ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

新聞では記事の内容によって紙面が決まっている。社会、スポーツ、文化、政治、経済などなど、そして地方版というのもある。昨日の記事は社会面 かもしくは地方欄に載っていたと思い込んでいた。まさか1面とは思いもよらなかった。関心を持ってしっかり読んだにもかかわらずである。慣れからくる『思い込み』というのは結構あるんだと思う。こんな程度ならまだいいけど気を付けなくては。08-2-29

 

思い込み。昨日の『ひとこと』を書くとき、もう一度記事を読んでみようと新聞を開いた。ここだと目星を着けたところになかったので結局最後までめくってしまった。見過ごしたのかと思い今度はゆっくりじっくり探してみたけど見つからない。どうして見つからないのか不思議になる。そんなはずはないと思いながらも夕刊も探すがやっぱりない。再び朝刊に戻ると1面 に発見。1面だったとは。08-2-28

 

景観か景気か。新聞に気になる記事があった。近年、オーストラリアをはじめとする外国人スキーヤーで賑わっているヒラフ地区での話。町は景観地区にしたい考えだが地元建設業者らは高さ制限もしない大規模開発を願っているという。建設業者は今の儲けさえあればそれでいいとのバブル的な発想に近い。景観が悪くなれば人気は次第に落ちていく。景観は長い目で見て守るべき貴重な共有財産。08-2-27

 

領収書やレシートとの年に一度のにらめっこ。この時期の年中行事になっている確定申告書の作成。まず、たくさんある領収書とレシートの整理から始まる。それぞれに分けてホチキスで留めていく。やり始めると嫌な作業でもない。次に電卓で計算して表にまとめる。ここまでに4時間ほどかかった。これをもとに提出用紙に書き込んでいくわけだけどこれが結構疲れる。だから続きはまた明日。08-2-26

 

空港内で寝泊りしてる人達や吹きだまりのため立ち往生した車の長い列をニュースの映像や新聞の写 真で見て猛烈な風雪だったことに驚かされた。夜間に車に閉じ込められた人達はどうしていたのだろう?そのまま車にいたのか、それとも車から出てどこかに避難したのだろうか?深夜の暴風雪の中ではどちらも危険を伴うわけで、その判断は難しくかなり迷ったと思う。どうしていたのか気になる。08-2-25

 

危うくセーフ。昨日の夕方、隣町まで車で行くか列車にするかで少し迷った。でも、大雪の予報だったので久し振りの列車の方を選んだ。その帰りは運良く駅に着いた5分後には列車に乗車。その時点ではまだものすごい幸運には気づいていなかった。次の駅で一気にぎゅうぎゅう詰めになったので大雪の影響が出てるんだなと思った程度。しかし、実際にはかなりの列車が運休になっていた・・・。08-2-24

 

「包丁研ぎがまいりました。包丁一本600円よりお研ぎいたします」と軽トラックのスピーカーが叫んでいる。よほど高価な包丁を使ってない限り頼まない気がするけど、自分には縁がないからそう考えるのだろうか。そしてここでの曲者は『600円より』というところ。頼もうとして呼び止めてみると『この包丁は立派なものだから1,000円になります』なんてことにならなければいいけど。08-2-23

 

軍艦が漁船をまっぷたつに切断して沈没させた。漁船の親子二人は未だに行方不明だ。状況からして軍艦がそこのけそこのけで直進してたのは明らか。事故後の対応や情報公開にしてもどちらを向いているかがはっきりしてる。この姿勢は今に始まったことではなく、今回の衝突も起こるべくして起こったとも言える。あり得ないはずのことがあり得る恐ろしさ。守るべきものを見失っている怖さ。08-2-22

 

北村英治カルテットのジャズコンサートを堪能。『さっぽろ都市景観の夕べ』のなかでのイベントで、無料で聴けたのが嬉しい。自分でも意外だったけどジャズコンサートは始めてのこと。それでも、手拍子も自然に出るほどはまっていた。アンコール曲も一旦ステージから消えることなく始まったのも好印象。演奏も語りもはつらつとしていて1929年生まれの78才とは信じられないほど元気。08-2-21

 

ひとりが割り箸を節約したとしてもそれで浮く資源は微々たるものなのはよくわかる。それでもそうしようと決めたのは意志を表わす重要性を説いている人の新聞記事を読んだせいだった。たいして頑張らなくてもできるしお金もわずかで済むことも後押しした。『塵も積もれば山となる』の世界だからすぐに目に見える変化は表れないにしても、自分自身の意識を高めるためにも続けていきたい。08-2-20

 

マイ箸。2週間ほど前から自分の箸をリュックに入れて持ち歩くようになった。探しに行った100円ショップにはたくさんの箸と箸箱が並んでいて、その中から気に入ったのを選んで買った。箸箱はいまいちだったけど100円なんだからしかたがない。合計210円なり。もう5回ほど使ってみたが割り箸よりずっと食べやすい。重たいわけでもないのでもっと早くから使えばよかったと思った。08-2-19

 

『国破れて道路あり、箱物秋にして塵埃深し』。国は借金で破産したけど不毛の道路は残り、無駄 遣いの保養センターや施設は有効に使われることもなく廃虚となり塵や埃が積もるばかり。杜甫が現在の日本を見たらこんな風に詠んだかもしれない。まさに『トホホ』。山河が残ってくれれば春に期待もできるがアスファルトとコンクリートではそうもいかない。『トホホ』のだじゃれも空しく響く。08-2-18

 

冬の初めに少なかった分を一気に取り戻すかのような大雪が続いている。もう、帳尻合わせは充分に済んでるみたい。それは普段雪かきをしない家の裏の積雪でその季節の降雪がよくわかる。今年も今回の雪で限界線の窓の高さに達した。これ以上降ると窓がどんどんふさがれていく。まだ降るにしてもお願いだから少し間をおいてからにしてほしい。今日は雪捨てに4時間も頑張って夜はへとへと。08-2-17

 

マイナス効果。問題になっている餃子を生産した中国の会社の工場長の会見を見て感じたこと。自分達の身の潔白を伝えたいためだろうが威圧的な口調で話せば話すほど反発も強くなる。あの会見は中国向けではないはずなのにわかっていない。もっとも認識がずれているのは「私達は最大の被害者」と言い放つところ。餃子を食べて被害にあった人達よりも自分達の金儲けを優先させる意識が怖い。08-2-16

 

文字の大きさ。3月下旬から北海道新聞の文字が大きくなるという。たしか何年か前(5、6年前の気がするけど自信はない)にも大きくしたのがさらに拡大されるらしい。読みやすくなるのはいいんだけど当然文字数は減るわけで、その分内容の充実にさらに努力してほしい。今、昔の新聞や文庫本を見るとすごく小さい字に驚かされる。高齢化社会に対応するためだとしたら文字の拡大は続く。08-2-15

 

さっぱりしてきれいになった道路があっという間に雪に埋もれてしまった状況を見て、ふと、かつての実家の草取りを思い出してしまった。変化に直面 する時間が1日後と1ヶ月後とでは大きな差があるけど『せっかくきれいにしたはずなのに・・・もうこんなに・・・』という空しさは同じ。その実家も人手に渡ってすでに2年が過ぎ、せっせと草取りをしていた3年前はもう遠い昔のことのよう。08-2-14

 

せっかく排雪されてさっぱりした道路がたった1日で雪まみれに逆戻り。昨日から降り始めた雪は昼も降り続き今も吹雪いている。排雪された喜びのあまり甘い予測をしたが見事にはずれてしまった。考えてみればまだ2月の中旬なんだから大雪があっても吹雪があっても不思議ではない。でも、問題はそのタイミング。1週間が無理ならせめて3日でもいいからさっぱりした街並を味わいたかった。08-2-13

 

新聞のない朝。昨晩は『あ〜、明日の朝は新聞がないんだな〜』と寂しい思いをしながら眠りについた。今朝、2階から降りてくると郵便受けに新聞は挟まっていない。わかっていてもやっぱりがっかりする。静かな音楽でも聞きながらパンとコーヒーの朝食をとればいいのに何だか物足りない。だからといってネットの情報はまだ馴染んでないのでテレビを見る。結局、いつもと違った朝を楽しむ。08-2-12

 

太陽が随分高くなり、我家に入る陽も増えてきた。それまでは向いの家の屋根に隠れる時間が多かったのに最近は顔を出す時間のほうが多くなった。陽が入ると部屋も暖かくなりストーブを消してもいいほどになる。2月の中旬だけど春は徐々に近づいている。今日、町内会の道路が排雪された。道路も家の前も散髪後のようにさっぱりして雪もわずかに残すのみ。これからは太陽が減らしてくれる。08-2-11

 

秋に発表する立体作品のマケット作りをしている。これが結構楽しい。10分の1か20分の1に作るのでそんなに時間をかけずに作品のイメージを形にできる。出来上がりを手に取りあらゆる角度から眺めるときがまた嬉しいひととき。今度はより具体的に完成形を頭に描ける。マケットを作ってから制作に入る理由は絵画と違って途中から変更しづらいことと空間内での存在感を確認したいため。08-2-10

 

人は赤ちゃんの赤から始まり、子供時代の楽しく新鮮な黄、春に目覚める緑、そして青へと移る。青のあとは平穏なオレンジ色、幸せいっぱいのバラ色、どんよりした灰色、不幸のどん底の暗黒などがそのときどき入れ代わる。そして、そろそろ焦茶か紫といきたいところだがまだまだそこにはほど遠い。ましてやいぶし銀なんて到底望めない。そんなわけで赤からには無理があるので青からやり直し。08-2-9

 

還暦を迎えるにあたって考えるところはいろいろある。そのひとつは今一度二十歳の青年に戻ってみようという試み。肉体的には不可能だけど精神的に青くなることはできる。その青さは二十歳の青臭さとは違う、ムキになることもツッパル必要もない謙虚な青さを目指したい。青さのなかには純粋な探究心や生き方への問いかけも含んでいる。ここでこんなことを語れること自体すでに『青』のなか。08-2-8

 

いろいろな勘違いをしてきたけれど、またひとつ新たに判明。それは豆腐のパックに入っている水の役割。今までずっと品質を保つためだと思っていたのに、移動中の型くずれを防ぐためだったとは・・・。封を切り使う分を切り出したあと、再びパックに水を張ってから水をこぼさぬ よう慎重に冷蔵庫に入れていた。それなのにパックの水に保存の効果はないという。それでもまたやってしまいそう。08-2-7

 

できれば北海道産の食物を食べたいと思ったのは農薬の心配や体のことを考えてというより地産地消の助けになればとの気持が大きかった。だから国内産でなく道内産にこだわった。こだわったなんて偉そうに書いたけどいつも意識して実行してるのは米と豆腐と納豆のみっつだけ。値段にはすっかり慣れた。そうだ、最近は肉もずっと道内産を買っている。これからは野菜のほうも増やしていきたい。08-2-6

 

世の中では毒入り餃子の問題で揺れている。ほとんどの家庭に入り込んでいる中国製の冷凍食品だったのでその影響はかなり大きくなりそうだ。安くて便利だから給食でも使われているらしい。これからも使わざるをえないのだろうが、食料問題を真剣に考えるきっかけになってくれればと思う。今後、中国も含めて世界的な食料不足はまちがいなく来る。どんなに金がかかっても農業を守り育てねば。08-2-5

 

希望と夢を持つためには『時』と『空間』は欠かせない。つまり、その人の未来と居場所が必要不可欠となる。逆に、先がなく自分の居場所もないとしたら不安が募り希望も夢も持てなくなってしまう。それを奪う暴力には強い怒りを覚える。横暴なアメリカを嫌いになる理由はここにある。おっと、話を元に戻そう。そのふたつを守るために心の中心に置いておきたいのが『和』。和は輪にも繋がる。08-2-4

 

自分の心の内の何を伝えようとしているのか。これは表現するうえで重要な根幹となる。アクリルによる立体を作り始めた03年頃から作品に込めている思いが次第に見えてきた。それは『内包』というテーマで制作を開始したときと重なっている。その時点でわかったのは内包されてるのは先へと続く光と優しく受け入れてくれる空間だということ。そして、それが希望と夢に繋がることを知った。08-2-3

 

今年の10月には還暦を迎えると思うと、特別な年との感慨がある。まだ終盤の意識はないが後半に入ったのは明らかで残された時間をどう生きるかを今一度真剣に考えるときがきた。もちろん、美術作家として生きることに何の迷いもない。しかし、そこで何をどう表現するかの戦いは最後まで続く。自分の心の内をより確かに作品に託し、より多くの人に伝えたいという願望は強くなってきている。08-2-2

 

車のガソリンを満タンでなく10P、20Pで給油するようになってしばらくたつ。最近、新聞を読んでいてなるほどそういう利点もあったのかと教えられた。言われてみるとすごく単純でもっともなこと。それは、満タンにするとそれだけ車が重たくなり、燃費も悪くなるという指摘。確かにそうだ。ちびちび入れるのは何となく貧しい感じもしてたけど、それなりにいい点を知ったからまた10P。08-2-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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