ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

いよいよ大晦日。また365日の1年が過ぎ去ろうとしてる。そして、今年もどうにか365の『ひとこと』を書き終えることができた。書きたいことが自然に湧いてくる日はいいけどなかなか浮かんでこなくて苦労した日もあった。それも含めてそのときどきの自分として受け入れていこうと思う。とにかくこれからも『ある日』をできる限り書き続けていきたい。まもなく除夜の鐘が鳴り響く。06-12-31

 

決め手は付録。久し振りに現代用語事典を買おうと探すと異なる出版社の2册が並んでる。厚さも大きさもほぼ同じ。ぱらぱらめくって読み比べたが内容もレイアウトもそれほど違いはない。どっちにしようか迷っていると付録が目に付いた。『月の満ち欠けが毎日わかる手帳2007』これは捨て難い。もうひとつの追い討ちは特集の『流行語で振返る団塊世代の60年』。これで迷わず決まり。06-12-30

 

出来上がった木枠にキャンバスを張る。この作業は結構好き。少しずつできていく過程が楽しいし、ピーンと張ったキャンバスを眺めると創作意欲はさらに高まる。これが作品の土台になるわけでイメージがいっそう具体的に見えてくる。しばらく同じ作業を続けて土台の数を増やしておくつもり。06-12-29

 

覚えている夢はだいたいイヤな夢。そして起きる少し前に見た夢。今朝の夢はそれ。何かの集まりに出席していて帰ろうとしたら自分の靴が見当たらない。似たような靴はあるけどどれも違う。誰かがまちがって履いていったのかと心配になってくる。場所を変えてしつこく探し続けるがやっぱり見つからない。不安な気持がどんどん高まる。そこで目が覚めた。これはどんな夢分析になるのかな。06-12-28

 

突然といえば飛蚊症もそうだった。すでにもう4年前になるけどあのときのことはよく覚えてる。やはり目覚めたとき異常に気づいた。しかし、病院での診察は「これはもう治りません」のひとことで終り。何度か通 院する覚悟をしてたのにあまりのあっけなさに拍子抜けしたものだ。今ではすっかり慣れてまったく気にならない。あれほど黒々と飛んでた蚊がうっすらとしか見えないから不思議。06-12-27

 

『突』。自分にとっての今年の1字をあげるとしたらこれ。そのものずばりだけど突発性難聴の突。でも、その突然の大きな変化が結果 的に80%近くまで回復できた要因だった気がする。もしも、ほんの少しでも聞こえていたらすぐに治るのではとの甘い考えであれほど急いで病院に行ってなかったと思う。あまりにも突然だっただけに救われたようなもの。来年は悪い『突』はなしにしてほしい。06-12-26

 

『国債利払い1日261億円』これは今日の朝刊の見出し。こんなに多額でもこれはあくまでも利子だから驚く。驚くのはこれだけではない。来年の予算の30,7%は国債依存だという。わかりやすく言えば借金。国の予算の3割を借金でまかなうなんて異常事態だと思うけどその緊迫感が全然伝わってこない。借金することに慣れきったようだ。このままいくと国の破産宣告もあり得るのに・・・。06-12-25

 

最近の朝の日課。起きたら布団をたたむ。階段を下りてトイレ(小)へ。パンをトースターに入れコーヒーをコーヒーメーカーにセット。カーテンを開ける。簡単に顔を洗う。朝刊を読みながらパンとコーヒーとミニトマトの朝食。食後に耳の薬を飲む。目薬を差す。魚に餌をやる。トイレ(大)。着替える。すぐに出かけないときは音楽(ジャズピアノ)をかける。そして、その日の仕事が始まる。06-12-24

 

年賀状の宛名書きを始めた。それぞれにひとこと書き添えていると思っていたよりずっと時間がかかる。年に1度の便りの人にはどうしてもひとことで済まなくなる。年賀状を出すときともらったときだけ思い浮かべる人もいるわけでせっかくの機会だから少し時間がかかってもしかたがない。それとは違って何となく続いてる人や出したから返してくれたと思われる人をどうするかでいつも迷う。 06-12-23

 

今日は待ちに待った嬉しい冬至。何度も書いてるように年に4度のうちの大事な区切りの日。とにかくこれ以上陽が短くならないというのが嬉しい。暗いとどうしても早起きする気になれないからこまる。やっぱり朝刊は太陽の明かりで読みたい。もちろん夕刊もそう。夕刊の届く4時はぎりぎりのところで、曇っていると灯りが必要になる。次の指折りは雪解けが進んで春の気配を強める春分の日。06-12-22

 

年末の実感が薄れた理由のひとつは帰省がなくなったこと。母が亡くなってからも管理のため実家に帰っていた。でも今年の1月に実家は人手に渡ったので帰る家はもうない。懐かしさはあるけど寂しさはほとんどない。家の心配から解放されたのは嬉しいけど列車に乗る機会が減ったのは残念。06-12-21

 

今年もいよいよあと10日あまり。すっかり根雪になったし忘年会もふたつこなしたけれどまだ年末の実感が湧いてこない。年とともに変化が少なくなってきてるせいか年々その思いが強くなってる気がする。それでも、これから年賀状作りと宛名書きに入ればその気になるかもしれない。パソコンを手に入れてからは随分楽をしてるけど木版画の時代は時間がかかって本当に慌ただしい年末だった。06-12-20

 

これしかないと思ってた方法が駄目とわかった後に考えついたやり方が結果 的によりよい場合もある。今回がまさにそれ。もし、最初の方法で中途半端に妥協したり無理やり進めていたらこれほど綺麗にはできてなかった。たまたま最初に浮かんだ方法を信じきってはいけない。おとといの話しにもつながるがいろいろなやり方と選択肢があってこそ試しながらよりよいものに近づくことができる。06-12-19

 

古い道具が活かされる喜び。来年5月の個展に向けて予定してた大きさの木枠がうまく合わないことに気づいた。違うサイズの木枠を組み合わせて細長い形にする計画だった。しかし、木枠の厚さが違って噛み合わない。『あ〜、どうしよう』と一瞬あせったがすぐにひらめいた。『もとの組み合わせの片方を加工すればいいんだ』と。複雑に思えた加工も使い慣れた道具のおかげで 難無く終了。06-12-18

 

いろいろな意味での選択肢の少ない時代へと向っている。右向け右、みんなで渡れば怖くないの世界へと流れは急加速。左どころか中さえ向けないし、ひとりで渡ることは許されないときが確実にくる。いくら嫌だと思ったところでそれを望む人が多いのだからどうしようもない。何度も何度も選挙で選択してきた帰結。かつての戦争も知らず知らずのうちになんてあり得ないことがよくわかった。06-12-17

 

中学時代の同級生との忘年会。4人のうちのひとりが風邪で欠席。随分はやってるようだ。今回はすすきのでなく琴似の居酒屋に集まった。最初は少しおっくうに思ったがいつもと違う街の雰囲気が新鮮で楽しめた。店に入ってしまえば大差はなく半年ぶりの再会に話しもはずんだ。2時間後にお開きとなり地下鉄組と分れてバス乗り場へ。飲んだあとバスで帰るのは初めてでこれもまた新鮮な気分。06-12-16

 

コーヒータイム。喫茶店に入る機会はほんとうに少なくなって月に2、3回といったていど。それも決まった店に行く。街中で気に入ってるのは大きな窓ガラスに向って長いカウンターのある店。2階なので見晴しもよくて街並や行き交う車や人を眺めながらのコーヒーも楽しい。明るいから本を読むにもいい具合。カウンターのせいかひとりの客が結構多い。話し声が少なくて静かなのも嬉しい。06-12-15

 

銀行から来年のカレンダーをもらってきた。銀行と作家には申し訳ないが毎年上半分の風景画は切って1年分の暦だけを壁に張る。スペースの問題もあるけど何ヶ月どころか1週間でもあきてしまいそうなので・・・。1ヶ月ごとのカレンダーは100円ショップで購入。できるだけ簡潔で予定の書き込めるものを選んだ。そして財布に入れておくミニカレンダーも本屋で手に入れた。これで一安心。06-12-14

 

子供の頃、肉といえば豚だった。それもたまにカレーライスや肉鍋のときに食べられるだけの貴重な食物だった。鶏肉は飼ってたものを父が絞めたときに食べたくらいで数回しかない。牛肉を初めて食べたのは大学に入って札幌に来てからだし、ジンギスカンもそれまでその存在すら知らなかったのであの円筒形の塊を見たときはびっくりした。つまり焼肉のうまさを知ったのは18を過ぎてから。06-12-13

 

マグロと同じように牛肉にもこだわりはいっさいない。トロのおいしさは知らなくても牛肉のおいしさは知っている。それでも、もし牛肉をずっと食べられなくなったとしても平気。吉野屋の牛丼のときもどうしてそんなに騒ぐのか理解できなかった。鶏もうまいし豚もおいしい。他にも選択の余地があって恵まれているというのに大騒ぎするなんて食を軽く考える贅沢な悩みにしか見えなかった。06-12-12

 

マグロの価格が上がりなかなか食べられなくなるのではと心配する人達がいるらしい。僕はまったく気にならない。食べ物は何でも好きだからたとえマグロがなくなっても他の魚があればそれでいい。幸か不幸かトロというもののおいしさを知らないからとくに食べたいとも思わない。マグロ好きが多いらしいから叱られそうだが本当に好きでどうしても食べたければたとえ高くなっても食べるはず。06-12-11

 

手紙はすっかり書かなくなったけど国語辞典と漢和辞典はちょくちょく開いてる。2、3年前から漢字をちゃんと書けるようにしたいと曖昧だったり書けなかった字を調べるようになった。とりあえず新聞に載る字は全部書けるようにするのが目標だから書き取りもしてる。筆順を確かめたいときにも漢和辞典を開く。まちがって覚えてたのが随分あった。今まではめちゃくちゃだったということ。 06-12-10

 

考えてみると英語どころか日本語の手紙のほうがずっと書いてない。せいぜい葉書を年に数枚書く程度だ。いつから思いを込めた手紙を書いてないのだろうか。それさえすぐには思い出せない。おかげで80円切手は長持ちしてる。書かなくなった理由がなんとなく伝えたいどうしてもわかってほしいという願望が弱くなったためだとしたら寂しい。手紙の場合言葉だけでなく文字にも思いを刻める。06-12-9

 

12月の今頃はいつも英語辞書とにらめっこになる。20代のヨーロッパ旅行のとき知り合ったドイツ人との手紙のやりとりは随分減ってしまったがクリスマスのときだけは続いてる。このとき以外英語に触れることはほとんどなくなりどんどん忘れていく。おかげで1枚の手紙でもしょっちゅう辞書を開かねばならない。5枚も6枚も書いていたのは遠い昔のこと。早いものでもう31年も経った。06-12-8

 

昨日の聴力検査でいい変化はなかったといっても耳の閉塞感はほとんどなくなったし耳鳴りも以前ほど気にならなくなった。もちろん慣れがあったとしてもわずかながらも小さくなってるのはたしか。飛蚊症のときもそうだったが、異常も当たり前になって慣れてしまうと意識しない限りたいして苦でなくなる。昨日は『限界なのかな』なんて書いたけど薬を飲んでるうちはさらなる回復を信じてる。06-12-7

 

2週間振りに耳鼻科病院へ。看護士さんに呼ばれてそちらに行くと「点滴を打ちながらの検査と診察でいいですか」と聞かれた。「え、今日、点滴を打つんですか」と聞き返すとカルテを見て「先生に聞いてきます」と診察室へ戻った。多分、23日も連続で点滴を打ってたから反射的にそう思ったのかもしれない。残念ながら聴力検査に変化なし。点滴もなし。薬は続くがこの辺りが限界なのかな。06-12-6

 

今月に入ってずっと寒い日が続いたせいで1日に積もった雪がそのまま残っている。雪の覚悟をするどころかつるつる道路も体験して一気に真冬モードに入ってしまった。もうこのまま根雪になりそうな気配。『根雪』とはうまく言ったものでまさしくそんな感じ。雪国でなければピンとこない言葉のひとつ。この雪が春まで残るのかと思うと不思議な感じもする。また出会うのは4ヶ月後のこと。06-12-5

 

暗くなり始めた夕方の空に真ん丸の月を見つけた。4時15分だけど夕闇のなかでくっきり輝いている。低いところにあるせいかいつもより大きく感じる。よーく見ると満月にはほんの少し足りないみたい。歩きながらも眺めようとしたけれどつるつる道でそれは無理だった。家に着いて届いたばかりの夕刊で月齢を調べてみると14、2。1日早かったけどほぼ満月を眺めることができたのは幸運。06-12-4

 

12月が近づいてくると届くはがきがある。今日も1通届いた。それは喪中を知らせるはがき。毎年あることだけど今年は例年になく多い。同年代の友達や知り合いの親が亡くなる年令になってしまったということか。すでに9年と3年の月日が経ったけど、ふと、父母のことを思い出す。感謝。06-12-3

 

最近、朝食に黄色が増えて今までよりちょっぴり華やかに。パンの白、チーズの淡い黄色、ハムの深いピンク、レタスの緑と黄緑、ジャムのえんじ、トマトの赤、そしてそこに加わったのがバナナの黄色。色が多くて鮮やかだと寝ぼけ眼もスッキリ、さっぱり。そう、そう、それにコーヒーの焦茶が付く。食後には白と橙と赤の耳の薬の錠剤が待っている。それを無色の水で飲んで朝食セットの終了。06-12-2

 

昨日から降り続いた雪がそのまま積もって一気に雪景色に変わってしまった。中途半端に解けた雪が凍りつき至る所につるつる路面 もできた。運転も歩きも徐々に雪道に慣れていくならまだしもいきなりのつるつるは怖い。毎年体験していてもタイヤや靴がどれほど滑るのか、どこまでなら滑らないのかをわかるまでは慎重になる。12月に入ると同時に厳しい冬の始まりが『突発的』にやってきた。06-12-1

 



ウィンドウズで御覧の方は文字の表示を最小にしていただくと私のレイアウトに近づきます。

 

NAKAHASHI OSAMU

作品の著作権を侵害することのないようお願いします