ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

信じられないようなすごい記録。それは軟式野球の全国高校選手権大会の準決勝でのこと。まず1日目は延長15回まで闘っても0:0で決着が付かず、2日目も30回まで0行進で、さらに3日目も45回まで0が続いたというのだ。『え〜〜〜っ』と驚くしかない。そして4日目の50回に3:0でようやく決着。すごいのはそこまで守り抜いた強さ。両チームの健闘に限り無い拍手を送りたい。14-8-31

 

昨日に続いて今日も暑い一日に。残暑というより夏に戻ったような強い陽が照りつけていた。かつてはお盆が過ぎたら急激に冷え込んでいたのに、最近ではこんな暑さも異常ではなくなっている。まちがいなく温暖化の道を進んでいるようだ。明日開催される北海道マラソンも酷暑の中を走るのが恒例のようになっている。どうやら明日もそうなりそうだ。これまでに涼しいときはあったんだろうか。14-8-30

 

午前中に来月の展覧会に出品する立体作品の最後の一本を完成させる。昼食後は安心感と部屋が残暑でムッとするせいか気だるい気持になり30分ほど横になった。それでもすっきりしないので涼しい場所に椅子を置き読書をすることに。気楽に読めるだろうと短編ベストコレクションを選ぶ。これが結構はまってしまって夕食まで読み続けた。小説のおかげで楽しく満足できる午後になってくれた。14-8-29

 

陽を浴びると残暑という気がしても日陰や朝晩の涼しさは秋の訪れを伝えている。開けていた窓を締めて寝るようになったし布団も夏用から春秋用に代えた。半袖シャツだけで夜まで出掛けられるのはあとわずかだろう。季節の変わり目は出掛けるときの服に迷うもので、家の中から想像した気温と外に出たときとの間に開きがあったりする。半袖シャツを着なくなったときに夏の終りがやってくる。14-8-28

 

軟弱になったといえば埃に対しても以前より敏感に反応してしまうようになった。こちらは鼻の粘膜が弱くなってしまったのだろう。どっちも抵抗力の低下にはまちがいない。いくら子供のとき若いときには平気だったとしても年齢と共に機能が弱くなり衰えていく老化には勝てない。となれば、いかに身を守るかの対処が必要になる。草取りのときは長袖にして、掃除はよりこまめにやらなくては。14-8-27

 

借りているアトリエの玄関前の草取りを終えるころ、腕にわずかな違和感を感じて見てみると小さな膨らみがいくつかできていた。草にかぶれたかなと思ったらやっぱりそのようでその数がどんどん増え始めた。家に戻った1時間後に薬を塗るときには痒みも出ていた。それが2日前のことで、今は両腕が赤い斑点だらけになってしまって更に痒くてつらい。随分軟弱肌になっなってしまったようだ。14-8-26

 

車窓つながりの話をひとつ。26才のときのヨーロッパの旅で後になって後悔したことがある。9ヶ月近い旅の内の3ヶ月はヨーロッパどこへでも自由に列車に乗車できるユーレイルパスを利用していた。そして、その内の1ヶ月は列車を宿にした。例えば深夜のパリを出て早朝のローマに着くとか。節約の旅だからそれでいいのだが、車窓を楽しめる昼間も長距離を乗ればよかったのにと今も思う。14-8-25

 

新幹線の速さはもちろん利点にもなる。短時間で移動できるため限られた日数でも多くの場所を回れるから本州での旅のときは何度か新幹線に助けられた。しかし、A地点からB地点へワープするようなもので車窓を楽しむ余裕はほとんどなかった。時間短縮を考え極力直線で走らせようとするため必然的にトンネルが多くなり途中は闇の中に消える。旅の楽しみの車窓がなくなるのは寂しいものだ。14-8-24

 

2016年3月の北海道新幹線開業前に長距離寝台列車の『北斗星』と『カシオペア』が廃止されそうだという。『トワイライト』は来春の廃止が決まっている。ということは長時間のゆっくりのんびりできる長距離夜行列車の旅はなくなってしまいそうだ。なんでもかんでも速ければいいわけではない。終点の大阪でなく金沢駅で降りて『トワイライト』を見送ったときの寂しさを今でも覚えてる。14-8-23

 

今朝、注文していたアクリル板が東京から届く。頼んでから4日後に届いてくれるのが有り難い。さっそく制作に入る。まず、ローズマダ−のカッティングシートの断裁から始まる。それを透明のアクリル板に張り付けると赤色の板に変わる。その後、黒いアクリル板と接着して箱型にし透明の蓋をして出来上がりになる。久し振りに緊張に包まれた制作になったが、満足感と適度な疲れが心地よい。14-8-22

 

そもそも、アクリル会社にカットの依頼を思い立ったのにはわけがある。それは右腕の腱鞘炎。アクリル板を素材にしてからは数限り無いカットを右腕で繰り返したため、4、5年後にその症状が出始めた。最悪のときは箸も持てないほどだった。ちなみにそれが左手で箸を持つキッカケ。腱鞘炎になった人への治療の決まり文句は『使わないこと』。それではこまるのでカットの依頼をすることに。14-8-21

 

昨日の続き。その東京にある会社はネットで見つけたもので最初に依頼したときはいろいろ心配もしたが、すごくいい出会いになってくれてその後の制作にも影響を与えた。これからも大事な関係は続いていきそうだ。そこに注文するときはファックスを使う。そんなときは家の電話の必要性を強く感じる。携帯電話があるからたまにま無駄 かと思うときもあるけれど、やっぱり家電はなくせない。14-8-20

 

長い間本格的な立体制作から遠ざかっていたが来月の発表に向けて動き始める。在庫のアクリル板を活かそうと、ネットで業者を探し持ち込みのカットをしてもらえるか電話で問い合わせたが販売のみとか、決まった業者だけとか、持ち込みはできないとかが続いた後、ようやくカットしてもらえる会社に辿り着いたが料金が高くて断念。それならばとこれまでの会社に板の購入とカットを依頼する。14-8-19

 

地下鉄の座る位置のこだわり。いつも乗ってるのは出発駅なのでだいたい自由に席を選べる。他の人達を見ているとほとんどがまるで決まり事みたいに端の席に座る。以前、自分もそうしていたからその気持はよくわかる。でも、今はあえて6人掛けの中央側に座るようにしている。つまり端から一人分空けた席。なぜそうするかというと混んでも中途半端な座り方に平気な人があまりにも多いから。14-8-18

 

『芸術祭』のことを書いているうちにお盆も過ぎて8月後半に入ってしまった。一気に涼しくなるかと思っていたら残暑が結構厳しい。早く涼しくなってほしいけど、そうなったらなったで夏が恋しくなったりもする。それは、あっという間に過ぎ去る時の流れに焦りと寂しさを感じると共に次に来る秋のさらに先の冬がどうしても頭にちらついてしまうからだろう。今しばらく、夏を受け止めたい。14-8-17

 

『札幌国際芸術祭』の主なものを見終って感じたこと。地元の人間でさえがっかりするのだから、遠い所からはるばるやって来た人達には虚しささえ感じさせるのではと心配になってしまう。何だか寂しく申し訳ない気持ちにもなる。そのことを美術仲間に話したら「大丈夫だよ。遠くから来ている人なんていないから」と返され絶句。もちろん、そんなわけはないが入場者が極めて少ないのは確か。14-8-16

 

ここでも期待はずれの展示内容にがっかりしていたら、ちょっとだけ救われた部分があった。それは、キーファーの飛行機の作品を2階から見下ろせたこと。ぐるっと1周して眺めたときにはそれほど強いインパクトはなかったのに、見下ろす視点は新鮮な感動があった。この見せ方をもっと伝えるべきなのにそこには何の説明も案内もなかった。それをすればこの場所を使った意味も出てきたのに。14-8-15

 

さらに、疑問と違和感があったのは雪の結晶の写真。展示されているものは学術的で芸術的なおもしろさや創造性はまったく感じられない。まるで博物館にいるような気分になりそうだった。これも選ばれた理由がわからない。最後の白い部屋にしても、せっかくの空間を活かすどころかあえて壊しているとしか思えなかった。真ん中には台がありその上にカタログや書籍があるなんて信じられない。14-8-14

 

『芸術祭』の話は続く。展示作品の中にも『どうしてこんなのが?』と疑問に感じざる得ないものがいくつかあった。そのひとつは1990年に死去している作家のそれも1968年から70年代の作品で、出品する意図が理解できない。それが今を越えるセンスとパワーを発散しているならまだしも、ただただ古い時代を閉じ込めているだけだった。もちろん、悲しいほどに何の興奮も感動もない。14-8-13

 

札幌国際芸術祭のメイン会場の近代美術館へ行ってみたが、残念ながらここでも期待は裏切られた。美術館前のチケット売り場の列を見て盛況なのかと思ったら、そこは『徳川美術館展』で『芸術祭』の方はまばらだった。美術館に入ってさらに驚いたのはメイン会場が『徳川』でサブが『芸術祭』になっていたこと。人の入り具合からすると皮肉な言い方だが選択が正しかったとなってしまいそう。14-8-12

 

一昨日のマフラー繋がりの話。ゲリラ豪雨に遭遇する前にランボルギーニの車列にも遭遇していた。全部で10台位 だっただろうか。しばらくの間並走したのでじっくり見たがその車高の低さに驚く。正に道路を這うように走るっている。その姿はまるでエイの群れのよう。でも、その後の交差点の水たまりのような水深ならひとたまりも無いに違いない。マフラーの口径も大きいからなおさら心配。14-8-11

 

行こうと思いながら暑さのせいで先延ばしになっていた『ハルカヤマ』の作品に会いに行く。正しく言うと確認と清掃と草刈りのため。5月以来なのでどんな状況になっているのか想像もできず正直心配もあった。しかし、赤い作品は無事立っていて汚れも僅かだし草も大したことなくホッとする。作品に持参した水を掛け布で拭く。綺麗にしているうちにお墓の掃除をしているような気分になった。14-8-10

 

ゲリラ豪雨に遭遇。昨日、芸術の森の帰りに車でギャラリーに向っているとき、前方に巨大な入道雲が迫っていた。ギャラリーに着く寸前に突然大粒の雨が降り出す。ギャラリーで絵を鑑賞し珈琲を飲んでそこを出たが激しい雨は続いていた。ワイパーを最速にして走り出す。間もなくくぼ地の交差点の水たまりに出くわし、必死の思いでアクセルを踏む。水深はマフラー越えしていたから冷や汗もの。14-8-9

 

札幌国際芸術祭関連の作品を観に芸術の森へ。いまいち驚きや感動が少ないのは期待し過ぎだからだろうか。国際を謳っている芸術祭にしては小振りな作品が多い気がする。そんな中ですごかったのは美術館全体が霧に包まれるもの。自分自身も霧の中というよりも雲の中にいる気分にさせられて浮遊感さえ感じられた。ふと、360度視界不良でその存在すら確認できなかった霧の摩周湖を思い出す。14-8-8

 

30℃越えの真夏日が続いていた後に今度は3日連続の雨。幸い全国的に猛威を振るっているゲリラ豪雨とまではいかないが突然降ったり止んだりを繰り返すので油断ができない。雨のせいで大地も冷やされたためか夕方辺りから急に涼しくなった。そのため久し振りに窓を締め切る。もしかしたら厳しい暑さは過ぎたのだろうか。そんな気もする今日は立秋だという。そこで秋の気配が届いたわけだ。14-8-7

 

先月、赤平のズリ山階段777段を昇った後日談。翌日の朝、自宅の階段を降りるとき両足のふくらはぎに張りを感じた。『歩く旅』の翌朝にはまったく異常がなかったことから、歩くときとは違う筋肉を使っていたのがよくわかる。その後も張りは4日ほど続いた。普段から街の階段の昇り降りを積極的にやっていてもまだまだ足りないようだ。スポーツ好きとしてはもっと鍛えねばと思ってしまう。14-8-6

 

札幌国際芸術祭の展示会場のひとつのモエレ沼公園へ行って感じたこと。芸術祭関連の作品におもしろいものもあったが、全体でみるとピラミッドの大きな空間を活かしきれてないのがとても残念だった。そして、ピラミッドを含めて公園の広大な敷地を考えるとここをメイン会場にしてもよかったのではとも思った。駐車場の圧倒的な広さもいいしテーマの『都市と自然の新しい関係』にも相応しい。14-8-5

 

今日も猛烈に暑い30℃越えの日に、さらに暑い体育館で卓球。昨日は暑さで予定を断念したのに卓球は決行する。大好きなことはできちゃう。やっぱり大量 の汗をかき2L近くやせる。それが全部汗のせいだとすると2Pだ。卓球後の水分の欲し方を考えるとそうとも思えてしまう。ペットボトルの2Pまではなくても500N3本以上は補給している気がする。ビール飲みの人ならいつものことか。14-8-4

 

8月に入ってからも30℃を越す暑い日が続いている。今は夜の9時だというのに居間の温度は29℃もある。扇風機からは生温い風しか送られてこないから外気も下がっていないのだろう。昼には行こうとしていた予定を断念させるほどの酷暑だった。厳しい寒さだけでなく暑さにも耐えられなくなってきているようだ。寒いのは暖房と衣服でカバーできるけど、暑いのはとにかくじっと耐えるのみ。14-8-3

 

夕方の薄暮の時間帯に車で走っていて気になったのがライトの点灯。それは芦別 辺りだったが札幌での感覚からすると点灯している車が随分少ない。札幌では7割だとするとこっちは3割くらいだろうか。その違いがどこからくるのかはわからない。しかし、点灯しないのは「自分はまだ見えるから大丈夫だ」と勘違いしている人がいるのも確かで、自分の存在を知らせるための点灯だと知ってほしい。14-8-2

 

芽室への往復をしただけなのに書きたいことがいろいろ出てくる。日常からはずれると感受性も豊かになるようだ。お墓の草取り後、元実家に寄ってみた。住宅と敷地内には生活感が漂い、誰かが住んでいるのを車の中から確認してホッとする。手放してからすでに8年が経っているけれど、やっぱり気になってしまう。もしも、誰も住んでいないと家の価値もなくなったようで寂しくなるに違いない。14-8-1

 

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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