ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

11月も最期の日になり明日からはいよいよ12月なんだけど、13日の大雪以来ずっと降ってなかったので冬への覚悟もいまいちで師走に入る実感もあんまり湧いてこない。その気にならなくてもいいのでこのまま雪のない状態でいってくれるといいのだが、天気予報では火曜日から雪マークが4日も続いている。そうすると根雪という嫌な言葉が頭に浮かんでしまう。雪国ならではの大きな節目。14-11-30

 

26日の『ひとこと』で『何かを超えられた感覚』なんて書いたのに今日の卓球ではまた以前に戻されている気がした。やっぱりそう簡単には超えさせてくれないようだ。こらからも一進一退を繰り返しながら徐々に進む分を増やして後退する分を減らしていくしかない。たとえ、その日の調子の善し悪しがあるにしてもその幅を縮める努力も大切になる。それには精神的な強さもしっかり鍛えねば。14-11-29

 

お酒を飲む日は非日常で月に一度あるかないかの割合なので特別な日になる。そうすると、酔いもあって『ま、いっか』の気持から『ひとこと』を翌朝に回すことも多くなってきていた。実は、今晩今年最初の忘年会をやったのに今パソコンの前に座ってこれを書いている。これができるのも楽しくおいしく飲めたせいだろう。これからも、いくつかの忘年会の予定があるけれど残りもこうありたい。14-11-28

 

高齢になると久し振りに会った人などに「変わらないね!」と声を掛け合ったりするときがある。それはいい意味で「若いときと変わらず元気そうだね」だったり「相変わらず若々しいね」だったりするわけだけど、当然ながら衰えているのが前提になっている言葉なので嬉しくもあり悲しくもある。それならばいい意味で「変わったね」と言われれば素直に喜べるからそっちの方も目指してみたい。14-11-27

 

何かを超えられた感覚。先週土曜の夜の卓球で今までとは違った自分を感じた。飛躍的にという意味ではなく非常に微妙なものだけど明らかに何かが変わっていた。そこでは1ヶ月以上の休みがあり、久し振りの卓球だったので少し心配していたというのに良い方に出るとは。ひとつわかる変化は慌てることなく落ち着いた気持で試合に臨めるようになっていた。空白が成長を促す場合もあるようだ。14-11-26

 

スタッフの冷たく無責任な「大丈夫ですか?」に嫌な気分にさせられる。テレビのニュース番組で日光の猿の横暴さの特集があった。それは狂暴化していて食べ物を奪うだけでなく直接人に危害を加えるようになっていた。そして、女性が突然猿に襲われ転倒してもなお襲い掛かる猿から必死に逃げまどっているに助けに動かず遠くから「大丈夫ですか?」と言うだけ。どう見ても大丈夫でないだろ。14-11-25

 

もうひとつの冬支度。違う町に借りているアトリエ兼作品置き場の屋根の修理をした。つい最近雨漏りを発見して雪が積もる前にやっておかねばと気にしていた。いつものことだけど、梯子を上り屋根に足を乗せる1歩目はかなり緊張する。シーズン初めてのアイスバーンの運転の気分。どれほど滑るかわからないのが怖い。慣れると平気になるが恐怖心が高まっているのもわかる。でも、無事完了。14-11-24

 

プチプチとすき間テープの出番。タイヤ交換の次は家の中の冬支度をする。そういえばタイヤ交換の後、まったく雪が降ってないから勝手な願いは叶ったようだ。話を戻して、防寒のために窓枠にプチプチを張り付け、ドアや引き戸にはすき間テープを貼るのも冬を迎える恒例の仕事になっている。プチプチは最初は梱包用に出回ったはずなのにこんなところでも大活躍してる。室内も包まれたよう。14-11-23

 

制作の場合もまず制作のための場所に行くというのが大切。乗り気でなくても場がやる気を起こし意欲を高めてくれる場合がある。そうなるためにもその場はいつでも使えるようきれいに片付けておいいた方がいい。いつもそうとは限らないから、片付けたり整理したり掃除をする時間を意識的に作るようにしている。でも、そればっかりで肝心の制作がなければやった意味も薄れてしまうけど・・。14-11-22

 

継続的に文章を書くコツを説明しているなかに、書きたいネタが浮かぶのを待つのではなくとにかく書くための決まった場所に座るのが大事というのがあった。これは当っている思う。この『ひとこと』に書きたいものがはっきりしているときは問題ないが、そうでないときもまずはパソコンの前に座るようにしている。そうすると、頭も自然に書くモードに移行して意外と早く道が開けたりもする。14-11-21

 

やりたい放題。ごくごく内輪の話だけで戦争のできる国にしようとしているし、莫大な借金などまったく眼中になくお札を刷りまくるし、今度は急に衆議院を解散して総選挙をやるという、とにかく自分の思いを実現させるためには何でもありのようだ。大儀はなく今の内にやっておかねばとの焦りの表れだろう。そんな突然の思い付きに700億円もの税金が使われるのだからたまったものでない。14-11-20

 

『歩く旅』のときに傷めた足の親指の爪がようやく落ち着き始めている。内出血していたのできっと剥がれ落ちると思っていたのにそうならず、根元にあった赤黒い部分が上の方に上がってきた。これも体験があるので驚きはしない。いずれ爪の先端まで行って消えていく。爪が剥がれたことのない人に話したら恐怖で震え上がらせてしまったが当然だろう。もしも、初めてなら不安に駆られたはず。14-11-19

 

目先のお金に目がくらまず信念を選んだ沖縄の良識に一筋の光を見た。これまで米軍基地を押し付ける代償としての経済援助を繰り返してきた。そして、今回も金を出せば人心も買えるとの考えで毎年3,000億円の振興費を約束したが拒まれた。心から賛同できる沖縄の著名人の次の言葉が胸を突く。『日本こそ沖縄に基地で依存し、米国に隷属している。それを脱して、己の足で立つ国になれ』。14-11-18

 

タイヤ交換も済んでいるので安心してハルカヤマへ向う。でも、夏タイヤでも大丈夫なほど山の雪は解けていた。雪が積もる前にしたい作業だったのでホッとする。それは赤い作品の土台の部分の土が風雨で流されて隙間ができていたのでそこを埋め直す作業。これからの猛吹雪に耐えてもらうためにもやっておかねばと気になっていた。これで土台も安定して心配せずに厳しい冬を迎えられそうだ。14-11-17

 

雪もほとんど解ける穏やかな天気だったのでタイヤ交換をする。これこそやる気の問題でやり始めると30分も掛からずに済んでしまう。こうして雪への準備を整えるとなぜかしばらく降らなかったりもする。できれば、そんな都合のいい考えが当ってくれると嬉しいのだがどうなることやら。タイヤ交換を済ませたせいで冬への意識転換ができた。次ぎは年末恒例のいろいろに追われるときがくる。14-11-16

 

柿の季節に入ってからは毎日のように食べている。柿は大好物なので毎日食べても飽きることはない。ときにはリンゴやミカンにも手が出そうになるが『そろそろなくなるかもしれないからあるうちに食べておかなくては』と思ってしまう。これからいつまで店頭に並ぶのかわからないがもう少しの間は食べられそうだ。リンゴもミカンもバナナもブドウも好きだけどこれほど続けられるのは柿だけ。14-11-15

 

一気に雪景色に。昨日降り始めた雪は今日も降り続いて20Bほどの積雪になってしまった。どうせすぐに消えてしまうだろうと甘く見ていた予測は見事にはずれた。いくらなんでもこれが根雪になることはあり得ないと思うのだが・・・。何事にもタイミングというのがあるもので、作品の設置を今週の火曜日にやっておいて本当によかった。まさかその3日後に積雪するとは想像も付かずにいた。14-11-14

 

吹雪のなかを帰宅。今年初の平地での積雪。いよいよ長い冬の始まりだ。まだ何度か降ったり解けたりの繰り返しだと思うが、本格的な雪への心構えをするときがやってきた。本当に覚悟するのは根雪になったときだけど、そうなってしまうと雪のない生活への期待が完全に絶たれ、拒否の気持から受け入れの気持へと移っていく。とにかく、まだやってないタイヤ交換をそろそろ済ませておかねば。14-11-13

 

札幌の南の端に赤い作品と黒玉を設置。ハルカヤマで一緒になった出品作家の敷地内に作品を置いてもらえないかと声を掛けられてから1年半後にようやく実現させてホッとしている。そこは林に囲まれた小道を巡ると作品に出会えるというハルカヤマの小型版のような素敵な場所。ハルカヤマは小樽だけれど札幌の西の先にあり、これでふたつの方角の先端に置かれたことになる。何だか嬉しい。14-11-12

 

続き。自殺という形になってしまったが、彼のとった行動には尊厳死に近いものがあった。その当時はそんな言葉はなくとも不安で押しつぶされそうになっただろう心の一部は十分推察できた。しかし、どうしても受け入れ難かったのは、その2日前にもうひとりの友人と3人でアポイ岳登山をしたのに彼の究極の心の変化に一切気付かなかったこと。これが死について真剣に向き合った最初の体験。14-11-11

 

高校3年の春に起きた忘れられない悲しい出来事がある。それは5月5日の夜のこと。親しくしていた友人が睡眠薬を飲み港の防波堤から暗い海に飛び込んだのだ。彼は子供の頃から重度の中耳炎を煩っていて入退院を繰り返していた。そのため、港町に育ちながら泳ぐことは禁じられていた。そして、死に場所として選んだのが海。彼は脳に異常が起り自分が自分でなくなるのを恐れて死を選んだ。14-11-10

 

できるなら早い段階で尊厳死を認めてほしいというのが率直な考え。安楽死との違いは医者が手を下すか本人が行うかにある。もし、意識が失われてしまえば尊厳死はなくなる。あくまでも本人の強い意思のもとでなければできない。感情的な高ぶりでの判断を避けるためにはある程度の熟考期間を設ける必要があるだろうが症状によるのでこの設定も難しい。とにかく様々な難題があるのは確かだ。14-11-9

 

尊厳死。先日、20代のアメリカ人女性が決めた期日にこれを決行した。アメリカでも尊厳死を認めている州は少なく、認められている州に引越しての決行だった。アメリカでは賛否両論が渦巻いただろう。日本では認められていない。しかし、真剣に検討すべき問題だと思う。日本にも尊厳死を考える組織があるらしいがもっと広く知らしめてほしい。いずれは非常に関心のある事柄になる気がする。14-11-8

 

今日の予定が変更になり急に空いた感じがしてのんびりに決める。朝はいつもより少し遅めに起きて朝食の友の新聞もたくさん読む。午前中はパソコンのユーチューブで卓球を見たり懐かしい音楽を聴いたりする。昼食はナポリタンのスパゲティと茹でたブロッコリーを食べながらテレビを見る。午後は漢字の書き取りをしているうちに暗くなり夕食の時間に。夜もテレビと漢字。付録のような一日。14-11-7

 

新聞などで自分と同年代の死亡記事を度々目にするようになった。平均寿命からしてみるとまだまだ若いわけだが、亡くなってもおかしくない年代に入っているのも確か。そんな記事を見る度に改めて年齢を自覚させられる。それは決して非観的な受け止め方でなく、残された時間は限られているわけだからそれなりに自分らしく精一杯生きていきたいという願望と決意を強くするきっかけにもなる。14-11-6

 

くじの運と不運。一定の金額以上の買物をしたのでスーパーのレジでスピードくじを渡されたが「いつも当らないからいいです」と返事をした。それでも店員がそれを開くと何と当りだった。当りがあることに驚きながらそれを受け取り、賞品を尋ねると次回の買物が100円引きになるという。数日後にレジでその当りくじを渡したところ「これの期限は昨日までです」と冷たく言われてしまった。14-11-5

 

そろそろ『歩く旅』の話は終りにしよう。実は、この旅のあとに1日に100H歩くという未知の距離に挑戦するつもりでいた。でも、今回も出てしまった足裏の腫れと新たに加わった爪の痛みの原因が靴にあると判明したので、長距離を歩くのに適した靴を手に入れそれに慣れてからでないと決行は無理と悟りその計画は来年に持ち越しにした。がっかりもしたが来年の目標ができて喜んでもいる。14-11-4

 

すっかり暗くなってからようやく帯広駅前に辿り着き『歩く旅』は無事完了した。バスターミナルで札幌行き高速バスを尋ねると「3分後です」と言う。余りにも慌ただしいので1時間後のバスにする。夕食は名物の豚丼でなく具材の多い中華丼を選ぶ。1時間遅らせた最終バスは芽室や清水経由でなくいきなり高速に向ってしまってがっかり。たとえ暗くても新得からの道のりを戻ってみたかった。14-11-3

 

峠超えを計画した段階でちょっとだけ不安だったのが万一歩けなくなったときのこと。なぜなら、その間の20H余りには公共の乗り物はまったくなく、もしそうなったらヒッチハイクをするしかない。しかし、いざ歩き始めたらそんな心配は一切出てこなかった。これも天気に恵まれていたから大丈夫だったわけで大雨や雪だったらどうなっていたかわからない。峠超えはこれで終りにしなくては。14-11-2

 

いずれは入れてもらおうとしている両親の眠るお墓のデザインは僕がしたもので、よくある◯◯家の墓とは違い横型の石には『和』(この文字は母が選んだ)と刻まれている。最期の一部が自分の作品に納まるわけだから幸せなことだ。そこで菓子を食べお茶を飲みしばし休憩する。そして、墓石に手を添え『いつか、よろしく』と語り掛けてその場をあとにした。ここに入るのは何年後なんだろう。14-11-1

 

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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