中橋修展 「内包」―内にあるもの―

「内包」と銘打たれた個展のシリーズでは、おもにアクリルを用いたシンプルなインスタレーションに取り組んでいる札幌の中橋さん。今回、ギャラリーの向って左側の窓を半ばふさぐように並べたのは、前回の個展にも1個が出品されていた立体を、9つまで増やしたもので、壮観です。

ギャラリーオーナーの門馬よ宇子さんの 「これ全部の窓にあったらおもしろいかも」 という一言に触発されて制作したとのこと。

一見すると、64のますがあるクロスワードパズルのように見えますが、厚みのある立体です。裏側(窓側)は、アクリル板でふさがれており、中央に丸い小さな穴があいていたり、たてに 細いスリットが入っていたりします。手前側は、やはり中央に穴があいた板でふさがれている ますと、板でふさがれていないますがあります。 拡大するとこんな感じです。

9個のそれぞれがランダムなパターンになっているような気がしますが、じつは9個ともまっ たく同一の作品。ただ交互に、180度回転させて設置してあります。

中橋さんによると、黒いますの模様が何かの形に見えたり、目に残る規則性を持ったりしない ように配慮するのが、大変だったといいます。

たしかに、1個ずつ白と黒が交互にならんだりすれば、きれい過ぎるし、白や黒が3個以上つ づくと、その部分がほかより目立ってしまいそうです。絶妙の配置なんですね。 ちなみに、数えてみると、黒が33、白が31でした。 それぞれの作品の大きさはおよそ82センチ四方。窓の桟を目立たせないよう、窓枠よりわずかに小さくなってるのがミソです。

「夕方の薄暮時には、作品が真っ青になる。ガガーリンの『地峡は青かった』を思い出させ、き れい」 ただし、ギャラリーの閉まった後の時間帯だそうです。

「内包」というのは、光もふくめた、外のものも包み込んだ―という意味なのでしょう。 それに対し、奥のほうにある立体は、それ自体で自足しているような作品です。 手前側が透明な板でふさがれているのです。 その反対の壁には、こんなインスタレーションも。うわー、ドナルド・ジャッドだあ、と思いました。あれより小さいし、数も多いけど。

いま、ジャッドのなまえが出ました。絵画から出発して立体に移行したという点でも、中橋さんとジャッドは共通 してますが、ジャッドが、作品それ自体にはとりつくしまがない感じがするのに対し、中橋さんのほうは、細部まで楽しめる部分があります。

たとえば、今回のメーンの作品でも、中央の穴の位置がそれぞれのますで微妙に違っているし、スリットの太さもわずかに異なります。興業製品でなく、手づくりゆえの味でしょう。また、スリットから漏れる光の太さと、上下の黒い板に反射する光の太さがちがうのも不思議です。

ミニマルアートが絵画の延長線上にあるとされるに対し、中橋さんの作品は、それ自体の美しさを求めている点で、彫刻に近いのかもしれません。 ただ、会場を強く意識している、いわばサイトぺしフックなところは、既存の彫刻とは一線を画しているといえるでしょう。

 

2006年8月6日 柳井朗氏のサイト『北海道美術ネット』 展覧会の紹介---現代美術 より