ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

子供の頃から地図を見るのは大好きでその場所をイメージしながら勝手にどこまでもさまよえるのがいい。父は魚釣りが趣味でその穴場とルートの確認のために5万分か2万5千分の1の地図をたくさん持っていた。昔、それを見せてもらうのがすごく楽しみだった。自分が行ったことのある場所はその光景を思い浮かべながらたどり、行ったことのない場所は想像力をかきたてながら探検してた。03-5-31

 

日高を流れる沙流川の5万分の1の地図を6枚買った。それで源流から河口までたどれる。この川に思い入れが深いのは僕の生まれた村が下流にあるから。小学1年までそこで過ごした。その後小学、中学高校を卒業したのは浦河なのでめんどうだから出身地は浦河にしてる。今回泊ったホテルは沙流川の上流にある。これからもこの川を訪ねて下流に向けて写 真を撮りながら下ってみようと思う。03-5-30

 

次のも恐怖と言うほど大袈裟な話しではないがほんのちょっと不安にさせられたひとこと。山の麓のホテルに泊った朝、片道30分位 山道を登ると滝があるというのでフロントの女性に「行ったことあるんですか」と聞いてみると「この時期は出ると怖いから行ってないです」と言う。「えっ!熊?まさか・・・」。それでも登ってみると何のことはない前方に遠足の小学生がいるではないか。03-5-29

 

狭い坑道の暗い階段を降りて行く。幸い先にも後にも人気はない。坑道の入口でヘッドライトの付いたヘルメットをいきなりかぶせられたときそれまでの説得力と真実味に欠けた展示にがっかりしてたからすごく期待するものがあった。そこは坑道そのものでヘッドライトを頼りに暗闇の臨場感を膚で感じながらゆっくりと前へ進んだ。出口が残念なほど期待に応えてくれた。恐怖より興味が勝る。03-5-28

 

今まで実家への往復は休憩はあってもほとんど寄り道することもなくただまっすぐを繰り返していた。待つ人、帰りを心配する人がいなくなると急ぐことも帰宅を報告することもなくなり思いつくまま気軽に立ち寄れるようになった。これからは時間はかかるけど変化に富んだ往復になりそうだ。03-5-27

 

川を下る。歩いたりボートで下るわけでなく車で道路を走って下るわけだから川下りとは言えないが、峠を下ってくると小さかった川幅は広くなり水量 はどんどん増えていく。道路がずっと川沿いにあるわけでないからときどき出会う川の変化に驚くしそれだけに成長してる様子がわかって楽しい。03-5-26

 

5月の末だというのに寒いなか一日中草取り。ちょうどいい暖かさにこしたことはないが暑いよりは仕事がしやすくていい。そんな日の夕方、隣人から外での焼肉に誘われた。七輪の炭火がなんとも懐かしい。子供の頃これで火を起こす手伝いはけっこう好きだった。炭に早く着火させるコツと技を身につけていくのを楽しんでいた。気温は低かったのに身も心も温まる七輪を囲んでのひととき。03-5-25

 

しばらく留守というのでなく人が住まなくなった家はすべてが止まってる。それでも窓を開け風を通 すことで少し息を吹き返す。こんなときには風通しを良くするのが一番。留守の場合は気配を残していくからその家の時間もきちんと継続してる。つまり帰ってくる人を待ってるようなもの。住む人のいなくなった家をあとにするとき気配も消してしまうから再び訪ねたときはその時点に戻される。03-5-24

 

中古車だけど僕にとっては新しい車に乗ってまもなく1ヶ月になる。ようやく自分の車なんだという気持になってきたところで初めてまったく同じ色の同じ車種に出会った。以前の車のときは「お互い頑張ってるよね、まだ乗り続けようね」と親近感を抱いてエールを送ったのに今度は少し違ってて「ふーん、あんな風に見えてんだ」といたって覚めた思いしか湧いてこなかった。まだしかたないか。03-5-23

 

街のど真ん中で突然白い鳥の大群が夜空に飛び交った。それもカモメのように大きい。なぜこんな所にこんなにたくさん。最初は驚きで見上げていたが夜空に浮かぶ白い鳥のまるで優雅に踊るような美しさに目を奪われた。ほんのわずかな時間だったけど不思議な世界に誘われて得した気分になる。03-5-22

 

写真の話しが続くが、今日作品としての写真を初めて買った。写された世界に惹かれたのはもちろんだが価格(一枚1,000円)もその気にさせた。そこに写 真家として生きる個人の姿勢と精神を垣間見たのも買いたいと思った動機のひとつ。部屋にピンで止めるとその瞬間の空気が伝わってきて温度も湿度も感じる。紛れもなくその場に立ちつくす自分がいる。雑誌では得られなかった共有感覚。03-5-21

 

ふと目にして気になったもの心が動いたものあるいはほんのささやかな感動を写 す。そのときどきの自分を気楽に気ままに書き残してる「ある日のひとこと」のように「ある日ひとこま」といった感じでシャッターを押す。被写 体からのシグナルを受信するというより自分からの発信に反応したものを捕らえる。それを待ち望んでるもの達に応えてあげるためにも今はより広範囲に発信してみたい。03-5-20

 

出来上がったプリントを見ると明るい所で撮った写真が暗めに暗い所で撮ったものが明るめになってる。プリントする人が気をきかせてくれたようだ。でも意図したのはそのままの状態だったから再プリントしてもらったが前のもそれはそれで違いを見るうえで役立ってる。無駄 ではなかった。03-5-19

 

「ベンチの指示がうまく伝わらなかった」。甲子園出場9回、地方大会109連勝だった高校が初戦敗退したときの監督のコメント。何年か前から高校野球をほとんど見なくなった理由がここにある。バッターボックスにいるときも塁に出てからも選手はベンチのサインばかりを気にしてる。まるで監督のために野球をしてるみたいでつまらない。監督の指示が伝われば勝ち続けるとでも言いたいのか。03-5-18

 

ちょっとひなびた温泉でそれも露天風呂で春の風を感じたりしてゆったりしたい気分。温泉の本も買って眺めてるうちにしばらく連絡が途絶えてる友がどうしてるか気になり始めた。1ヶ月でも何ヶ月振りでも会うと必ず一緒に温泉に入るのを楽しみにしてた友がさらに遠く離れて簡単に会えなくなってからもう5年も経ったのだろうか。その年数も定かでなくなった。いくつか手を尽くしてみよう。03-5-17

 

天気もいいのでカメラを片手に街まで歩いた。青いシートに囲まれたマンションの工事現場、ひんやりとする地下通 路、小さな公園にのどかに集う鳩達、ちょっと薄暗いアパートの横に置かれた自転車、久し振りに見た飛行船、スペイン語で階数を書いてるオシャレなマンション、段ボール箱がずーっと奥まで積んである倉庫などを撮りながら行ったので倍の2時間かかって街に到着。楽しかった。03-5-16

 

今、夏目漱石の『坊っちゃん』を読んでる。それも新聞で。過去の文学作品をそのまま掲載するなんて今までなかったような気がする。変った試み。たしか『坊っちゃん』を最初に読んだのは中学生のときだから40年ぶりだ。音楽も映画も雑誌もそして小説にしてもそれに触れた時代をしっかりひきずってるからおもしろい。その当時の自分の状況や感じ方考え方も見事に蘇ってくる。懐かしい。03-5-15

 

昼のワイドショ−だけでも充分なはずの白装束だのタマちゃんなんかをニュースで扱ってるあいだにほとんど話題にものぼらないままそして真剣で充分な論議もないまま国の方向を左右する有事法案が可決されようとしている。ここ数年の間に戦後長い間守られてきた大事な枠組みがどんどん壊されていく。それなのに多くの国民がそれを望み選択してることを考えると複雑な心境になってしまう。03-5-14

 

停電したときあわててロウソクに火を灯しその回りに集ったことを懐かしんでる昔話を新聞で読んだ。僕も子供のときいつもと違う状況に興奮した記憶はある。揺らめくロウソクのなかで電気が来るのをじっと待っていた。そして電気が来ると電球の明るさに驚き感動したものだ。ロウソクの炎はその光でかき消されそうになった。電球が点いたその瞬間のほうがより強烈な思い出として残ってる。03-5-13

 

音楽という意味だけでなく『音』にも関心を持つようになった。具体的な情報伝達の役割を越えて波動としての『音』そのものを純粋に受け止めてみたい。視覚の世界には敏感だったことと比較すれば聴覚は眠ってたようなものだ。『音』が伝える世界にも極めて微妙な違いがあるはず。そこに触れてみたい。産まれるときには見ることより聞くことのほうが先だったと考えるとさらに興味がわく。03-5-12

 

最近は肌寒い日が続いてる。風も冷たくてのんびりゆったり散歩する気分になれない。どうしても急ぎ足になってしまうのは冷えた体を温めようと無意識に反応してるのだろうか。それでもふと立ち止まってしばらく眺めてたのは曇り空に浮かんだオレンジ色の太陽。昼にはめずらしい輝きだった。03-5-11

 

昨日の最新の映画館のこと。座席の座り心地はまぁまぁだし前列との段差はかなりあるので前の人の頭は気にならない。これなら落ち着いて観れるとわくわくしながら上映時間を待った。ところが、そんな気分は予告編で見事にぶち壊された。あまりにも音量 がでか過ぎる。音の迫力を売り物にしたいのかもしれないがこれでは逆効果 。うるさくて頭は疲れるばかりで音と映像がひとつにならない。03-5-10

 

『WATARIDORI』、『渡り鳥』でなく『わたりどり』でもないのがどうしてなのかわからないけどとにかく渡り鳥が飛び続ける映画を観た。それもちゃんと1, 8 00円を払ったのに完全に期待はずれ。演出がクサイ。音楽が合ってないしうるさい。画面 が細切れ。いいカットがたくさんあるのにそれを活かしてないのが残念。退屈になるくらいのワンショットを延々と続けてほしかったのに。03-5-9

 

「え〜、マジ、マジ、ウッソー」「うん、うーん」「マジッ」「うん」「ウッソー」。喫茶店で静かにコーヒーを飲みたかったのに後ろの席から携帯で話す声が聞こえてきた。声の大きさだけでなくその話し方も気になった。最初の「 」は全部一人の言葉。よほど疑り深いか相手を信用してないようにも聞こえるがそうでないことは知っている。『え〜、そう、そう、そうなんだ』くらいなんだよね。03-5-8

 

あるはずの所に鍵がない。あるかもしれないと思われるポケットや場所を何度も何度も探すがやはりない。帰ってきたときの記憶を懸命を呼び起こしそのときの動作を再現してみる。どう考えても捜索範囲は広がらない。捜索をかねて部屋の整理もしたが出てこない。中断して洗濯をやり始めた。すると洗濯槽から何かがぶつかる音がする。手を入れると洗剤でヌルヌルになった鍵だ。ようやく安心。03-5-7

 

桜が咲き始め木々には黄緑の若葉が目立つようになってきた。これからは草もみるみる伸びてあっという間に緑の絨毯に変っていく。今は植物たちの成長する勢いを実感できるとき。雪解けの遅い年はそれをさらに強く感じる。知らないうちにすっかり緑なんてことなく日々の変化を見届けたいもの。03-5-6

 

新しく手に入れたというか譲り受けたような車は初めてのオートマチック車。できれば次もマニュアルと思ってたがそんなぜいたくは言ってられない。楽な部分もあるけど長距離走ってわかったのは右足ばかり使うので左足が退屈でかえって疲れる。アクセルが重い。これは暴走防止のためだろう。走り始めの加速が遅い、などあるけど慣れてしまうのも時間の問題。とにかく走ってくれればいい。03-5-5

 

雪の下に埋もれてた枯れ葉を取り除き、春を待ち望んでた若草も摘み取ってきれいになった庭をゆっくり眺めて喜んでくれる人がいないのはやはり寂しいもの。それでもやり始めると夢中になり無心になるし、眺める楽しみがあるから自分にとっての嬉しい作業には違いない。今年は畑にも挑戦することにした。手間のかからないものは何なのかとのアドバイスを聞き入れ枝豆を植えた。これも楽しみ。03-5-4

 

役場での手続きなどを済ませてからは庭仕事を始めた。いつもの年と同じようにチューリップの赤、黄パンジーの黄、オレンジ、青、紫、ツツジのピンク、白、名前の知らない花のピンク、紫などが庭に彩 りを添えていっぺんに賑やかになっている。再生するもの達の素晴らしさとたくましさだ。03-5-3

 

タイミングよく新たに手に入れた車で主のいなくなった実家へ。忘れもしない峠前の鹿との激突現場を今度はほぼ12時間違いの真昼に通 過。どうしてこんな所でと思う。もちろん跡形もないが2週間前の出来事でなくもっともっと昔のことように感じた。多分それはその後の忙しさのせいだろう。03-5-2

 

充分楽しめた三谷幸喜の『ラヂオの時間』のビデオを返したあと、古本の100円コーナーをのぞいてみた。文庫本だけでなくハードカバーの本も並んでる。チラっと読んでから向田邦子の『父の詫び状』を買った。その本で「日本のお伽話の主人公はほとんどが老人である」とあってそういえばそうだと思ったが何故そうなのかの言及がなくて残念。それと赤ちゃんとの組み合わせはなんでだろう。03-5-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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