暴走族より怖い車道族 1998 |
歩道があるにも関わらず、車道を平然と歩く人達。悪気もなく堂々と歩かれると走ってる車のほうが悪いのかと錯覚するほどだ。その人達には悪いことをしてる意識がないと思う。なぜなら、歩き方にも表情にも、むきになったりひらきなおったりつっぱったりましてや申し訳ないという様子がまったく伺えないからだ。そして、普段は善良な市民を自負してるに違いない。僕が怖いのはこの自覚のなさである。危険人物を発見して注意を促すためクラクションを慣らしても一向に危険行為を止めずに車道を歩き続ける。すれ違いざまに睨み付けることさえある。本人に罪の意識がないから逆切れとは違う。暴走族は悪いことをしてる自覚を持っているし、迷惑がられていることも嫌われていることも知っている。しかし、車道族にはそれがない。『クラクションなんか鳴らしてびっくりさせる迷惑な車』くらいに考えてるのだろう。ここ1週間の間にも若い女性、中年のおばさんおじさんを目撃した。老若男女一切関係ない。 そして、理解できないのがそれを発見した運転者の反応。運転者のほとんどはそんなルール無視の車道族に対して非常に気を使い、もちろんクラクションを鳴らさず必要以上にハンドルを切って反対車線に入り通 り過ぎることだ。完全に悪いことの連鎖反応。きっと、この運転者にも罪悪感はないと思う。 危険な車の運転があふれてるのもたしかで、停止線で止まれるのにわざと停止線をはみ出す車、一旦手前で停止したのに前進して横断歩道をふさぐ車、青になる前に動き出す車、一旦停止線を無視して横道からいきなり飛び出してくる車などなどルール無視の車のなんと多いことか。ここまで書いてわかってきた。そうか、車道族への仲間意識なんだ。ルール違反を繰り返す者同士のかばいあいだと考えると納得できる。そうでなければクラクションで警告してあげない理由がわからない。人身事故、へたすれば死亡事故に結びつく極めて危険な緊急事態に直面 してるのにクラクションを鳴らさずいつ鳴らすというのだろう。 僕はお互いの命を大事にするため早めにクラクションを鳴らすよう心掛けている。 |