ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

火曜日に家の周りが排雪されて路面も見えそうなところまできれいになったのに今日の雪でまた深い世界に覆われてしまった。もちろんまた積もることは覚悟していたけれどこれほど早いとがっかりする。せめて1週間くらいはすっきりした気分でいさせてほしかった。例年よりずっと早い時期の排雪なので遠くない日にもう一度あの雪山に戻りそう。でも、わずかだが春に近づいた気にさせられる。14-1-31

 

寒い日と暖かい日が交互にやってくる。雪が解けてくれるのは嬉しいが翌日のリンク状態を考えると喜んでばかりもいられない。昨年はずっと冷凍庫の中だったけど今年は冷蔵庫にもなってくれる。だから積雪も少なく感じる。こんな気候のときは気も緩むので風邪をひかないように注意が必要。帰宅時に手洗いとうがいをしたほうがいいとさかんに言われていてもついつい忘れるので気を付けよう。14-1-30

 

奈良は高校の修学旅行と大学3年の研修旅行で訪れている。高校のときのは東大寺の大きさに驚いたことと鹿を思い出すくらいだが大学のときは歩いて寺巡りをしたのでその道中のゆったりした雰囲気が印象に残っている。京都と違って田舎(44年前)なので道端の柿に感動したりもした。そんなところをまたのんびり歩いてみたいと思う。これからは本屋で奈良の旅雑誌を見るのが楽しみになる。14-1-29

 

本州への旅の計画は二転三転した。最初、小樽からフェリーで新潟に渡っていつものように美術館を巡り、そして福島、いわきと回るつもりがいわき美術館が今年いっぱい休館なのでこのコースは断念。次に浮かんだのが奈良、これは美術館というよりのんびりが目的。フェリーで舞鶴まで行くつもりがそこで連絡する列車がない。なので、飛行機で大阪へ飛ぶことにする。この計画からして楽しい。14-1-28

 

両親の墓のある芽室まで歩こうと思ったわけは昨年の歩く旅にある。生まれた場所から育った場所への徒歩での移動を無事達成できて満足したが次の目標がほしくなった。そこで浮かんできたのが最後の旅立ちの行き先だったということ。そこまでの道のりも生きているうちに繋いでおけば自分のすべてがひとつの線になるような気がした。その道は青春時代の自転車旅行のルートとも重なっている。14-1-27

 

今年は歩く旅と本州への旅の両方をしたいと思っている。まずは歩く旅について。今までは個展などの関係から晩秋に決行していたが、今年はその予定がないので陽の長い6月を考えている。それもふたつあって、ひとつはフルマラソンのコースの完歩、もうひとつは両親の墓のある芽室に向って歩き出すこと。一気に行くのは無理なので何回かで刻むつもり。取りあえず2日間で滝川まで行きたい。14-1-26

 

昨日真冬日が途切れ今日も最高気温がプラス3℃になって屋根に積もっていた雪山の一部が滑り落ちてきた。その瞬間はかなり大きな音と振動なので驚かされる。それだけならまだいいのだが、窓を塞ぎ万一窓がラスが割れたら大変なのでその雪を取り除かねばならない。雪というより氷の塊になので角スコップで砕きながら進める。それも、残りの山が落ちてこないことを祈りながらの緊迫の作業。14-1-25

 

素描展の搬入、飾り付けを済ます。ホッとした反面描き終えた寂しさもある。これはとってもいい感情でまだまだ描き足りない気持の表れだと思う。この機会を与えられたおかげで描く楽しさを蘇らせてもらえた。昨年の美術館での個展後、これからは絵画の比重を大きくしていきたいと考えていたがそれを具体化していくスタートに立てた気がする。今はいつものように展覧会場での再会が楽しみ。14-1-24

 

2週間近くも真冬日が続き、昨年と同じように雪は解けずに積もる一方。でも、家の周辺はもう少し凌げそうな高さの雪山で収まっている。そこへ町内の排雪の知らせが届いた。昨年は最後だったので今年は一番最初になるようだ。その予定日が何と1月28日なので嬉しさよりも『もうやっちゃうの』という残念な気持が強かった。排雪後もまた高い雪山が復活することを考えるとちょっと複雑に。14-1-23

 

86分の3。これはお年玉付き年賀はがきの当選確率。去年とだいたい一緒だから平均的な当りの確率といったところか。もちろん、下2けたの3等のみ。1等、2等はどきどきする間もなく確認はあっさり終了。それでも、もしかしたらという淡い期待も込めて見ていくわけだから楽しませてもらったことには違いない。そうすると、私製はがきで出した年賀状が申し訳ないような気もしてしまう。14-1-22

 

名護市の良識の選択に心からの拍手を贈りたい。経済的に苦しければ苦しいほど誰しもお金は欲しいだろう。しかし、与えられるお金に慣れてしまうと自ら稼ぐ方法を忘れる。もっと恐ろしいのはその意欲さえ奪われ尊厳をも傷つけられる危険がある。そして、心の底に負い目も背負う。それなら自らの信念に基づいて徐々にでも懸命に切り開いていくほうが健全だ。次は東京の良識を期待している。14-1-21

 

昨日の続き。今、それができるのは女子ジャンプの高梨沙羅くらいだろう。とにかく高梨はすごいの一言に尽きる。まだ17歳だというのに国際大会での優勝がすでに17回にもなっているんだから驚異的な強さだ。もはや超人的というより鳥人そのもの。これからどれだけ優勝回数を重ねるのだろうか。その高梨が「観てくれる人達に楽しんでもらえるように頑張りたい」と言っているというのに。14-1-20

 

日本代表として選ばれた選手が海外に出発する前に抱負などを聞かれて「楽しんできたい」と応えるケースが結構多い。使命感でコチコチになれとは言わないが何かひっかかるものがある。、確かに本人は嬉しいし楽しいだろうが自費で行く海外旅行とは違うのだから「精一杯頑張ってきます」くらいは言ってほしい。楽しんでメダルを取っちゃうならすごいがそんな人はごくごく限られているはず。14-1-19

 

6点目の素描を仕上げ7点目入る。何をどのように描こうか思案しその構想を固めるまでに半日を要する。そして、いざ描き始めると30分もしないうちに完成した。それも満足のいくものが。描きたいという欲求と確かなイメージがあれば迷いはないから一気に描ける。今までは鉛筆、ダーマートやチャコールペンシルなどを使っていたが今回は万年筆にした。勢いを大事にするにはこの方がいい。14-1-18

 

2時から4時半まで黙々と雪捨てに励む。何度か書いているように70〜80m先には流雪溝があるのでそこまで運ぶと雪を完全になくすことができる。ママさんダンプ(今は違う呼び名かも)に雪を山盛りにして何度も往復するわけだけど5回目くらいからは体も慣れてきて大して苦でなくなる。終ったときの歩数は12,256歩になっていたから散歩としても充分なうえに雪山も消えて一石二鳥。14-1-17

 

音のない空間に包まれ心が和む。昨日の大音量の騒々しい映画館とは対照的な静寂のひとときを三岸好太郎美術館で堪能する。テーマが=素描するよろこび=だったので自然と足が向いた。昨年暮れから久し振りの素描に取り組んでいるので更なる刺激を求めて好太郎の世界に触れてみた。本制作とは異なる様々な試みがあり息遣いも伝わってくるペンや筆の走りが心地よい。熱い思いを受け止める。14-1-16

 

随分久し振りに大きめの映画館に入ったがその大音量に閉口。10年程前にも同じ嫌な思いをしていた。多少劣るはずの僕の聴力でこれだからまともな人にはもっと大きく聞こえているはず。こんなうるさい音が心地よく感じるとは信じられない。これでまたしばらく行かない気がする。もうひとつの理由は予告編のほとんどが暴力だらけ。気分が悪いので目をつぶる。これが好まれるのも信じ難い。14-1-15

 

5年後くらいまでの自分なら何となく想像できるが10年後となるとかなりぼんやりしてくる。年齢とともにその幅が狭まっていくのは自然な流れで命に限りがあるのだからしかたがない。10代であれば50年後を想像することも可能だがそれが70代には3年になり80代には1年になっていくのだろう。そして、最後にはその日を精一杯生きる段階に入っていく。まだ複数年で考えられる幸せ。14-1-14

 

ちょっと迷った末に12年後の干支の午の置物を買う。自分のためではなく教室や講座のモチーフとしてのもの。なぜ迷ったかというと12年後には77歳にもなっているわけだから・・・。にわかには信じられない気もするがまちがいなくそうなっている。ただし、そこまでいくと生きていればの話になってしまう。もちろん元気でいるのも条件。それを目標にできるから買ってよかったとしよう。14-1-13

 

カフェで隣の席の向側にいた車椅子の年配の女性の食欲に驚かされる。パスタを食べ始めると手を休めることなく食べ続け一気に最後までいってしまったのだ。それでもまだ食べ足りないような雰囲気。その直後にケーキを食べココアもおいしそうに飲み干す。これも休みなく一気にいく。何だか心配になる勢い。席を立つとき付き添いの人が語るには86歳だというからすごい。幸せな人に見えた。14-1-12

 

いよいよ本格的な寒さが到来した。昨日は最高気温が−6℃で最低が10℃。まだこの寒さに慣れていないので頬が痛くなりそうだった。慣れというのはすごいもので極寒の地では−10℃なんかは暖かいうちに入るようだ。記憶は定かでないけれど−30℃はおろか−20℃も体験してないような気がする。そんな想像を絶する寒さのときでも顔は出したままだったりするから頬も慣れるのだろう。14-1-11

 

すっかり恒例になった半年に一度の運試し。絵画教室に使う部屋を借りるにはその前に申込みをする順番を決める番号札を箱の中から引かねばならない。いつものように最初に触れたカードを引くと39番だった。83人中の39番だからまぁまぁの運。何だか記憶にある番号の気がして調べてみるとちょうど1年前もやはり39番だった。こんな偶然が重なるなんて、もしかしたら運がいいのかも。14-1-10

 

迷ってしまう今頃届く年賀状。こっちから先に出してようやく届いた年賀状ならいいんだけど、そうではなくて新たに届いたものだから。お正月はすでに遠のいていてこれから年賀状を出す気にもなれないし・・・。それに追加、追加で刷った木版画の年賀状ももう切れているし・・・。また刷ることはそんなに苦でなくても気持の問題。でも、せっかく出してくれたんだからとの思いもあるし・・・。14-1-9

 

パソコンにこの『ひとこと』を書き込み何度か読み直してからネットに送っていても、そこでまちがいを見つける場合が結構ある。同じように作品を額装してから気付く誤りもある。不思議だけど客観的な視点の有無から来ているのだと思う。これは自分の手の内にある間は思い込みもあって冷静に見られないためで手を離れると見えてきたりする。他人のことは見えても自分は見えないというわけだ。14-1-8

 

道新の本文の文字を更に大きくするという。これからの高齢化社会を見据えて早めに手を打っておきたいのだろう。少子化のうえに若者の文字離れも進んでいるから新聞が生き残るには年寄りを大事にするよりない。それにしても85年以前の文字の大きさには驚く。これを当たり前として読んでいたのが信じられないほど小さい。当時の年寄りはかなり苦労したはず。今の自分にとっては有難い変更。14-1-7

 

曜日で生きる日常の始まりは卓球から。1時から4時半まで休みなしで動きたっぷり汗をかき大満足する。これは一番楽しみにしていた日常の時間。これがスタートになるのも嬉しい。そして、明日からは火水木の外での仕事も始まる。これでまたしばらくは月火水木土のリズムの生活が続く。ちなみに土は夕方からの卓球。曜日に関係なく過ごした年末とお正月は幸い素描のおかげで長く感じられた。14-1-6

 

万一を考えて前歯で噛む雑煮の餅。雑煮はお正月にしか食べないものだから楽しみにしていたけれど、心配なのは奥歯の冠が取れること。かなり前に取れてしまって後悔したのを覚えている。多分大丈夫だとは思ってもこんなときにはずれるのはイヤだからどうしても慎重になる。思う存分噛みしめられなくてもお正月気分をおいしく味わった。そんなのどかなお正月も過ぎ明日からは日常に戻りそう。14-1-5

 

昨日の続き。スケッチブックに大きくMADRIDと書き国道沿いでそれを掲げた。すると、長期戦を覚悟していたのに幸運にも30分もしないうちに乗用車が止まって了解してくれたのだ。感謝の気持を伝えたあとも車中では安心してもらうためできる限り話し掛ける努力をした。スペイン語はできないので精一杯の英語で。そして、お礼に描いた運転中の横顔のスケッチを喜んでもらえて嬉しさも倍に。14-1-4

 

テレビでヨーロッパヒッチハイクの旅を見ていて、もう40年近くも昔のトレドからマドリードへのヒッチハイクを思い出した。我が人生たった一度のヒッチハイクがこれ。夕方、トレド駅に行くとマドリード行きの列車はすでになかった。バスもないという。マドリードには宿を取ってあるので何としても帰りたかった。そこで、マドリードへ向う国道を教えてもらって初のヒッチハイクに挑戦した。14-1-3

 

外の仕事があるときは曜日で日を追い確認しているがそれがなくなると日付けで追うようになる。今がその状態。卓球も休みに入っているのでなおさらそうなる。定期的に外に出る機会を持たない人はきっとこうなっているのだろう。しつこく曜日を確かめなくてもいいから気楽にはなるが減り張りに欠けるような気もする。そんな生活もあと3日で終って月曜の卓球からは曜日の生活に戻ってしまう。14-1-2

 

また新しい年が始まる。雪は散らついたけれど軽い雪かきで済み、穏やかな元旦にホッとする。おかげで落ち着いた気分で雑煮を食べ、のんびり年賀状を眺めて正月気分を味わう。去年の元旦は半日雪かきに追われていたからまるで夢のよう。それでも、やっぱり年賀状の行き違いはあって出してなかった人への宛名書きをして郵便局まで持って行く。柔らかな新雪を長靴でかき分けて歩くのが楽しい。14-1-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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