ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

激しい疲れではなく、どんよりとした疲れが体の奥に溜まっているような感じがする。すごく疲れていれば一刻も早く元気を取り戻すため早い時間から床に就くはずなのに、結局は普段と大差ない時間になってしまう。そんなわけで、翌朝にはもっと早くから寝ればよかったと思うのだが同じことを繰り返す。それを断ち切るには『ひとこと』をできるだけ早い時間に書き終えることも条件のひとつ。11-9-30

 

朝刊を開いてびっくり。『ハルカヤマ』の地中階段の両側に設置したアクリル板の作品がカラーで大きく載っていたのだ。取材は受けていたが掲載期日は聞いていなく、全然予測していなかっただけに喜びも大きかった。そして、夕方のテレビ放映の録画にも無事成功して地中階段から水を汲み出す姿を確認することができた。期待し過ぎるとがっかりし、それをぬ ぐい去ると喜びが来るから不思議。11-9-29

 

つい最近使い始めたばかりなのに携帯電話のカレンダーへのスケジュール記入を教える立場に。そのおかげで随分助かっていることを話すと「私のにはそんな機能は付いてないから」と言う。自分とは異なる機種だったけど、きっとあるはずと考え、似たような操作をしてあげるとちゃんと出てきた。あることも知らずに眠ったままだった機能を起こしてあげて感謝される。ちょっとした差で先輩気分11-9-28

 

取材、編集、カット、放映。長時間の取材内容を放映に向けていかに短くするかが編集者の重要な仕事になる。それにしても、30分近くも掛けた取材が3秒あまりで過ぎ去るのは寂しい。すべてがカットされなくてよかったと思えばそうだが、作品について真剣に語ったたくさんのことが何ひとつ残っていなかったのは寂しいというより虚しい。今後の放映予定の局への期待は控えめにしなくては。11-9-27

 

テレビの録画に失敗。ニュースのなかで放送されるはずの『ハルカヤマ』がなかなか現れず、ボツになったのかと不安になり始めた頃ようやく始まったかと思ったらすぐに終ってしまった。一瞬だけど自分の作品も出てきたので録画で見直そうとしたら違うチャンネルの番組が出て来た。納得できなかったがよく確かめると設定がまちがっている。何度も確認したはずなのにそのまちがいが口惜しい。11-9-26

 

日曜日で好天ということもあり大勢の人達が『ハルカヤマ』に訪ねて来てくれた。ほとんどの時間は自分の作品の前に立ちその説明をしていた。有難いことに昼食用にコンビニで買ったおにぎりを食べる暇もないほどの忙しさだった。ほとんどの人に作品の説明を素直に聞いてもらい体験してもらえて、なおかつ喜んでもらえたのが何より嬉しい。これからも努力してしっかり伝えていきたいと思う。11-9-25

 

いよいよ『ハルカヤマ』がオープン。制作から解放された喜びともう続けられない寂しさが5分5分というよりは4:6くらいの気がする。たとえ酷暑や豪雨のなかであっても、大地を相手にした制作はかなりの部分が遊びの感覚だったからだろう。今日、初めて制作抜きでその場に向うときは鑑賞者の気分になってわくわくしていた。不思議なもので昨日までとは違って一人立ちした存在に見えた。11-9-24

 

絵を描いているとき、絵の具合を見たりどうしようか迷ったりすると首をかしげるのは何故だろう。そういえば、わからないときの仕草もそうだ。『かしげる』を調べてみると『傾ける』と同じ意味で=首(頭)をかしげる=は=変だと思って、ちょっと考える=となっている。これでは動作の疑問はわからないまま。きっと、違った角度で眺めることで新たな見えかたを探ろうとしているのだろう。11-9-23

 

最近は洗濯の回数が随分増えている。ひとつの理由には昨年ようやく買い替えた自動洗濯機の便利さもあるが、ハルカヤマでの制作のせいもある。水と土と泥の中での戦いなので毎回上下の服が泥だらけになってしまう。次の日にまた着るために洗濯をその日のうちに終らせることが多くなった。部屋に作業用のズボンとシャツが干してある光景が日常になっている。その洗濯も日常に戻る日は近い。11-9-22

 

「これは何かを収納する家具ですか」「・・・」。グループ展に出品してある作品に対してこんな質問をされてしまった。その作品は270×42×42Bの大きなもので箱の形はしているが正面 は透明のアクリル板で覆われ閉じられている。他にもいろいろな素材と種類の立体作品が並んでいるのを見ているはずなのに「家具ですか」とは。『言葉がない』と感じ、説明する気力は完全に失われた。11-9-21

 

本州、特に東海地方では台風による水害が甚大だ。ニュースでは豪雨とその被害を延々と伝えている。今後は北に向って移動する予報だからハルカヤマでの風雨が心配だ。昨日、アクリル作品2点を設置済みなのでこれからは大雨だけでなく強風も気になってしまう。次に顔を出すのは金曜日なのでそれまでは台風情報に一喜一憂しそうだ。台風が北海道まではひとつも来ない年もあるというのに。11-9-20

 

急に気温が下がる。涼しいというよりも寒いくらい。もう半袖ではいられない。数日前のあの蒸し暑さが嘘のよう。今は午後9時15分、部屋は19度でひんやりしている。靴下を履いてない足が少し冷たい。書くのを中断して靴下を履くことにしよう。生き返る。暑いときは涼しくなってほしいと思っていたはずなのに連日続いた猛暑が懐かしい。ストーブに助けられる日はもう間近に迫っている。11-9-19

 

雨、雨、雨。最近は雨ばかり。朝から最終段階に入ったハルカヤマへ向う。着いて間もなく雨が降り始める。そんな中、アクリルの作品を設置するための穴を掘る。今日は作品が立つはずだったのに夕方まで雨は止まず泣く泣く断念する。穴ができた後は階段に溜まった水を汲み出す。この作業も随分続いている気がする。明日はできれば晴れてほしいが、曇りでもいいから雨だけは勘弁してほしい。11-9-18

 

続き。自分はどっちなんだろうと考えてみた。『食べられない』『食べれない』、『来られない』『来れない』、『見られた』『見れた』。何度か口で言ってみるが、普段どっちを使っているのかわからなくなってしまう。ということは多分両方使っているからだろう。でも、確かに最後の『見れた』はほとんどがこっちの気がする。この流れからするといずれ『見られた』は消えるのかもしれない。11-9-17

 

道新におもしろいデータが載っていた。全国と比べて道内では『ら抜き』の割合いが多いという。『ら抜き』が増えてきているのは以前から指摘されていたがこれほど多いとは思わなかった。『ら抜き』とは『食べられない』を『食べれない』、『来られない』を『来れない』という言い方のこと。『見られた』と『見れた』の割合いは30%と60%だから、すでに『ら抜き』が主流になっている。11-9-16

 

今の携帯電話を手にしてから2年と8ヶ月ほど経つが、ここで初めて使う機能が出てきた。話は少しそれるが、会話では『ケータイ』は『携帯電話』の意味になっている。話を戻す。最近、非常に多くの予定が続き重なるのでノートだけでなくケータイのカレンダーにもスケジュールを書き込んだ。これだとノートを出す手間も省け簡単に確認できていい。他にも便利な機能があるに違いないのだが。11-9-15

 

床屋へ。2ヶ月おきの感覚がしっかり身に着いたようで、行きたいなと感じ始めたら、それはほぼ2ヶ月後になっていた。そうは言っても、もし最近の昼間の蒸し暑さがなかったらもう少し先になってたかもしれない。頭が汗ばむと余計に髪の長さが気になってしまうもの。カットしてもらって一番違いがわかるの耳の上。とにかく1,300円でこれだけスッキリできるのだからその値は充分ある。11-9-14

 

忍び寄る秋。昼間は結構暑くて半袖でも平気だけれど、朝方はすっかり涼しくなってきた。今朝は肩の辺りがスウスウしてたから、寝るときの掛けるものもそろそろ替え時かもしれない。昼に郊外を車で走っていると目の前をたくさんのトンボが飛び回り、稲穂がきれいに実った田んぼは黄金色の絨毯のように微かに揺らぎ輝いていた。街の風景では感じづらい季節の変化も田園でははっきり現れる。11-9-13

 

ストーブの点検修理。昨年の10月に買ったストーブの炎が均一でないので保障期間の内に点検してもらおうと先週の土曜に電話をしたら今朝一番で来てくれた。買った時点からその傾向はあったが、いずれ直るのでは考えているうちに春になり、そして夏も過ぎてぎりぎりに。点検したところ修理を要するほどの問題ではないと言う。もし、異常が出たら保障してもらうことで了解。これで一安心。11-9-12

 

探し物が見つからない。さほど重要なものではないとはいえ捨てるはずのないものが見つからない。ここと思われる場所を何度探しても出てこないということは、考えられない場所にあるわけだ。でも、考えられない場所とはいったいどこなんだろう。これが一番厄介な捜索になる。こんなのが嫌だから不必要なものを減らしていく努力をしてきたけどまだ足りないようだ。さらに片付けるしかない。11-9-11

 

こんなはずないと思うと受け入れられないけど、こんなもんだと思うと受け入れられる。もちろん何にでも当てはまるわけではないが、否定的なのは勝手な思い込みや決めつけの場合もあったりするするから気をつけねばならない。本来の姿や味を知らなければ本物が偽物にも思えてしまう。今回はゴーヤの味でそれを教えられた。苦味があってこそのゴーヤだと知って、それがクセになりつつある。11-9-10

 

40の不惑には10年遅れたが50代に入った後、外や内への惑いが少なくなり精神的に落ち着き、年を重ねるのもいいもんだと思ったりしてたけど、60代に入ってからはそうも言ってられなくなってきた。今度は肉体的な問題がいろいろ出始めて、精神にも影響を与えてしまう。しかし、その中味は以前とは違うもので遅かれ早かれ誰しもがくぐり抜けねばならない道だと思えば動揺も小さくなる。11-9-9

 

地中階段が心配で夕方4時過ぎにハルカヤマへ向う。不安を抱えながら一歩一歩踏み締めるように歩いて階段に近づき、恐る恐る下を覗き込む。しかし、すぐには水が見えてこない。『もしかしたら』といい方の期待が膨らむ。さらに側に立ち、真下を確認するとこの前の50杯のときの半分よりもっと少ない。『よかった!』。今までの心配が一気に解消されてほっとする。今夜はグッスリ眠れそう。11-9-8

 

気になるといえば、今、一番気になるのはやっぱりハルカヤマの地中階段に溜まっただろう水。強い雨が長時間降ったのでどれほど溜まっているのか心配になる。自分の住いの場所よりもハルカヤマ近くにある手稲山ではさらに豪雨だったらしいからなおさらだ。雨水だけならせっせと掻き出すだけで済むからまだいいのだが・・・。でも、この大雨が会期の前でよかったと考えよう。あとは祈るのみ。11-9-7

 

気になる傘の持ち方。それは、傘を差しているときでなく持ち歩いているときのこと。長い傘の先を前でなく後ろに勢いよく振上げる人の多さに驚く。後ろには目がないからどうなっているか気付いてないようだが、混雑している所では迷惑だし危険にもなる。たとえ人込みでなくても決してスマートには見えない。つい、『ちょっと握り方を変えるだけで後ろには向わないのになぁ』と思ってしまう。11-9-6

 

ゴーヤの味。知り合いから自分の畑で作ったというトマトとピーマンとゴーヤをいただく。トマトはまちがいなく近年で一番のおいしさだった。久し振りの本物の味に感激。ピーマンも張りがありそのまま食べてもおいしい。そして、ゴーヤは野菜炒めにして食べたがあまりの苦さに調理方法をまちがえたのかと思って、後日聞いてみると「その苦さがクセになるんだよ」言われた。そうなのかと納得。11-9-5

 

汲み出した水はバケツで約50杯。大雨が続いていたからどれほどの水が溜まっているのか心配しながらハルカヤマへ向う。やっぱりというか、今までで最も多い水が地中階段に溜まっていた。とにかくひたすらバケツで水を汲み出す。半分ほど出してからは溜まった水を石段に掛けて詰まった泥を流しながら下へと進む。石段の最下部には泥の層がたっぷり。願わくばこれを最後にしてほしいもの。11-9-4

 

台風のせいか外は大雨。天気予報は当たり、ハルカヤマ行きを木曜にしたのは正解だった。そこで、9月の中旬に開催する教室展に賛助出品するためのパステル画を描く。棚にしまってあるパステルを出し、パステル用のスケッチブックからイメージに合う色の紙を切り取る。その紙を厚手の台紙に張り、斜めの台に置いて準備は整う。久し振りに触れるパステルの感触が心地よい。これも楽しい時間。11-9-3

 

今年の旅は仙台へ。仙台方面にするか茨城、千葉方面にするかでちょっと迷っていたが石巻にも足を運んでみたらとの友人のひとこともあり仙台を選んだ。テレビの放映も少なくなり今はどんな状況なのかかわからないからこそ、とにかく自分の目で見ておきたい。今日、仙台から千歳への帰りの搭乗券を手に入れていよいよ現実味が増してきた。仙台空港へ押し寄せたあの津波の映像も忘れられない。11-9-2

 

9月に入ったというのに真夏のような暑さに。天気予報では台風の接近に伴い明日から雨マークが続いているせいか湿度も高い。雨が来る前にやっておきたいことがあるので土日の予定を繰り上げてハルカヤマへ。8月はハルカヤマに始まりハルカヤマで終った感じがする。そして、9月もハルカヤマで始まった。アクリル板の作品を設置するのは18日だけど、週末はあと2回だと思うともうすぐだ。11-9-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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