ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

ハルカヤマの地中階段にはすでに嬉しい御褒美が。階段脇の地表には整地し掘り始めた後から芽を出したイタドリがどんどん背を伸ばし育っているのだ。まさに人間の営みと自然との共生を象徴しているような気がする。これも早い段階から制作を開始したおかげで、1ヶ月という月日がそれを可能にしてくれた。懸命に粘土を掘り石段を組んでいる同じ時にイタドリも成長していた。想定外の喜び。11-8-31

 

ハルカヤマでは地中階段の両側にアクリル板の作品を設置する計画になっている。その2点を完成させた。最初、6月の個展のときに出品した高さ130Bの作品にするつもりだったが、現場に立ってみてそれでは小さ過ぎると直感した。そこで、183×36×36Bに変更。今回は野外という発表の場を与えられたことで大地に全力を注げたうえ、より大きなサイズのものを制作できたのも収穫。11-8-30

 

反対車線にパトカーと関係者の車を従えた最後尾のランナーがやってきた。歩いているが挑戦を叶えた立派なランナーのひとり。これで、今回はここまで到達したすべての参加者を見たことになる。約9000人の人達の長ーい流れを1時間に渡って見たのも初めて。改めて、それぞれがそれぞれの立場と能力で精一杯生きていると実感し感動する。歩きでいいからその距離を体験したいとまた思う。11-8-29

 

今年も炎天下になった北海道マラソンの沿道応援に向う。中島公園をスタートしたランナーのトップが家のすぐ近くを通 過(およそ17H地点)するのがほぼ1時間後。それに合わせて家を出る。トップ集団は瞬く間に走り去る。パラパラと後続が続き、30分後辺りから切れ目のない流れになっていく。さらに30分後には折り返してきたトップが目の前(35H地点)を走り去り、そして。続く。11-8-28

 

1日中晴れて朝から夕方にかけてのハルカヤマでの制作も次の段階へ。昨日の集中豪雨で溜まった水はバケツ7杯分。それは予想の範囲内なので苦もなく済む。何より嬉しいのは側の粘土が崩れていなかったこと。一部の石組みを補強したあと、地中階段の周りの作業に入る。掘り出した土の山を砂時計のように円錐状にして時を、黒い球を配置して人の繋がりを表現する。これらが大事な場となる。11-8-27

 

雷と停電。稲妻とほぼ同時に激しい雷が鳴り響く。『これは近いな』と思わせる間と轟音だった。その直後にはお決まりの滝のような雨。でも、その後に想定外の出来事が。掃除機を使おうとしても作動しない。コンセントはきちんと入っている。他の電化製品も止まっているのを確認して停電だとわかった。最初に冷蔵庫の中味を心配したが30分後には回復。昼でも停電はいろいろ不安にさせる。11-8-26

 

若い頃は、溢れる物の中でこそ創作意欲が湧いてきて気分も盛り上がったものだが、年令を重ねると共に反対になってきた。最近では、雑然とした状態だとなかなか『やるぞ!』という気になれなくなった。それまでの制作の残骸や名残りをきれいに片付けて、仕事場がすっきりしないと『やる気』が出てこない。不用な物をはね除けるエネルギーが衰えたのだろう。始動するには片付けから始まる。11-8-25

 

家に帰れば兄、姉、妹ふたりがいる。夕方からも雨の日も遊びは続く。それぞれが2才違いだから家での遊びもたくさんあった。トランプ、将棋、囲碁、花札、百人一首、そして麻雀も小学生の低学年のときには遊びのひとつとして覚えていた。もちろん、絵を描くことも工作も大好きだったので退屈という言葉と無縁で育った。その後の人生でも退屈知らず(言い換えると貧乏性)でここまできた。11-8-24

 

子供の頃はとにかく楽しい遊びの日々だった。育った場所は山村で山に囲まれ、家の裏には川が流れ、すぐ前には小学校のグランドがあって、ちょっと歩けば友達の家もあった。山で基地を作り、川で魚を釣り、グランドで陣取りゲームをして、友達の家ではビー玉 や釘刺しをした。どれもが大事な遊び場で、季節によって遊びも変わるから飽きることなどなかった。最高に幸せなときだったと思う。11-8-23

 

制作と遊び。制作はたとえ思いつきの楽しい作業であっても本人の何らかの意思や意図が含まれていて発表という場に繋がることが多い、しかし、遊びはそれ自体が目的のようなもので熱中して楽しみたいという素朴で純粋な欲求はそこで満たされ、完結する。そして、何のためでもなく、ただただおもしろくて楽しいから夢中になり時を忘れる。水の流れを作っているうちにその世界に入り込んだ。11-8-22

 

昨日は地中階段の作業ができなかったので今日も出掛ける。新たな作業をするのならいいけど出来上がったはずのものをやり直すのは元に戻された気がしてちょっとつらくなる。それでも、やり始めると問題点を改善しようと懸命になり夢中になっていく。元の姿に戻すのでなくより良くするのだと思うと楽しくなってくる。溜まった水で石段を洗い、水の流れを作っているうちに遊んでいる感覚に。11-8-21

 

ハルカヤマへ車で向っているとき、西の空が青黒い雲に覆われていたので『まちがいなく大雨がくるな』と思っていたら、やっぱり大粒の雨が降り始めた。ここ何日か激しい雨が降っていたので地中階段の水の溜まり具合が気になっていた。確認に行くと、水は最深部にあるだけで意外と少ないのでホッとする。しかし、側の粘土が崩れて石段を覆っていたのにはがっかり。溜まるのは水だけでない。11-8-20

 

お盆も過ぎて涼しくなるのかと思っていたら暑さがぶり返す。昼は冷やしラーメンを食べる。今年の夏は暑い日が続いたせいか家での昼食はほとんどがざる蕎麦か冷やしラーメンで、それを交互に食べることが多かった。そこにはいつも乱切りのトマトが添えられる。暑さのせいだけではないだろうが、最近トマトに食指が動く。おいしいものを求める欲求は少ないのに、おいしいトマトは食べたい。11-8-19

 

久し振りに会った同年令の友と近況を語り合う。話題の中心はどうしてもお互いの体のことになってしまう。それぞれがそれぞれの知らないところで病の不安を抱えていた。もっと若い頃、『年寄りはどうして病気の話ばかりするのだろう』と不思議に思っていたのに、自分もすでにその仲間に入ってしまったようだ。生活する上で重要な関心事で問題だから話題にする方が自然なのがよくわかった。11-8-18

 

直球勝負。直球を投げようとしているのに、勝手に変化球になってしまうことがある。でも、変化球を投げようとして直球になることはまずない。直球には想定外もあり得るが、変化球には変化の差はあったとしても想定内の場合が多い。投げる珠にどれだけ自分の意図を加え込めるかによって、そこから得られるものの受け止め方は違ってくる。後での御褒美がたくさんありそうな直球の方が好き。11-8-17

 

今、持っているのは8枚。クレジットとしてのカードは一枚もないのに、いつの間にか病院の診察券ばかりが随分増えてしまった。始まりは9年前の眼科からだった。それまでは歯科だけが継続していた診察券だったのに信じ難い数だ。眼科の後には耳鼻科、整形外科、泌尿器科、口腔外科、内科、そして皮膚科も加わった。できることならもう増えないでほしいけどそれも無理なのかな。次は何科?11-8-16

 

胃の内視鏡検査を受ける。昨日の夕食後は水のみで、朝食も抜きだったけど、大腸の検査に比べたらただ食べなければいいわけでずっと楽チン。内視鏡が3回目のせいもあるし、大きな問題はないはずとの勝手な思い込みもあって気楽に病院へ向った。20分程で終り、所見ではやはり異常なしというわけにはいかなかったが、経過観察の範囲で済んでホッとする。これで余計な心配をしなくていい。11-8-15

 

気持がかなり体育会系だなと思うとき。ハルカヤマ(今度のグループ展の会場となる山)の作品の石段もほぼ完成。今日は雨の中、仕上げに入る。途中からかなり激しい雨になり、石段を濡らし最深部には水が溜まり始める。雨のおかげで石の支えの弱い部分もわかり粘土を取り除いて補強し直す。雨具を着ているから暑いけど激しい雨はまったく気にならない。それどころか逆に燃えてきてしまう。11-8-14

 

子供時代は山育ちで山で遊び回っていても平気だったし、今まで一度も負けたことのなかったうるしなのに。「免疫力の低下ということもあるんですか」と聞くと「ある」と言う。とにかく、処方された飲み薬と塗り薬のせいか治りが早まったようだ。初診料は別 にして薬代は合わせて720円で、先に買った薬が500円だったから最初から病院に行けばよかった。でも、すぐ治ると思ってたから。11-8-13

 

素人判断の危うさ。手首にできた小さな水膨れを最初は草かぶれかと思った。でも、それが次第に繋がり大きな塊になってきて、違う原因かと考えた。手袋で手首を締め付けていたところに大汗が流れて溜まり、それを長時間続けていたためだろうかと。市販のかゆみ止めを塗ったが赤い腫れはなかなか引かない。それで、ようやく病院へ。その診断は『うるしの可能性大』とのこと。想定外だった。11-8-12

 

続き。そして、昨日。次のグループ展の制作を山でやり始めた2日後から、手首の辺りがかぶれてきた。市販の薬を塗ったけど直りが遅いため皮膚科の病院に行く。そこははやりの病院のようですごく混んでいた。長時間待たされることを覚悟して待合室の椅子に座る。しばらくすると冷房のせいで腕が涼しくなり始めたのでリュックから昨日のタオルを取り出して腕を覆う。2日連続で助けられる。11-8-11

 

昨日から今日へとタオルが繋がる。あまりの暑さに少し涼みたいと入ったカフェの強すぎる冷房に危険を感じて5分ほどで出る。急激な寒暖の差にはもうついていけない。案の定、鼻の具合がおかしくなってしまった。危ないところを無事乗り越え、次の避暑地に選んだのが映画館。その前に100円ショップで大きめのタオル買っていく。この予感が大正解。半袖の腕はタオルのおかげで守られた。11-8-10

 

『あれ?なでしこ達の髪が黒くなっている。どうして?』。テレビのコマーシャルに出て来た試合中のなでしこ達の髪が黒いのに驚いた。当り前と思ってたものが覆されると驚く。つい最近、女子サッカーが世界一になったときに黒髪が見つからず寂しかった書いたけど、単なる個人的な思いだしそれに触れてる意見も聞こえなかったから、それは現実として受け止めようと決意したはずなのに・・・。11-8-9

 

日本の夏といえば蚊取り線香もあった。ゆらゆらと漂う煙と匂いは暑い夏そのものを思い起こさせる。子供のときからずっと変わらず同じ形と匂いのままだからなさらそうさせるのだろう。渦巻き状のものを二重に重ねる方法も昔のまま。このアイデアは素晴らしい。蚊取り線香を焚くというのはかなり暑い夏の夜の証拠。蚊を見たりあの嫌な飛ぶ音を聞いたわけではないが焚くと安心して落ち着ける。11-8-8

 

今日も同じく暑い1日。出掛けたくない気持もあったが昨日は弱気になってしまったので、今日こそはと意を決して灼熱の陽のもと山に向う。掘り出した土を一輪車で運び山にする作業を始めるや否や滝のような汗が流れる。肉体的な疲れよりこの汗にまいってしまう。拭わないでいると目にも垂れてくるのでそのままにもできない。長袖の袖の部分はすぐにびしょ濡れに。まるで暑さとの戦いのよう。11-8-7

 

『あ〜〜、家から出たくないなぁ』。外はカンカン照りの太陽に包み込まれていて見るからに暑そう。扇風機を回している部屋の中でも30度近いけど、直射日光を浴びるよりはずっとまし。山へ行って階段の仕上げをしたい気持も充分あったのに・・・。その元気もない。どっちつかずではいけないと昼過ぎには太陽が沈む夕方まで外に出ないと決心。それならと、シャワーで汗を流したら爽やかに。11-8-6

 

眼鏡がよっつ。今回緊急用として買った中間用、ツルが壊れてしまい新しいフレームに入れ替えた遠近両用、細かい作業をしたり本を読むときの近距離用、そして車の運転などに向いている遠距離用の4種類が揃った。外出時には遠近両用、自宅では中間用との使い分けが定着。今まで一番使う機会の少なかった遠距離用は野外での仕事にも向いてることがわかった。こまめに替えて上手に使いたい。11-8-5

 

先日の予約直後に変調は消えていたがせっかくなので病院に顔を出す。それまでの症状を話すと特に問題になる程度ではなく単なる胸焼けかもしれないとの診断。あまり神経質になると精神的な影響から体調を崩すこともあるので安心するためにも胃の検査をしたほうがいいと勧められる。もっともな話だしいつかはしようと思っていたので受ける予約をする。今度は口からカメラが入ることになった。11-8-4

 

それまでのぐずぐずした天気が嘘のようにからっとした北海道らしい暑さが続いている。北海道らしいというのは昼間いくら暑くても夕方から朝にかけてはかなり涼しい風が吹くということ。そんな爽やかな夕方の風を浴びながら屋外のビアガーデンで絵画教室の人達とビールを飲む。緑の木々に囲まれた大学構内の自然豊かな場所だとうまさも倍増で話も大いに弾む。これからは夏の恒例になりそう。11-8-3

 

作品制作において一番大切なのは渇望とも呼べるような創造への欲求である。欲求の根幹には必然的に己の信条や信念も含まれている。つまり、その状態でふと思い立ったイメージには必ず自分との深い繋がりがある。そして、次に現れるアイデアはそれを具体化するための方法と道筋を示してくれる手段。今は『どう作るかでなく、なぜ作るかが大事』という陶芸家の言葉が気に入り心に留めている。11-8-2

 

懐かしい友と36年振りの再会。26才のとき、10ヶ月余りのヨーロッパの旅の最後に選んだ場所がオックスフォードの英会話学校だった。そこでの1ヶ月間は忘れることのない様々な楽しくも貴重な思い出に満ちあふれている。そのときを思う存分語り合える友が大阪から訪ねて来てくれたのだ。同じときに同じ場で過ごした仲間だからこそわかり合える思いもあり、感謝の気持でいっぱいになる。11-8-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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