ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

しつこく昼食シリーズ。トースト2枚マーガリンにレタスとマーガリンにイチゴジャム、ハムエッグ、ホットミルク、ブルーベリーヨーグルト、そしてバナナ。カタカナだらけ。これをイラストにしたら一目瞭然で伝えやすくわかりやすいのにと思う。描き始めたら楽しくなるのでやめておく。BGMは『ボレロ』。これは少し切ない部分もあるけど次第に力がみなぎってくる。活力源はいろいろ。04-1-31

 

またもや昼食シリーズ。厳かなカノンをBGMに生卵入り納豆御飯ととろろたっぷりのお吸い物それにきゅうりの塩揉み。どれもうまい。いいリズムが随分定着してきた。食事を生活の中心に据えた成果 だろう。当たり前のことを当たり前に戻しただけなんだけどその効果は大きい。食事までの時間が自分に与えられた制作タイムと思うと集中力も増してくる。優先順位 の一番は お食事様になった。04-1-30

 

「おいおいおい」てなもん。学歴詐称はときどきあるけどどうしてそうなるのか不思議。大学を卒業したかしてないかあやふやなんて考えられない。よほどあいまいに生きてきたわけだ。『ローマの休日』を大学何年のとき観たかと聞かれても答えられないけどそれとは訳が違う。そして見たくない泣き顔、恥の上塗りを見てしまった。自分で自分を管理もコントロールもできない政治家が多過ぎる。04-1-29

 

イラク、アフガンのことがなかったら多少違った受け止めかたをしてただろうが、火星の探査機に何の興味も関心も湧いてこない。火事の最中に全勝同士の千秋楽だろうと日本シリーズの7戦目だろうとテレビなんか見てられないのと同じ。火星の映像を見たとき一瞬イラクの砂漠に思えた。目を外に向けさせようとする意図も感じるからなおさらそうなる。北朝鮮に対する報道にも同じ臭いがする。04-1-28

 

フランス人の書いた本のタイトルが言い得て妙。『世界を必要とするアメリカ。世界が必要としないアメリカ』。うまい表現だ。これから何十年かの流れを見据えたらまちがいなくこの方向に行く。今は武力で無理やり押し通 してるけどいつまでも理不尽が続くはずはない。それを支える経済力も弱るだろうし当然疲れてくる。そんなアメリカに必死にしがみ着いてる日本はどこへ行きたいのだろう。04-1-27

 

『食』について思い起こしてみたら当たり前の結論に行き着いた。『食』は生きるうえで一番先にあるもの。食事をするのは仕事のためでもましてや健康のためでもない。仕事は食事代のため健康はおいしく食べるため。食事はそれそのものが目的。そうすると「動くために食べる」のでなく「食べたから動ける」の方が正しい。いつの間にか逆転してた意識を元に戻すと食べられる喜びも味わえる。04-1-26

 

取りあえず1週間様子を見ることした。次の日も軽いズキズキは続いたが少し和らいだ気がする。いい方向に向かってるがまだ安心はできない。その次の日の朝、嘘のように霧が一気に晴れるように痛みは消えていた。これは絶対戻ってる。そう確信した瞬間、体にどんより充満してたもやもやが抜け出ていった。とにかくほっとした。これから『ピーナッツの警告』として決して忘れてはならない。04-1-25

 

それは一週間前のこと。「もしこの歯が駄目だったら入れ歯です」「え〜っ、入れ歯って?」「おじいちゃん、おばあちゃんがしてるのです」「・・・」言葉を失うとはまさにこれ。55才でおじいちゃんの仲間入りはつらい。まだおじさんでいたい。あとはこの痛みが単なる打撲(相手はピーナッツ)であるのを祈るばかり。そして「絶対戻してやる」と強い気力を保つだけ。それしかない。続く。04-1-24

 

昼はマイルスディビスと温かい冷や麦。こってりじゃないけど決してあっさりでもない。焼き竹輪、玉 ねぎ、ほうれん草、長ねぎおまけにワカメそして卵入りだ。うまい。リズムにも乗って箸は軽快に動く。充分満足できる味。これだけおいしく食べられるのも午前中の仕事が順調に進んだおかげ。窓の外は白い雪がまぶしく光ってる。雪かきの心配はまったくないみたい。気分も晴れ晴れ。04-1-23

 

何の迷惑もかけられてないのに勝手に嫌な気持ちが生まれるくるのは雪の日の傘。とくに昔から若い男の傘は軟弱者に見えて嫌いだった。北国の季節と風土を素直に受け入れず拒んでる態度に見えてしまうのがこだわる理由の根本にある。その環境を受け入れ上手に対処してこそ生活の知恵となり文化につながるはずなのに南の風習をそのまま取り入れる流れに反発を感じるわけ。でもみぞれは迷う。04-1-22

 

箱の中で眠ってた道具が活かされるのは嬉しいこと。車を引っ張ってもらった人は雪に埋まったのは初めてだと言いすごく動揺しながらも何度も恐縮と感謝の言葉を発してた。助けてあげた人が一生懸命だったのはきっと助けてもらったことがあるからに違いない。僕自信の気持ちはまさにそうだった。非常時に知らない人に助けられたのは少なくとも5回はある。そのお返しをしてるようなもの。04-1-21

 

家のすぐ近くの道路で車2台が停まって何やら困った様子で車の下をのぞきこんでいる。どうしたのかとそちらを見ながら玄関に向かったとき「すいません、金鋸ありませんか」と声をかけられた。思わぬ 問いかけに「えっ」と思ったら雪からの脱出に使った牽引ロープの金具がはずれなくなってしまったという。金鋸がこんなときに役立つとは、道具箱から久し振りの出番。奮闘の末無事切断成功 。04-1-20

 

そのときは実現不可能と思われる希望が夢。だから普通、それを達成するにはなみなみならぬ 継続的な努力が必要になる・・・のはずなんだが芥川賞を受賞したふたりには当てはまらないようだ。書き始めて2,3年だから夢を持つ前段階だったかもしれない。努力型でなく天才型の典型。こつこつでなく一気に飛べる優れた才能を持った人達。19と20だから極める気負いもなく飛び続けるだろう。04-1-19

 

得るものと失うもの。ほぼ半々なんだろうか。時には得ることが多かったりまたある時は失うばかりだったりするが総体的には一定量 でその時々に行ったり来たりするものかもしれない。それぞれの器の違いがそのまま容量 の違いになっている。何かを手に入れるとそれと同時に消え去るものがある。もちろんその逆もしかり。すべてが同時に満たされるのはなかなか難しいもの。そして今がある。04-1-18

 

街はすっかり白一色に覆われた。雪山の間を行き交う人も車もかなり慎重に左右確認をしなくてはならない。なんせ雪山に視界をさえぎられ数メートル先の人も車も見えないから非常に危険。やっぱり来たかとあきらめるにしても変化が極端過ぎる。ある町では非常事態を宣言した。自衛隊に応援を依頼してたがこんなときこそ迷わずすぐ駆け付けるべき。これなら名前に相応しい任務と思う。04-1-17

 

『え〜〜』と驚いてしまう。自衛隊はいつから電気、ガス、水道、医療のプロ集団に変身したのだろう。戦艦や戦闘機や戦車そしてミサイルや爆弾や武器弾薬は何のためにあるわけ。答えは簡単、それは破壊と人間の殺傷に使うため。自衛隊はそれを遂行する戦闘のプロ。それを進めるうえで必要に迫られてる分野に過ぎない。判断を先送りすると高いツケが次代の子供や孫達に必ず回ってくる。04-1-16

 

おとといの「責任感の違い」の説明。61才は“この戦争が正しかったか否かはいずれ歴史が判断してくれるでしょう”と書いてる。どうして思考停止し責任放棄するのだろう。投書する勇気には敬意を表するがこれは情けない。そして大きな勘違い“戦後の混乱の中、電気、ガス、水道、さらに医療にも支障をきたし・・専門の技術を持つプロ集団である自衛隊の派遣が一番望ましい”。続く。04-1-15

 

朝から一日中猛吹雪で今現在も継続中。これはもう嵐。いきなり風向きが変わってフードも手で押さえてないと脱げてしまうし靴の高さを軽く越える吹きだまりを乗り越えて歩かねばならない。顔には容赦なく雪が突き刺さる。せいぜい15分位 だけどこんなに厳しい吹雪を味わうのは久し振り。北国の冬なんだからこんな日もあって当たり前と受け入れたとしても明日の駐車場の確認が怖い。04-1-14

 

新聞の『読者の声』に対象的な投書が載っていた。61才の主婦と16才の女子高校生。見出しは本人のものかどうかわからないが『イラク復興支援自衛隊こそ適任』と『人道支援活動に武器は必要ない』になってる。自衛隊を軍隊として見てない主婦と軍隊と見なされる心配をしてる女子高生。自衛隊は間違いなく軍隊だからどちらがより冷静な判断かは明白。それと責任感の違いの現れ。04-1-13

 

気に入ったアイデアスケッチのなかのひとつを選んで立体作品を作り始めてるがそうするとそこから刺激されて新しいアイデアが次々湧いてくる。やはり肝心なのは始動。多少あいまいでもいいからまず始めること。今回もそれを実感してる。どうかなと疑問を残してたアイデアもちょっとしたひらめきで一気に確信に変わるときが嬉しい。神経を集中したときにしか浮かばないものもある。04-1-12

 

芥川賞候補に選ばれた5人のうち3人は若い女性でその年令は19才と20才が二人。これにはびっくりした。若いときから優れた才能を発揮する人はいただろうがこれほどそろった例はないらしい。それも女性ばかりというのも象徴的。芸術や学問の世界ではいわゆる神童と呼ばれる人が出てくるがそれはたまにあるから神童でこれほど一気に現れるのはどういうことか。とにかく驚きだ。04-1-11

 

権力それも武力を持つ立場の人間が随分強気になってきた。道警本部長しかりそして自衛隊の師団長もその仲間入り。こちらは“シラを切る”のでなく“おどし”ともとりかねない発言に発展した。格段に大きい武力の現れか。今度は政府が報道規制をするようだ。絶大な権力を持つ者がお願いしたら命令に近い強要。その圧力に屈して自主規制(?)という流れが生まれる可能性は大きい。04-1-10

 

「今年は雪が少なくて楽だ」と言ってたら一晩で30センチ近くも降った。車に積もった高さでそれがよくわかる。今シーズン初めての本格的は雪かき。「これはやりがいがある」と半分喜びながらママさんダンプ、雪押し、雪かきスコップと雪かきグッズも総動員。それぞれの用途があるけど総動員はドカ雪のときだけでママさんダンプは初登場。「きっとこれから出番は多くなるんだろうな」0-1-9

 

写真をときどき撮ってるが24枚撮りで3〜4枚いいのがあれば『やったー』てな確率。へたすればたった1枚最悪のときは0になる。その瞬間にすべてが決まるおもしろさと難しさ。自分で焼くわけでないしその後の操作もしてない。ただ撮る段階では気づかなかったり意図してなかったおもしろさをプリントで発見したときはすごく嬉しい。そんな偶然の産物もたくさん写 した必然のうち。04-1-8

 

ちなみに昨日のお年玉の平均額は25,000円とのこと。話は変わってもともと夜型だから夜遅くまで起きてるのは平気なほうだ。それだけにそれを続けるとどんどん進んで朝までいってしまうのが心配。30代の頃までは完全にそのパターンで朝刊を読んでから布団に入ることも度々あった。当たり前だがその当時の体力と回復力とは比べようもない。朝型は無理でも昼型に改造しようと努力中。04-1-7

 

正月気分は抜けてるけど話題はちょっと逆戻り。1位ゲームソフト、2位本、3位 貯金。小学生高学年のお年玉の使い道。3位の貯金というのが何とも寂しい。まさか先の生活を心配してるわけではないだろうに。欲しい者は普段から手に入れてるから特にないというのか。それとももっと高価な物が欲しいからそうするのか。それなら多少わからないでもないがいったい何が欲しいのだろう。04-1-6

 

餅を食べて僕の正月は終わった。出してなかった人への年賀状もすでに投函した。これで「もう思い残すことはない」なんて気分で安心して制作モードに入れる。さっそくたまってるアイデアスケッチを見直す作業から始めた。創作意欲をかき立てるものもあればまったくその気になれないものもある。その比率は2:8位 だろうか。それでもこれが作品の始まりになるのだから思い付きは大事。04-1-5

 

そういえば今年はまだ餅を食べてない。だからといって何か問題があるわけでもないが正月の餅が自分から消えていくのは寂しいという気持ちも少しある。子供の頃は正月イコール餅と言ってもいいくらい餅ばかり食べてたものだ。特に豆餅が大好きだった。これからはクリスマスのケーキは食べても正月の餅は食べないなんて人が増えていくんだろうな。若干遅くなったが明日は餅を食べよう。04-1-4

 

今回初めて高速バスで往復した。いつも通い慣れてる道だから新鮮味はないけど風景を楽しみながら行けるだろうと心待ちにしていた。確かに同じようで同じでない。運転するときは前方にあってそこに向かっていく風景が横を通 り抜けて行く。もうひとつの違いは目線の高さ。これは決定的に違って乗用車なんかを見下す感じがする。その緊張感のない余裕が次第に退屈になって眠ってしまった。04-1-3

 

1月1日の分厚い新聞も年賀状も届かない正月。コンビニまで行けば新聞は手に入るがあえて行かなかった。普段とは違うのんびりゆったりを満喫するには新聞もテレビも見ない方がいいと思ったから。ぼーっとする時間も持とうとしたがリラックスするよりかえって疲れてしまって長続きしない。おかげで読書の時間をたっぷりとることができた。じっくり噛みしめながら入り込めたのが嬉しい。04-1-2

 

例年に比べると4分の1位の積雪しかないうえ1日も2日も快晴。何もしないのも寂しいからと雪かきをしたが2時間で終了。昼間に部屋の中で暖かい陽を浴びながらのんびり過ごしたのは初めてかもしれない。帰省はたまってる仕事をこなすためのものになっていた。こんな時間を持たなかったというより持てなかったのだろうがどっちにしても何だかもったいないことをしてた気分になった。04-1-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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