ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

悠真と結菜。その時代を反映する2013年生まれの赤ちゃんの名前ランキングの男女のトップ。読みもいろいろあってゆうま、はるま、ゆうしんとゆい、ゆな、ゆうな等々。とにかく『ゆ』ばかり。男の子は陽翔(はると)、蓮(れん)、大翔(ひろと)、湊(みなと)と続き、女の子は葵(あおい)、結衣(ゆい)、陽菜(ひな)、結愛(ゆあ)と続く。ふりがながないと読めないのもたくさん。13-11-30

 

たまたまだけど正しい選択。自分で選べるギフト券を戴いたとき、様々なジャンルのいろいろな商品があるなかから候補として選んだのはフライパンと鍋と包丁。消耗品より実用品、それも日々使うものばかり。悩んだ末に選んだのはフライパン。それはすでに活用している。そうしたら今度はインターネットのポイントで包丁がもらえることがわかった。もう少し待ったら次は鍋が手に入るのかも。13-11-29

 

年賀状を出すとき、その年に来たものを見ながら住所を書いている。だから、ついうっかり前年の喪中で出さなかった人を忘れそうになる。そうならないように喪中のはがきは必ず年賀状と一緒にまとめて取っておく。しかし、忘れたわけではなくてもそれをきっかけに賀状のやり取りが途切れる場合も結構ある。親しい人はそんなことはないが何となく続いている人などは様子見になったりもする。13-11-28

 

この時季に何枚も届くのが喪中のはがき。今日は2枚届いていた。何気なく今までのものも再度見直してみると、その年齢の高さに驚くと同時に安心もした。安心したというのは充分に全うしているから。一番若い人で82歳(男)、次に86歳がふたり(男と女)、そして89歳(女)94歳(男)となっている。これだけでも長寿の国なのがよくわかる。どんな状況だったのかは知る由もないが。13-11-27

 

もともと汗っかきだが卓球をすると周りの人から「大丈夫かい」と心配されるくらいに溢れ出る。いつものことなので本人にとっては何の問題もないけれど、周りには異常に見えるらしい。それでも、同じ汗かき体質の人とやるときには自然に汗拭きタイムが出てくるから助かる。冬を迎えようとしているこの時季になっても顔から流れる汗は止まらない。おかげで身は軽くなり爽快感に満たされる。13-11-26

 

平面から立体へ、そして今度は立体から平面へ。すでに20年ほど前になるが立体を作り始めた頃の意識としては絵画の中で構築していた空間を3次元に移行したような感覚だった。だから、新たな分野に飛び込む不安はまったくなく、表現方法の新鮮さに胸を躍らせていた。そして、最近の絵画作品はその逆の流れになっているようだ。つまり、立体の絵画化をしている。これはしばらく続きそう。13-11-25

 

11月中旬の初雪が積雪になって、いよいよ冬が来たかと覚悟をしたはずなのに、その後は暖かく穏やかな日々が続いている。タイヤ交換を済ませたら冬が遠のいたりするなんて書いたらそうなってくれた。とにかく、雪の季節は遅ければ遅いほど嬉しい。雪かきの仕事に追われるのが一番の悩みだが、歩きづらくなるのもイヤ。もうしばらくは下を向くことなく、まっすぐ前を見て歩かせてほしい。13-11-24

 

=着物でランチ=に違和感。そこに載っていた写真は着物姿の女性達が高級なホテルのレストランでナイフとフォークを手にして食事をしているものだった。大きな皿に小さな食べ物が見えるからきっとフランス料理なんだと思う。ときどき着物を着て集う仲間のようだが、そこでどうしてフランス料理になるのだろう。イタリア料理でも中華でもなく和食で会食が一番お似合いの気がするんだけど。13-11-23

 

粗食のすすめとか腹八分目とか食べ過ぎないように促す本や言葉をよく見たり聞いたりするが、それとは逆に=60歳からは「低栄養予防」=という新聞記事を見つけた。高齢者は食べたものから体を作るより筋肉や骨を分解して必要なエネルギーをつくる働きが優勢になるらしく、それでなくても食が細り消化吸収力も低下するのだから粗食志向には要注意と書かれていた。大いに納得させられる。13-11-22

 

歩く旅から帰って来て半月余りも『ひとこと』では旅の報告ばかりを書いていた。しかし、その間には『北区のアーティスト展』に出品するためのアクリル絵具による絵画を制作していた。最近ではすっかり立体が中心になっているので絵画制作をする貴重な機会になっている。それなのに、15年間続いていたこの展覧会が諸々の事情で最終回となってしまった。大切な発表の場を失うのが寂しい。13-11-21

 

昨日、自分にとって今年最後になる展覧会の搬入飾り付けを終了した。もちろん会期中の当番や搬出の仕事は残っているがひとつの区切りになった。考えてみれば本格的に創作活動に入った20代後半からずっと同じような行動パターンで生きてきた気がする。発表時期に合わせて予定を組み、それに向けて頑張り、それが終ってひと息ついたらまた次を目指すと。今度は1月末の発表が待っている。13-11-20

 

どう見えるかなんて関係なく65歳を過ぎた現実はしっかり届けられる。最近、介護保険料の支払い納入書が送られてきて手続きが済むまでは自ら支払うがいずれは年金から天引きされると記してある。どっちにしても自分のお金が出ていくのに違いはないのに『天引き』という有無を言わせぬ 強い言い方が心に刺さる。そう思ったところで高齢者の仲間入りをしたのは事実なんだからしかたがない。13-11-19

 

何のチェックもなしで嬉しいような寂しいような、そんな気持にさせられた。卓球をしている区の体育館は65歳以上になると利用料がグンと安くなる。先日、初めてその恩恵を受けて自動販売機で買った高齢者の当日券は130円。これまでの3分の1で大いに助かる。その券を受付に渡しても何の質問もされなかった。買う人を疑わずに信じているのか、それともそれなりに見えるということか。13-11-18

 

小学校の体育館を利用して卓球をしている近隣地区の人達との卓球大会に参加。いつも一緒にやっているメンバーとは異なるチーム編成になって新鮮な感じがした。試合はすべてダブルスでペアの組み合わせも対戦相手もそのつど変わっていく。全部で5試合やって4勝1敗と上々の出来だった。去年はたしか1勝4敗だったはずで進歩しているのがわかって嬉しい。少しずつだけど慣れてきている。13-11-17

 

週末の予定に入れていたタイヤ交換を済ます。毎回同じことを言っているような気がするけど、いざ動き始めると大した苦労もなく30分程で終ってしまう。決して時間の掛かることではないのに、これもやる気次第というわけだ。望んでいるわけではないが、これでいつ雪が積もっても大丈夫だ。不思議なもので準備万端になると遠のいたりもするから、それはそれでやったおかでと受け止めよう。13-11-16

 

グルメの正体。いわゆる一流と言われるレストランやホテルで、食材の種類や産地の偽装が長年に渡って行われてきた事実が次々と明らかになっている。平然と嘘をつき高い料金を請求する側に罪があり責任があるのは当然だが、おいしくて高価なものに目のない多くのグルメや美食の人達がまったく気付かないでいたというのがおもしろい。今さら『何か違うと思ってた』なんて言えないだろうし。13-11-15

 

歩く旅のことを書いているうちに季節は移り変わり、落ち葉の舞う秋から雪の降る冬に突入してしまった。例年よりは遅いが去年より早い初雪が積雪になった。去年のように初雪が根雪になる心配はなさそうだが長い冬への覚悟の始まりだ。それを強く意識するタイヤ交換はまだやってない。去年のを調べてみると11月23日になっている。もう先延ばしはできないので今度の週末にはするつもり。13-11-14

 

ようやく今回の歩く旅のまとめに入る。25日35H、26日52H、27日40Hこの3日間の127Hで浦河到着。そして28日の15Hで総計142H歩いた。我家に辿り着いたとき、帰ってきてしまったというより何とか無事帰還できたという安堵感の方が強かった。そして『これでもう歩かなくて済む』と。足の豆と腰の痛みに苦しめられたが今は念願を達成できた喜びに満たされている。13-11-13

 

故郷を離れ札幌に向うときには歩いた道を戻れるバスを選んだ。鵡川から高速道路に入るまで一番前の座席でその道を食い入るように眺めていた。そのときどきが鮮明に蘇る。バスから見える道路脇はかなり狭く『よくここを歩いたものだ』と恐ろしくさえなる。立場が違うと違った景色が見えるということか。約2時間半後には3日掛けて歩いた130Hあまりが過ぎ去った。当り前だが車は速い。13-11-12

 

小学2年から高校卒業まで過ごしたのが浦河。つまり、歩く旅の最後の日は7歳から18歳までを辿ったことになる。歩きながらそのときどきの思い出をかみしめていた。小学時代の我家はすでになく草地になっていたが山も川も昔のままの姿と場所にあってくれるのが嬉しい。中学2年からは親元を離れ街に暮し始めたので当時の思い出と重なる部分は俄然少なくなった。それでも懐かしい故郷だ。13-11-11

 

2日目ほどではないが足の豆と腰の痛みに悩まされながらも何とか辿り着いたホテルでのびっくりの事実。休む前に洗濯を済まそうとフロントでコインランドリーの場所を聞くと「向い側です」と指を差すので、そちらに行くが見当たらない。再度聞くと「あちらです」と言ったその先にあるのは100mは離れているホテルの外。一瞬言葉を失った。納得できないままめげずに行ったが、どうして。13-11-10

 

100円ショップで買ったレインコートは雨のときだけでなく暗くなってからも大いに役立った。昼でも車にとっては突然現れる歩行者に驚かされるのに夜ならなおさらなので、早めに気付いてもらうために着ていた。これは歩く旅の必需品のようで100円以上の価値あり。買うときに白にしようかグレーにしようか少し迷ったけれど白にして大正解。実は、そのときには夜の活用は頭になかった。13-11-9

 

朝出発する前に少しでも荷物を軽くするためもう必要ないと思われる折り畳み傘と小さなハサミと手袋をフロントで受け取ってもらう。手袋は大した重さでないけれどとにかく腰への負担を少しでも減らしたかった。腰が痛くなった理由はリュックの重さよりも歩くところの傾斜にあるような気がする。斜めの道を歩き続けるのは大変。でも、そこを歩くしかないのでこればかりはどうしようもない。13-11-8

 

市街地に入りあとわずかになった頃には足の豆と腰の痛みで100mどころか50m刻みに歩かねばならなくなった。それでもバスに乗ろうとはせず座れるかよし掛かかれる場所を探しながら歩を進めた。遠い岬が目標だったのが嘘のよう。もうこうなると意地しかない。ようやくホテルに辿り着いたときにはへとへとになっていた。その後夕飯を買いに行った30m先のコンビニがすごく遠かった。13-11-7

 

心配していた疲労蓄積の症状が2日目に出た。1日目とのトータルで70H辺りだったろうか、腰に軽い痛みを感じ始めた。今まで体験してないものなので気になる。その心配は当り、歩き続けるうちに痛みは次第に増していった。横たわると楽になり痛みも和らぐのでバス停の度にそうして必死で前へ進んだ。もしもバス停のベンチがなかったら静内に辿り着けなかったかもしれない。バス停様様。13-11-6

 

どこを歩くかで目指す目標までの距離はまったく違う。街の中だとあの建物まであの信号までとなるがそこを離れた海岸線に出たりするとずっと先にあるあの半島の岬までになる。2、3時間後にそこに立っているのかと思うと不思議な感じがする。車の移動のときにはない感覚だ。日高の道のほとんどは山の迫る海沿いにあるから海岸線が延々と続く。だから、何度も何度も岬を越えねばならない。13-11-5

 

市街地やその近くは段差のある歩道だが、そのうち白線だけの区切りになってしまう。それも幅が広いうちは安心して歩けるけても30Bにも満たなくなると緊張感は高まる。左右で歩道の幅が違う場合はその度に道路を横断。でも、基本的に前からの車が見える右側歩行で左側は車が見えない分怖さも増す。ほとんどの車は大きく避けてくれるが、ときにはギリギリのときもあり足裏に力を込めた。13-11-4

 

話しかけたその人は80歳だというから自分が生まれた当時は15歳前後だったのだ。長い時の流れを感じる。記憶の始まりもここからで情けないものと迷惑を掛けた事件を覚えている。4、5歳の頃、向いの家から餅を盗みそれが父にばれて走って逃げたがすぐに捕まり殴られたこと。そして、夜中に父を追ってひとりで飛び出し捜索騒ぎになったこと。この頃から走るのが身に付いていたようだ。13-11-3

 

誕生日の翌日になったが生まれた地に立つ。その手前でスケッチをする。ここが生まれた村(平取町去場)なんだとかみしめながら描く。山に挟まれた穏やかな風景。5歳まで育った家はもちろんないがそこに立つと感慨深いものがある。自分の記憶もここから始まっているわけだから当然だ。たまたま農作業をしていた向いの家の人に話し掛けると覚えてくれていた。これも、田舎に生まれた幸せ。13-11-2

 

列車のなかで読もうと家から持参した朝刊が随分役立ってくれた。歩いている途中にも新聞紙を丸めて靴に押し込み水分を吸い取ったが、ホテルに着いてからもその作業をした。濡れた靴と靴下を脱ぐと不快から解放され生き返った気がする。足は白くふやけていた。新聞紙を入れては出しを繰り返しながらドライヤーも当てるが簡単には乾いてくれない。明朝までには万全にしておきたいと頑張る。13-11-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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