ある日のひとこと

 

 

 

=そのときどきの、思いついたこと、感じたことを書き留めてます=

 


 

世の中のいろんな動きや流れを見ていると自分がタイムスリップしたような錯覚に陥るときがある。何年前かは分からないがかなり昔に戻ってる。どうしてこんなに簡単に戻れるのだろう。今まで進んで来たと思ってた道も階段も見当たらない。いとも簡単に消え去った。これは気のせいではない。02-1-31

 

最近、また、あるまちがいを発見した。そんなことも知らなかったのと習いたての小学生にも馬鹿にされそうだが、恥をさらしてあえて言うと、それは『必』の書き順。正しい書き順を知って驚いた。普通 ならなるほどと納得するのに、これは「本当かい」と思うほど違ってた。ちなみに僕は心を書いてから斜めを最後に入れてた。これでようやく人前でも安心して『必』が書ける。 02-1-30

 

母は80才になった。帰省したとき母からカタカナ言葉や英語の意味を聞かれることがよくある。この前はアンサーだった。テレビのクイズ番組が大好きでよく見てるらしい。もちろん、一緒にファイナルの意味も教えてあげた。新しいこと、知らないことを知りたいと思う気持ちが嬉しい。僕も正しくしっかり答えられるよう幅広くいろんな言葉を覚えておかなくては。 02-1-29

 

ホットミルクとトーストをセットにして食べようと電子レンジとトースターを一緒に使ったらブレーカーが切れた。その度に、「そうだった」と思うけどまた忘れてやってしまう。あと、ドライヤー、アイロン、電気ストーブなど熱ものとのセットは要注意。電気の復活は簡単だけど、全部が8になってあせったようにピコピコしてる四ケ所の時計合わせのやり直しが結構めんどうだ。 02-1-28

 

男の子は車派と怪獣派に何となく別れるみたいだ。僕は断然車派で怪獣にはまったく興味がなかった。おもちゃを買ってもらえるときはいつも車を選んだ。これはどこで別 れるんだろうか。こんなことを研究してる人はいないのかな。きっといるんだろうから何故なのか聞いてみたい。 02-1-27

 

「あ!バッチン、バッチンですか?」「そう、そのバッチン、バッチンです」。ほんの少し顔を赤らめ照れくさそうにほほえみながら商品の棚に案内してくれた。あるホームセンターでいかにもパートという感じの女性店員に「ガンタッカーはどこですか」と尋ねたが通 じず「ホチキスみたいなものです」と言った後に出たのが「バッチン、バッチン」。家庭ではそう言ってるんだろうな。 02-1-26

 

復興には教育が重要だと唱える人達がたくさんいる。まさにその通りだ。違いを認め合い、尊重し合う真の自由と、人を思いやる心の大切さと、公平の重要性を早急にアメリカに教育してもらいたい。そして、物事を解決するときの方法は決して武力だけではないんだとわかりやすくていねいに教えてあげてほしい。その教育を先にしてもらわないと、爆弾が心配で落着いて学習もしてられない。 02-1-25

 

「えぇぇ〜」って感じのショック。おとといの『全然』について友人から肯定にも使えるはずだと指摘され、辞典を調べたら何と書いてある。「そーなのかぁ」。全然知らなかった。恥。思い込みには気を付けねば。反省。自分には全然使えないけど使う人のはちゃんと受け止めなくては。 02-1-24

ぜんぜん[全然](副)その事柄を全面的に否定する意を表わす。全く。「-(まるで)なってない」
          [俗に、否定表現を伴わず、「非常に」の意にも用いられる。例「-(てんで)おもしろい」    三省堂国語辞典より

 

非政府組織(NGO)が政府に従わないから気にくわないと発言した国会議員がいる。非の意味はなんだと考えてるのだろう。こんなのが国の中枢で国の舵を取り国の動きを左右してる現実に怖さと情けなさを強く感じる。後に彼はこうも言った。「政府の主催するものに政府を批判するものが出る方がおかしい」。完全に非を認めてない。呆れ果 てるが、彼の中では何も矛盾してなかったようだ。 02-1-23

 

最近、超が消えて的が増えた。そして全然が肯定として使われ浸透してる。『僕的には全然いい』。これがいいとは思えない。的は多分自分をあいまいにしたい気持ちの現れだろう。時代で言葉が消えたり生まれたりするのはわかる。でも、全然のように反対になるのはおかしい。『僕的には全然変だと思う』。あ〜やっぱり駄 目だ。何だかざわ〜っと寒気もする。僕はイヤだねったらイヤだね。 02-1-22

 

もう15年も前の話しになるけど、高校で美術の講師をしてたとき、生徒から美術の授業について質問されたことがある。「こんなことしてなんの役に立つの」。僕はすかさず答えた。「何の役にも立たないからいいんだよ」。その後、本当の意味を伝えると納得してくれた。受験のためと塾通 いをさせられてる子供達を見て、ふとそんなことを思い出した。 02-1-21

 

ナノって何なの?ってしゃれてる場合じゃないけど、昨日、知った単位。習ったのを忘れたのかもしれないけどミクロンまでしか知らなかった。ナノは10億分の1mでその上のじゃなく下になるのかな、とにかくオングストロームは100億分の1mだという。こうなると何光年の世界と一緒だ。もう、完全に日常の域を超えてるからミクロもマクロも同じに思えてくる。 02-1-20

 

散々脅かしておいてから、エサを与える。飴と鞭は短期間に飼いならすための有効手段。日本もかつてそうされた。そして思惑通 りに進んだ。今度もそうするみたいだ。破壊の次は復興支援だという。疑問も異論も唱えずついていく60ヶ国が不思議でならない。やはりこれも金と武力の力か。 02-1-19

 

七草粥もそのひとつだが、七のつく言葉はたくさんある。どんな仕事でも必要な七つ道具。七転び八起きを外国の友人に直訳でseven down eight upと説明したことがある。これは最後に起きてるからいいけど七転八倒は嫌だ。七光りは関係なかった。七癖は自覚してない分を入れると軽く七をこえるんだろうな。七不思議は数え始めたらきりがない。七味唐辛子の七味はなんだかわからない。 02-1-18

 

熊本の子だくさんの母親が微笑みながら「私の特技は子供を作ること、そして私の趣味は子育て」と話してた。その顔がとてもいい顔だった。いい顔とは人を安心させる顔だと思う。父親も負けずにいい顔だ。二人とも疲れがまったく顔に出てない。だから、確か9人?の子供達も皆穏やかないい顔をしていた。それを見た僕はすごく安心した。 02-1-17

 

0-8、1-10、2-12、3-10、4-11、5-14、6-4、7-12、8-9、9-8、以上の数字は今年の年賀状の下ひと桁とその枚数。6が極端に少なくて、5が多い。何だかおもしろい。あとは+-2の中。それはさておき、総数98枚で切手シート2枚当選。当たる確率は99分の3だからほぼ平均だ。喜こべばいいのか残念がればいいのか。平均値というのはどっちでもないから中途半端な気持ちになる。 02-2-16

 

「えっ、なんで」。張り切って仕事を始めようとしたら、形が微妙にゆがんでる。昨日、2時間かけて作ったのに。「まぁ、いっか」とほんの一瞬脳裏をかすめたが、会場でなく、今、発見できて本当に良かったと思えて来た。それで、「よし、やり直そう」って気になった。ものは考えよう。 02-1-15

 

ある公共施設の中に入ったら「時間前ですからとにかく外に出てくだい」と強い口調で言われた。確かに3分前だ。その言い方には一切の優しさも来館者への感謝の気持ちもなかった。問いかけにも同じ言葉を繰り返すのみで、まるで自分の家に勝手に入られて怒ってるみたいだった。まだ20代と思う役人はすでに勘違いが始まってるかもしれない。でも、きっとこうゆうのが出世するんだろうな。02-1-14

 

勤務中に遊ばないよう秋田市の市役所のパソコンからトランプゲームを削除することにしたという。何とも情けない話しだけど、おいおい、そうじゃないだろって。ゲームが入ってる入ってないの問題でないだろう。幼稚な日本人らしい対処だ。そんな人達が『成人式』を企画、実行してる。 02-1-13

 

「せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ」これが七草粥の七草。僕の育った家庭では無縁だったし、その後もまだ一度も口にしてない。だから、どれひとつ形も味もまったくイメージできない。話しのタネにと言えば七草に失礼だが、もし、もしも忘れないで覚えていたら来年の1月7日に七草粥を作ってみようかな。 02-1-12

 

仕事のやり始めにやる気が満ちあふれるときと、やる気が湧いて来ないときがあるのは体調と気分に関係してるんだろうけど、体調がいいはずなのにやる気がないときはこまる。そんなときはできるだけ簡単で単純な作業から入る。始動が一番肝心で、そこを乗り越えればあとは歩いて走るのみ。 02-1-11

 

それみたことかというか。やっぱりというか。当然の成りゆきというか。アメリカは核実験を再開するという。他国がすることも、持つことも絶対許せないけど自国だけはさらに強化したい。自分だけが大事だと公言し、ここまで本音でわがままに生きられたら、もう立派としか言いようがない。02-1-10

 

最近、眼鏡をかけたりはずしたりする機会が増えた。新聞は大丈夫だけど辞書なんかは大変だ。その度に眼鏡をはずして、またかけ直す。はっきり見えづらくなり始めた頃、眼鏡をかけたまま読もうと頑張ってたものだ。あるとき、はずして目を近づけるとはっきり見えることがわかってからもしばらくその事実を受け入れようとしなかった。今はもう無駄 な抵抗はしてない。でも、めんどうだ。 02-1-9

 

地下鉄でのこと。向いに座ってる人がずっと真剣に雑誌を見てる。その人は男性、多分70代、小柄、毛糸の帽子、黒縁眼鏡、黒の防寒着に長靴と昔懐かしいスタイル。なにげなく、その雑誌の表紙が見えてびっくりした。マイケル・ジョーダンが大きく載ってる。バスケットボールの専門誌だ。勝手に驚いて失礼だけどあまりにも意外だった。そして、それが何だかかっこいいなと思えてきた。 02-1-8

 

友人が一刻も早く忘れ去りたい怖い夢を見たという。僕は夢の中で知らない人に言われたひとことが思い出せなくてくやしい思いをしてる。『君がまだ・・なのは、・・のせいだ』。なるほど、もっともだとすごく納得したはずなのに『・・』がどうしても思い出せない。あの夢よもう一度。 02-1-7

 

「これは自己満足に過ぎない」とちょっと批判的に意見する人がいるけど、作品に自己満足以上の何を求めているのだろうか。その人が依頼した作品なら別 だが、その人はそう言うことによって『自己満足』してる わけだ。それぞれがそれぞれの自己満足を求めて生きている。それが生き甲斐にもなる。僕はそれをほめ言葉として使っている。その人も「私は満足できない」と言えばいいのに。 02-1-6

 

楽しみにしてたテレビ番組「はじめてのおつかい」を見た。精一杯の頑張りと健気さにやっぱり泣けてしまった。ただかわいいだけでない子供の真剣さに感動する。 02-1-5

 

昨日は、希望した禁煙車でないから、二時間半の煙り攻撃はしかたがないと覚悟して乗り込んだ。しかし、紫煙が舞い上がったのはたったのニ本、それも右前方の同じ所からだった。座席は4-D。視界に入るのは15人。嬉しいことだがちょっと意外だった。喫煙率を考えると不思議なくらいだ。 02-1-4 

 

僕にとって、乗り物の楽しさは変化する外の景色を眺めることにある。だから、座席が窓際でなかったら楽しさも半減してしまう。自分が動いてるのを確認したくてたまらない。たとえトンネルでも猛スピードで走り去る灯りを目で追ったりする。そして、トンネルを出る瞬間をじっと待つ。 02-1-3

 

帰省した実家でゆっくり本を読もうとしてもなかなか集中できないもので、結局、テレビの前でダラダラ、ゴロゴロになってしまう。最初からわかってるはずなのに、もしかしてと甘い判断をするから無駄 な荷物を増やすことになる。と言いつつ来年も持参するんだろうな。 02-1-2

 

一年の始まりだ。なんとか『365』の目標は達成したいと思う。積み重ねる大変さと大切さをを味わうことになる。昨日の列車の旅は座席が通 路側だったので半分くらいの満足度かな。 02-1-1

 



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NAKAHASHI OSAMU

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