ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

ウィーンから列車でベニスに入りイタリア国内を回ってからスイスのベルンへ。その後も3ヶ月間有効のユーレイルパス(列車乗り放題)をフル活用してヨーロッパ中を動き回った。残念だったのはポルトガルとフィンランドに足を踏み下ろせなかったこと。10ヶ月の旅は様々な国のいろんな街でたくさんの人に会い多くのものを見て新鮮な感動の連続だった。とにかく外にいる喜びに浸っていた。08-4-30

 

昨日から今日にかけて言いたいのは外国に行く意味。住み慣れた自分の国を離れ言葉も文化も人種も違う外国に立つといろいろ新たな感慨が湧いてくる。喜びや驚きや戸惑いなど異国ならではの体験もある。そして、自分の国を離れてみると今まで見えなかった部分が見えてくることもある。内にいると見えない内側。ましてや留学となれば専門知識だけでなく違いを見聞するいい機会になるはず。08-4-29

 

初めて外国の地に足を降ろしたのは当時はソ連のナホトカで26才のときのこと。もう33年も前になってしまったけどそのときの喜びと多少の緊張は今でも覚えている。横浜港から船でナホトカへ、次に列車でハバロフスクへ行き、飛行機でモスクワへ飛んだ。モスクワからは列車でポーランドとチェコを経由してオーストリアのウイーンへ。異国にいる自分自身も新鮮に思えてすごく嬉しかった。08-4-28

 

修理に出してたプリンタがあるべき場所に戻る。預けたときに2週間ほどかかると言われてたけど1週間で戻ってきた。遅れるよりは嬉しいので少し長めに言ってるのかもしれない。とにかくすっぽり空いてたところに収まって気分も落着く。さっそく、故障したためできなかった印刷をしてみる。当然ばっちり。6900円の修理代は5年保障を使ったので無料。保障代の1800円は活かされた。08-4-27

 

形ばかりの聖火リレーが長野で行われた。2重3重にガードされ観客の目に触れることのない聖火リレーの意味はメンツだけか。ただ、それもやればやるほどメンツはつぶされていく。ある人が今回の騒動で左の人にも中国批判が及んだと言ってたがそれは当っている。街頭に溢れた中国国旗にも大いに違和感を感じた。留学生が個人としてでなく国家の代弁者としての立場で行動する意識が怖い。08-4-26

 

少し前に(と思ってたのに調べてみると3月14日で考えてるより前だった)『喫茶店は会話をする場所でなくなったようだ』と書いたのを撤回したい。一人での時間を楽しむところに見えたのはその店でのことで同じ系列の他店に入って驚かされた。ほとんどの座席はおばさん達に占領され仲間や友達と楽しそうに会話する大きな声が店内に充満していた。おばさん達にとってのオアシスのよう。08-4-25

 

今日は予報があたって強い風と雨。風はかなり激しかったけど雨はおしめり程度。今月は雨が少なく恵みの雨になるにはいまいち少なかった。気温は平年並みの12℃くらいだったのに20℃以上に慣らされた身には寒く感じた。こうして異常が平常にとって変わり新たな平常になっていく。そうしてるうち異常を感じ取る感覚が鈍くなり、近い将来本来の平常を異常と受け止めるときがきっと来る。08-4-24

 

いつも歩く地下鉄駅までの並木道はすでに淡いピンクに彩られていた。ここを歩くのは4日振りなのに風景が一変していて瞬く間に季節が移り変わった感じがする。桜の花の下をしばらく歩いているうちに突然出会ったのが桜吹雪き。咲いたばかりのはずなのにもう散りゆく花びら。あまりの潔さに寂しさも募る。もう少しゆっくり春の訪れを噛みしめさせてほしい。明日の雨と風の予報が気になる。08-4-23

 

昨日、早々と桜が咲いてしまった。札幌で桜の開花宣言は平年よりも14日も早いという。そして、1992年の22日を1日更新したもっとも早い開花で24日には満開になるらしい。26日には見ごろになるというから花見を計画していた人達は予定を早めなければならなくてあせっているだろう。20℃を越す日が5日も続き21日は24℃を記録した。季節感がどんどん崩れていきそうだ。08-4-22

 

今やってる中国人のデモに共感できない理由は抑圧されてる人間が必死に訴えるのでなく権力の側に立っていてそれを援護する立場にいるからだ。極端な見方だが紅衛兵やヒトラー・ユーゲントを思い起こし、かつての軍国少年を見る思い。愛国を掲げて集団行動する若者の怖さが透けて見える。もしも拡大すれば容認してる中国への信頼はさらに落ちるはずなのに、そのへんの読みも理解できない。08-4-21

 

『そっかー、そう来たか』。聖火リレー時のモンゴルに対する中国批判に反発して中国の学生達が愛国心を掲げてデモをしている。これは情報操作がされてる国内ではあり得ると思っていた。それが、留学先でもデモをするとなると事情は少し違う。自由に外から見る目があるはずなのに一方的に自国を擁護する立場に立ってしまうと増々偏狭と思われ孤立を深めかねない。結局は支配する側の論理。08-4-20

 

プリンタの調子が悪くなり修理に出した。カラー印刷をしようとしても単色刷りにしかならない。それもあるときは黄一色、次は青一色、赤一色などバラバラに。その度にプリンタのヘッドクリーニングをしたけど一向に回復しない。そのうち、しつこくクリーングをし過ぎたせいか『内部に異常が発生しました。修理に出してください』との警告とともに動きは停止。個展の間際でなくてよかった。08-4-19

 

明らかに異常な暖かさが続いている。まだ4月の中旬なのに暖かいというより暑いときもあるほどで喜んでばかりもいられない状況だ。この調子でいったら夏はどうなるのだろう。40℃が当り前になったりして・・・。久し振りに郊外を走っているときこの陽気のせいですっかり勘違いをしてしまった。もしかしたら田んぼにはもう水が張ってるかもしれないと。そんな錯覚をさせるほどの暖かさ。08-4-18

 

おかしな光景。世界各地で行われている聖火リレーを見ていると何のためにやっているのかわからなくなる。聖火ランナーは中国から派遣された青服の男達と2重3重の警官に守られたなかで走り、沿道はものものしい警備がしかれ聖火を迎える観衆がまったくいない場合もあった。それでも「聖火リレーは無事に行われた」とコメントされる。笑顔で手を振りながら走るランナーの周りは警官のみ。08-4-17

 

2年前のツケが回って来た。後期高齢者医療制度が今月から始り年金からの天引きも15日から開始された。後期高齢者というこの名称にも批判が集中したが、その中味もその名称を付けた人達が考えたわけで推して知るべし。しかし、これも真剣な議論のないまま強行採決で2年前に決定したこと。多くの人がひとりの首相に乗せられ浮かれていた時代のツケ。この後もいろんなツケが回ってくる。08-4-16

 

尊大いろいろ。現在進行形のせいかむきになってる感じ、すっかり染み付き自分の言動に何の疑いも持ってない、ふて腐れた態度も加わり多少投げやり的なところもある。それぞれ中国、アメリカ、日本の『尊大』の特徴。威勢がよく言いたい放題なのが中国とアメリカ、様子を窺い言うべきことも言わずに薄ら笑いか照れ笑いで済ませてしまうのが日本。攻撃的なのは嫌だけど小馬鹿にされるのも。08-4-15

 

尊大『ごうまんでおうへいなこと』。傲慢『おごりたかぶって礼に欠けること』。横柄『人を見下げ無礼にふるまうこと』。モンゴルの問題に端を発したオリンピックの聖火リレーでの抗議行動に対しての中国政府高官の発言を聞いてると最初の『尊大』という言葉が浮かんだ。これらの態度は筋金入りのようでこれまでチベットで何をしてきて今現在何をしているかの鏡になっている。かなり重症。08-4-14

 

朝8時ころ思い立ってスケッチの道具をリュックに入れて家を出る。朝日を浴びて歩くのは気持がいい。さわやかな空気が旅先での朝を思い出させる。歩いて5分程の所で手稲山をスケッチ。場所を変えて2枚目、3枚目と描く。動く距離が短いので山の形は変わらないが前景の違いで雰囲気は異なる。今年の初めに手稲山をたくさん描くんだと決意したはずなのに春になってやっとその気になれた。08-4-13

 

夜9時過ぎに帰宅したあと果物が食べたくなり、面倒な気もしてちょっと迷ったが買いに行くことにした。ところが、歩いて5分程のスーパーに入ると他にも必要なものを次々思い出した。それも明朝食べる食パンとスライスハムととろけるチーズ。そうしてるうち明日の昼食べようとしてるうどんに入れるテンプラと大根もカゴに入る。忘れずにバナナも。もし、行かなければ寂しい朝に・・・。08-4-12

 

ようやくタイヤ交換。例年に比べてとくに遅いわけではないのに雪解けが早かったぶんそんな気になってしまう。去年は17日だし一昨年は4月末の峠越えがあったので5月1日にしている。4月の峠越えはもうないだろうし、温暖化の影響でこの時期はもっと早まるかもしれない。11月と4月の恒例行事が12月と3月にずれこんだりして。タイヤの衣替えが済んで春の風を迎える準備は整った。08-4-11

 

立体作品は10×10×20Bから20×20×40へ、そして今は30×30×60の制作に入っている。まだまだ始まりだけど次第に全体像をイメージしやすくなってきた。この時点でいい感触を得られないと構想自体に不安が生まれ制作意欲にも影響してくる。幸いいい感触を得られて安心した。これで確信を持ったのでさらに弾みがつきそうだ。このあと、40×40×80まで作るつもり。08-4-10

 

『もったいない』について。ものを大切にする気持を持つのはいいことだと思う。僕も両親からしっかり受け継いでいる。しかし、『もったいない』を日本独自の素晴らしい文化だなんて力説されると、おいおいそれは違うだろうと黙ってられない。もしも余りのない無駄 のない生活であったなら『もったいない』という言葉も生まれなかったはず。『もったいない』の強調は無駄 の多さの裏返し。 08-4-9

 

「えっー、何かのまちがいでは」「カット代がありますから」。知人にきっと安いと教えられた会社に電話でアクリル板の値段を聞くと、調べてから(?)折り返し電話するというのに1時間もかかってこない。おかしな対応だと思いながらも待切れず再び電話してようやく聞けたのは驚く値段。2,050円で買ってるものが7,000円だという。最初のが思わず口にした言葉と相手の返事。『?』。08-4-8

 

早いものでプロ野球のパ・リーグは15試合、セ・リーグは9試合がすでに終った。パ・リーグは混戦のだんご状態だし、セ・リーグは3強3弱とそれぞれ違った戦績になっていて目が離せない。随分前の話だけど、とにかく嬉しかったのはヤクルトが巨人に開幕3連勝したこと。そこまでやってくれるとは思ってなかっただけに喜びはなおさら大きい。これが、最初だけにならないことを祈るばかり。08-4-7

 

半年振りに公園の山の登り下り。散歩のときは違うルートを歩いていたので山のことを忘れてた。久し振りに登った雪も草もない裸の山は靴底をしっかり受け止めてくれるので歩きやすい。アスファルトの上を歩くのとは違い適度な柔らかさが気持いい。公園の小山で大袈裟だけど、大地を踏み締める喜びを感じる。今日は慣らしもあって軽めに10回の登り下り。これから徐々に増やしていくつもり。08-4-6

 

横断歩道の白線がやけにまぶしい。ピッカピッカの1年生のように輝いている。これも春を実感させるひとこま。そして、そろそろやってもいいかなと思うのが車のタイヤ交換。これは雪への決別 宣言みたいなものなので確実に大丈夫となった時点でやる。すでにそのときは来たようだ。そして、フード付きのオーバーとセーターを洗濯屋に出してもうひとつの冬に区切りをつけた。もうすぐ春本番。08-4-5

 

骨太で心に響く詩に出くわす。題は『自分の感受性くらい』。<ぱさぱさに乾いてゆく心を/ひとのせいにはするな/みずから水やりを怠っておいて・・・初心消えかかるのを/暮らしのせいにはするな/そもそもが/ひよわな志にすぎなかった><自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ>。作者は茨木のり子という。自分の非には目を向けず他人や世の中のせいにして攻撃する姿勢を戒める。08-4-4

 

新聞の1面広告で『特選大特価、西部劇大作23選』が載っていた。その中の4本は観た記憶がある。多分、中学か高校の頃だと思う。昔観た映画なら懐かしさもあってもう一度観たいという気持になってもいいはずなのにまったくその気にならないのはワンパターンの内容と結末のせいだろう。それに『西部劇』という言い方自体すごく古臭く感じる。制作年はほとんど1950年前後だから当然か。08-4-3

 

いつもは地下鉄で向っている仕事場へ運ぶ荷物がたくさんあったので車で行った。楽ちんなのはいいけどそれがかえって物足りなさを感じた。今ではその曜日は『歩くとき』というより『歩けるとき』という意識が強くなっていて、それがなくなってしまうと大事な時間を取られた気分になる。歩くことが習慣化している証拠。いつも車で向っていた5、6年前が嘘のよう。これからも歩き続けたい。08-4-2

 

ついに4月に入る。これで1年の4分の1が過ぎてしまった。そして、個展は3ヶ月後に迫ったきた。9月にはグループ展があるのでこれからは3ヶ月ごとの波のなかでの制作になる。話は変わって、今日からいろいろな価格の変化が起きた。昨日までりッタ−155円だったガソリンが130円に値下げ。ところが、ときどき入ってる食堂では500円の幕の内弁当が530円に値上げ。複雑な1日。08-4-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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