ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

願いが伝わったのか朝から晴れ。屋根のペンキ塗りのため張り切ってアトリエへ向う。屋根に上るのは5年振りくらいのせいか高さへの怖さが増しているような気がしていた。案の定、梯子からトタン屋根に踏み出す1歩めから緊張度が違う。とても用心深くなっている。それでも何とか屋根のてっぺんまで辿り着いたが下りるときがさらに怖い。そこで、恐怖心は高さでなく滑ることだと気づいた。10-7-31

 

天気予報では曇りだけど薄日が差したりもしたので、晴れることを期待してアトリエの屋根のペンキ塗りのために南幌に向った。しかし、着いた頃にはどんよりとした雲に覆われていてとてもやれる状況ではなかった。ペンキを定着させるには4時間の晴れ間が必要だという。最近のぐずぐずした天候を考えると祈るような気持になる。屋根全体を塗るには4日は掛かりそうだからいつ終れるのやら。10-7-30

 

また続き。さらに診察をしてその他の問題はないと言われてほっとする。とにかく原因がわかっただけでも気持の落ち着きが違う。それなら早く行けばいいのにと思うけど、それは行ってから思うこと。1週間分の薬を手にして帰る。薬の効き目を願うばかり。それにしても医者というのは自分の分野外の症状に対しては冷淡なほどに応答してくれないものだ。総合的に診てくれる医者がいてほしい。10-7-29

 

続き。顎と口腔の間に違和感を感じたのは、もう1年も前のこと。痛みはないがときどき圧迫感を感じていた。歯の手術のときにそれを伝えたが問題なしとされた。その後も同じ症状だったけど放置してきた。しかし、その圧迫感が継続し始めてようやく重い腰を上げたというわけ。診察の前にCTを撮り、その診断はリンパ節の腫れで奥歯の化膿が影響したのだろうと言う。半年前に除去してるのに。10-7-28

 

昨日のこと。『そうだ、今日がその日なんだ』と急に思いつき『今日動かなければまた先送りしてしまいそうだ』『たまたま空いているこの時間を使わねば』と意を決して頑張って行った先は病院。どうしても最初は踏み出す勇気が必要になる。何科がいいのか聞くためにも近くにある内科に顔を出して症状を話すと耳鼻科の担当だと教えられ、すぐに突発生難聴で通 い続けた懐かしい病院へ向った。10-7-27

 

最近はすっかり年に一度の峠越えだったけど、今回のように高速を使うとその感覚は消えてしまいそうだ。高速道路までにそれなりの峠はあっても高さも長さも危険度も日勝峠の比ではない。大変だった道のりも、もう走ることはないのかと思うと寂しくもなる。日高町の食堂での山菜蕎麦を食べられなくなるのも残念。そうは言っても来年も高速を行くだろう。ただし、無料が続いたらの話だけど。10-7-26

 

無料になった高速道路を利用して、両親のお墓の草取りのために芽室を往復。今までは難所だった日勝峠をトンネル、トンネルでどんどんくぐり抜けるので、精神的な疲れは半減どころか4分の1以下になった気分。さらに、時間もかなり短縮され肉体的にも随分楽だった。それはそれでいいことなんだけど、いつも山菜蕎麦を食べてた峠の麓の日高町が寂しくなってしまうのではと心配にもなる。10-7-25

 

ときどき耳にする「・・・だと思うのは私だけだろうか」という言い方が嫌い。なぜかというと、その後には「決して私だけではなく、あなたもきっとそのはず」と同意を求めるような考えが透けて見えるから。それなら最初から「私は・・・だと思う」と言えばいいのに、なぜか自分の意見をはっきりさせるのを避けようとする。もし「あなただけだと思うよ」と返されたら何と応えるのだろうか。10-7-24

 

いつも、個展のときは観に来てくれる人との再会も楽しみのうちになっている。もちろん、作品が中心であっても自分の子供に会いに来てくれるようなものだから親としては非常に嬉しい。そこには親と子としてのふたりの自分がいる。その流れが続いているのか、人との会話のなかでも自分のなかにもうひとりの自分がいるように感じるときがある。深い洞察はしてないけどいい関係にあるようだ。10-7-23

 

イマジン。想像する力と考えると生きる上でのあらゆる場面に必要な力と言えるけど、芸術の世界ではそこから出発すると言ってもいいような気がする。ある対象をあるいは何かの思いや考えを見える形にあるいは聞こえるものにしたいという欲求を具体化するには想像する力がとても大事な役割を果 たす。そこで浮かんだ色や形や音や言葉や動きなどを並べて組み替えて紡いでいくのも想像する力。10-7-22

 

決め手はデザイン。購入する洗濯機を選んだとき、似た価格帯だとメーカーが違っても機能的にはほとんど差がないので選択基準はデザインになった。これから長年使うことを考えると、たとえ2、3千円の差があっても気に入ったもののほうがいい。そうすると選ぶ範囲は急にしぼられて決断も容易になった。できるだけ飾りが少なくシンプルで美しいフォルムが好き。冷蔵庫のときも同じだった。10-7-21

 

夕方、洗濯機が届いたのでさっそく試してみる。今まではすすぎや脱水のたびに水を出したり止めたり洗濯物を移し変えたりしてたのに全自動なので随分楽チンだ。かなり前からこれが標準になっていたのだろうけどようやくその世界に辿り着けた。楽しみにしてた風乾燥はちょっと期待外れでがっかり。運転時間が3時間のみというのに驚く。もっと自由な設定で使えるものと思っていたのに・・。10-7-20

 

洗濯機の脱水槽が動かなくなり手で搾っていたが、これが以外と大変な作業。搾り切ったつもりでも掛けている間に水が滴り始める。外に干せるならいいがそれができないからめんどうだ。壊れてみて機械の有り難みを再認識。そんなわけで、家電店に行って手ごろな値段のものを探してみると嬉しい発見が。いつ頃からかは知らないが風乾燥というのも装備されているのだ。早く試してみたくなる。10-7-19

 

視界を遮るものを減らし、無くしていきたい。部屋の片付けをしていてそんなことが頭に浮かんだ。奥に置かれたものや何かの下の方にあるものはときとして忘れられた存在になる場合がある。今回もこんなものがこんな所にというのと捨てるべきものなどいろいろ出てきた。とにかく、必要なものだけを残していき、できる限り風通 しを良くしてあげたい。目にも触れずにカビさせてはかわいそう。10-7-18

 

くどいようだがもう少し言いたいことがある。相当の年配の人(根拠はないが見た目が80才以上かな)が一般 席に座り、優先席が空いていると二人分の席を取ってることにもなりかねない。でも、当人にしてみれば自分はまだ元気だからそっちに座る必要はないと思っているのかもしれないし、もしかしたら特に意識してないのかもしれない。譲る側だけでなく譲られる側にも配慮があればと思う。10-7-17

 

昨日の話をさらに続けたい。ときどき聞くことで、せっかく席を譲ろうとした若者が年寄りに断られ厭な思いをしたというのがある。そんな体験は僕にも何度かあった。そうなると声を掛ける判断基準が難しくなり、めんどうな気持も生まれてくる。そして、自分も年寄りの仲間入りが近づいてきたから断りたくなる心情もわからないでもない。もし、座りたければ、まずは優先席に向ってほしい。10-7-16

 

『お年寄りには席を譲る気持が大切』とテレビから聞こえてきた地下鉄の座席についての決まり文句のような意見に嫌気がさす。普段、昼間に地下鉄に乗っているのかと聞きたくなる。何故かというと、いかにも優先席に座ると思われる年寄りがそちらには行かないのだ。そして、優先席は空いたままになっている。そんな元気な(意地かもしれないが)年寄りにはどうしても席を譲る気になれない。10-7-15

 

洗濯機の脱水槽が回転しなくなった。冷蔵庫が故障して買い替えた時点でいつか近いうちに来るのではと覚悟していたが、やっぱりやって来た。こちらは1985年の購入だから何と25年も経っているわけだ。長持ちには慣れてるはずなのに『よくぞここまで』とびっくりしてしまう。それでも、洗濯槽はまだ正常に使えるから表彰状ものだ。そうは言っても火を吹く前に引退させてあげるつもり。10-7-14

 

さらに続く。札幌駅の待ち合わせ場所のひとつになった石の彫刻の前で友と会いビールを飲む。酒と料理と会話をたくさん楽しみ、高速バスに乗った友を見送る。地下鉄駅へ向う途中、酔いを醒ますためにも駅前のベンチに座り、心地よい風を浴びながら行き交う人達をのんびり眺める。そうしているうちに、まるで自分が旅先にいるような錯覚に陥り、しばらくゆったりした時間に身を任せていた。10-7-13

 

続き。フィクションの『月』の世界からいきなり強烈な太陽の下にさらされるのは辛すぎる。いつのも散歩コースの途中にある中学校の体育館で投票を済ます。記入するのはたった二枚だけなのであっけない感じでもの足りない気分。そして、久々のJRで隣町で開催中の陶芸の『やきもの市』に行く。30分ほどの列車にもわくわく。知り合いのテントを慌ただしく回り再びJRに飛び乗って札幌駅へ。10-7-12

 

今日は書きたいことがたくさんある日になったのでまちがいなく=続き=になりそうだ。午前中に『1Q84』を読み終える。迷いのないハッピーエンドはちょっと意外な感じがした。でも、その先を追う必要がないから疲れた体と気分を癒すには望ましい終り方だった。その後、すぐに参議院選挙の投票所に向う。ほのかな太陽が心地よい。『月』の後だけに照りつける太陽でないのが嬉しかった。10-7-11

 

いつものことながら個展の搬出作業というのは子供達(作品)の晴れ舞台が終了するときなのでどうしても寂しさが付きまとう。それと同時に、長い拘束から解き放たれる喜びがあるのも否めない。そして今回も複雑な心境を抱きながら作品と共に自宅へ戻る。それでも、昨日今日はジャズをBGMにして借りていたけど楽しみに取っておいた村上春樹の『1Q84』に入り込み、久々の解放感に浸る。10-7-10

 

昨日の続き。びしょ濡れのまま地下鉄に乗り、目的地で降りてから適当なベンチを探し、靴下を脱いで染み込んだ水を搾り出す。水が勢いよくこぼれ落ちる。ふと、2年前のあの悲惨な横須賀での台風直撃が頭に浮かぶ。コンビニで靴下と新聞を買い個展会場へ。着くなり靴下を履き替え、次に靴に新聞を詰めようとしたが、読んでからと思っているうちに来場者が現れ昼まで靴下で動き回るはめに。10-7-9

 

個展最終日。その朝に思いもよらぬ体験をする。家を出たときは雨がちょっと強く降ってる程度だったのに傘を差して歩いているうちにみるみる強さを増して、まさに滝のような豪雨になった。それは初めて体験する激しさでテレビのニュースでしか見たことのないゲリラ豪雨そのもののよう。流れる水のなかを歩くから靴はグチョグチョ。地下鉄駅に着く頃には小降りになるという最悪のタイミング。10-7-8

 

来場者のいない合間に写真撮影をする。デジタルカメラを手に入れたいと思いながらもまだアナログ(フィルム)カメラなので用心のためにどうしてもたくさん撮ってしまう。そのため、昨年の個展のときには現像とプリント代で1万円近く掛かかってしまった。そのときも買ったほうが得なのかなと悩んだけれど決断できなかった。今年は去年より少ないのでデジタルへの移行はまた先になりそうだ。10-7-7

 

6日間の個展会期の後半に入り、何日目というより残りの日数を数えるようになった。ずっと会場にいる疲れもたまるけれど終りが近づく寂しさの方が勝る。この辺りは旅のときと同じ気分。余裕で構えるせいか前半のほうが長く感じる点も旅に似ている。これは旅に限らず楽しい嬉しい時間の残りを意識するようになった時点から時計の針は早まるのかもしれない。残りの2日間を長くしたいと願う。10-7-6

 

去年の個展以来1年振りに中学時代の同級生3人と飲む。夕方、そのうちのひとりが個展会場に顔を出すなり、目の前の作品に「これはおもしろいね」と反応してくれたのが嬉しかった。3年ほど前に初めて個展を観に来てくれた頃には、それまで鑑賞することのなかった作品形態のせいもあって「わからない」「わからない」の連発だったのが何度か来てもらっているうちに構えが取れてきたようだ。10-7-5

 

人の動きと流れ。人には何となく動きやすい時間があり、そこに流れが生まれる。そして、その逆に人の動きが途絶えるエアーポケットのような時間帯が必ずある。今日の午前中がそれで、個展は10時からなのに最初の人が顔を出してくれたのはすでに昼に近いときだった。それなのに、それからは多くの人が重なるようにしてやって来た。日曜日の午前中というのも影響していたのかもしれない。10-7-4

 

個展初日。一番最初に来てくれる人というのは嬉しいし有難い気持にもなる。今日の一番乗りは2年前まではずっと観てもらってたのに昨年は途切れていたので気になっていた人だった。だから二重に嬉しかった。作品に触れてくれる人はどの人も嬉しいけど、長年に渡って観続けてもらえた人は作品の流れと変化もわかってくれてるのでその思いはさらに高まる。その後も大勢来てくれ、嬉しい初日。10-7-3

 

個展の搬入飾り付けを終了。いつのときも飾り付けが終るまでは『いい会場になるだろうか』という不安が付きまとう。いくら紙と頭の中でシュミレーションを重ねていても実際の現場でやってみないとわからない部分がある。床や壁等の寸法はわかっても空間全体での作品の存在感をイメージするのはなかなかむずかしい。会場で初めて全体像が明らかになるのもその理由のうち。でも今回も満足。10-7-2

 

作品を梱包する前にまずは埃や汚れを取る作業をする。アクリル板や塩ビ板は静電気を起こしやすいのでそれを防止するスプレーを掛け、やはりそれ専用の布で拭き取る。それでも埃を完全に取り除くのは難しいからどこかで諦める。普段の生活でも感じることだけど、埃というのはどこからこんなにたくさん湧いてくるのだろう。ちょっと掃除機を掛けなかっただけでも塊になってたりするから驚く。10-7-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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