ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

相撲協会の理事長が力士達に暴力の根絶を語った集まりのとき、ある力士から「貴乃花が巡業部長なら巡業に行きたくない」といった発言が出たというのだ。これは驚きの発言で平社員が「部長とは一緒に出張に行きたくない」と言ってるのと同じ。これがモンゴル力士だというのにも意味がある。その力士は横綱にならっただけだろう。つまりは協会の白鳳への許容と放任がその体質を生んでいる。17-11-30

 

暴力事件を起こした日馬富士が引退するのは当然だが、問題の根はもっと深く相撲協会の組織としてのぜい弱さが根本にある。貴乃花の言動は理解できないにしても、協会の白鳳への対応はもっと理解に苦しむ。物言いにしても万歳三唱にしても協会を飛び越えての個人的意見にしても完全に甘やかしているとしか思えない。この状況を許しておきながら規律云々を語るのはおかしい。案の定。続く。17-11-29

 

引出しの中味の整理。プッシュピン、クリップ、輪ゴム、安全ピン、リング、マーカー、カートリッジインク、スタンプ台、付箋、眼鏡拭用の布や紙、液体のクリーナー、目薬、耳栓、裁縫セット、糸、小さな置き時計、ストップウオッチ、100gまで計れる小型のはかりなどなどひとつの引出しに混ざり合って入っていた。これらは残されたもの達だが捨てるかどうか迷ったものも含まれている。17-11-28

 

来てしまうと早く感じる3ヶ月毎の歯のクリーニングと検診。今回から歯垢の状態をわかりやすくするためのピンクの液体で口をすすいでから口を開いて見せたら、いきなり「すごい」と言われてびっくり。恐る恐る何がすごいのかと聞いたら「ほとんど色が付いてないです」と言い、良好な状態であることを説明してもらってひと安心した。歯磨きも上手にできているらしく今後も努力を続けねば。17-11-27

 

解けてなくなるはずと思っていた雪が解けてくれない。雨の日もあったから期待していたのにそうはならなかった。ただの積雪なら解けていただろうけど、がちがちに凍っていた路面 には物足りない暖かさだった。まだ11月末だというのに気分はすでに12月になっている。のんびりはしてられないような追われるような気にさせられるのもイヤなもの。まさかが続いて根雪になってしまうのかも。17-11-26

 

「80-20運動」というのは80歳になっても20本の自分の歯を残そうというものだが、「50-80問題」というのが目に入り読んでみると、ひきこもる子が50代、親が80代となり親子の生活が破綻する恐れが高まっているらしい。ひきこもりと聞くと何となく若者をイメージしていたがそれが社会問題化してからすでに30年以上経っているわけだ。どう理解すればいいのかとても難しい。17-11-25

 

神戸製鋼、日産に続いて三菱マテリアルの不正が相次いで発覚。どれも世界を相手に事業を展開している大企業で日本の信頼を大きく損ねかねない大問題。ここ何年か前からテレビでは『日本はすごい』『日本は素晴らしい』など恥ずかしくなるような自画自賛の放映が増えているが、それにはまると視野は狭まる。かつて、『いいことは報告しなくていい、悪いことは報告せよ』との社訓があった。17-11-24

 

『北区のアーティスト展』の作品は19日に搬入し、20日の午前中に27名の飾り付けをして12時から開始した。4年振りに展示された会場を眺めると懐かしさが湧いてきた。今回の出品作はぎりぎりまで制作していたが、かなり集中してできたのは嬉しい収穫だった。この制作に入る以前はイメージややる気はあるはずなのに、なぜか集中力が持続しなくて悩んでいたのだ。これを持続したい。17-11-23

 

胴揚げ型、騎馬戦型、肩車型。これらは社会のある状態を表わしているのだが、非常にわかりやすくてなるほどと思わせてくれた。我々の世代がまだ若かった頃は胴揚げ型で、今は騎馬戦型になりつつあり、いずれ肩車型になるというのだ。つまり、一人の高齢者を何人で支えていくかということ。例えば、10人で支えていたのが3人になりひとりになるときが来てしまう深刻な問題の比喩なわけ。17-11-22

 

携帯やスマホのキーを操作するとき、だいたい若者は指が平行移動するが年寄りは上下の動きになる。これはそれぞれのキーの場所を確実に覚えているかどうかの違い。若者はブラインドタッチ(キーを見ずに打つこと)ができるけど、年寄りはできないのでいちいちキーを確認する。自分も年寄りの仲間に入っている。これは使用頻度の差。だからパソコンのキーボードは早い段階からできていた。17-11-21

 

中学2年と3年のときの同級生3人でちょっと早めの忘年会。自営業のひとりが12月に入ると何かと忙しくなるので11月中にやりたいとのことでこうなった。外はすっかり真冬なみの風景に一変したので決して早めの気はしなかった。5、6年前から三人での忘年会をしているが、今日もそれぞれの近況と今年の出来事そして様々な話題を熱く語り合う楽しいひとときだった。来年も再会を願う。17-11-20

 

タイヤ交換はそろそろどころではなかった。今朝の驚きは昨日の比ではなく、車の上には30センチ近い雪が積もっていたのだ。雪予報があったのは知っていたが、もっと甘い予想をしていた。昼には絵を仕上げ、まずは本格的な雪かきから始め、その後にタイヤ交換。さっそく車で作品を搬入する。道路はぐちゃぐちゃかなと思っていたら、もう完全に冬の状態。早めの準備の大切さを教えられた。17-11-19

 

忘年会の話が出たり、喪中のはがきが届くなど年末が近づいている。今朝、カーテンを開けて雪が積もっているのを見てびっくりした。そろそろ車のタイヤ交換の時季が迫ってきているようだ。これも年末に向けての行事のようなもの。できるなら降っては解けてを繰り返してくれればいいのだが今年はどうなることやら。12月に入ると外国の友達への年に一度の英語の手紙と年賀状が待っている。17-11-18

 

調べてみると、ドラフト会議は出発前日の10月26日だった。そんなに前だったとは・・。過去の記憶はあいまいであてにならないものだ。年末に大雪が降って散々な目に遭ったのが昨年のはずなのに、誰かに一昨年だと思うと言われたら『あれ、そうだったっけ』と自信をなくしたりもする。ましてや、3年や5年前になるととんと思い出せない。ただし、『歩く旅』だけはしっかり覚えている。17-11-17

 

10月27日の『歩く旅』を始めた日から『歩く旅』の行程や感想などを書いていた一昨日までの間にも世の中ではいろいろなことが起こっていたはずなのにはっきりと思い出せない。世の中の出来事のみならず自分のことでさえ絵を描いていたこと以外は不鮮明だ。凄惨な事件が発覚したのと清宮の獲得がこの間だったのかなという程度になっている。何かに関心が傾くと他の記憶は薄れてしまう。17-11-16

 

最近はずっと30号の作品をアクリル絵具で制作している。これは4年振りに第16回として復活する『北区のアーティスト展』に出品するためのもの。出品する展覧会があると制作の機会が増えるから今回の再開はありがたいと思っている。そして、再び実行委員会のメンバーとして加わり過去のノウハウを活かせるのも嬉しい。それまでのデータをパソコンに保存していたおかげで随分助かった。17-11-15

 

『歩く旅』についていろいろ書いているうちに11月も半分が過ぎようとしている。このまま続けていると月日がどんどん流れていきそうなのでこの辺で終りにしたい。とくに書きたいことが出てきたらそのときまた追記するつもり。北海道の岬を目指してきた『歩く旅』もいよいよ来年最終章に入る。6つの岬のうち残されたのは白神岬と襟裳岬のふたつで、春と秋に到達して完全制覇をする予定。17-11-14

 

続き。どんなときでも大事な間というのがあって、それを逃すと何となく取り戻せないときがある。ちゃんと返事をしなくてはと思ったときには返せる距離ではなかった。一日中車の往来の整理をしていても、峠だから人に出会うことはまずないだろう。そこで人に出会った新鮮さもあったに違いない。その後もずっと気になってしかたがなかった。あの人の優しさに対する冷たい対応が悔やまれる。17-11-13

 

後悔と反省。そこは峠の上りで長い距離(2キロ位だろうか)が道路工事中で道路は狭まり歩きづらい状況が続いていた。誘導員に何度か声を掛けられたが決まり文句の「気を付けてください」だった。そして、ようやく工事区間が終ろうとしたとき声から想像するに若い誘導員から「こんにちは」と声を掛けられたのだ。うつむき加減で黙々と歩いていたせいもあってかすぐに挨拶を返せなかった。17-11-12

 

今回は昼食のときだけでなく休憩や足裏の簡単な治療のために駅舎やバス停を利用させてもらった。ベンチもあるし囲われた空間なのでゆっくりできる。ずっと車と対向しながら歩いているので車の音が小さくなるだけでも随分違う。駅舎では降りてきた乗客とひとり出会ったが、バス停では誰ひとり出会うことはなかった。列車だけでなくバスの乗客さえも少なくなっている田舎の現実を見た思い。17-11-11

 

昼食はおにぎりと菓子パンか調理パンを食べていた。ちょうど昼時に店やコンビニがあるとはまず考えられないので、出発する街で必ず買っていく。水もしかり。これは、人里離れた山野や海沿いなどをさんざん歩いてしっかり学習した。車で10分の10キロも歩けば2時間も掛かる。10キロどころか20キロでもコンビニどころか自動販売機さえないところもあった。昼食は休憩時間にもなる。17-11-10

 

3泊目は森の新しいビジネスホテル。部屋の設備は申し分ないけれど、夕食も朝食も付いてないので近くのコンビニで調達した。こんなときはコンビニがあってくれると非常に助かる。夕食にはカツカレーを、食後のために柿とヨーグルトとあんまんを、そして朝食にはサンドイッチとおにぎり、朝には欠かさず飲んでいる牛乳を買う。カツカレーはそれなりにおいしかった。三様の食事スタイルに。17-11-9

 

2泊目の八雲の宿は旅館なんだけど都合で夕食が出せないというので近くの中華屋でラーメンを食べた。しかし、これが記憶に残るラーメンになるとは。ここはとても繁盛している店で注文してから出てくるまで40分以上も待たされたのだ。味はそれなりにおいしかったからよかったけど、とにかくこれは待たされた最高時間の気がする。おかげで、さっと食べて部屋でのんびりとはいかなかった。17-11-8

 

泊った宿もいろいろ。1泊目は長万部温泉にある宿で、到着後すぐに広い温泉の湯舟を独り占めできて最高だった。温泉の香りとぬ めぬめした湯が疲れた体を癒してくれた。狭いユニットバスとは気分がまったく違う。さらに落ち着けたのは夕食を部屋で戴けたこと。おかげでゆっくりゆったりおいしく味わえた。かなり品数の多いボリュームたっぷりの料理も完食。エネルギーを補給できて大満足。17-11-7

 

風景の変わらない直線道路もそれなりに辛い。長万部の手前にある10キロ余りの直線道路の左には海につながる草地があり右にも同じく草地があってその先には防風林がある。この同じ風景が延々と続く。歩いているときは何かの目標物がほしいのにそれがないのだ。美唄から滝川への20数キロの直線にはたくさんの目標物があったからそれほど辛くはなかった。進んでいる実感がないのは辛い。17-11-6

 

トンネルより怖いのが橋。よく「トンネルは怖いでしょ」と言われることがある。確かに大騒音の中で閉ざされた空間を歩くのは怖いが、ほとんどのトンネルには歩道が付いているので車の心配は少なくなる。しかし、小さな橋や跨線橋などでは歩道はなく、あるのは白線のみで歩くスペースがまったくないというケースが多いのだ。だから綱渡りの気分で緊張しながら白線の上を歩かねばならない。17-11-5

 

内浦湾の風景は不思議な感覚にさせられる。ほぼ円形の湾なので対岸(歩いて来た側)だと思った山がこっち側(これから向う側)だったりするのでわけがわからない。森に近づいた場所では完全に囲まれて大きな湖のようにも見えた。これほどきれいな円形の湾は日本では他にないのではないだろうか。残念なのは洞爺までの道のりのとき湾をしっかり眺めなかったこと。内浦湾は噴火湾ともいう。17-11-4

 

豊浦を出発したときから森に着くまで歩きながら眺め続けていたのが駒ヶ岳。もちろん見え隠れはするが、大きな目標になっていたのは確か。最初の100キロ先では霞んで見えた山容も次第にはっきりして、特徴的な山頂と流線形の山稜の美しさはしっかり頭に焼き付けられた。もしも、本来の山頂が火山の爆発で吹き飛んでいなければ、羊蹄山、利尻富士に並ぶ三大蝦夷富士になっていただろう。17-11-3

 

余裕で札幌駅に着いたのだが、その後焦る事態に遭遇してしまった。昨夕購入した乗車券と特急券を改札口に入れて通 過しようとしたらゲートが開かないのだ。係員に尋ねると「特急券は購入当日しか使えないので買い直してください」と冷たく言われ一瞬愕然とする。それはすっかり忘れていた。しかたなく緑の窓口へ行き勘違いの事情を説明するとすんなり再発券してもらえて優しさに救われる。17-11-2

 

出発の日、朝6時の列車に乗るため4時に起きて4時半に家を出た。列車で読もうと思っていた朝刊はまだ届いていなかった。外はまだ夜の世界で暗闇に包まれ空には星が輝いていた。街灯はあっても他の灯りがないので星もくっきりしている。久し振りにオリオン座を見つけ嬉しくなった。これはとても懐かしい星座で、子供の頃向いの山の上にあったのを覚えている。星にも励まされているよう。17-11-1

 

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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