ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

ついに3,650日が繋がる日がやってきた。正確に言えばプラス2の3,652日になる。10年と考えると長いようでもあり短いようでもありと相反する気持も湧いてくるが、3,652日となるとかなりの長さに感じる。そうは言っても日々の積み重ねなので具体的にイメージするのは難しい。だから、それを体感できるように作品化するつもり。とにかく、記念すべき日を無事迎えられて嬉しい。11-12-31

 

お正月が近づくとスーパーの売り場も華やかになる。とくにかまぼこコーナーは色鮮やかな商品が並ぶ。いつも買っている焼き竹輪はいつもの場所から豆腐の横に移されひっそりしていた。野菜コーナーではいつもは目立たない筍や山菜や人参、大根、牛蒡などが表に移動。そして、果 物コーナーにはたくさんの蜜柑が積まれていてまさにオレンジ一色に。大勢の買物客も華やかさを盛り上げていた。11-12-30

 

『ある日のひとこと』を1日も欠かさず書き続けてきて、めでたく10年目を迎えるまであと2日。いよいよだ。そんなわけで今までの『ひとこと』をプリントしてファイルに収める作業に入る。手頃な枚数かと深く考えずに選んだ60ポケットがすごい幸運をもたらした。2年分がぴったり収まってくれるのだ。おかげで10年分がきれいに5册のファイルに。残りの分を収めるのが今から楽しみ。11-12-29

 

挨拶の話題が続く。「こんにちは」「こんにちは」こんにちは」「こんにちは」と2時間の間に随分たくさんの人達と挨拶を交わした。それは1時から3時まで雪かきと雪捨てをしていたときのこと。多くの人が外出する時間帯と重なったためだとしてもご近所の14、5人に出会っただろうか。互いに笑顔で挨拶し合うと気持もすっきりする。挨拶はそれぞれがそれぞれを認め合う大事なふれあい。11-12-28

 

子供からは挨拶してもらえても、大人からの挨拶はできないとはおかしな社会だ。こちらから挨拶して明るい返事が返ってくればいいが、それがないとなると恐怖感か不信感を与えてしまったのかと不安になるだろうし、『変なおじさんに声を掛けられた』なんてことになってもこまる。子供達に挨拶の大切さを説いておきながら、大人からできないなんて大人として申し訳ないし情けないし悲しい。11-12-27

 

夕方の散歩のとき、前から歩いてきた小学3、4年生と思われる女の子に突然「こんばんは」と挨拶された。それは自然に出てきた明るく清らかな声だった。すれ違う少し前で予期せぬ ことだったので、一瞬間を置いてから「こんばんは」と応えた。外では挨拶するように親から言われているんだろうなと思いながら感心していたが、それよりも自分の返事がきちんと届いたかどうかが心配になった。11-12-26

 

10年という年月を振返えるとき何を対象にするかで長いか短いかの印象も違ってくる。そんななかで一番わかりやすいのが年令。これだけはすべての人に分け隔てなく与えられ加わっていく。始めたときの53才が今では63才になっているからまちがいなく10年が経過しているのだ。もし、次の10年が達成できるとすれば73か。53のとき63をイメージできなかったように73も難しい。11-12-25

 

日々の思いついたことや感じたことなどを書いてきた『ひとこと』があと1週間でついに10年目を迎える。9合目はとっくに過ぎて頂上はすぐ目の前に迫った。当初の念願だった10年という年月はずっとずっと遠くにある想像を超えた目標の気がしたので、とりあえず1年、次には3年そして5年と頑張り、半分を超えたらもう止められないという意地も加わってここまで辿り着くことができた。11-12-24

 

年賀状の宛名書き。これも年末恒例のすることのひとつ。ひとこと書き添えるときはもちろんだけど、住所と名前を書くときにもその人の顔を思い浮かべる。もちろん、もらったときにもそうなるが、もしかしたら出すときのほうがその気持が強いのかもしれない。読むというより書くという行為のほうが脳により強く働きかけるからだろうか。とにかく、時間を掛けながらゆっくり書き進めている。11-12-23

 

冬至。今日は昼が一番短い日で夜の一番長い日。若い頃は昼も夜も関係なくフルに行動していたからそれほど関心のある日ではなかったのに、年令と共に昼型人間になりさらに朝型人間に移りつつあるので冬至は重要な日になっている。そして、その意識はこれから増々増していくに違いない。それにしても冬至がこの時季にあるのは救いで日々の光の増加が辛い冬を乗り越える勇気を与えてくれる。11-12-22

 

牛乳はだいたい同じものを買う。やっぱり飲み慣れたお気に入りの味がいい。牛乳は同じメーカーでも随分いろんな味や成分のものがあり、それぞれのメーカーが揃うとかなりの種類になるから決めてないと結構迷う。それも厭だからすべてを飲み比べたわけではないのに飲み慣れた牛乳に手が伸びる。でも、ときには特売の新商品を試す。ビールの味の違いはよくわからないが牛乳の違いはわかる。11-12-21

 

碁盤の目で四角四面の道ばかりだと近道というのがないわけで、斜め方向への目的地まではどのルートを辿っても同じ距離になる。時間と気持に余裕のないときはどうしても同じ道を歩くが、ゆっくりできるときにはわざとジグザグに歩いたりして初めて見る新鮮な街並や家並を楽しんだりもする。そう考えると碁盤の目の道は限り無い数のルートがあることになり、変化に富んだ道とも言えそうだ。11-12-20

 

札幌の街はほとんどの道が碁盤の目になっている。計画的に開拓や開発がされたためだが、住宅地ではそこが新しいか古いかでその様子は異なる。狭くて複雑な道に出くわすと違う街に立ったような気さえする。今住んでる場所は比較的新しいので碁盤の目がしっかりできている。道が斜めだと珍しいから斜め通 りの名が付く。そんなくらいだからカーブはもっと少なくて優しい道に思えてしまう。11-12-19

 

この歳になってくると、今までになかったことが起こるとどうしても気になってしまう。勘違いや物忘れ程度ならまだしも無意識の行動がまちがってしまうのはこまったものだ。これからは、指差し確認までいかないにしても、より意識的な確認や点検が必要になっていくのはしかたがない。いくら、まだまだそんなはずはないと思ったところで鈍ってくるのは確かだから素直に受け入れた方がいい。11-12-18

 

食事の準備のため台所に立っていたときのこと。突然、魚を焼いているような匂いがしてきた。コンロに乗せているのは味噌汁の鍋で魚は焼いていない。それなのに、どうしてそんな匂いがしてくるのかわからない。そうしているうちにそれがどんどん強くなる。『魚を焼く匂い』をもう一度頭で整理して、ようやくその原因を突き止めた。まちがって魚の方のスイッチを押したのだ。気を付けねば。11-12-17

 

78才になっているオノ・ヨーコがバリバリの現役なのがすごく嬉しい。映画のなかでもジョンとヨーコが互いに刺激し合い必要とし支え合っていたのがよく出ていたが、現在もジョンの思いも込めて作品に表現しようとしている。最近の様子を見せてくれたテレビで「ずっと、理解されないままきたけれど、あんまり理解されたら前衛でなくなるからこまる」といった発言があったが、よくわかる。11-12-16

 

『まるで昨日のことのよう』とまでは言わないが、命日からすでに31年もの歳月が経っているのがすぐには信じられない。今日、『ジョンレノン イン ニューヨーク』という映画を観てそんな思いが改めて駆け巡った。自分の年令(63)を考えると、何とその半分にもなっているから驚く。もし、ジョンレノンが生きていたら71才になっている。まだまだ挑戦的なジョンレノンを見たかった。11-12-15

 

来年のカレンダーを手に入れる。これは毎年のように同じ銀行のもので、上半分は絵画作品になっている。持ち帰って開いてみるが、どうしてこんな絵がという場合が多い。人の好みは様々だろうがもう少し質の高い作品を選んだらいいのにと思ってしまう。とはいえ、すぐにカッターの出番となって、下半分だけが残されるのだが。一目見て「え〜〜っ」って感じたものは1年どころか1日も無理。11-12-14

 

年賀用50円切手。昨年は買いに行くのが遅くて手に入らなかったので、今年は早めに買おうと郵便局へ。しかし、見せてもらった切手の色もデザインもお正月らしさはなかった。明るさも華やかさも美しさもかわいらしさも見受けられない。迷う間もなくそれは止めにして記念切手を見せてもらい、その中から前記の条件に合いそうな花を選んだ。あれでは12年振りの登場の「龍」もかわいそう。11-12-13

 

「おっ、やってるね」。家の前で雪かきをしていたとき近所の人に声を掛けられた。「まだ根雪にならずに消えてくれると思ってたけどもう無理みたいですね」「そうだよ、だってもうすぐお正月がくるんだから」「そうですよね」。いきなりお正月という言葉を聞かされ、もう完全に冬の季節に入っていることを改めて思い知らされた。お正月といえば、そろそろ年賀状の準備にも取り掛からねば。11-12-12

 

以前住んでいたアパートの火事のその後が気になり、暗くなった時間にそこの前を通 ってみた。燃えた2階の部屋の窓はブルーシートで覆われ、その階下の部屋の灯は付いていなかった。たとえ延焼がなかったにしても放水ですべてが水浸しになり、とても生活できる状態ではないのだろう。2階の隣の部屋には灯が見えるのでそこだけが被害を被ったようだ。これはもう不運としか言いようがない。11-12-11

 

まだ根雪にはならないと判断(あくまでも個人的な根拠のない希望的観測のもとに)していたのに何だか怪しくなってきた。12月の初めには強くそう思っていたというのに、いつの間にかもう10日になっている。ここまで来てしまったら本格的な冬に向うよりほかないのかもしれない。どか雪があったわけでもないのに寒い日が続いたおかげで知らず知らずのうちに根雪になってしまいそうだ。11-12-10

 

「だいじょうぶで〜す!」。これは、前の方から歩いてきた二人の若い女性がまるではもるように発した言葉で飲食店のチラシを配っていた人に対しての返事。「大丈夫です」とはどういう意味なんだろう。「私達はあなたに教えてもらわなくてもいい店は知っているから大丈夫です」なのか、それともまったく意味のない言葉なんだろうか。意味はわからないが二人の応える優しさは伝わってきた。11-12-9

 

寒い部屋で足を温めて寝る。これこそ健康的な睡眠を誘う頭寒足熱。逆なら一睡もできなくなってしまう。それにしても湯たんぽは偉いしすごい。湯たんぽに入れるお湯は煙突式ストーブに乗せた鍋のものを使うから省エネだし、何の操作もなしに朝方まで温もりを保っていてくれる。子供の頃はそのお湯で顔を洗っていた。再活用の鏡。その姿勢と働きに健気な努力を感じて愛おしささえ芽生える。11-12-8

 

今ではすっかり湯たんぽが頼り。寝る部屋には暖房が一切入っていなくてかなり寒い。そこで湯たんぽの登場となる。もっと若い頃は自分のエネルギーを熱に換えて寒さに耐えられたのにもう何年か前から無理になった。そのため湯たんぽの恩恵を素直に受けている。これは、子供の頃も冬の布団の必需品だった。人生の真ん中だけ抜けていて最初と最後の方でのおつき合いになる。今夜もよろしく。11-12-7

 

簡単には済んでくれないもののひとつに英語の手紙もある。これも年中行事のように12月には必ず書いて出している。毎年書いていても年に一度だと基本的な単語やフレーズもあやふやになってしまうから時間も掛かる。年毎に辞書を開く時間が増えてくるのはこの頻度と年令を考えればしかたがないだろう。たとえ書くのに苦労したとしても遠くの地に繋がっている人がいる喜びを大切にしたい。11-12-6

 

大翔と結衣が1位。これは『ひろと』(主な読み方)と『ゆい』と読む。今年生まれた赤ちゃんの名前ランキングによるもので、昨年はともに2位 だったというから流行りは続いているわけだ。5位まで出ていてそこにはおもしろい傾向が見えてくる。漢字の一字が3人で二字が7人、そして読みは二字が6人で三字が4人。漢字の三字はいないし、読みの四字もいない。つまり名前が短くなっている。11-12-5

 

どうしてもっと早くに気付かなかったのかと悔やむと同時にしっかり考えなかったことを反省。今回、HPの展覧会報告ページの作品紹介を新たな方法に変えた。それをするのはとくに難しいわけでもなく手間も一緒なのに、見る側としては格段に楽になる。今まで見てくれた人達に申し訳ない気持だ。その後、掲載の展覧会報告はすべて修正。10年もの間に疑いもせず慣れだけでやってたのが問題。11-12-4

 

今回久し振りに作品を目にすると、今までにはなかった感覚に導かれた。それまでは自分のものとしての存在だったのに、すでに自分の手を離れて独立した存在として、まるで大地から生まれ大地に根付いているかのように感じられたのだ。これは意外な印象だったが嬉しいことに変わりはない。これからはハルカヤマにある作品を見に行くというより、会いに行くという言葉のほうがぴったりくる。11-12-3

 

ほぼ1ヶ月振りにハルカヤマへ。『ハルカヤマ』の終了後は初めてなのでどんな具合か気になりながら向った。作品撤収が基本だったが1万2千円の追加費を払えば1年間はそのまま設置できるというので喜んで支払った。まずは雪の風景での作品を見たかったし、そのあとの季節の変化も追ってみたいという強い欲求があった。作品の真紅は白い雪に映え、無事に立っていて一安心。楽しみは続く。11-12-2

 

衝撃の現場。夜10頃、地下鉄駅から我家に向う途中のその先に点滅する赤色灯が目に入った。さらに近づくとそれは数台のパトカーと消防車と救急車だった。交通 整理の警官に聞くとアパートの火事だという。何と驚いたことにそのアパートは以前住んでいたもの。外見に変化はなくすでに鎮火していたがかなり物々しくてボヤ程度ではない様子。随分昔の住いとはいえ、どんな状況なのか心配だ。11-12-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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