ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

二日間びっしり仕事をしたのに済んだのは全体の3分の1といったところだろうか。自分の趣味のひとつと言ってた庭仕事に疑問を感じてしまった。嫌になったわけではない。ただこれではエンドレスになってしまう。すべてが完了することはけっしてないわけで庭をゆっくり眺めてのんびり過ごせる時間も永遠に訪れない。次に行くときには残りの3分の2と新たに成長した3分の1が待っている。03-6-30

 

『88・77-77』見事なぞろめだ。マニアにはたまらないナンバーだろう。これは運送トラック。次は『305・22-22』の乗用車、そしてこれが何と『野田』。重なるときってあるんだ。最後に現れたのはやっぱり大型乗用の『330・55-11』。4時間弱のドライブ中に自分の前を走る車は当然入れ代わるがこの3台に遭遇した。すごい確率のような気がする。何分の3なんだろう。03-6-29

 

アイデアに基づいて作品の模型(マケット)作りをしてるとその最中にさらに新たなアイデアが湧いてきてミニ作品?はどんどん増えていく。この段階が一番楽しいかもしれない。新たな素材が欲しかったり足りなくなっては店に走る。考えて用意したはずの素材でも必ずと言っていいほどたくさん余るものと足りなくなるものが出てくる。素材の調達に走る回数と制作のノリ具合はほぼ比例する。03-6-28

 

長期予報では暑い夏になると言ってるけどここ数日は涼しいというより寒い日が続いてる。そのせいもあってかどうしても夏至が済んだとは思えない。「未だ夏に至らず」だからそんなはずはないといったところか。暑くなったらなったで文句も出るけどやっぱりスイカ、冷や麦、冷やし中華、アイスが食べたくなって日陰を探すようになって扇風機を押し入れから出してこそ夏。さてどうなるやら。03-6-27

 

間違って覚えたまま長い年月経ってしまうものに漢字がある。これは『勘違い』というより『思い込み』の部類に入る。だから何度も何度もその字を読む機会があってもじっくり見直すこともなく間違いに気づかない。最近それを知ってびっくりしたのは『黄』。真ん中の部分をずーっと『田』で書いてきた。きっとこの他にも間違った『思い込み』は数多くあるんだろうな。恥の上塗りは続く。03-6-26

 

『勘違い』というのは結構あるものでときに自分に恥をかき他人がからむと謝らねばならないときもある。これはまだ軽い方で「イヤイヤイヤ」か「ごめん」で済む。『思い込み』となるともっと心の奥深くに刻まれたものだからまちがいに気づいたときのショックは大きい。告白するのも謝るのもそれなりの勇気がいる。そして『決めつけ』に至っては疑うこともなくなってしまうからもっと大変。03-6-25

 

これから暑い夏を迎えようとしてるのに最近遠い南の島に思いを寄せている。しばらくの間、初めての町や風景や自然に出会う感動から遠ざかっていたので無性にどこかに旅をしたくなった。しかし、国内に限ってみても行きたい場所がいくつかあるので迷ってしまう。どこも甲乙つけがたい。そこで思い浮かんだのがとりあえず南の端に行ってみようということ。実行はまだ先の秋だけど楽しみだ。03-6-24

 

毎年すごく気にしてるはずの夏至が昨日知らないうちに過ぎていた。今朝の新聞の見出しでそれがわかってくやしくて残念な気持になった。どうして意識外だったのかわからないが、ただ単純に6月末の気分になってないからだろう。具体的で明確な変化をもたらす区切りの日だから一月一日より夏至、冬至、春分の日、秋分の日のほうがずっと気になる。これから少しずつ陽が短くなるとは・・。03-6-23

 

作品の素材を探すため3つの店をはしご。イメージ通りの材料が見つかるときもあれば駄 目なときもある。それでも楽しい時間。どこにどんな物がどのくらいの値段であるか知っておくのはとても大事でいざというときにあせらないで済む。新しい素材からイメージが湧いたときはとくに嬉しい。03-6-22

 

ふと前を走ってる乗用車のナンバープレートを見ると「野田」になってる。野田っていったいどこだろう。ただ何となく長野県かなって思った。気になったので後で地図で調べてみると茨木県だ。茨木といえば「いばらぎ」でなく「いばらき」だとコマーシャルでやってたっけ。それまで僕も「ぎ」だと思ってた。野田は醤油の野田と関係あるんだろうか。納豆の水戸も茨城だからまちがいないな。03-6-21

 

「いらっしゃいませ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」「いらっしゃいませ〜〜〜〜〜〜〜〜〜」。語尾を極端に伸ばすのは何故なんだ。それも店員全部が一人の客に何回も言うからうるさくてかなわない。従業員達で肺活量 を競い合ってるのか。もちろん経営者の指示だろうがこれを心地良く感じるのはどんな人種なんだろう。今度は「いかがですか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」攻撃に耐えられず足早に退散した。03-6-20

 

良くも悪くも父親譲りのものはいくつかあるが『アンチ巨人』もそのうちのひとつ。何の疑いもなく自然に受け入れてた。だから「阪神ファン」ではない。あえて言えば若松のヤクルトファンになる。しかしあくまでもアンチ巨人がベースだから巨人以外で優勝する可能性の大きいチームを応援する。現時点ではヤクルト対阪神なら阪神を応援する。嫌われるのは承知の上。この辺も頑固な父譲りか。03-6-19

 

興味や関心のある人にはわかってもそうでない人にはまったくわからない。それはどんな世界でも同じこと。わからない人にとってはどうでもいいことだからというわけでもないがわざともったいぶって書いてみた。何だそんなことかと怒られそうだが心配してくれた人もいたので昨日の「ひとこと」の中身を明かすとそれは『阪神優勝』。あっ、とうとう言ってしまった。大丈夫かな、ホントに。03-6-18

 

もしかしたら今年は大丈夫かもしれないと思い始めてる。でもあんまり人前で口に出したくない。また裏切られるのが怖い。去年はすっかりその気にさせといて終ってみれば・・・。しっかり不信感がしみ込んでるからやっぱり不安になってしまう。まだその気になってはいけないのだろうか。もう少しの間そのことには触れないほうがいいという助言もある。そんな気がしてしまうのもくやしい。 03-6-17

 

さらに続く。この言い方でいくと不思議でシュールな会話ができあがる。「おじいちゃん、あばあちゃんは元気ですか?」「残念ながら一度も会ったことがないです」「えっ?」「僕が生まれる前にすでに亡くなってましたから何とも言えません」「え〜?」てな具合。でもこれは紛れもない事実。03-6-16

 

昨日の続き。自分の親なのに「おじいちゃん」「おばあちゃん」と言う人がけっこうたくさんいる。ずっと以前からこの言い方はおかしいと思ってたし大嫌いだった。恥ずかしながら過去に兄や姉とそのことでけんかしたことがある。子供が3才くらいまでならまだしもいつまでたっても子供経由で呼ぶなんてどうしても理解できない。そんな風潮が世間に広がってるのは知ってるが認める気はない。03-6-15

 

不愉快な言葉。ある保険会社の人と母の保険解約について話しを進めているときに出た言葉。「おばあちゃんの・・・」と言ったから「母ですよ」と強い語気で訂正を求めたのにその意味を汲み取れないようでけげんな顔をした。たとえ新人であろうとベテランであろうと許されない言葉づかいのはず。会社の信用さえも疑ってしまう。『あんたに母をおばあちゃんと呼ばれる筋合いはない』が本心。03-6-14

 

突然大きな音が鳴り響いた。大気を切り裂き大地を激しく揺さぶる雷鳴。待ちに待った運動会の朝の花火を聞くような心地よさ。これから始まる天の恵みの雨を予告する合図のようなもの。期待を裏切ることなく久々の雨が乾いた大地を湿らせた。芯まで潤すためにもっともっと降り注いでほしい。03-6-13

 

前を走ってる車の後部座席に座ってる年輩の女性2人がしっかりアシストグリップを握ってる。さらによく見ると助手席の同年代の女性もやはり左手が上がってる。さらにさらに運転席を見ると、正確に言えば座席からのぞく髪型と座高そして前の車のルームミラーから伺うとそこにも同年代の女性。もちろんオフロードではない。信じてないからかそれともそれが楽だからかもしくはその両方か。03-6-12

 

植物園でたっぷり緑に囲まれたが新緑の若々しい勢いと新鮮さに欠けているのは雨が少ないせいだろうか。ここのところ随分長い間たくさんの雨が降ってない。先週の雨もおしめリ程度だった。月間の降雨量 は例年の半分以下らしい。ここらでたっぷり降って大地にも気分的にも適度な湿気とうるおいが欲しいところなのに週間予報でも大雨は期待できないようだ。実家で植えた枝豆も心配になる。03-6-11

 

片側3車線そのうえ高速道路の下なので10メートル程の中央分離帯もある反対車線の側に不思議な看板を見つけた。古い木造二階建ての入口上の大きな看板に大きな字で『さだ子』と書いてある。飲み屋だろうかそれにしては看板がでかいと気なったので車を普通 に走らせながらも必死に小さい字も読んだ。『お食事処』だ。何だかわからないけどすごいしちょっと怖いけど行ってみたい気もした。03-6-10

 

実家からの帰り道、沙流川上流で写真を撮る。新しいポイントも発見。以前写 した場所も水量が違うと異なる表情を見せてくれるのが嬉しい。それに季節と天気と時刻の変化も加えたら無限の組み合わせが生まれるからしばらく楽しめるだろう。今度は道草でなくそれを目的に行こうと思ってる。03-6-9

 

身内が集まったのでちょっと豪華な食事をしようという話しになった。いくつかの候補の中から中華に決定。『いざ出陣』てな気分で予約をとった店に入る。メニューを手にして普段ならパスする高価な料理にも目を通 して食べたことのない品をいくつか注文した。中華の良さは皆で摘めるところだ。おいしくてお腹一杯になって皆大満足した。それでも一人頭3,000円。生まれと育ちの限界か。03-6-8

 

しなくてはいけない用事をたくさん書いた紙が目のつくとこに張ってある。全部で20件ほどあるうちのだいたい半分は終ったことを示す赤線が引かれてる。そして今日、一気に5本の赤線を引くことができた。身も心も軽くなった感じがしてこんな日は何だか嬉しいものだ。とくにずーっと気掛かりなのに先延ばししてた要件を済ましたのが大きい。めんどうがってたわりにはあっけなかったりして。03-6-7

 

今日不在者投票をしてきた。今まで何回投票してきたのだろう。とにかく一度も放棄したことはない。トータルで3回しかない不在者投票が2回続いた。それにしても投票用紙を入れた封筒に記名するのは気になる。今回の市長選は票が割れて得票率が低かったためのやり直し。どうなることやら。03-6-6

 

『水に流す』。「まぁ、非を認めたわけだし反省もしてるからもう許してやろう」ならわからないでもない。「お互い悪くなかったわけだしもう済んだことだからなかったことにしよう」ではどう考えてもおかしい。本当にどこも悪くなかったわけ?現在進行形なのになかったとはどういうこと?どんな非があっても勝ってしまえばすべて正当化するわけ?情けないがどうも世界の流れはそうらしい。03-6-5

 

何年振りか思い出せないほど久し振りに路面電車に乗った。行き先は学生時代を過ごした懐かしい山の麓。かつての学び舎はすでになく図書館と住宅団地になっている。かろうじてグランドの一部が残ってるだけで当時の面 影はまったくない。それでも目を遠く移すと紛れもなくここが青春時代の舞台だったことを教えてくれる。そこにはそのときと同じ姿の山があった。ようやく気持が安らいだ。03-6-4

 

確かに潮の流れの変化で大量の砂がさらわれる深刻な事態に落ち入ってる海水浴場がある。僕の育った浦河でも何Hにもつながってた砂山が見事に消えてしまった。記憶では鮮明に残ってるのに実際には跡形もない。何もなかった土地に建物ができたりあった建物がなくなるならたいして驚かなくても土地そのものがなくなるのはにわかに信じられなく寂しいものだ。だから守りたい気持もわかるが。03-6-3

 

車で2時間くらいかかる街まで友達の作品を観に行って来た。約束の時間より早く着いたので海岸に向かう。久し振りの大平洋に期待してたのに護岸だらけの海辺にがっかり。そこは海浜公園らしいが100メートル程沖合いには海岸線に沿ってテトラポットの山が連なってる。大波を抑えるためか砂がさらわれないようにするためだろうが守られてるというより閉じ込められてる感じがした。03-6-2

 

用事を終えて駐車場に戻ってくると60代とおぼしき男性が僕の車の鍵穴にキーを差そうとしてる。思わず「ちょっと」と強い口調で声をかけると驚きながらもようやくそれが自分の車でないことに気づいたようだ。「なかなか鍵が入らないから変だと思ったんだけど・・・」と言い同じ車なものでと弁解した。彼が車で立ち去るとき何度も頭を下げて謝ってたが確かに同じ車だ。僕も気をつけねば。03-6-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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