ある日のひとこと

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

今回の遠出で再認識したのがガソリンの高さ。いつもは千円分しか給油しないのに、まず2千円分入れた。それなのに12Pにしかならない。次には狩勝峠の手前の南富良野で3千円分追加。峠越えがあるので気持に余裕を持ちたかった。最近はガソリンスタンドが随分減ってしまったのであまり先延ばしできなくなった。帰り道でも2千円分を入れる。実際に使ったのは5千円台だが高値感が強い。14-7-31

 

芽室のお墓には2時に到着して4時まで草取りをする。最初の見た目はそれほど多くないような気がしてもいざやり始めてみると結構あるものでそれなりに時間も掛かる。なんせ年に一度だから小さい芽も摘み取る。それこそ、まていにまていに。終る頃には腰に若干の痛みもあった。手を合わせてお参りすることはないが約3m四方の空間で草取りをしながら墓の中の両親を偲ぶひとときを過ごす。14-7-30

 

車で走る先々で『あ!この建物、あ!この橋』と5月に歩いたときの記憶が鮮明に甦ってきた。歩きながらだと長い時間見ていてその分記憶も深くなるのだろう。とにかく再確認のドライブになった。富良野からは歩道の確認に入る。所々で歩道のない橋や狭くて怖そうな場所もあったが何とかなりそうな気がした。それなりに覚悟できただけでも随分違う。それも予定する一日目だったのは救いだ。14-7-29

 

朝7時に芽室に向けて出発し、夜9時40分に無事帰宅。滝川を過ぎた赤平の手前で、ふと『歩く旅』のとき看板を見つけて興味をそそられた『ズリ山の777段の階段』を思い出し急きょ寄り道をする。これも朝早く家を出たおかげの余裕の表れ。階段横には段数の書かれた杭があり、その心遣いが嬉しい。400段辺りで一旦休憩を入れて頂上へ。心臓はバクバクだけど見下ろす風景が清々しい。14-7-28

 

明日は芽室のお墓の草取りに向う。今回楽しみにしているのがそのルート。5月に歩いた富良野までの道を辿って車を走らせようと思っている。きっとその場その場の記憶が甦ってくるに違いない。富良野から先の道は秋に決行する予定でいる芽室までの『歩く旅』の歩道確認に役立てるつもり。最近は日勝峠ばかりで富良野経由で狩勝峠を越えるのは25年振りくらいなので懐かしさも湧いてくる。14-7-27

 

突然の誘い。2時頃、友達からの携帯電話が鳴り「4時に街で会えないか」と言う。飲み会のためにお互いの予定を確認する電話と思って出たので判断に迷ってしまった。なぜなら、夕方には楽しみにしていた卓球があるからだ。思いは半々でしばし心は揺れ動く。そして、卓球は毎週できるけど、その友と飲む機会は数カ月に一度なんだと考えてようやく誘いを受け入れる。これもまた楽しい時間。14-7-26

 

夏の涼味といえば素麺と書いたが、その前に冷やしラーメンをいただく。この料理の素晴らしさはおいしさだけでなく元気な彩 りにもある。トマトの赤、胡瓜の緑、卵焼きの黄、そしてハムの代わりに使った蟹蒲の朱とどれもが食欲をそそる。少し酸味の利いたタレもうまい。もっと暑くなりさらに涼を求めるときにはあっさりの素麺もいいが、元気を取り戻すには冷やしラーメンの方がいいのかも。14-7-25

 

道路沿いの家横で草取りをしていたら近所の人に「まていだね」と声を掛けられた。「まてい」の言葉には懐かしい響きがある。きっと北海道弁だろうと思って調べてみるとやはりそうだった。意味は『まめである。丁寧である』で漢字は『真丁=真丁寧の略』となっている。漢字は知らなかった。これならそのまんまの意味だから標準語でもいいような気がするのにどうして北海道限定なんだろう?14-7-24

 

浦河高校野球部の快進撃を実況で聞きたくてトランジスタラジオを持参しようとしたがイヤホンが見つからない。外出先で聞くにはあったほうがいい。5年ほど前に古いのは捨てた記憶はあるがひとつは残してあるはずと探しても出てこない。しかし、ここにはないだろうと思っていたバッグからイメージしてたのとは違うものが見つかる。あると思っていたものはなく、忘れていたものが出てきた。14-7-23

 

最後の最後まで楽しませてくれた浦河高校野球部に感謝。準決勝も書かずにいられない劇的な試合だった。先取点は相手に取られるも3回に3:1と逆転。しかし、その裏に3点奪われ再逆転される。その後も加点され9回表の攻撃のときには4;8の4点差。さすがにこれまでかと諦めかけたのに奇跡的に5点も入って再々逆転。ところが、裏の2アウト後に2点を取られサヨナラ負けで涙を飲む。14-7-22

 

銭湯が420円から440円へ値上げ。このニュースを聞いたとき、最初に思ったのは今の銭湯の値段が420円にもなっていること。そして、最後に行ったのはいつだったかというのも気になった。長い年数が経っているので思い返すのも大変だ。多分、30年程前だろうか。その頃は家にも風呂はあったけどゆったりできるのでときどき行っていた。遠い昔の浴場画と黄色いケロヨンが懐かしい。14-7-21

 

南北海道大会でベスト4まで進み、学校や関係者は嬉しい誤算に慌てているに違いない。多分これだけの『まさか』が続くとはほとんどの人が予想していなかったはず。選手の宿泊のみならず応援者の送迎の手配と資金集めにも奮闘していることだろう。次は準決勝で、もしも『まさか』が続くなら甲子園も夢ではなくなる。まさに夢のような話だ。たとえ途切れたとしても夢は充分見せてもらった。14-7-20

 

またまた『まさか』は続く。9回表の攻撃を迎えたときには2:4で負けていて1アウトになった時点で負けてしまうかもと諦めかけたのに、その後まず同点にしてその勢いで2点も勝ち越したのだ。この粘りには驚嘆させられた。浦河高校の応援席は大いに盛り上がり狂喜乱舞していた。その様子を眺めるのも楽しい。そして、6:4で勝利した。劇的な勝利を観戦できた喜びにしばし浸っていた。14-7-19

 

本格的な夏の暑さがやってきた。気温が30℃を越えるといよいよ本番突入かと覚悟する。最初は辛くてもそのうち慣れてくるからしばらくの辛抱だ。夏となると登場するのが蚊取り線香。夜になっても窓は開けたままなのでこれは欠かせない。飛んでる蚊は一度も見てないがこれを焚くと寝るときも安心できる。夏とくればあとは西瓜と素麺か。これらはこれからのお楽しみ。どちらも涼を味わう。14-7-18

 

嬉しいまさかが続く。高校野球の甲子園への切符を争う南北海道大会に我母校の浦河高校が60年振りに出場したのだ。在校当時の野球部を振返えるととても信じられない。それが何と、1回戦を8:4で勝利したものだからさらに驚く。幸いにも次の試合には時間を取れそうなので円山球場まで応援に行こうと思っている。甲子園まで出掛けて応援する人の気持にほんの少しだけ近づけた気がする。14-7-17

 

札幌で初めて開催される『国際芸術祭』が4日後に迫ってきたので前売券を買おうとセブンイレブンに行きそれを求めると「今、コピー機が使われているので・・・」と応える。そこで、コピー機を使って発券するのを知る。すぐにその店を出て次に向う。そこでのレジ前の店員には「ここでなくコピー機です」と冷たく言われ買う気も萎む。そんなわけで、プレイガイドにてあっさりすんなり購入。14-7-16

 

小学校体育館を借りて土曜の夜に行っている卓球サークルには無償で指導してくれる人がいて希望すると10分間ずつ個人指導してもらえる。いつも有難くやってもらっているのだが、頭では理解しても体が付いていかないことが多い。そう簡単にはできないとわかっていてももどかしさが募る。それでも、徐々にだけれど確実に上達している実感があるから嬉しい。これからもたくさん教わりたい。14-7-15

 

この前の3時間で1,5L減が自分でも半信半疑だったけどまちがいでないことが証明された。今日は行く寸前に計った体重は64Lで、やはり3時間卓球をした後には62Lになっていた。これも『本当なの?』って疑われてしまいそうだけど紛れもない事実。なぜそうなるかというと、とにかく溢れ出る汗の量 は半端じゃなくてサウナで走っているようなものだろうか。減ったのはその汗の重さ?。14-7-14

 

午後2時頃、そんなに厚くて濃い雲ではないのに雨が降り始め、その雨の勢いはみるみる激しさを増していった。すぐ近くではないけれど雷が聞こえると、それに応えて全開のシャワーのような雨粒がこれでもかとばかりの激しさで道路を叩き付け大きな音を響かせた。幸い20分程で豪雨は止んでくれたが、これが長引けば大災害に繋がるというのも容易にうなずける。かつての夕立の趣きはない。14-7-13

 

蟻の道。板の間に小刻みに動く黒い行列を見つけたときはちょっと驚いたが蟻とわかって落ち着く。蟻は正直なもので餌となる元を絶てば来なくなる。そこは新聞を読みながら朝食のトーストを食べる場所で、一生懸命パン屑を運んでいるのもいて蟻達の目当ては明らか。蟻とパン屑を一網打尽にする方法は過去の経験で学習していてガムテープを使うのが一番手っ取り早い。道は瞬く間に消滅する。14-7-12

 

長期予報では冷夏になりそうと言っていたのに、ここにきて平年並みかもしくは暑くなりそうに変わってきた。今は7月中旬ですでに夏に入っているわけだからもう変わることはないだろう。いくら暑さが辛くなったとはいえ夏は夏らしい暑さがないと寂しくなる。ここまでは比較的過ごしやすい天気が続いていたので余裕でこんなことを言えるが、これで酷暑になったらなったで不満になるわけだ。14-7-11

 

83分の67。早いもので半年ごとの運試しがもうやってきた。市民ホールの部屋を借りたい人の受け付け順を決めるために箱の中から番号札を引くのが恒例行事のようになっている。いつものように一番最初に手に触れた札を取り出したら67番だった。83番までだから運には見放されてしまった。運のなさにがっかりしても70、80番台でなくてよかったと自ら慰める。半年後に期待しよう。14-7-10

 

緊急地震速報。テレビを見ていたとき聞き慣れない音とともに地震の発生を予告する文章が現れた。そして、その直後に揺れ始めた。せいぜい2、3秒後だっただろうか。これでは何か行動する余裕はないが気構えはできる。この速報を見たのは初めてで、直前ではあるがその確かさは体験させてもらった。実際には速報は揺れの後だったらしいが、体感的には後だった。さらに進歩してほしいものだ。14-7-9

 

高校のクラス会の案内状が届いた。毎年、場所を換え長年やり続けている。8年ほど前と3年前に出席したが、是非行きたいというよりせっかく企画し案内してくれたのだからとの気持が強かった。クラス外に友達がいたのと一緒に受ける授業が少なかったせいもあって親しみを感じる人はほとんどいない。3年前には頑張って輪に入ったがもういいなと思った。それで、今回は迷わず『欠席』で投函。14-7-8

 

友と飲む。いつものことながらおいしく楽しく飲み語り合えるのは嬉しい。いつもの所が休みのため新たな店を開拓しようと狸小路をのんびり散策する。すると、それまではまったく目に入っていなかった様々な店があるのを知って驚く。新規の店も多く人気上昇中のスポットのようだ。それを裏付けるように若者達で溢れていた。初めて入った居酒屋は落ち着いた雰囲気で料理もおいしく成功だった。14-7-7

 

「サッカー選手」「野球選手」「食べ物屋さん」そして「食べ物屋さん」「保育園、幼稚園の先生」「お医者さん」。これらは幼児や小学生に質問した男の子と女の子の『大人になったらなりたいもの』の上位 。意外だったのは女の子の「食べ物屋さん」は17年連続で1位だという。男の子の運動選手は長年の定番。僕の子供の頃の夢は機関士、漫画家、野球選手などで極めて一般 的だったみたいだ。14-7-6

 

昨日の夜、久し振りにクラシック演奏会に顔を出す。すでに12年前になったが芸術の森アートホールで音楽家とのコラボレーションをしたときのオーボエ奏者に招待されたものだった。会場は北区のサンプラザで普段の徒歩圏内なのも嬉しかった。モーツァルト協奏曲の演奏会だったが音楽家の違いがわかるわけでもなくただ音の調べに耳を傾けその世界に浸っていた。これもまた非日常のひととき。14-7-5

 

ヤジるか黙るかゴリ押しか泣くしかない。まともな議論や弁論のないのが日本の特徴で文化になっている。今度は極めて情緒不安定で支離滅裂な県議が現れた。釈明会見で意味なく喚き号泣するとは開いた口が塞がらない。これもまた日本人の姿として世界に発信されている。これらを許してしまう土壌があるからいつまでたっても同じことを繰り返す。辛く悲しいけれど認めねばならない日本の現実。14-7-4

 

現実を直視すべきなのはわかるが、あまりにも気分が悪くなるので聞かないように見ないようにしているのが阿倍首相の声と顔。テレビのニュースに出て来たらすぐにチャンネルを変えている。言いたいこと言うことはどうしても納得できないとわかりきっているので聞く必要もない。こんな自己中心的な人間に国を預けてしまったのだから自業自得ではあるが、選挙権のなかった人達への責任は負う。14-7-3

 

今年もすでに半年が過ぎ去った。これからは残りがどんどん少なくなっていく。そして、この辺りまでくると夏を通 り越して秋の予定も浮かび始める。そうすると、ちょっと焦る気持も生まれてまたあっという間に過ぎ去るのではと心配になってしまう。時間の経過は不思議なもので過ごし方次第で長くもなり短くもなるからおもしろい。今年はたくさん詰め込まないようにしてるから早くて当然だ。14-7-2

 

そういえば、血圧が200とわかったときにひとつ聞かれたことがあった。「頭は痛くないですか?」と、もちろん「まったく痛くないです」と返答。考えてみると頭が痛くなったのはいつだったのか思い出せないほどの年数が経っている。多分20年か30年以上前でないだろうか。はっきりと記憶にあるのは大学のコンパで飲めないお酒を飲まされ心臓はバクバクで頭はガンガンだったときくらい。14-7-1

 

 

 



ウィンドウズで御覧の方は文字の表示を最小にしていただくと私のレイアウトに近づきます。

 

NAKAHASHI OSAMU

作品の著作権を侵害することのないようお願いします