ある日のひとこと

 

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

今日は個展の初日。随分大勢の人達が来てくれとても嬉しかった。その反面、重なった人もたくさんいたので、せっかく来ていただいたのに作品の説明をしたり、ゆっくり感想を聞けなかった人には申し訳ないし残念だと思う。毎回そうなんだけど人の動きに共通 性があって、重なるときと全く来ない時間帯がある。仕方ないと言えばそうなんだけど、いつもそんな思いにさせられる。 02-2-28

 

二月もあと1日となった。3日の違いは大きいけどずっと慌ただしかったのでなおさらあっという間だった。過ごし方によってその長さも随分違う。 02-2-27 

 

ほこりというのはいったいどこから湧いてくるんだろうか。誇りでなく埃のこと。生活してても、してなくても出てくるから不思議だ。しばらくほっておくと蛍光灯の笠の上とかストーブの下などは層になってくる。ほこりにも何となく好きな場所があるみたいだ。 02-2-26

 

「子供の頃の父との思い出はたくさんあるけど母とはほとんどない」と言ったら、ある人から「それは幸せだね」という返事が返ってきた。嫌な思い出がないだけで充分幸せなことだとその人は言う。確かに母から行動や進路で何かを言われた記憶はないし、「勉強しなさい」の言葉も一度も聞いたことがなかった。考えてみれば、自分の判断で行動したがる僕にはとても有り難い母だった。 02-2-25

 

日本はよくわからないという意味ではっきりしてるけど、アメリカはなんとわかりやすくてはっきりしてることか。もし、アメリカが生徒だとしたら期末の通 信簿に書くネタが山程あるから、さぞかし担任の先生は書く欄が足りなくてこまるんだろうな。 02-2-24

 

家の前の雪が排雪されアスファルトの道路が現れた。これで搬入のときの赤帽の心配はなくなった。一安心。道路から雪が消えると一気に春に近づく。雪国では雪の量 で春の気配を感じ取る。 02-2-23

 

若い女性との会話のなかで、女子高生の冬でも変わらないあのスタイルが懐かしいと言ったので、以前から思ってた素朴な疑問を聞いてみた。「あんな格好で寒くないの」。返ってきた返事は極めて正直だった。「寒いというより痛かった」。それを聞いてその意気込みに感服。「ちょっと寒い」とか「別 に寒くない」でなかったからだと思う。何だかよくわからないけど『すごい』。 02-2-22

 

たくさんの用事を済まそうと街なかを足早に歩いていたら、突然ピンクの路面 電車が目に飛び込んできた。驚きと共にじっくり見送ると、お菓子屋のキャラクターが描いてある。それで納得。まるで春を運んでるみたいだ。そして夕方は桜餅をいただいた。ダブルのピンク。気分は春。 02-2-21

 

話しをしていて、人や物の名前が中々出てこなくてこまることがある。お互いにイメージは一致してるのにその名前が出てきそうで出てこない。のどに骨が刺さった感じで気になってしようがない。そんなときのために『ほれ!あれ!電話相談室』があればいい。もちろん有料だが、気になったままでいるより100円払ってでもスッキリしたくなるときもある。事業として無理かな。 02-2-20

 

「ベルリン映画祭で「千と千尋の神隠し」がグランプリを獲得。宮崎作品は大好きで「千と千尋」も「もののけ姫」も観客動員と興行収入にしっかり貢献してる。宮崎の受賞後のインタビューがまたいい。「受賞して何か変わりますか」に「変わりません」と即答。いい人が受賞した。これからは世界の宮崎になるだろう。これで、宮崎と清水と里谷で金銀銅が揃った気分だ。 02-2-19

 

吸ってから吐くか、吐いてから吸うか。嘔吐でも煙草でもなく息のこと。吐くから吸えるようになるんでないだろうか。深い根拠はないけど、吸うより吐くほうが楽にできる。吸うには空きが必要。だから最初に吐いたはずだというのが僕の考え。吐き続けるのも大変だが吸い続けるのはもっと難しい。これからは吸うより吐く方に多くのエネルギーを注ぎたいと思ってる。これは生き方の話し。 02-2-18

 

5、6年前からだろうか、不要な物を捨て、整理整頓に心掛けるようになってきた。きっかけは探し物の勘が当たらなくなってきたからだ。探すのに無駄 な時間を費やすし、見つからないとイライラしてしまうから二重に疲れることになる。これからも、できる限り身軽になっていきたい。 02-2-17

 

久し振りにまとまった雪が降り、気温も下がったので本来の季節の雰囲気に戻った。それにしても今年は雪が少なくて助かる。3月初旬の個展の搬入のとき、自宅前に赤帽の駐車スペースを確保するという大変で大事な仕事もある。それまでは大雪にならないでくれと祈る思いだ。  02-2-16

 

話しは続く。今まで、いわゆる有名人の死でとても悲しい思いをした人が二人いる。一人が植村直己。マッキンリーで行方不明というニュースを聞いても、きっとすぐに元気な姿で出てくると思っていた。それが絶望に変わっても、なお信じられないし信じたくなかった。僕の果 たせない冒険心を満たしてくれていた。そして、死を受け入れたとき深い悲しみに包まれた。もう一人はジョンレノン。02-2-15

 

そういえば、植村直己の本もほとんど全部読んだ。何度か文庫本の整理をしてきたが、その度にキープの側に残った。だから今も棚に収まってる。もう読まないかもしれないけど捨てられない本がある。思い出の写 真や品物と同じで、そのときの思い入れの強さの現れだろう。 02-2-14

 

探検家、関野吉晴が南米からアフリカへの旅グレートジャーニーを8年がかりで成し遂げた。移動手段は徒歩と自転車とカヤックだったという。8年間持続させた意志と体力に拍手を送りたい。同じ53才だとわかってさらに感動を深くした。少しは見習いたい。 02-2-13

 

何年か前、「私作る人」というコマーシャルが差別うんぬんで問題になったことがある。しかし、この頃、つくづく「僕作る人」を実感するようになった。いろんな人達に助けられ、支えられながら作ってることを以前より、もっと強く感じてるからだと思う。「作る人」は感謝と喜びで一杯だ。 02-2-12

 

自然食品志向でも産地を意識することもなく、ましてや材料にこだわるグルメとはまったく無縁の生活をしている。それなのについ先日、一旦手にした肉のパックを棚に戻した。それはアメリカ産だった。この儲けの一部もミサイルになるのかと思うと買いたくなくなった。代わりに隣にあった北海道産の肉をカゴに入れた。めんどうだから徹底するつもりはないが、あくまでも気分の問題。 02-2-11

 

女の涙は戸惑うけど、男の涙はもっとやっかいだ。男は泣かないもの、それなのに泣くのはよほどのことなんだと思わせようとする。ここがたまらなく嫌だ。山一の前社長がいい例。本当なら涙に男も女も関係ないが、それでも涙は女の武器だと言うなら男の武器は暴力か。それなら僕は涙を選ぶ。02-2-10

 

最近はまったく小説を読んでないが、ある時期、新田次郎と松本清張ばかりを続けて読んでいたことがある。そんなときは本屋の文庫本の棚でまだ読んでないタイトルを探すのが楽しみだった。ほとんどどの作品もすぐにその作品の世界に入ることができたから文体の相性ってあると思う。 02-2-9

 

まるで3月下旬のような暖かい天気が続いてる。雪かきをしないで済むのは助かるが冬は雪が降り寒くならないとこまる人もたくさんいるから喜んでばかりもいられない。適度がむずかしい。 02-2-8

 

話し方にその人独特の言い回しや癖があるように、文章にもその人の特徴が必ずある。小説でもすんなり入れるものとそうでないものにはっきり別 れる。数行読んで駄目なものはまちがいなく駄目だ。しかし、自分の文章の分析は難しい。果 たしてどんなふうに受け止められているのだろうか。 02-2-7

 

日本という国もつくづく不思議な国だと思う。諸悪の根源が明らかであっても強引にうやむやの方に引っ張り込み、問題点を真剣に追求することなく解決を先送りする。まちがいなく傷口は広がり深まるからさらに回復は遠のく。そしてまたバブル崩壊後と同じく他人事のように無責任な言葉が繰り返されるのだろう。その点では不思議でも何でもなく、極めて一貫してるからわかりやすい国だ。 02-2-6

 

すごくがっかりしたとき。湯舟にお湯を出して20分位経ったので、もう入れる頃かと思って行ってみたら栓をし忘れていたとき。電子レンジを開けたら、前の食事のとき食べようとして温めたはずの茶わん蒸しを発見したとき。お湯はもったいなかったけど、茶わん蒸しは再びチンして食べた。02-2-5

 

節分の豆まきとは何の関係もないが、今、手に豆が5つある。木枠からのキャンバスはがしとキャンバス張り、そして雪かきのせいでできたものだ。仕事によってそれぞれ力の入る場所がまったく違うというのがよくわかる。できれば雪かきの豆はこれ以上増えないでほしいものだ。 02-2-4

 

昨日の続き。列車内で特急券を買うとき、車両編成表のことを車掌に伝えるとメモしながら真剣に聞き、すぐ報告すると言った。やっぱり話して良かったと思った。ところがである。札幌駅の改札口で切符と特急券を一緒に入れたのに扉が開かない。やり直しても駄 目。今度は切符も戻って来ない。駅員に言うと、車内の発券は窓口に出すという。車掌からその説明は一切なかった。そこは減点。02-2-3

 

芽室の実家で雪かきをしてきた。仕事量延べ8時間。おかげですっきりした。その帰りのJR芽室駅でのこと。夜7時にすでに無人駅になっていた。特急の車両編成を調べようとしたが、壁には貼ってない。それではと調べた時刻表は全国版で道内のは載ってない。そこでホームの中間辺りで待つことにした。じっと目をこらして車両表示を追い、近い車両に乗り込んだ。.無人駅には編成表が必要。 02-2-2

 

表現とは表に現すことで、基本は感情表現だろう。それは自分の存在をしっかり確認できるし、自分の状態を回りに伝える有効な手段にもなる。何らかの方法で自分の思いや考えをを意識的に具体化させたいわゆる作品も表現の一部だが、伝える手段としては 感情より少し抽象的になる。 02-2-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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