ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

 

右手中指の爪の真ん中にあった多分血の塊と思われる3ミリほどの斑点がようやく爪先に届いた。ここまでくるのに2ヶ月以上要した気がする。足の爪では似た体験を何度かしているので次第に上ってくるのはわかっていた。それにしても考えてたより時間が掛かってしまった。今は爪先に留まっているけれど徐々に押し上げられて顔を出してくる。この調子だとなくなくまでに1週間は掛かりそう。19-11-30

 

2018年生まれの赤ちゃんの名前ランキングによると男の子は1位から蓮、湊、大翔(ひろと)、大和、陽翔(はると)で、女の子は結月(ゆづき)、結愛(ゆあ)、結菜(ゆいな)、杏(あん)、さくら、凛だという。この中ではさくらが異質。名前にはその時代の流行りがはっきり現れているので名前だけでも何となくいつ頃生まれなのかがわかったりする。修もそうで似た世代には結構多い。18-11-29

 

初雪の後、一気に積もった雪が中途半端に解けてツルツル路面になり、いきなり真冬の状態に変身していた。歩くのも車の運転もまだ慣れていないからこわごわだったのに、今度は10月並の暖かさがやってきてその凍った道もみるみる解かしていった。そして、積雪0に。この陽気と解け具合はまるで春がやってきたような気分にさせられた。これからの予報を見るとそれを繰り返していくようだ。18-11-28

 

普段あまり使ったことのない入口から階段を降りて地下通路に出て迷わず右に向かって歩き始めた。いつものように黙々と歩いてその端の方まで来て、ようやく風景の違いに気付いた。でも、そのときも『あれ?』という感じですぐには飲み込めなかった。実は、札幌駅方向に歩いているつもりが逆方向に歩いていたのだ。度々降りている側とは反対だったので左右が逆になっていた。気を付けねば。18-11-27

 

地下鉄の座席で思うこと。杖をついてようやく歩いているのに空いている優先席に向かわない人、座る場所の印を無視する人、横の席に荷物を置いて平気な人などなどの高齢者もよく見かける。そんな高齢者を目にする度にもう少し気を遣ったらいいのになとついつい感じてしまう。そんなせいもあって席を譲る意識はどんどん低下していく。せめてひとり分のところに収まる努力はしてほしいもの。18-11-26

 

昨晩はしばらく振りの卓球でいい汗をかく。小学校の発表会などで体育館が使えなかったため1ヶ月以上休みが続いていた。そのおかげで制作に専念できたと考えればよかったのかもしれない。できるのに行けないとなると残念な気持も生まれるけど、できないとなればあっさり諦められる。でも、体を思いっきり動かしていなかったせいで、体が固まったような気分になっていた。これで少し復活。18-11-25

 

バスに乗ろうと家を出て、バス停に着くなり時刻表を確認すると5分後になっていた。5分後なら大した待ち時間でないのでちょうどよかったと思っていたら、2、3分後にはバスがやって来た。時刻より早いはずなのに乗車するとすぐに発車した。これでいいのかと疑問に思っていたら、間もなく気付いた。『そうだ、これは早いのでなく遅れて来たバスなんだ』と。思い込むと勘違いしてしまう。18-11-24

 

白い雪に囲まれてのタイヤ交換。晴れてはいても気温は0度前後でわずかに解けただけでいきなり真冬の光景になってしまった。それにしても変化が極端過ぎる。軍手をはいていても冷たさが伝わってくるような寒さのなかで作業を進めた。それでも、いつものように30分余りで終了。これで冬道への準備は整い、それと同時に冬への心の準備も本格始動した。タイヤ交換と同じく靴も冬仕様に。18-11-23

 

夕方から降り始めた雪は止まずに降り続き夜には4、5センチの積雪になってしまった。まだ降り続いているので明朝にはもっと深い雪になっているかもしれない。もう少しの間は降っては解けてを繰り返すだろうと思っていたのに一気に積もってしまった。これでもう待ったなしでタイヤ交換をしなくては。ついに冬を覚悟するときがやってきた。そして、根雪になると諦めに入り気持も落ち着く。18-11-22

 

昨日の深夜の札幌の初雪は128年振りに観測史上最も遅い記録に並んだという。何日か前からこの話題は新聞、テレビなどに出ていて気になっていた。どうせならここで新記録を達成してほしいと願っていたのに中途半端なタイ記録で終ってしまうとは。だからどうしたと問われれば返す言葉はないけれど、あと1日待ってくれればわかりやすい1番になって記録の体験者として語れたはずなのに。18-11-21

 

リセットに助けられたことは他にもある。ネットと電話を光に替える工事後、古いパソコンから入力を試みてもうまく送れなかった。しかし、再起動してからやってみるとすんなり送れた。つまり、再起動するまではそれ以前の状態だったわけだ。そして、もうひとつ復活してくれたのが電話。それまで不調だったので一旦電源を切り、入れ直してみると正常に戻ったのだ。これもリセットのおかげ。18-11-20

 

続く。残された時間が2週間余りとなったせいもあってか、さらに集中力を増して制作に打ち込めたのもプラスに働いてくれた。在宅時のほとんどは絵筆を握っていて、夜の寝る時間が迫ったときには続けたい気持があっても次の日に疲れを残さないよう中断するほどだった。おかげで血圧は高めになってしまったが集中力の切れない制作の日々が続いた。とにかく、それが嬉しい。今日、無事展示。18-11-19

 

11月の初めから30号のアクリル作品を制作していた。実は『歩く旅』に出る前から描いていたがどうにもマチエールが気に入らなくなり、新たにキャンバスを張り描き直していた。意図する表現とは違う表れ方になって苦労して時間を費やすなら新たなものに向かった方がいいと考えたのだ。これまでの努力が無駄 になる気もしたが正解だった。先行きが不確かならリセットも大事な選択になる。18-11-18

 

笑ってしまった勘違い。ある建物の4階で仕事をしている人との会話。「今、この階でも工事をしているので騒音が出るかもしれないけどよろしくお願いします」「何の工事ですか」「キオスクが入るらしいんです」「え、キオスク、こんなビルの中でやっていけるんだろうか、キオスクでしょ」「あ、キオスクといってもその会社です」「そっか、そういうことね、そうだよね」といった思い込み。18-11-17

 

敬老パスと歩く距離の関係。70歳になる1ヶ月前に札幌市の地下鉄やバスの料金が大幅に割引きになる優待乗車券が送られてきてすぐに使い始めた。このパスの目的は少しでも出掛ける機会を多くしてもらい体を動かすことで健康にも役立ててほしいというはずだけど、歩く距離は減ってしまった。料金がほぼ4分の1になるのと4万円分も入れたパスなのでバスに乗る回数が増えてしまったのだ。18-11-16

 

2台のパソコンを使い分けるとき、ネットとキーボードのケーブルをその度に付け替えている。1日2回か、たとえ直しがあったとしても4回で済むので、毎日のことだけど大して苦にならない。工事のときに作業をする人から「ケーブルはそんなに高くないですよ」と言われ「毎日スクワットをしていると思えば楽なもんですよ」と応えたら「随分プラス思考ですね」と驚かれた。ものは考えよう。18-11-15

 

その次の日に待っていたのは、今年の5月に申込みをしていたネット回線の変更工事日だった。ADSLからフレッツ光への移行なのだが、こちらの希望ではなくADSLが使用不可になるためやむを得ずやることになった。しかし、切り替え後の古いパソコンからのネットへの書き込みが大丈夫なのかが心配で工事日をできる限り遅くしていた。幸い工事後無事に送ることができて二日続けて杞憂で済んだ。18-11-14

 

話は11月の初めに戻る。夜の卓球に出掛けようと車のエンジンを掛けるとマフラーから黄色い煙がモクモクと上がっているのがバックミラーに見えてびっくり。明らかに異常なので卓球を断念した。さらなる重大なトラブルが心配だったのだ。翌日、無事自動車工場まで走れて見てもらうとエンジンオイルの交換だけで大丈夫だと言われ、もっと深刻で多額な宣告を恐れていたので心底ホッとした。18-11-13

 

『歩く旅』の書き込みもそろそろ終りにしたい。これまでも触れてきたが12年の苫小牧から始まり、次に生まれ育った平取、浦河、そして最後に行くつもりのお墓のある芽室を目指した。浦河と芽室がつながり嬉しくて歩いた道のりを地図に記すと何となく物足りなく見えてきて、そこでこれからは北海道の岬に向かって歩きたいという願望が生まれた。その願いは7年の歳月を掛けてついに完結。18-11-12

 

浦河に着いたときには昼時だったので、子供の頃親に連れられ何度か行ったラーメン屋に向かった。しかし、残念ながらもうのれんは掛かっていなかった。6年前に浦河まで歩いてきたときにはラーメンを食べたのに・・・。それまで残っていたことの方がすごいのかもしれないが昔の思い出の場所がなくなるのはやっぱり寂しい。街並には今も営業している懐かしい店などもあって故郷を実感する。18-11-11

 

襟裳岬からはバスに乗り、様似で乗り換え出発した浦河に戻った。2泊3日で到達した岬への道のりはわずか1時間18分の乗車で終った。あまりのあっけなさに物足りなさを感じながらもバスの有り難さを噛み締める。でも、襟裳岬で乗ったときは自分ひとりで様似までの53分の間にふたりが乗り降りしただけだった。たまたま日曜日のせいもあるだろうけど、地方のバスの姿を見た思いがした。18-11-10

 

「エリモまで行くのかい」。暴風雨の中を歩いていた日に左車線のトラックの運転手から大声で呼び掛けられた。それも本当なら停車するのは危険なはずのトンネル内で。あまりの悪天候に同情してくれたに違いない。その優しさに感謝しながらも「歩きたいんです。ありがとうございます」と手を横に振りながら大声で叫んだ。何せトンネルの中なのだ。7年間で声を掛けられたのは初めてのこと。18-11-9

 

今回の『歩く旅』は距離が短かったため初めて足の治療用具を一切使わなかった。これまで恒例のように宿に着いたあとにやっていた足裏の水ぶくれを針で刺して水を抜きガーゼを当てる治療はやらずに済んだ。1日20キロ程度の3日間の歩きなら問題ないわけだ。とにかく、これからは1日に40キロ以上もましてやそれを何日も続けるなんてことはしないつもりなので針の出番もなくなりそう。18-11-8

 

実は、襟裳岬を旅の最後にしたのは当初からの計画でもあった。ひとつは遠い岬をつまり行程的に時間の掛かる所を先に終らせておきたいという考えと、さらに大きな理由は『歩く旅』の始まりは苫小牧までだったが次に目指したのが自分の生まれ育った日高だったのでこの地で完結したいとの願いも持っていた。予期せぬ 暴風雨には遭遇したがもっとも思い入れのある日高で終了したのは感慨深い。18-11-7

 

襟裳岬には3度行っている。高校3年のときにペンフレンドが函館から遊びに来てくれて一緒に行ったのが最初で、次は大学3年の自転車旅行のとき、そして今回。襟裳岬は海に向かって次第に小さな岩になっていていわゆる岬感がたっぷりだし、まさしく日高側と十勝側の先端となっているのが目で確認できるのもいい。雄大さではやっぱりここが一番だ。締めくくりの岬をここにしたのは大正解。18-11-6

 

襟裳岬に向かう朝、昨日の天気が嘘のように晴れていて風もなくホッとする。昨日、宿に着いてから明日の襟裳岬からのバスの運行が気になって様似バスに電話をすると「大雨で運休することはまずないですが、風速が25メートルを超えたら運休します」との応えだった。さすがに風の強いエリモならではの会社の規則で決まっているという。念のため運行を電話で確認してから安心して出発した。18-11-5

 

暴風雨のなかようやく辿り着いたエリモ町の宿の夕食の豪華さにびっくり。もしも、23キロ歩いていなければ食べ切れないような品数だった。それらは豚カツの玉 子とじ、焼き魚、ハンバーグに人参、芋付き、おでん、鮭と烏賊の刺身、ソーセージのマヨネーズ和え、ひじきと蒲鉾の煮物、ホウレン草のおひたし、刻み昆布煮、漬け物、そして澄まし汁と御飯というもの。すべて美味しく見事完食。18-11-4

 

トンネルとバスの停留所がオアシスに。二日目の様似からエリモ町への道では休むことなく暴風雨が続いた。その凄さを表現するのが難しいほど強烈だった。それも運悪くずっと向かい風だったので前屈みになり足を踏ん張らねば進めない状態だったのだ。立ち止まるわけにはいかないので一歩一歩力を込めて歩いた。そんなときトンネルとバスの停留所に出会うと遭難から救われたような気がした。18-11-3

 

様似町の宿も福島町のものと同じようにかなり古い造りで畳は茶色く襖にはこれも茶色の大きなシミがたくさん出来ていた。これには免疫ができていたから大して驚きもしなかった。もうひとつ似ていたのは愛想のないこと。必要以上に入り込まれるのもこまるがほとんど関心を示さないのには寂しいものもある。何とか旅館経営を続けたいというよりたまたま成り行きでやっているといった感じだ。18-11-2

 

これまでの『歩く旅』とは違って距離が短いのでゆっくりスケッチができた。初日の浦河から様似の宿までは12キロで2時間半あれば着けるので12時出発で4時着としても1時間半の余裕がある。黙々と歩くのもそれなりに好きだけどスケッチをしながらのんびり歩くのも楽しい。おかげで砂浜に打ち寄せる波、アポイ岳と親子岩、横からの親子岩、逆光の親子岩などを描くことができて大満足。18-11-1

 

 

 

 



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NAKAHASHI OSAMU

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