ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

ガソリン給油。ガソリンの残料が少なくなったという警告ランプが点灯してからもしばらく走っていた。経験上もう少しは大丈夫との読みがあったが、この大事なときに万一ガス欠で車がストップなんてことになったら大変なのでセルフで給油した。今の車ではガス欠の体験がないので警告ランプの点灯からどのくらい走れるのかわからない。残りあと何りットルの表示があったらわかりやすいのに。09-10-31

 

すっかり寒くなり昼もストーブの助けを借りるときが出てきた。もうすぐ初雪が訪れてきそうだと天気予報が告げている。最近はかなり正確になってきてるのできっと当るのだろう。いよいよ秋から冬へと移り変わるとき。雪がその境目。着る服だけでなく寝るときの布団も冬用へと移りつつある。寒いのはもちろんイヤだけど熱すぎるのもつらいので掛け布団や毛布、敷布の組み合わせで工夫する。09-10-30

 

ちょっとあせったけど無事解決。素材のアクリル板や塩ビ板を買っている大型ホームセンターでいよいよ最後の購入になるはずだった塩ビ板が品切れしていた。注文しても1週間から10日は掛かるという。追い込みの段階でそんな時間的余裕はない。あきらめて以前よく使っていたホームセンターへ向う。そこで足りなかった分は違う支店で確保。久し振りに顔を出したのに救われ胸をなで下ろす。09-10-29

 

子供の頃から柿は大好きだった。誕生日には食べたい料理と果物をリクエストさせてくれていたので、だいたい毎年カレーライスと柿を頼んでいた。その日は必ず柿が食べられるという嬉しさで何日も前から楽しみにしていた気がする。あの頃食べた柿は今売ってるものよりもっと柔らかかった。だから柿の皮を剥いて食べるという習慣はずっとなかった。皮を剥くようになったのはつい最近のこと。09-10-28

 

奈良の柿といえば忘れられない思い出がある。大学3年の秋に授業の一環で奈良を訪れ寺巡りのために田舎道を歩いていたときのこと。木になっている柿を初めて見てえらく感動したのを覚えてる。葉っぱはなく柿だけが枝の先にぶら下がっていた。背景には秋の青い空があり、紅葉して色とりどりの山には竹林も。その風景は日本昔話に出てくる挿し絵の世界そのものだった。また歩いてみたい。09-10-27

 

柿の日。何の日、何の日といろいろあるけど10月26日が『柿の日』だったとは知らなかった。一年中『何の日』があるから知らなくても当然か。これは語呂合わせでも数字の形にも関係なく〈柿くへば鐘がなるなり法隆寺〉の句を詠んだ正岡子規の奈良行きの日にちなんだという。何とも風流というか曖昧でわかりにくい設定だ。柿は毎日食べてもいいくらい大好きで今日もしっかりいただいた。09-10-26

 

11月の旅の宿の予約はもう済んでいる。今回は松本、高山、長野と東京に泊る。すべてビジネスホテルで平均すると約5,500円。最後に予約をした東京のホテルとはおかしなやりとりがあった。ネットで料金を調べて電話をすると、最初は7,200円だと言う。驚いて「そんなに高くは書いてなかった」と言うと「ネットを見た予約であれば4,500円です」との返事。随分大きな差にびっくり。09-10-25

 

朝の一杯のコーヒー。もっと若い頃には一日に5杯も6杯も、多いときにはそれ以上飲んでいたのに、もう何年か前からコーヒーは朝の一杯だけになった。そのときのコーヒーはとってもうまいと思うけど昼食や夕食後は日本茶のほうを欲しくなる。食後でないときは冷たい飲み物が多くなった。年令によって嗜好も変化するというけど、これもそのひとつ。それでも、朝はやっぱりコーヒーがいい。09-10-24

 

一段と寒くなり朝晩はストーブの助けを借りるようになった。そして、日暮れが随分早くなりあっと言う間に夕闇が迫ってくる。今日は厚い雲のせいもあって4時前から薄暗くなっていた。夕方がすっかり夜の時間に吸い込まれてしまった感じ。でも、まだ早い時間に部屋の灯をつけるときはちょっとためらいもあったりする。なぜなら、灯をつけると夕闇がさらに早まるような気がしてしまうから。09-10-23

 

いよいよ、爪とは違う詰の段階に入る。グループ展の搬入まであと10日余りになり、第4コーナーを回ってラストスパートに突入といったところ。残されているのは直線コースだけなのでゴールまでの距離が今まで以上に確認しやすい。幸い余力はあるので全力で走り抜けられそうだ。最後まで気を抜くことなく納得できる作品に仕上げたいと思っている。詰を急いで、詰が甘くなってはいけない。09-10-22

 

『能ある鷹は爪を隠す』は何となくわかる気がしても『爪に火をともす』『爪のあかほど』『爪のあかを煎じて飲む』などはどうしてそんな意味につながったのだろう。気になるので、そのあたりを調べてみたいけどスッキリするのはもう少し先になりそうだ。そもそも『爪のあか』っていったい何なの。『能ある鷹』以外はめったに聞かなくなった。わかり過ぎてとても怖いのは『生爪を剥がす』。09-10-21

 

カッターナイフでカット作業をしているとき手の爪に助けられたことが何度かある。もしもって考えると血の気の引くときも・・。爪は指先に力を入れるためだけでなく、そこを守ってくれる大事な役目も持っている。爪ではとても守り切れないのが電動鋸。それを使うときは集中力を高め細心の注意を払うようにしている。怖がってはいけないけど、慣れ過ぎても危ない。常に適度な緊張感が必要。09-10-20

 

体調が悪いときよりも、忙しいときよりも、もっとつらいのは書くネタが思い浮かばないとき。パソコンの前に座ってはみたものの頭は空回りして時間ばかりが過ぎていくときが一番つらい。いくつものネタが出てきてどれにしようか迷うときもあるのに出てこないとなると脳みそはどこかへ行ってしまう。幸い、最近は軽く構えるようになったせいか長い時間を費やすことはほとんどなくなった。09-10-19

 

体調が悪いとき、忙しいとき、制作に追われているとき(今はこれに当る)などなど『ひとこと』を書くのがめんどうだったり時間が惜しいと思うときもある。それでも書き続けられるのは食事や睡眠と同じと受け止めようと努力しているから。つまり、欠かせない生活の一部として『ひとこと』はあるんだから、あえてその時間を作ってるわけではないとの考え。寝る前の大事な儀式のようなもの。09-10-18

 

今日は外出なしの缶詰め状態で制作に専念する。おかげでかなり先が見えてきたがまだまだゴールは遠い。こらからもゴールからの逆算で時間を確保して制作を進めることになる。開始が遅かったのとプランが大きかった原因もあるがちょっと無理するくらいで集中力も増してちょうどいい場合もある。今回もそう受け止めている。全体像が見え始めるとさらに力が湧いてくるし完成の楽しみも増す。09-10-17

 

券売機でカレーセットのチケットを買い、カウンターで係の人にチケットを渡して待っているとき、向い側のカウンターに座っている親子(母親と小学3年生くらいの男の子)のところに牛丼と味噌汁と冷奴が運ばれてきた。母親は息子の前に大きいほうの丼と味噌汁と冷奴を置いた。男の子は丼と冷奴をおいしそうに食べている。子供に冷奴は以外だったけど大好きなんだろう。ほほえましい光景。09-10-16

 

10月に入って急に寒くなった感じがする。紅葉した木々をゆっくり眺める間もなく落ち葉になっていく。すでに歩道には赤や黄色の葉がたくさん落ちていて、まもなく埋め尽くされてしまいそう。いつもの道を歩いているとき、秋というより冬の始まりのような気分になってしまった。寒い冬を迎えるのが次第に辛くなってきている証し。以前はもっと秋を楽しむ余裕があったはずなのに秋が短い。09-10-15

 

『外見は今どきの普通の若者』。テレビのニュース番組のなかでアナウンサーがこう言った。よくある無責任で安易な言い方だけど、気になったのはそっちの方ではない。それじゃ『普通 じゃない若者』ってどんな外見を想像すればいいんだろうと考えてしまった。すぐには浮かんでこない。どんな服を着てどんな髪型だったら『普通 じゃない』となるんだろうか。是非とも教えてほしいものだ。09-10-14

 

峠越え。カットしたアクリルを組立てて重ねていくと50個ほどで60B位 の山になる。そこに塩ビを貼るときに山の上から取って貼り終ったら横に重ねていく。最初は高さに大きな差があるけど次第に近づき逆転するときが嬉しい。まるで峠越えのような気分。そのあとの作業のほうがずっと早く進む感じがするのも峠越えと一緒。全体の作業もようやく峠を越えたようだ。でも、全力投球は続く。09-10-13

 

11月のグループ展に出品する作品の制作に要する時間を細かくチェックしてみた。行程としはアクリルのカットから始まり、電動鋸でさらにカット(1パーツに200片ほど)し、ヤスリがけをしてから単体として組み立てる。その内側にカットした白塩ビを貼り、その上に黒塩ビを重ねる。それを50個繋げて1パーツにする。カットにかかる時間と組み立てにかかる時間はほとんど同じくらい。09-10-12

 

さらに無言館展の話が続く。そこで驚いたことがある。家族や妻に出された葉書の字がどれも皆すごく達筆なのだ。絵についても20代とは思えぬ 深さを感じたが字のうまさもそれに似たものがある。あの当時の人達はほとんどあのように書けたのだろうか。まさか、下手な字の人の葉書は展示しないようにしてるとは考えられないし。とてもじゃないけど自分の字は今のでさえ出せたものじゃない。09-10-11

 

今年の旅の予定に長野県の上田市にある『無言館』も入っている。もしかしたらまた同じ作品に出会えるかもしれない。本来の落着いた雰囲気の中でゆっくり観るのが楽しみ。もちろん他の作品も。今回のように違う場所で展覧会をすると、出品された作品はその間は展示できないわけで、それを目指していた人はがっかりすることになる。行ったときには出張から帰って来てくれてるといいのだが。09-10-10

 

無言館展を観るためエレベーターに乗る。最初はふたりだったエレベーターに途中階から大勢の女の子ばかりが乗り込み満杯状態になった。そして、ある階ですべてが降りて上へ向うのは自分一人になってしまった。でも、展覧会場は主に年配の女性達で結構混雑していた。帰宅後の夕刊でその階にあったのはラーメン共和国とわかった。そりゃあ、10代の娘には無言館よりラーメン共和国だよね。09-10-9

 

無言館「祈りの絵」展を観た。ほとんどが20代の作品なのにもっと長い年月を生きた人の作品のような深さを感じた。というより、若さ故に成せる純粋で真摯で真直ぐな心による制作姿勢が作品に映し出され凝縮されているため深さを感じたと言ったほうがいいのかもしれない。若くして戦死したという事実が、つまりその先の作品がないという現実がその思いをさらに強くする。とにかく感動的。09-10-8

 

室内の気温が18℃を下回ると寒く感じる。もちろん、着ている服によって感じかたが異なるにしてもおおむねこの辺りが境界線になる。朝、6時前に起きると寒暖計は17度になっていた。もう一枚多く着て我慢しようかと少し迷ったけどストーブを点火。シーズンの最初の点火のときはいつもそんな思いがよぎる。でも、もう無理に頑張るのは止めにした。夕方にはふわりと舞う雪虫に出会う。09-10-7

 

傘があった。どこで置き忘れたかさえまったく思い出せないのだから、傘はあきらめていた。天気予報があたって午後には雨が降ってきた。そこで、100円ショップで200円の折畳み傘を買う。200円のわりにはしっかりしていてしばらく役に立ってくれそうだ。そんなことを考えていた矢先に車の中に置いてある傘を発見。ここに置いたことをすっかり忘れていた。嬉しいけど複雑な気持も。09-10-6

 

傘がない。午後には雨が降る予報になっているので持っていこうとしたら、いつもの所に傘がない。リュックの中にも見当たらない。ど、どうして?どこかで忘れてきたのだろうか。思い出そうとしてもその場所がまったく浮かんでこない。これもショック。30年近くも同じ傘を使っていて、それが壊れてから買った傘は1年も経たずになくし、そしてまた1年で・・・。何かが変わってきている。09-10-5

 

中秋の名月と満月を堪能。昨日の夜、たくさんの荷物を抱えての帰り道、ふと空を見上げると白く輝く中秋の名月が目に入り、荷物を置いてしばし佇む。しだいに心も和む。朝刊でその日であることを知ったのにうっかり忘れていて危うく見過ごすところだった。そして今晩、たまたま買物に出かけると冷えた空気の中に澄み切った満月が煌々と輝いていた。二日続けて美しい月に出会えて大満足。09-10-4

 

さらに冷蔵庫を引っ張る。もちろん話のこと。20年振りに手にした冷蔵庫には様々な違いがある。まず音が小さい。壊れれた冷蔵庫の最後のか弱い音よりもっと小さくて正常に作動しているのか心配になるほど。冷蔵庫が上で冷凍庫が下にあるのを選んだが使ってみるとこれは大正解。食品や食材の出し入れがすごく楽。卵を入れる場所が付いてない理由は未解明。20年後の冷蔵庫はどうように。09-10-3

 

よく言われることに『ひとつの家電が壊れたら次々駄目になる』というのがある。実は、これが僕にも当てはまりそうな気がして心配になっている。気になって洗濯機と電子レンジの購入時を調べてみると冷蔵庫と同じ時期になっていた。つまりどっちも21年が経っているというわけ。21年前とは引越しをしたとき。引越しは生活に大きな変化が生まれ人生の節目になる。家電も節目のひとつ。09-10-2

 

昨日の続き。何年前に買った冷蔵庫か調べてみると、1988年になっているから21年使ったわけだ。最後まで見事に役目を全うして突然息絶えたようで有難うお疲れさまという気持。冷蔵庫は生活に欠かせないのでさっそく家電量 販店で似たサイズのものを購入する。エコポイント還元にも引かれたけどデザインと機能性を考えてそうじゃないのを選んだ。またこれから20年の付き合いだから。09-10-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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