ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

整理の話の続き。やることはいろいろあって今度は写真の整理を始めた。それをした後に、2、3年前にやったものと一緒にするために探したのだが見つからなくてこまった。アルバムから剥がしてビニール袋か箱に入れたはずなにそれが見つからない。あると思われる所は何度も探したのにそれでもないのだ。昨日は諦め今日改めて探すと何と小さな簡易アルバムに入っていた。整理のあとの怖さ。19-6-30

 

持ち物の整理の流れのなかで100号の木枠からのキャンバス剥がしをした。ガンタッカーの針をドライバーで抜いているとき、ふとこれを張ったときの高揚感を考えて、それとは逆の作業をしている寂しさを感じてしまった。作品は残したいものでなく剥がした後には折畳んで処分することにしているし、新たに張るわけではないのでなおさらだ。せめて木枠は誰かがもらってくれるといいのだが。19-6-29

 

街中で見つけたほんのりする光景。70代後半か80代と思われる男性が乗る自転車のカゴに自動車のシルバーマークが付いていたのだ。多分、以前乗っていた車のものを使っているのだろう。自転車も車両のうちなので事故などを意識するためにも役立ちそう。車は諦めても自転車にはまだ乗っていたいという意気込みも伝わってきた。とにかく、自分にも他人にも優しく気を付けて乗ってほしい。19-6-28

 

2ヶ月に一度の床屋。行く前にいつもより髮が伸びているような気がしていたら、床屋で「いつもより伸びてるみたいですね」と言われた。やっぱりと思ったがその後すぐに極めて冷静な判断が続いた。「この前のとき、長めにカットしたのかもね」と。それなら伸びている気がしたのにも納得がいく。2ヶ月どころか半月も経てば長かったか短かかったかなんて覚えていない。今回は短かめのよう。19-6-27

 

自分の作品を記録するのと人に観てもらうためにタブレットを買おうと思っている。店頭で見て店員に説明してもらい、パソコンでも選び方などを読んで機種もかなり絞られてきているけれど、決定までにはもう少し掛かりそうだ。写 真を保存する記憶容量やきれいに見せる解像度、そしてSDカード取り付け可能かどうかと価格が選択のポイントなのだがこれだという決め手に欠きまだ迷っている。19-6-26

 

個展後の自由な時間を利用して持ち物の整理をやり始めた。大分前からやっているけどまだまだやるべきところは残されている。いさぎよく一気にできないタイプなので徐々に減らしていくしかない。それでも新たなものをほとんど手に入れないせいで家から物は確実に減っていく。そうなると当然部屋は広くなったように感じられて気分もすっきりする。多分、この作業はずっと続くにちがいない。19-6-25

 

「ゆっくり歩いても1時間くらい掛かる広さ」これはテレビのアナウンサーが現地で庭の広さを伝えるときに言ったもの。いったいどう受け止めたらいいのだろう。「急いで歩いても1時間くらい掛かる」ならその広さは伝わってくる。しかし、「ゆっくり歩いても」なら狭さや近さを表わすはず。それなのにその後、番組の周りの人からも本人からも訂正の発言はなかった。どうにも納得できない。19-6-24

 

昨日は夏至。とうとうこの日が来てしまったという気持ち。昨日までは陽が長くなる楽しみがあったのに今日からは日毎に短くなる日々が始まる。それでも、短かくなった実感がすぐにあるわけではなく1ヶ月ほど経った頃にようやくやってくるもの。そして、本当の寂しさは秋分の日から始まるのだからあと3ヶ月は夕方を楽しまなくては。夏の暑さを考えたら日の入りが早くなるのもいいのかも。19-6-23

 

卓球を一緒にやっている仲間が札幌市の有形文化財に指定されている新琴似屯田兵中隊本部で解説のボランティアをしているというので顔を出してみた。そこは体育館への道の途中にあり10分ほどで行ける。今まで知らずにいた屯田兵の成り立ちとかどこからどんなルートで新琴似に到達し、どのような任務と開拓と生活をしていたかの一端がわかり、興味も増してもう少し詳しく知りたくなった。19-6-22

 

初めて訪れたギャラリーの近くに中央図書館があったので久し振りに行ってみてなるほどと思ったことがある。雑誌コーナーの入口近くの目立つ棚に置かれていたのは文芸春秋と新潮と潮だった。それはいいのだが問題なのは他の種類の雑誌が見当たらないのだ。札幌でもっとも大きい図書館なのにである。これではひとつの方向に向かわせようとしているとしか思えない。選択の余地がなさ過ぎる。19-6-21

 

友と飲む。友は教室展がこちらは個展を無事終えたので久し振りに飲もうと意気投合した。昨年の暮れ以来なので、これも非日常の貴重なひとときになり解放感を充分に堪能できた。家ではアルコールをまったく口にしないので飲むこと自体が非日常とも言える。今年になって飲んだのは5月の中学の同級生達との2回だろうか。それでも、悪酔いせずにそれなりに飲めるし楽しくなれるのが嬉しい。19-6-20

 

これまでの年なら個展のあとに『歩く旅』が待っていてわくわくできたのに、今年はそれがなくて物足りない気分になっている。今年からはスケッチの旅をしようと考えていたにもかかわらず具体的な計画は立てていなかった。それだけ制作に専念していたとも言えるけど、早いうちに計画を立てて高揚感を持ちたい。個展からの本当の解放感を味わうためにはやっぱり非日常の行動が必要なようだ。19-6-19

 

運動が苦手な人には信じ難いだろうけど、昨日は疲れた体を癒すために卓球をした。思うように動けないせいで固まってしまった体をほぐすには思いっきり動かすのが一番いい。そうすると体だけでなく精神的な疲れも吹っ飛んでくれる。もちろん運動による疲れはあったとしても、それは心地よい疲れで熟睡にも役立つ。おかげで昨晩の10時から今朝の6時まで続けて寝られて心身ともスッキリ。19-6-18

 

個展で疲れたことばかり書いてしまったけれど、もちろん収穫はたくさんあった。多くの人達に作品を観てもらえたし久し振りに友人知人に会ういい機会にもなってくれた。作品に触れて感激してもらえたり癒されたと言われたのも嬉しい。そして、自分の作品をゆっくり鑑賞することで新たな創作意欲が湧いてくるのがなによりの褒美になる。幸い来年の個展に向けてのいくつかの構想も生まれた。19-6-17

 

まるまる1週間の個展が終了。今までより長く感じたのは体力の衰えもあるのだろうか。自由に動けない狭い空間に居続けるのはやっぱり疲れる。動いていた方ずっと楽チンだ。だから誰もいないときは奥の方で小回りをして疲れを癒していた。朝の10時から夕方の6時までトイレに2、3回行く以外はずっと狭いギャラリー内にいるわけで閉じ込められた感覚が疲れを増大させるのかもしれない。19-6-16

 

土曜日曜の来場者数はどうしても平日より少なくなってしまう。今日もその例外ではなく、昨日の半分くらいの数だろうか。ギャラリーを目指して来る人の数は僅かに少なくなる程度にしても、フリーで来る人は圧倒的に少なくなる。やはり土日は動き回る日ではないようだ。おかげで今までで一番寂しい日になり疲れもたまってしまった。そして明日は日曜日なので予想がはずれるよう願っている。19-6-15

 

今はもうなくなった西武コミュニティカレッジの30年前の生徒がギャラリーに来てくれた。新聞の展覧会案内で名前を見つけ懐かしくなって来たという。名前は忘れていても顔立ちは覚えていてすぐに打ち解けられた。その当時自分は40歳前後でその人は20代後半だったので、思わずまだ若かった頃の様子が甦ってきた。とにかく、懐かしく思ってギャラリーまで足を運んでくれたのが嬉しい。19-6-14

 

個展は4日目を終え半分を超えた。このギャラリーは月曜日の午後から始まり日曜日の夕方まであるのでまるまる1週間の会期になっている。一般 的な6日間より1日多いので今日は真ん中の日になり、明日から後半の3日間に入っていく。動けない疲れはたまっているけれど明日を乗り越えればその後は終る寂しさが勝ってくるので疲れも飛んでしまう。そんなわけであともう少しの頑張りで済む。19-6-13

 

山の作品を目にしたとき「何だか明るくなった気がする」と第一印象を語る人が多くいる。実際、昨年のダークグリーン系の色合いに比べるとブルーやパープル系の明るい作品が増えた。これには心境の変化が大きく関わっていて、昨年秋に北海道の岬を目指す『歩く旅』を成就したため山に対する思いがその先に向かうために超えるものからその麓でのんびりしてもいいものに変わったせいなのだ。19-6-12

 

個展のときはいつも同じだけど、知り合いが来ているときや鑑賞者がいるときは元気でいられても誰もいないときには急に疲れが出てしまう。その魔の時間はだいたい4時から5時にやってくる。昼から夕方へと移る時間で、どちらにも属さない中途半端な時間帯なのかもしれない。数多くの体験からしても、その間は極端に出入りが減る傾向にある。どの人も同じような感覚で行動するからだろう。19-6-11

 

久し振りの赤帽による作品搬入。頼んでいた8時ちょうどに来てくれたのはいいのだか、いつも走っていたルートとはまったく違った道を選んだため多めの時間を食ってしまった。赤帽さんは「このルートは最短のはず」とナビに頼り切っていてこっちの指摘を聞き入れようとしなかった。コの字型に走るのと斜めと直線では後の方が短いのは明らか。ナビは助けになるだろうが信じ過ぎるのも問題。19-6-10

 

昼には作品が完成し他の準備に専念できた。制作に比べると迷いのない機械的な作業なのでどんどん進み夕方前に余裕で終えられた。ようやくゆっくりできる時間を持ててほっとしている。大変ではあったけれど最後の闘いはかなり集中できたのでそれなりの満足感がある。もっともっと若い頃は徹夜で搬入を迎えたときも何度かあった。もうそんな無茶はできないけれどちょっと懐かしさ感じた日々。19-6-9

 

芸術とは『個人のこだわりの追求』とも言える。時間に関係なく自分の納得のできるところまで作品に打ち込むことができる。もちろん時間的制約はあったとしても、いわゆる一般 の仕事とは訳が違い自分の意思でそれをコントロールすることも可能だ。大学を出てすぐの3年間ほどデザインの仕事をしていたときは常に時間との勝負で、与えられた時間内にいかに仕上げるかがもっとも大事だった。19-6-8

 

いよいよ個展が近づいてきた。作品制作はとっくに終っているはずだったのに最後の作品が思うように仕上らずここまできてしまった。個展に関する他の準備作業もしなければならないのでそろそろ出来上がりにしたい。とは言っても納得できるところまでやりたいので準備と一緒に進めるつもり。不思議なものですんなり完成する作品があれば悪戦苦闘するものもある。これはこれで大切な闘う時間。19-6-7

 

『ライトプロテクト』の『ライト』を勘違い。デジカメで撮ろうとしたら『ライトプロテクト』と表示されていて、初めてだったのでちょっと焦ってしまった。いくつかの操作をしても解消してくれず、説明書を開いたがそんな個所は見つからない。さらに丁寧に調べてようやくわかったのが、『ライト』の意味が光つまりフラッシュではなく書くの方だったのだ。その原因はメモリーカードのロック。19-6-6

 

最近の地下鉄の車内広告の減り具合が気になった。地下鉄に乗っているときは、目を閉じているか向かいの広告に目をやることが多い。内容に興味があるというより漢字を探したり平仮名を漢字に変換したりしている。そんなわけで広告のあるなしはよくわかるのだ。今日もすっぽり空いていた。広告の多い少ないはそのときの景気のバロメーターにもなっていて、良くない状況を知らされた気がした。19-6-5

 

JR北海道の考え方がまちがっている。青函トンネルを走る新幹線の速度を上げるためにJR貨物の運行を廃止する考えを持っているらしい。そこで得られるたった10分のために北海道の農産物を本州方面 に運ぶ大事な手段を奪うとは本当にあきれてしまう。北海道の基幹産業である農業へも多大な影響を与えるのがどうしてわからないのか。地方も切り本州から人を運べばよしとする考えがおかしい。19-6-4

 

タイミングが悪くて残念。今日の卓球のとき卓球の日本オープンが札幌で開催されることを知り、大いに興味を持った。日本を代表する張本や伊藤のみならず中国選手も参加する大会だし、札幌での開催はめったにないというのでなおさら観戦してみたいと思った。そして、チケットも千円からあると聞いてこれはもう行くしかないと決めて日程を確認したら、何と個展と完全に重なっているとは・・。19-6-3

 

毎週金曜日の夕刊に載っているクロスワードパズルが楽しみ。夕刊は大して読み応えのないときもあり止めてもいいのかなと思ったこともあるけれど、これがその思いを打ち消した。脳の活性化にも役立つし、なにより楽しい。一番苦手なのが今流行の歌手や俳優など。よほど有名ならわかるけどその数は極めて少なく、他から攻めて行くケースが多い。それでもわからないときは穴ができて口惜しい。19-6-2

 

いよいよ6月に入った。でも気候的には随分前から6月だったような気もする。34℃までいったときにはいきなり7月に飛んだような錯覚さえしそうだった。その後も平年を上回る気温は続いていて季節感は完全におかしくなっている。今年の冬からすでにその兆候は出ていたわけで、これもそうした流れのひとつと考えれば自然なことかもしれない。異常が異常でなくなり正常になってしまうのか。19-6-1

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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