ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

3月もいよいよ今日で終り。早いものですでに今年の4分の1が過ぎたことになる。それでもようやく待ちに待った春がくるわけで嬉しさのほうが大きい。この時季は寒暖の差が結構激しくて春の陽気にうかれていると急に雪に見舞われたりもするからどんな服装で出掛けるかも迷うもの。家の暖房も着けたり消したりと忙しい。もう少し緊張感を持続させて風邪ひきなしでこの冬を終らせなくては。06-3-31

 

将来の医学の進歩で蘇生させることを願って遺体を冷凍保存していた話しが新聞に載っていた。これはフランスでのことだけどアメリカでは100人以上が冷凍庫のなかにいるという。死んだ我が子の復活の願うならわからないでもないがこの場合は親だった。もしも、何10年か後に見事に復活したときには子供(自分)より若い親に会うこともあるわけだ。親は年上の子を見てどう思うのだろう。06-3-30

 

スーパーでマーガリンを買おうとしたら特売品になっていて喜んだがよく見るとそれはいつも買ってるものより大きい。これでなくて小さいほうと探すとすぐ隣にあった。でも値段は大きい方が130円で小さい方が160円。それでしばし迷った。大きいのは安くても長持ちし過ぎる。でもいつもよりたくさん食べればいいかなどと。結局、長く残って味が落ちるのもいやだから小さいのを選んだ。06-3-29

 

住み慣れた区。中央区から札幌の生活が始まり、そこで8年で2回の引越し。次に東区へ。住んだ期間は一番短かくて1年ほど。そして北区へ。ここで30年で3回の引越し。こうして書いてみると北区には随分長くいたわけだ。これからもしばらくここにいるだろうから北区の年数はさらに増える。去年の3月に新しい区に移って環境を大きく変化させる手もあったが結局住み慣れた区に落着いた。06-3-28

 

ささやかな楽しみは達成されることなくあっけなく過ぎ去った。HPのカウンターが012341を確認したあと『ひとこと』を書いて送り再度確認してみると、なんと012347になっていた。カウンターは1日せいぜい10くらいしか進まないからまだ大丈夫と思っていたのに・・・。ちょっぴり残念。この後のきりのいい数字といえば020000か。次の楽しみはまだまだ遠いところにある。06-3-27

 

札幌に住み始めてすでに39年が過ぎた。初めての住まいは藻岩山の麓にあった大学の寮。3年のときに6畳1間を借りて自炊生活に入る。これが札幌での最初の引越し。すごく嬉しかったのを今でもよく覚えてる。それから今回のも含めて7回の引越しをしてきた。平均するとだいたい6年に1回になるけどそれぞれの年数はまちまち。意識してたわけじゃないのに徐々に北へ北へと移ってきた。06-3-26

 

今日は忘れもしない引越し記念日。秋までは新鮮さというか目新しさも強くあって長く感じたが冬に入ってからは短かった気がする。連日のように雪かきに追われて変化に乏しかったせいかもしれない。それにしてもここに引越せたのは本当にラッキーだったとしみじみ思う。住まいだけでなく周りの環境もいろいろ恵まれてることが住んでみてよくわかった。1周年を祝って乾杯でもしたい気分!。06-3-25

 

立体を制作するときは立ったままがほとんど。今日はトータルで8時間近くになったが足にはまったく疲れを感じなかった。それでもこうして椅子に座ってパソコンに向っているうちにほんの少しだけど足がじんじんしてきた。仕事を終わりにして気を抜いたとたんに疲れが出てくるものだ。それにしても立ったまま8時間仕事ができるのはありがたい。これも極力歩くようにしてきたおかげだろう。06-3-24

 

WBCの決勝戦に燃えていたおとといは春分の日だった。この休日は多くの人達の野球観戦日になったに違いない。準決勝の韓国戦は日曜日だったし日程までもが味方してくれた。おかげで多くの日本人が安心してテレビ観戦できたわけだ。もちろん僕もそのひとり。両方とも生中継で見られて幸せ。06-3-23

 

今、ささやかな楽しみがひとつある。それはまもなくまちがいなくやってくる。しかし、それはあっという間に過ぎ去ってしまう。それだけに何とか見届けたい。だからどうなるというわけでもなんでもないけどひとつの区切りとして見ておきたい。それは、このHPのカウンターが012345と見事にストレートになるとき。ぞろめとか1万とか区切りはたくさんあるけどこの並びが一番きれい。06-3-22

 

昨夜の嵐は風のみで一安心。昨日からの吹きだまりはそのままにして日本対キューバの決勝戦を見る。見事に優勝。世界一に輝いた。最後こそ追い付かれそうになったがまた突き放して見事な勝ちっぷり。一旦はあきらめかけた準決勝に進んで韓国に勝ったときから日本に風は吹いていた。最初はアメリカのためのWBCのはずがアメリカは早々と消え、最後は日本のためのWBCになったのが嬉しい。06-3-21

 

一気に真冬に逆戻り。家の陰にわずかに残ってただけの雪だったのに一晩で雪景色に大変身。そのうえ強風注意報もでる猛吹雪。幸い出かける予定も用事もないので家でじっくり仕事をすることにしてやり始めると家を揺らす風も気にならない。いつもは夕方に散歩がてらに買いに行く夕食の材料もあったので結局一度も外に出ない一日になった。今も強い風の音が聞こえてくる。明日の朝は雪国?。06-3-20

 

WBCの準決勝で日本が韓国に勝利。あさってはキューバとの決勝戦だ。最高のドラマを見せてもらった。筋書きのないドラマというけれどまるで日本のためのシナリオがあったかのようだ。二度落胆してショックを受けたあとだけに喜びはなおさら大きい。韓国に敗れた時点で絶望的だったはずなのに決勝戦進出とは夢のよう。ここまでくると優勝もちらつく。あさっても休日だからテレビに釘づけ。06-3-19

 

今日から道内の列車は全面禁煙になるという。現状を考えれば自然な流れ。何度もやむなく喫煙車両に乗ったことがあるけど禁煙車両より空いていてなおかつ煙草を吸う人のほうが少なかった。これからは指定席を取るとき喫煙か禁煙かを聞かれることもなくなるわけだ。煙草を吸う人はつらいだろうがこの措置には大賛成。煙草をやめて18年経ったのと年も関係してるのか煙がつらくなってきた。06-3-18

 

『メキシコありがとう!』って叫んでる人がテレビのなかにいたけどほんとうにそんな気分。これでもう一度WBCで韓国と戦うことができる。日曜日の予定だからテレビ観戦がすごく楽しみ。それにしてもあの誤審の審判はひどすぎるあそこまでいくとセンスとかレベルとかの問題でなくモラルの問題。あんなことをしてまで勝たせようとする根性が情けない。それも含めてメキシコが勝って嬉しい。06-3-17

 

年に何回かだがふと思うことがある。以前にも書いた記憶があるが父が今の自分の年令のとき僕は何歳だったかと。父が30のときの子だからわかりやすくて30引くとすぐにその年令がでる。つまり27。1年近いヨーロッパの旅から帰ってきて画家の道を決意して歩き始めた時期だ。『夢に向って生きるのはいいが生活は大丈夫なのか』と随分心配もかけた。それから30年経ったことになる。06-3-16

 

いつもより輝きが増してると思ったら新しい信号機だ。よく見ると円の中に小さな円がたくさんつまっている。多分、朝や夕方の低い太陽にも影響されにくいつくりになってるのだろう。今日は歩いているときに見たけど今度は車からの効果 をみてみたい。信号に関する苦い思い出は30年前、車の免許の路上試験のとき教習所に着く直前に信号無視をしてしまい再試験のために6千円取られたこと。06-3-15

 

パラリンピックが始まった。オリンピックと違って国を背負って戦ってる雰囲気を感じさせないのがいい。あくまでも個人、個人の鍛練した技と精神力に挑戦している姿が見えてくる。その意味でメダルや順位 に関係なく感動できる。もちろん戦うからにはいい順位につきたいのは当然だが負けても悔しさはあっても悲愴感は感じられない。しかし、パラリンピックはほとんど放送されないのが残念。06-3-14

 

アメリカならではの勝ち方。今朝、WBCの日本・アメリカ戦を観たが野球の世界でもアメリカらしさを発揮して強引に勝ちに持っていった。判定を不服として抗議する監督とそれを受け入れ判定を覆す球審、どちらも野球のセンスを疑う。どう見ても明らかにセーフ。もしも、反対の立場だとしたらボイコット試合になったに違いない。負けたのは残念だがアメリカの野球のレベルを見せてもらった。06-3-13

 

3月に入ったら立体の制作もしようと思っていてなんとか5日あたりから始めた。平面 のとき以上に集中力を必要として疲れもするがなかなか止められない。細かい仕事が結構多くて目に見えて進むわけでなく1日めいっぱい頑張ったのにこれだけかとがっかりしたりもする。でも、こつこつ積み上げていく作業も好きだからそれなりに楽しい。カットや接着がうまくいったときは疲れも吹っ飛ぶ。06-3-12

 

昨日、起床時間について書いたら今朝はさらに早く6時45分に目が覚める。たいして眠くないのですぐに起きて1階に降りる。おかげで午前中にたっぷり仕事ができた。明け方の3時4時まで仕事をすることが多かったのは40才くらいまでだったろうか。朝刊を読んでから寝ることもしばしばだったというのに年とともに朝型に移るという自然な流れに素直に乗ってるようだ。もうすぐ寝る時間。06-3-11

 

今朝は7時に起きた。冬のあいだはずっと7時半起きだったのに早く目覚めたのは夜明けが早くなったからだろう。しばらく7時起きを続けたらその後は6時半にそして夏を迎える頃には6時起きにしたいと思ってる。今は朝から昼までの時間が一番集中できるようになった。いずれ5時起きかな。06-3-10

 

テレビで『中高年ニート』を取り上げていた。出てきたのは42才と50才だがこれはおかしい。ニートの定義は=通 学も仕事も職業訓練もしない15〜34才の若者=だったはずでこれならニートは=通 学も仕事もせず年を重ねる人=ということになる。その特徴は親元にいてすねをかじっているところ。親が長生きすれば80才のニートも現れるわけだ。そもそも『ニート』の定義に無理がある。06-3-9

 

気持ちと体の慣れ。暖かい日が続き雪解けも進み道路も歩道もアスファルトが顔を出して春は近いと喜ばせてくれたのに一晩でまた白い世界に戻った。いったんその気になってしまうとほんのちょっと戻されるだけでもつらいもの。平年並みの気温であっても寒く感じてしまう。寒いのが当たり前と覚悟してるときはマイナス10℃でも平気なのに気持ちがゆるんでしまうと0℃でも寒さが身にしみる。06-3-8

 

札幌オリンピックの誘致を断念したのは正解だと思う。賛成派の意見のなかに「若者の期待に応えよ」「若者の夢と希望を奪うな」というのがあった。しかし、夢どころかその若者に多大な借金を背負わせる可能性は大きい。世界規模の祭典だから様々な波及効果 があるのはたしかだが若者の夢や希望をそこに求めるのは何とも寂しい。日常の現実の生活のなかにこそ夢や希望を持てる社会にすべき。06-3-7

 

魚の生態についてはほとんど知らないので疑問な点がいくつかある。そのうちのひとつが目。魚眼レンズというんだからあんなふうに広角で見えてるはずなのに近くの餌を見過ごしたりもする。視界は広いけど視力はよくないのか。そして、魚は目を閉じることはないが寝てるときはどうなってるのだろう。意識しなければ見えてない状態になるということか。薄目を開けて寝る人もいるわけだから。06-3-6

 

連帯責任の怖さ。駒大苫小牧高の野球部員の補導は選抜辞退、校長辞任、監督辞表というところまで波及した。1、2年生が辛い思いをするのはわかる。しかし、いっときのこと。選抜のあとには次が待っている。校長も監督も辞めることで責任をとり償うかたちができる。しかし、問題を起こした当事者とはいえ退部も退学もできない彼等がもっとも悲劇だ。その償いを一生背負うのはつらすぎる。06-3-5

 

まだ雪の残る歩道にうつ伏せになってひとりで泣いてる学校帰りの女の子を見つけた。多分、小学1年生。「どうしたの、大丈夫?」と声をかけても返事はなく泣き続けてる。泣きかたからして体の不調ではなさそうだ。前方を見ると同学年と思われる男の子がひとりで歩いていく。いつもは仲良しのふたりがけんかしたのだろう。くやし泣きと判断してその場を離れたが当節かかわりかたに気を使う。06-3-4

 

子供への挨拶。顔見知りになった近所の子供達と出会ったら必ず挨拶の言葉をかけている。小学生から高校生まで8人だが声の張りや大きさの違いはあってもみんな挨拶を返してくれるのが嬉しい。そのうちの3人は先に声をかけてくれるときもある。そして今日、さわやかなことがあった。家の前で雪かきをしてるとき見覚えのない小学生から挨拶されたのだ。子供からの挨拶はもっともっと嬉しい。06-3-3

 

縄張り意識が強いせいかそばに寄ってきた魚を追い払おうとする。ときには必要以上に追い掛けるので随分しつこいなと思ったが半分はじゃれあってるのかもしれない。一方的に追い掛けるわけでなく追い掛けられもするから安心した。小さいのが大きいのを追い掛けるときはまとわりつくといった感じでめちゃくちゃ慌ただしい。それでも何か異常を察知すると全部がひと塊になってじっと身構える。06-3-2

 

2月はやはりあっという間に過ぎ去った。3日の違いは大きい。それでも3月に入ったということは春はもうすぐだ。のんびり散歩するのが待ち遠しい。のんびりといえば我家の水槽の魚を眺めるときはのんびりした気分で癒されるはずなのに結構疲れたりもする。ぼーっと見ているというよりついついじーっと見つめてしまって観察になってしまう。おかげでおもしろい習性がいろいろ分かった。06-3-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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