期待に応えるようお正月休みも全力で頑張りたい。13-12-25

 

来年のカレンダー。大変重宝する1年分のカレンダーはずっと銀行でもらっている。今日、最初に寄った銀行ではすでになくなっていてちょっと焦ったけど次に入ったところで手に入れホッとする。もちろんまだ張り替えていないがそれを見るだけで年末を実感させられる。個展やグループ展、教室展そして歩く旅の日程などにマークのしてある賑やかな今年のカレンダーもあと1週間の縁になった。13-12-24

 

その差は歴然。インターネットのポイントで頼んだ包丁セットが届き、さっそく使ってみると切れ味抜群でその違いがはっきりわかった。これまで使っていた包丁は15年以上経っているうえに一度も研いでないんだから比べること自体まちがっているんだけど、とにかく正解だった。セットには万能包丁の他にトマト、パン、果 物包丁と調理鋏も入っていて、用途に合わせて使い分けができそうだ。13-12-23

 

南瓜を食べ忘れたし柚子の風呂にも入らなかったけど、待っていた冬至がやってきた。朝はともかく夕方の暗さはあまりにも早くてせわしない気分にさせられていた。これからは陽が長くなると思えるだけでも明るくなれそうだ。この初冬に冬至があるのは長くて辛い冬を乗り越えるための大事な心の支えをもらえるようなもの。もしも、それが2月辺りだったら最悪になる。次に待つのは春分の日。13-12-22

 

毎年のことだけど元旦の年賀状の中には出したのに来ない人、そして出さなかったのに来る人が10人くらいずついる。この人達の判断がむずかしい。前者はもうそろそろ止めようと思っているのか、それともただ単純に忙しさのため投函が遅くなったのか。そして、後者は前年の元旦に届いたから悪いと思って出したのか、それとも出したくて出したのか。出すべきか出さざるべきかの選択に悩む。13-12-21

 

年賀状用の版画の刷りに精を出す。部屋が乾燥していると版の絵具の乾きが早まりかすれてしまうのでストーブを消して作業をしていた。ずっと消したままというわけにもいかないので点けては消しを繰り返す。頑張って何とか100枚程を刷り終える。次に宛名書きに入るのだがこちらは機械的に進めるわけにはいかず、人によっては出すかどうかの迷いもあってそれなりに時間も掛かって疲れる。13-12-20

 

家での食事の薄味に慣れているので、外での味はほとんどが濃い味に感じる。でも、それは口に合わないとか不味いというのでなく味わいのあるおいしさということ。多分それはたまに食べるからおいしいと思うのであっていつもとなればくどく感じるのかもしれない。立ち食い蕎麦屋の甘じょっぱい匂いに誘われてもほとんど食べないようなもの。とにかく、家も外もおいしく食べられるのが大事。13-12-19

 

相変わらず12月中旬とは思えない暖かさと積雪の少なさが続いている。道路も歩道も雪が解けて鋪装が顔を出している様子はまるで3月末か4月と勘違いしてしまいそう。これは、昨年12月の積もる一方だった記憶が強くあるのでそのギャップに付いていけてないのかもしれない。あり得ないことだが「このまま春を迎えられたらいいんだけどね」と言い合ったりもする。明日は2回目の忘年会。13-12-18

 

懲りないというか近視眼的な見方しかできない政治家にあきれる。せっかく原発0を目指そうとしていたはずなのにそれを覆して強引に復活させようとしている。絶対の安全などあり得ないのに無理矢理安全だと思わせようとするが、地震や津波だけでなく核爆弾を抱えているのと同じで防衛上もこれほど怖いものはないと思うのだが。そして、安価どころか天文学的に高価なものになるのは明らか。13-12-17

 

早く出そうと思っていたはがきをようやく書き上げ、吹雪きの夜中だけど郵便ポストに向う。何度も使っているポストなので着くなりすぐ投函。その直後、目に入ったのが投函口に貼ってある『年賀状』の紙。早く届けたいのに年賀状扱いされたら大変だ。翌日、ポストの取集時間に合わせて行くが局員が現れないので電話で事情を話すときちんと分けてくれるという。最初から電話すればよかった。13-12-16

 

年賀状にするための木版画作りを始める。プリンタが故障した不具合の影響でパソコンによる年賀状制作を断念した昨年に続き今年も木版画にすることにした。これもやり始めるとだんだん楽しくなってくる。彫刻刀で版木を彫っていく段階に入るとおもしろくてやめられない。次には刷った状態を早く見たい気持が強くなるから増々熱が入る。そんなわけで、半日で試し刷りまでこぎつけて大満足。13-12-15

 

子供の頃、トランプやカルタだけでなくいろんなゲームを親や兄姉から教えてもらった。五目並べから入った囲碁、駒を山にして抜いていく遊びから将棋、絵札の美しさに惹かれた花札、意味はわからなくても文字の形がおもしろかった百人一首、順番に並べて揃えていくのが楽しかった麻雀などなど。5人兄弟だったのでたくさん遊んだ記憶がある。ときには子供達だけで麻雀をすることもあった。13-12-14

 

テレビでの囲碁を楽しんでいる。実際に打つ機会はまったくないけれど、対局を見るだけでも充分おもしろい。読むことはできなくても何となく勘が当ったときには嬉しくなる。特に初めの頃は大局的に打つのであっちに行ったりこっちに行ったりする。気になるところをほっといて、あえて新たな戦いの場を作ったりもする。全体を視野に入れて様々な部分を同時進行する辺りは絵画制作と同じだ。13-12-13

 

今度は名前でなく全国名字ランキングの発表。やっぱりという感じでトップは佐藤、そして鈴木、高橋、田中、渡辺と続きさらに伊藤、中村、小林、山本、加藤になっている。佐藤からずっと知り合いの顔が瞬間的に浮かんできてたのに最後の加藤はちょっと間があった。これもランキングの正しさの表れか。そして、身近なところでは姉は佐藤に妹は中村に仲間入りしている。意外にも斉藤がない。13-12-12

 

積雪0。去年の今頃は大雪が続いて雪かきに散々苦労させられていたのに、今はまったく雪がない。すごく嬉しいのだが、年末の実感が湧いてこないとついつい動き出しが遅くなってこまる部分もある。比較的暖かいせいもあって11月のような気分でいるうちにどんどん日にちは進んですでに中旬に入ってしまっている。どうやら忘年会よりも雪景色のほうが年末の意識と強く繋がっているようだ。13-12-11

 

月曜日に祝日が多くなったのは祝日を勝手に移し替えてしまったから。そうすると、その祝日の由来がなくなってしまう。その典型的なのが体育の日。これは東京オリンピックの開会式の行われた10月10日を記念して作られた祝日だったのに・・・。連休になると出掛けたり休養するのに助かる部分もあるだろうけど記念日を外してしまうのは寂しい。それに週の中間の休日もいいものなのにね。13-12-10

 

北区体育館での卓球は今日が今年の最後になってしまった。今月の月曜日はまだ3回も残っているのに来週の16日は月一度の休館日で、23日は祝日のためファミリーの日となっているのでパス、そして30日は年末の休館に入ってしまう。どうにも月曜日は休みが多くて残念でならない。月一度の休館日が月曜日なのに加えて祝日と振り替えが随分多いのだ。1年で実に11日もあってびっくり。13-12-9

 

国の方向が明らかに悪い方に向っている。この先を考えてみると個人としてというより国そのものが平穏で幸せになる展望はまったく見えてこない。それでなくても基本的な情報さえも開示せず、たとえしたとしても黒塗り(これはしてないのと同じ)もありなのにこれ以上秘密にしてどうしようというのか。すごく情けなく残念だがますます不透明で無責任な社会になっていくのは目に見えている。13-12-8

 

夕方の歩道を何人かで歩いていたときのこと。ひとりが「あっ、まだ郵便局が開いている」と驚いたように声をあげた。思わず「どうしてだろう」と返してしまった。これは単なる勘違いで何のことはない、時計を見るとまだ5時前だったのだ。開いていて当然なのにそう思わせてしまうほど辺りはすでに夜の雰囲気に包まれていた。この時季はあっという間に夜に入ってしまう。もう少しの辛抱だ。13-12-7

 

12月はいろいろな行事や用事があって忙しくなるのはしかたがないが、慌ただしく感じるのは年の終りというのも大きく関係しているような気がする。残り少なくなると気持の余裕も減少して、どうしてもあと何日しかないとなってしまう。月の初めに関わらずそうなるのは年を意識しているからに他ならない。それでも、今年は念願だった美術館での個展もできて満足なので短い一年ではなかった。13-12-6

 

年の瀬の恒例行事は忘年会だけではない。お世話になった人への御歳暮があり、年賀状があり、そして外国の友達への手紙とクリスマスプレゼントがある。ここで一番頭を悩ますのが手紙。年に一度の手紙だから伝えたいことはいろいろあっても、何せこれを英語で書かねばならないから難儀する。そうは言ってもいざやり始めるとそんなに苦労しなかったりもする。これも始動が肝心というわけだ。13-12-5

 

今年初めての忘年会。数日前に積もった雪もほとんど消え、寒くもなく穏やかな一日だったので忘年会ではなく普段の飲み会のような感覚だった。そんな風に感じたのは昨年の忘年会のときの猛吹雪の記憶があまりにも鮮明だったせいもある。こんな気候のまま冬が過ぎてくれるのなら有難いのだがそんなわけにはいかない。これからもいくつかの忘年会を控えているので徐々に実感が湧くのだろう。13-12-4

 

相変わらず漢字の書き取りは続けている。覚えたはずの字でもしばらく経つと忘れてしまう字があれば不思議と忘れない字もある。理由はよくわからないけれど、読みと字形との相性というか結び付きの強さに関係しているような気がする。だから、画数の問題ではない。鬱(うつ)は覚えていても、凡そ(おおよそ)を忘れるようなもの。そして、秋刀魚や柳葉魚のような姿形からの字も忘れない。13-12-3

 

卓球のラケットはペンホルダーとシェイクハンドがある。昔はずっとペンだったので、去年の4月に再びやり始めたときもペンから入った。間もなくシェイクに替えたが、打球フォームはそのままだった。ところがペンとシェイクでは打球するときのラケットの向きが違うという。ペンは横向きだがシェークは上向きにした方がいいらしい。教えられなければ何の疑いもなくそのまま続けていたはず。13-12-2

 

フォームの変更。土曜の夜に小学校の体育館を借りてやっている卓球同好会には指導してくれる人がいて希望すれば誰でも10分ずつの指導を受けられる。せっかくの機会なのでできるだけ受けているが、昨日は基本的なフォームを修正するように言われた。今までこれでよしとして無意識的にやってきたことを直すにはそれなりの努力が必要だ。よりうまくなるために素直に受け入れて頑張りたい。13-12-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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